チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

カープファン、今年は大きな期待と一抹の不安

2014-06-27 11:42:37 | つぶやき
6月27日(金)

 プロ野球は、セパ交流戦が終わって小休止。今日からリーグ戦再開です。カープは現在66試合を終えて36勝30敗。年間の試合数の半分まであと6試合、全部負けることはないと思うので、勝ち越しで折り返すのはまず間違いありません。

 なにしろ、ここ何年もの間、貯金を持って後半戦に突入なんてことは全く記憶にありませんから、一時「12」もあった貯金を半分にしたとはいえ、首位ジャイアンツに2・5ゲーム差の2位というのは、なかなかの好成績なのです。

 ということで、今年のカープファンは大いに盛り上がっていて、ワールドカップで日本代表が負けてしまっても、まだ夢に胸踊らせていられる幸せ者なのです。

 その夢というのは、もちろん、1991年以来23年ぶりのリーグ優勝と30年ぶりの日本一ですが、その夢に向かって頑張っている選手の活躍を生で見たいと思いつつも、残念ながら、なぜか今年はまだ一回もその機会がありません。
 実は、5月22、23日にあったオリックス戦、明石から近くの「ほっともっとフィールド神戸」だったので、シーズン前から楽しみにして、カレンダーにも印を付けていたのです。ところが、神奈川での通院の日とか飲み会とかに重なってしまい行けなかったのです。まあ、ちょうどチームが調子を落として連敗を喫した時だったので、ブログにぼやきの記事を載せずに済んでよかったのかもしれません。

 ところで、その昔、天王山で秀吉が光秀を蹴散らしたのは旧暦の6月13日だそうで、今で言うと7月初旬になります。ちょうどその時期の、来週1日の火曜日からジャイアンツとの3連戦があるので、はたして、カープファンの夢が現実味を帯びているのかいないのか、なんとなくわかりそうな気がします。一週間後の気分はどんなものになっているのやら。理由は次に記しますが、あんまり自信はありません。


   七夕の願いやいかに天王山   弁人


 実際、数字を見れば、「今年のカープは好調」ということになるのでしょうが、本心はそんな呑気な状態ではありません。去年までの弱いカープに、いつ戻ってしまってもおかしくないという一抹の不安が拭いきれないのです。

 というのは、3月のオープン戦を見た時も思ったのですが、基本的には、戦力的に去年とあまり変わっていない印象があるからです。
 オープン戦の日のマウンドは野村だったのですが、ストレートは130キロ台で、微妙なコントロールが乱れると打ち込まれそうな気配。
 新人の大瀬良・九里の二投手が元気そうでしたが、新人二人に、巨人に取られた大竹の穴を埋めろというのも酷かもしれません。
 野手では、三振とエラーの多かった堂林が一皮むけた感じがしたのですが、シーズン直前にまた三振の山を築き出して期待できず。
 といった具合。

 ところが、いざ始まってみると、主砲エルドレッドが打つは打つは。新人二投手もそれなりに投げ、巨人から大竹の見返りで来た一岡と、去年までパッとしなかった中田と永川が中継ぎでがんばる、菊地・丸の「菊丸コンビ」もうまく機能し、開幕からひと月も経たない23試合目には貯金が「11」になりました。

 でも、今年は本当に強くなったのかというと、どうもそうでもなさそうな感じもするのです。

 まず投手陣。エースマエケンと守護神のミコライオは150キロ以上の球を投げますが、続く140キロ台後半の球を投げる新人の大瀬良を除くと、あとはバリントンも野村もコントロールが生命線の内容。ところが、二人とも防御率は4点台ということは、やはり信頼感は今一つなのです。新人の九里も初めは二勝しましたが、これもストレートの球速が140キロやっとで連休前から全く勝てません。今の野球、投手は140キロ台後半の球を持っていないと、マリナーズにいる岩隈のように、よほどのコントロールがない限りローテンションに入るのは難しいようです。
 球の速い今村君、前半はほとんど二軍暮らしでしたが、何とか制球力を磨いて、中継ぎでも先発でもなんでもいいから出てきてほしいと去年から待ち続けているのですがね。

 さて攻撃陣。勝っている時は、確かに好調のように見えますが、ホームランは多いものの、実はタイムリーはそんなに多くないのです。それに、速球派の投手にめっぽう弱いのは今までどおりです。幸い、セリーグにはジャイアンツの菅野ぐらいしかいないので何とかなっていましたが、交流戦でパリーグの好投手を相手にすると、昨年までの貧打線そのままに全く手も足も出ませんでした。

 要するに、開幕ダッシュに成功したのは、とにもかくにも、シーズン当初全く調子の出なかったドラゴンズとDeNAとヤクルトのおかげなのです。この3チームは連休の頃から少し上向いてきたものの、なんとか五分五分に渡り合っているうちに、貯金を「12」にして交流戦を迎えることができたのです。

 シーズン当初に「10」以上の貯金を持つ、これはなかなかすごい。3連戦1勝2敗の負け越しをを10回以上経ないと5割を切らないわけですから。したがって、多少チームの調子が落ちてきても、それなりに勝ちを拾っていけば簡単に転落するはずがないのです。

 そんなわけで、交流戦のスタートでつまずいた時も、あわてず騒がずでいたのですが、さすがに9連敗となると穏やかではありませんでした。でも、今年はそんなにだらしがないはずはないと念じていると、最後は5連勝で締めくくり、貯金は半分になったものの、まだ6つ残っています。やはり、貯金「12」は大きかったということでしょう。

 ここで、一つだけカープ選手を弁護しておきます。それは交流戦序盤の4連敗についてです。
 セリーグの本拠地は、広島が一番西で東は東京。札幌から福岡まで広く分布しているパリーグより移動が楽に見えます。
 たしかに移動距離は短いのですが、札幌も福岡も空港からのアクセスはとてもよいのです。ところが、広島空港は尾道に近い三原市にあって、アクセスが非常によろしくありません。結果、カープナインは新幹線移動に頼ることになります。

 交流戦の前、カープは米子の地方遠征でタイガースと戦い、米子からどこで新幹線に乗り換えたのか、東京ドームでのジャイアンツ戦に臨みました。結果、マエケンが菅野に投げ負けるも、大瀬良バリントンが踏ん張って2勝1敗。
 ここで交流戦に入りました。最初の相手は、パリーグでダントツの首位争いをしている絶好調のソフトバンクとオリックス。それも敵地です。
 巨人戦を終えたナインは、まず東京から福岡へ移動。ここは飛行機だったのでしょうか。次は、福岡から神戸です。多分新幹線でしょう。とすれば、本拠地マツダスタジアムの前を素通りしての移動となります。マツダスタジアムでの試合は11日を最後にして移動の連続の中だったのです。
 つまり、阪神に1勝1敗、巨人に勝ち越したものの、投手総力戦の果てに始まったのが強いソフトバンクとオリックス戦だったのです。心配していたとおりの4連敗でした。本拠地に戻ってライオンズに連勝はしたのですが、チーム全体が疲労骨折の感、泥沼にはまって、その後9連敗を喫する結果になりました。

 とにもかくにも、日程の厳しさに押しつぶされた感じは否めません。

 よく夏の甲子園の期間中に、「タイガースが死のロードに出る」とか言いますが、その間、京セラドームでの試合が入っていて、「移動の大変さはカープには及ばない」と、広島から阪神へ移った金本・新井両選手も言っています。

 ここで、カープナインがよく味わうハードスケジュールを紹介しましょう。

 時間は試合開始時刻ですが、例えば、
 5月5日マツダ13:30、翌6日神宮18:00というパターン。これは前日の夕方に試合が終わるので比較的楽なのかもしれません。
 ところが、6連戦の真ん中のいずれもナイターで、4月10日東京ドームの翌日にマツダというパターンは、時間の推移を考えると、とてつもなくハードなのです。
 試合が終わるのが22時頃ですから、その日の列車はもうありません。たぶん夜中に寝て、翌日の早朝の新幹線で移動し、午後の練習を経てそのまま試合へということなのでしょう。広島-東京は「のぞみ」で約4時間、前日のことを考えると、6時の列車は無理でしょう。でも、9時の列車では、バス移動と食事タイムを考えると遅すぎます。
 実はこのパターン、4月中にまだ二回もあったのです。17日マツダで翌日横浜。24日神宮で翌日マツダと三週連続でした。

 (僕だったら、9時の列車でも早すぎて、体調維持が難しそう・・)

 もしかして、「条件は相手も同じじゃないか」と思いますか? ところがどっこい、そうではないのです。4月10日東京にいたジャイアンツ、翌日は横浜なのです。同じように、17日のDeNAは名古屋から横浜へ行けばよく、24日のヤクルトはそのまま神宮という具合。

 そうそう、5月始めの9連戦も大変でした。最初に挙げた例もその期間中だったのですが、まずマツダで3連戦。ただし、最初に記したように3試合目はデーゲームでした。続いて神宮でナイター3試合、そして、連続ナイターの例のパターンで、翌日の早朝に広島へ移動しての3試合が待っていました。
 この過酷な9連戦を5勝4敗で乗り切ったのですから、とにかく「偉い!」の一言。でも、やっぱり相手は、DeNA、ヤクルト、中日で、前半戦はこの三球団に「感謝、感謝」といったところでしょうか。。

 私もしょっちゅう新幹線に乗りますが、「ひかり」に乗ることが多く、「のぞみ」のグリーン車に乗ることは滅多にありませんので、選手に遭遇することは望むべくもありません。でも、もし仮にそんなことがあったとしても、ねぎらいのことばをかけるのも控えたくなってしまうでしょう。


 さあ、リーグ戦再開まであと6時間。鯉軍団は横浜に陣取っています。投手はみな休養十分、今日はマエケンですから、まずはエースで貯金を一つ増やしてほしいと楽しみにしています。


   東へ西へ流離ふ鯉の夏の陣   弁人


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播磨小野市の名刹「浄土寺」の紫陽花の小径

2014-06-21 19:22:34 | お出かけ・散策
6月21日(土)

 紫陽花の季節になりました。

 明石の北、小野市の浄土寺で見頃になっているという情報があり、梅雨の晴れ間、夏の日射しがのまぶしい中、車で向かってみました。

 浄土寺は、
  のどかな田園風景の中にありました
  

 鎌倉時代初頭に創建されたこのお寺のメインは、入ってすぐの所にある浄土堂に安置されている国宝阿弥陀三尊像です。

 浄土堂(阿弥陀堂)の建物も
  国宝だそうです
  

 快慶作の
  阿弥陀三尊立像
    
 堂内は撮影禁止なので絵はがきを買って複写しました。

 高さ5.3メートルの阿弥陀如来像と、両脇に勢至菩薩と観音菩薩が並んでいるさまはなかなか壮観です。
 夕方になると、三尊像の背後から夕陽が差し込み、朱色の天井も相俟って、御来迎の姿が浮かび上がって来るかのような光景になるそうです。ただ拝観の時間が午後5時までなので、この時季は無理なのかもしれません。


   梅雨晴れの陽もやはらかに阿弥陀堂   弁人


 拝観の後、浄土堂の反対側にある本堂にお参りしましたが、

 その後ろの岡のほうに
  紫陽花が咲いています
  

 その脇の坂道に入ると、
  そこが紫陽花の小径です
  
   

 お寺の名前から浄土宗かと思いましたが、真言宗のお寺で、散策の小径はミニ八十八カ所霊場になっていて、八十八の小さな石仏が次々と現れます。

 その仏様を
  包み込むような咲き方です
  
   

  カシワバアジサイも鮮やかに
  

 ガクアジサイも
  なかなかの風情です
  



   播磨路の紫陽花の径風涼し   弁人


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尼崎城址で「秀吉」の歴史講座に

2014-06-15 08:05:32 | お出かけ・散策
6月15日(日)

 今年のNHK大河ドラマの「黒田官兵衛」、姫路出身ということで、今、播磨はたいそう盛り上がっています。

 大人になってから、大河ドラマを見ることはほとんどありませんでしたが、中学から高校時代の「赤穂浪士」「太閤記」「源義経」は見ていた記憶があります。

 子どもの頃、映画館で三船敏郎の「宮本武蔵」を見ました。中学生の時には中村錦之助が武蔵になり、何回か映画館に通いました。そんなこともあって、吉川英治の「宮本武蔵」を中学の時に読みました。さらに、その勢いで「新書太閤記」を半分くらい読み終えた頃、テレビで大河ドラマの「太閤記」が始まったのだと思います。
 高校生になり、授業で「平家物語」に興味を持ち、図書館で吉川英治の「新平家物語」を拾い読みしていると、またまたタイミングよくテレビで「義経」が始まるという具合だったと思います。

 一昨年の大河ドラマが「平清盛」の時、兵庫県、特に神戸市を中心に平家の話題で持ち切りだったので、ちょっと興味をそそられましたが、やはり、大人になると、平家の悲哀に満ちた末路が見るに堪えなくてテレビは見ませんでした。

 でも、今年の「官兵衛」は事情が違います。裏切られようが、疑われようが、最後は子の長政と筑前福岡に落ち着くわけですから、その長政が殺されそうになっても、官兵衛が牢に幽閉されても、大事には至るはずもなく、気楽に見ていられます。

 その「軍師官兵衛」。先週の日曜日は、荒木村重が伊丹の有岡城から尼崎城へ抜け出したことで、牢から救い出された官兵衛が、亡き竹中半兵衛が匿まっていた嫡子松寿丸(黒田長政)との再開を果たしました。その後、尼崎城下で有岡城の女房衆が、京の六条河原で村重の妻や一族が皆殺しにされるところは、かなり残虐な場面ですが、自分だけ生き延びようとする村重の勝手不埒な行動と信長の冷酷な性格が重なった結果ということで、目をつぶるしかありません。

 ドラマはこれから、備中高松城の水攻め、本能寺の変、山崎の合戦へと進んで行くのでしょうが、秀吉が信長の死を知る経緯、官兵衛の進言を受けて東へ取って返す様子など、ドラマではどのように描かれるのか楽しみです。

 それはともかく、こちら地元の兵庫県。先日のあるテレビ番組で官兵衛が幽閉されていた伊丹の有岡城が紹介されていました。「それじゃあ、村重が逃げ込んだ尼崎城ってどこにあったのだろう」とパソコンを開いていると、尼崎の文化財収蔵庫という施設で秀吉の企画展が行われているということと、展示物に関わる歴史講座があるということを知りました。

 そこで、時の記念日の翌日、6月11日の水曜日に尼崎城址のある阪神尼崎駅へ向かいました。

 兵庫県の南東の端、大阪府との境の神崎川と西宮市に接する武庫川の間に位置する尼崎市。JRの駅の周辺は大きな工場が並んでいて中心街の感じではありません。市役所は一つ西の立花駅のほうにありますが、その南の阪神尼崎駅の北側に賑やかな商店街があり、どうもそっちのほうが中心街なのかもしれません。
 その阪神尼崎駅、繁華街とは反対の南口を出て東へ歩いて行くと、庄下川が流れていますが、

 その向こうに古めかしい
  赤レンガ造りの建物があります
  
 阪神電車の車両基地があるので、その関係の建物でしょうか。そういえば、阪神電車に乗ると、御影駅の三宮寄りの辺りと、尼崎駅の先の大物駅との間に電車の車庫があるのを何回か見たことがありました。

 その南、河口方面に目を向けると
  石垣が見えます
  
 石垣の向こうの近代的な建物は市立中央図書館です。

 川の東の阪神車両基地から南の区域はすべて城内だったようで、今残っている石垣は西三の丸と言って、区画的には城郭の戌亥にあたる区域です。

 石垣を眺めながら図書館の方へ歩いて行くと、そのすぐ南側に、

 歴代の尼崎城主を祭神とする
  桜井神社があります
  

 鳥居の右側の石碑に
  「尼崎市発祥之地尼崎城址」とありました
    
 ここは、城郭の西の端に位置する所です。石碑の「発祥之地」というのは何を意味しているのでしょうか。

 さて、桜井神社の前の道を東へ2~3分歩くと、右側に中学か高校らしき校舎が現れます。

 実は、ここが今日の目的地。
  「尼崎市文化財収蔵庫」でした
  

 かつては、尼崎高等女学校だったり市立尼崎高校だったり、近年は中学校だったりしたようですが、今は文化財収蔵庫になっています。

 門を入ると、
  「尼崎城天守閣遺蹟」の石碑が
  

 文化財収蔵庫のある所は、城郭の中でも本丸のあった区域ですから、昔はここに天守閣がそびえていたのかもしれません。
 とは言っても、このあと収蔵庫の展示を見てわかったのですが、ここに天守のあった尼崎城は徳川幕府ができた後のお城で、秀吉の頃の城は「大物城」とも言って、少し東の大物(だいもつ)駅の南のほうにあったようです。

 玄関の中には、
  どこかで見たような病院の看板が
  
 ここで「ALWAYS 三丁目の夕日」のロケが行われたようです。

  今行われている企画展の案内
     

 「尼崎の危難」とは、本能寺の変の知らせを受けて備中から取って返した秀吉が、尼崎で明智光秀方の侍の待ち伏せに遭った時、にわか坊主となって寺に逃げ込み、危機をしのいだというエピソードのことです。
 この話を伝える江戸時代の読本「絵本太閤記」がもとになって、「絵本太攻記」という人形浄瑠璃となり、その十段目の「尼ヶ崎の段」が歌舞伎の「恵宝太閤記」(通称「太十」)として上演されるに至り、その後、秀吉の出世を題材にした双六の一場面にもなったりした有名なお話です。
 しかし、これらはあくまでも伝説で、明智光秀を討伐するに際して、信長の弔い合戦という意味付けを明確にするため、秀吉が尼崎の禅寺で髪を落としたという史実が、しだいに知恵者秀吉らしく脚色されてできあがったものなのです。

 いずれにしても、秀吉がいた備中高松まで信長の死の知らせが届くのには二日くらいかかりそうなのに、なんと本能寺の変の九日後には、200キロほど離れた尼崎へ到着したのです。一万とも二万とも言われる軍勢を率いて、いったい、どうしてそんなことができたのか、興味が尽きません。
 そして、秀吉が尼崎に到着した日、これは旧暦ですが、6月11日なのです。ということで、6月11日の日の講座のタイトルは「秀吉の中国大返し-史実と伝説-」となっていて楽しみです。


   梅雨雲や変とか乱とか起きし頃   弁人


 受付は1時間前から。
  もうたくさんの人が並んでいます
  

 少し大きめの教室が会場でした。椅子は目一杯並並べてありましたが、それでも100席くらいでしょうか。

 始まるころには
  座れない人も出そうな人数に
  

 以下、「秀吉の中国(備中)大返し」に関するお話の内容メモの抜粋です。

 本能寺の変は2日の未明に起きたので、あるいは、翌日には備中高松まで知らせが届いたのかもしれない。しかし、問題はその真偽のほど。誰かの策略の可能性もある中、官兵衛の進言があったとはいえ、4日には撤退を開始しているという事実。いったい、どんな状況だったのか。

 5日。野殿(岡山市北区)で摂津茨木城の中川清秀からの書状を受け、彼が明智方に付くのを警戒し、「信長は大津に逃れて無事」との偽情報を返信し、沼城(岡山市東区)に到着。
 その後は、
  7日。姫路到着。しばし休息をとる。
  9日。明石到着。淡路派兵。
 10日。兵庫到着も、そのまま東進
 11日。辰之刻(午前8時頃)尼崎到着。
     神戸(織田)信孝・丹羽長秀と会合。
     禅寺で落髪。
     池田恒興・中川清秀・高山右近と軍議。
 12日。摂津富田に布陣。
 13日。山崎の合戦で明智光秀に勝利。
という強行軍の中での驚異的な経過。

 岡山から赤穂、姫路あたりまで秀吉周辺の人物は船を利用した可能性が高い。
 大軍のルート、及び姫路からは、西国街道(山陽道)を経ている。この旧街道は尼崎は通らず、西宮から北東に上り伊丹へ向かっているのに、秀吉はわざわざ遠回りをして尼崎に入っている。これは四国攻め準備で大阪に滞在していた武将と合流し軍議をするためで、軍勢の大半は直接伊丹方面へ向かわせたと推測できる。

 とまあ、なかなかおもしろい内容でしたが、

 さてさて、テレビではどんな脚色で展開されるのか、楽しみになってきました。


   紫陽花もいにしへ知るや城下町   弁人


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水無月の明石に似合う「トケイソウ」

2014-06-12 23:01:27 | 明石風物
6月12日(木)

 国道2号線と平行して南側に走る海岸通り。大蔵海岸の前を西に進むと明石市役所があります。市民会館の先の市役所の入り口に駐車場があって、

 その前に、
  一本のこんもりとした木
  

 実は、トケイソウの花が
  巻きつくように咲いています
  

 6月10日は「時の記念日」です。標準時子午線の通る明石市は、この一週間を「時のウイーク」と称してさまざまな催し物がありますが、それに合わせるかのように、

  とてもきれいに咲いています
  


   梅雨入りをそっと教へる時計草   弁人


 そして、10日の朝。毎年恒例の「日本標準時子午線通過記念証」なるものを手にするべく、今年も天文科学館へ行きました。

 開館30分前なのに
  けっこうな行列
  

 平日なので、ほとんどが年配者です。目的の「記念証」は「一人ひとつ一回限り」というお触れがあります。今年はどんなものなのか楽しみですが、かつては子どもが楽しめるペーパークラフトなどもあったので、「一人ひとつ」というのはちょっと寂しい感じです。

 ところで、明石には「時感動推進会議」なる組織があって、「時の記念日を祝日に」という運動を始めています。8月に「山の日」という祝日ができて、祝日のないのは6月だけとなり、この日の夕方の関西のテレビニュースでも話題になっていました。
 日々時間に追われる現代人、私は「時間を大切にする日」ではなく「時間を忘れる一日」にしてほしいと思いますが、それはともかく、この日がお休みならば、子どもたちも一緒に「記念証」をもらいに来られるのにと祝日化を応援したくなります。
 でも、そうなったら、天文科学館がパンクしてしまうかもしれませんね。

 さて、入り口近くに来ると、
  青いテントにも人の列が
  

 今年は、
  トケイソウの苗を配布していました
  

 5月の半ばに、希望者が往復はがきで申し込み、当選した人がもらえるようです。私はちょうど逗子と明石を行ったり来たりしていた時期だったので、そういう知らせに接する機会がありませんでした。
 トケイソウは夏の花というイメージですが、この苗、これから育てて、はたしてこの夏に咲くのでしょうか。私もベランダで挑戦したい気もしますが、しょっちゅう逗子に帰って明石を留守にするので、こちらで園芸というのは無理なのです。

 ということで、「通過記念証」をいただいたあと、無料開放で混雑しているプラネタリウムは遠慮して帰途につきました。

 今年は「手ぬぐい」で、
  子どもは喜ばないかもしれません
  


   半ズボンに手拭いベルト セピア色   弁人


 ところで、翌日(昨日)の11日、KAZU君は保育園の年長組のお友達とプラネタリウムでお勉強をしてきました。
 暗い所が苦手のKAZU君、日が近づくにつれて「行きたくないねん」と不安がっていましたが、「お友達と一緒やったからな、大丈夫やったで、おもしろかった」「天の川のところにな、織り姫さまと彦星さまがな、住んでおるんやで」と話してくれて、またひとつお兄ちゃんになったみたいです。

 保育園の帰りにKAZU君も
  トケイソウを鑑賞です
  


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海峡の朝霧、再び

2014-06-08 19:20:27 | 明石風物
6月8日(日)

 海峡を望む明石の部屋。海の手前には、国道2号線と山陽本線の線路が走っています。

 毎朝、6時を過ぎる頃から電車の本数が多くなるので、その通過音で目が覚めるという具合ですが、たまに、汽笛の音が聞こえてくることがあります。汽笛と言っても、もちろん蒸気機関車の汽笛ではなく、船の警笛です。
 「今朝は霧が立ち込めているのかな」と思いながら起きてカーテンを開けると、思った通りのことがよくあります。

  一週間前、5月末日の土曜日の朝でした
  


 明石海峡の朝霧については、3週間前の5月19日付の記事に載せましたが、その記事の中で紹介した濃霧の写真は3月27日のものでした。その間、何回か霧の朝がありましたが、視界数十メートルくらいの濃霧の朝はあれ以来かもしれません。

 さっそく新聞を買いに朝霧駅の売店へ行きました。

  朝霧名物?の「朝の濃霧」
  

 海に向かう歩道橋で線路を越え、
  駅方面を振り返ると
  

 正面の海のほう、
  もちろん明石海峡大橋は全く見えません。
  


   梅雨近く霞か霧か影仄か   弁人


  どうも、霧の中に海上保安庁の巡視船がいるようです
 


 視界200メートル以下という注意喚起の声が流れています。車だって濃霧の中は怖くて運転する勇気はありませんが、おそらく海上も同じでしょう。いったい船の舵を握っている人はどんな気分なんだろうと心配になりました。
 そのうち、霧の中で船が衝突でもするのではないかという不謹慎な野次馬根性から、しばらく海岸で新聞を読んでいようと、ベンチのほうへ行きましたが、

  露に濡れていて座れません
  

 仕方なく部屋に戻って、海上交通センターのサイトを開くと、「視界不良情報」なるものが出ていて、漁船などの小型船舶以外は運行を止められているもようでした。

 こんな指示です。
「31日06時30分より、明石海峡の視程が1,000メートル以下となりました。これにともなう、航路外待機対象船舶は次のとおりです。
 巨大船、特別危険物積載船、及び、長大物件曳航船。
 これらの船舶は、現在、明石海峡航路へ入航することはできません」

 この日の霧もしぶとくて、この警告はお昼近くになっても解除されていませんでした。前の日もこの日もお日様は出ていたのですが、風のほとんどない穏やかな天候だったからだと思います。


   警報も白き帳に紛れけり   弁人


 ところで、俳句の世界では、「霧(きり)」は秋の季語で、春の季語は「霞(かすみ)」となっています。それでか、「霧」というと秋を連想していたのですが、気象の世界では、「靄(もや)」という表現はあっても「霞」という言葉は使わないそうで、季節に関係なく視界が不良になると「霧」と言うそうです。

 そんなことを神戸海洋気象台へ問い合わせたついでに、いくつか質問をした結果を列挙すると、

 ○ 明石海峡は、西から瀬戸内海の上を、南の紀伊水道から大阪湾の上を風が通りやすく、その海風の影響で気温が低くなる傾向がある。
 ○ もともと海上で湿気が多く、前夜との気温差が大きくなった無風の朝は霧が発生しやすい。
 ○ 季節的には、春先から梅雨期にかけて多く、秋から冬にかけては湿度が低めで、風の無い穏やかな日が少なく、霧も発生しにくい。

 明石海峡には、そんな気象的な要素があるらしいのですが、気象庁が発表する明石の気象データーは、いったいどこで観測しているのか気になります。

 市役所が大蔵海岸沿いにあるので、その中かもしれないと出向いたところ、観測施設は市役所内ではなく、明石市二見町南二見にあるということでした。
 地図を広げると、明石のいちばん西の端にある人工島で、市の海浜公園はありますが、ほとんど工場ばかりの所です。
 とりあえず、島に渡って海浜公園に行きましたが、そこではありませんでした。公園事務所の人の話では、島の南端に県の水産技術センターという公共施設があるということなので行ってみると、「ありますよ、この建物の中に」といううれしい返事が。

 エレベーターで4階へ案内してもらうと、予想どおり関係職員のいない無人の施設で、ガラス越しに「気象庁アメダス」という気象台へ自動送信する機器がありました。
 その廊下の突き当たりの東側のベランダに出ると、同じ敷地内に「兵庫県栽培漁業センター」という施設が広がっています。観測機器は東側の海の手前の、

 海水濾過槽とかいう
  建物の上にありました
  

 近くから見ると、風向風力計とその下に
  観測機器らしきものが
  


   海峡を機器見守りて夏の風   弁人


 この水産技術センターは、明石海峡で獲れる魚について、さまざまな面から研究している施設で、そういえば、「イカナゴ」の漁獲予想などで何回かサイトを開いたことがありました。ここでは、実際に獲れる魚を生簀で泳がせているようで、

 海水濾過槽の手前に、
  大きな水槽が並んでいました
  

 ここは、海に突き出た島の端ですから、風も強く気温も低めに出そうな感じがします。それに、明石のいちばん東の端にある私の部屋からは、20キロ近く離れているので、ここの観測値をそのまま鵜呑みにはできなさそうですが、海風をまともに受けるという点では大差ないので、そんなに大きく異なることはないのかもしれません。
 そうは言っても、正直なところ、もっと市の中心部に近い所にあったほうが、市民の生活実感に沿っているのではないかと思ったりしますが、それは素人考えで、きっと何らかの事情があるのでしょうね。


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鉄っちゃん卒業? KAZU君の動物園通い

2014-06-03 16:09:26 | KAZU君
6月3日(火)

「カーくんなぁ、電車にはもう興味ないねん。今はな、動物とな、ウルトラマンが好きやな」

 あんなに電車が好きで詳しかったのに、リトル鉄道博士からちびっこ動物学者に転身するのでしょうか。まあ、子どもは興味があれば、どんどん夢中になっていろいろ覚えるので、この時期のお勉強としては、いい形だと思います。

 それにしても、いったいどういう風の吹き回しでしょうか、家に帰ると、分厚い動物図鑑を広げて、いっしょうけんめい私に説明をしてくれます。
 たしかに、神戸の王子動物園には今までに何回か一緒に行きました。ひと月前は姫路のサファリパークで遊びました。そう、連休の時に逗子の家にお泊まりした時も金沢動物園に行って、その時のKANA君との思い出話も懐かしそうです。

 でも、町を歩いていて、お散歩中の犬とすれ違う時は、今でも私の手をギュッと握って反対側に隠れようとします。先日もマンションのエレベーターを待っていて、「PET同乗」の表示が点灯したのを見ると、いきなり階段へ向かって行くほどで、基本的には、まだまだ動物に対して少々臆病なのです。

 それなのに、「カーくんのな、プラレールとかの電車のおもちゃ、ご本もな、全部KANA君にあげるから、今度おじいちゃん持ってってな」とまで言うのです。

 実は、これにはちょっとしたきっかけがあったようなのです。まあ、それはあとにして、まずは、このあいだの土日の動物園通いの話題です。

 土曜日はサファリパークへ行くという話があったのですが、私は、歯医者の予約が入っていて、KAZU君のお供はしませんでした。
 日曜日はどうするのかなと連絡してみると、「王子動物園に行くから、○時に朝霧駅で待っててな」という返事が来ました。

 ということで、
  駅でKAZU君と会って電車に
  

 王子動物園は、三ノ宮で阪急電車に乗り換えて二駅です。さっそくKAZU君に
「姫路セントラルパークは楽しかった? カーくんの好きなチーターは元気にしとったか?」
と聞くと、なんと、
「昨日は、天王寺動物園に行ったんやで。チーターはおらんかったけどな、ライオンとか虎とかゾウさんとかいっぱいおったからな、楽しかった」
とのこと。
 実は、大阪の天王寺動物園、私はまだ一回も行ったことがないので、一緒に行かなかったことがちょっと残念でしたが、この様子だと、これからも機会はいくらでもありそうな気配です。

 さて、6月最初の日曜日は、全国的に真夏並みの暑さになりました。それでも、関西でいうと、明石・神戸辺りは大阪・京都よりは少々しのぎやすかったのかもしれません。
 そうは言っても、さすがにもう初夏ではありません。

  動物たちは暑さでぐったり?
  

  アジサイが咲き始めていました
  
 ここは、夜行性動物のいる建物で、中は真っ暗です。それを知っているKAZU君、「この中だけは行かんからな」と言い張っていたのですが、「手をつないでいれば大丈夫かも」と言われて勇気を出しているところです。このあと、KAZU君、初めて暗闇の中でコウモリの飛ぶ姿を見ることができました。
 子どもは、ひとつ克服すると俄然元気になります。

 「おじいちゃん、ペンギンはな泳ぐのがうまいねん、
  ほらね」
  
 もしかしたら、ペンギン君、露天風呂気分なのかもしれませんが、

 皇帝ペンギンは
  内湯(?)でスーイスイ
  

 お昼を食べたあとは、動物と子どものふれあいコーナーへ行きました。

 ニワトリが来て突っつかれそうだけど、
  ガマン、ガマン
  

 「うさちゃん、
  あったかくてかわいい」
  

  こんどはモルモットです
  

 ついこのあいだまで、動物に触れるなんてことはとても考えられなかったので、「いったいどうして」とびっくりしてしてしまいますが、これにはどうも理由があるようで。

 実は、先日の月曜日(26日)に保育園の遠足があり、行き先がこの王子動物園だったのです。
 電車ばかりに夢中で、動物に臆病気味のKAZU君でしたが、来年はランドセルを背負うのです。遠足でおどおどしているわけにもいかないという自覚もあったのでしょう。誰かに「そろそろ電車は卒業して、動物にも興味を持たなぁ」と声をかけられたりして、その気にならなかったら男ではありません。
 それほどの気概があったかどうかはともかく、新年度に入って、お父さんに頼んで動物図鑑を買ってもらい、自分の眼で実際に確かめるべく、今までと違った気分で動物園に行ってみると、これが実に面白いということになったようです。

 ということで、王子動物園には、遠足の前に何回も来て、準備万端で本番に臨んだというわけでした。前もって下見をして、今回は復習といったところでしょうか、完璧ですね。だから、この動物園の園内はほとんどわかっていて、「おじいちゃん、今度はこっちやで、○○がおるからな」と、こちらはKAZU君の後について行けば万事オーケーという具合なのです。


   動物と向き合ふ気概夏の空   弁人


 ただ、遠足の時と違うのは、大人に甘えることができるということです。一緒なのはお友達や先生ではありませんから。

 家族となら、
  遊園地ははずせません。
  
   

 いっぱい楽しんで、ずいぶん長いこと園内にいました。少し日も傾いて来て、帰り際に、もう一度、肉食動物のゾーンを歩いて行くと、午前中は横になっていたライオンもヒョウもジャガーも目を覚ましたのか、檻の中を歩き回っていました。

  タイガーも至近距離に
  


   ガラス越し汗ばむ虎と睨めっこ   弁人


 ところで、動物園からの帰り。JRの普通電車に乗りましたが、
「この電車は207系かな」
と話を向けると、すかさず
「この電車は207系やないで、321系や。おじいちゃん、乗る時に前のランプ見たやろ、数が違うんや。電車の中もな、あそこの形が違うからわかるんやで」
と、興味がなくなったはずの電車の知識を思う存分ご披露してくれるKAZU君でした。


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