チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

強烈な寒波の日の朝、湘南三浦の最低気温は如何に

2023-01-27 13:38:21 | 身辺雑記
1月27日(金)

 いやぁ、予想されていたとおりの強烈な寒波襲来。一昨日からの寒さ、けっこう応えましたが、聞くところによると、2018年1月下旬以来の低温とか。5年前のこの時期に、そんな寒い日がありましたかね。思い出せません。

 それはともかく、テレビから再三にわたって「厳重警戒、万が一のための準備を」という呼びかけが伝えられるので、「首都圏の中でも温暖な湘南三浦では、いったいどのくらいの最低気温になるのだろうと、24日の夜、窓の外に温度計をセットして寝床に入りました。

 翌朝、水曜日の6時50分。
  温度計を見ると
  

 「ホントかな?」 なんとマイナス5.6℃でした。
(※写真は、温度計を室内に入れてカメラを向けている間に0.2℃ 上昇したもの & 下段の湿度計、氷点下では測定不能になるもよう)

 ところで、気象庁の観測地点は逗子や鎌倉にはなく、近くとなると辻堂と三浦となりますが、その二地点の過去最低気温は、それぞれ「-5.0℃、1996年」・「-3.8℃、1982年」で、私の温度計は、そのどちらよりも上回って、いや、下回っています。
 気象庁のデータは翌日にならないとわからないので、なんとも言えませんが、地上からの距離とか風通しとかで差が出るのかもしれませんし、もともと私なんぞが使っている温度計そのものが、簡易であてにならないのかもしれません。

 それはともかく、「今朝は寒かったなぁ」ということにして外に出ると、

 寒風吹きすさぶ中ですが、
  抜けるような青空
  
  

 「この風が収まれば気温も上がるだろう」と思っていると、夕方の天気予報で、「明日の朝の冷え込みは今朝以上」という話。
 「それじゃ、もう一回」と、その日(水曜日)の晩も外に温度計をセットしました。

 気になったのか、ふと目を覚ました3時30分。
  記録更新の「-5.7℃ 」
  

(※ 今回は予めカメラを準備して素早く撮ったので、誤差があっても0.1℃くらい)

 そして朝。前日とほぼ同じ6時40分。
  なんと「-7.0℃ 」ですよ
  

 少しワクワクしながら、私の温度計では「-5.6℃」だった前日(25日)の最低気温を気象庁のページで見ると、「辻堂、-2.9℃ 」・「三浦、-1.6℃ 」で、やはり、私の温度計は、ちょっと低過ぎるような気もします。

(ちなみに、高校時代の友人の父が「計器製造工場」の経営者だったこともあって、「何かを正確に計測することの難しさ」については、それなりの認識がありまして、そんなことについても、機会があったら、記事にするかもしれません。) 

 それはさておき、その昔、小学生の頃、「温度や湿度は、百葉箱という風通しの良い斜め格子状の板に囲まれた白い箱の中に計器を入れ、地上から1.5メートルの高さで測る」と習い、校庭の脇にその百葉箱なるものもありました。
 その懐かしい白い箱も、もう見かけることが少なくなりました。気象庁だって、今は最先端の計器を使って測っているのだろうと想像できますが、それにしても、私の温度計との間に値の開きがあり過ぎると納得がいかなくて、

 リビングやトイレに置いてある温度計を持って来て一ヶ所に並べてみました。

 たしかに、誤差があって、
  値はまちまち
  

 でも、別に大差というほどではありません。この二日間、窓の外で測定したのは左から二番目の温度計だったのですが、まあ、こんなもんでしょう。前述のとおり、「正確な計測」というのは、そんなに簡単ではないのですから。

 結果。「市販品なら、プラスマイナス1℃ くらいの誤差が出るのは当たり前」ということです。事実、店頭に並んでいる時点で、すでに表示に差があったりしますから。

 要するに、たかが気温といえども、正確な値は簡単には測れないということですが、それを十分に承知の上でも、昨日と一昨日の朝はかなりの低温だったことは確かで、私の家の窓の外の気温が氷点下5~6℃ くらいには下がっていたことは否めない事実のようです。

 そして、今朝。
 さっそく、気象庁のデータを覗くと、昨日の朝の最低気温は「辻堂、-3.7℃ 」・「三浦、-2.4℃ 」となっていて、前日同様、私の温度計(「-7.0℃ 」)より3~4℃ 高い値になっていました。

 実は、寒さが少し緩んだ今朝も、同じ場所に同じ温度計を置いておいたのですが、
  表示は下のとおりで
  
 なるほど、氷点下にはなっていません。

 窓を開けた時の肌間隔からも「こんなところだろう」という数値で、この温度計、決してあてにならない代物ではないのです。もちろん、正確度では気象庁の機器には敵わないでしょうが、温度測定で言えば、設置場所の気象条件の微妙な違いで2~3℃ の差異は簡単に生じてしまうということにしておきます。
 実は、温度計を設置したのは家の北東の隅のL字型になっている所で、もしかしたら、流れてきた冷気が溜まりやすい空間だったのかもしれません。

 ということで、我が家での観測史上最低気温は「マイナス7.0℃ 」ということにしました。もっとも、観測開始二日目なのですが。


   冬の朝無欲無心の温度計  弁人


 そう、最低気温というと、KAZU君が住んでいるさいたま市もかなり冷え込む所ですから、寒波がやって来ると気になるのですが、昨日の朝は「-7.1℃ 」となっていました。気象庁の数値の段階で辻堂と4℃ 近い差があり、私の手元の計測も及んでいませんから、やっぱり寒いんですね、首都圏の北のほうは。


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逗子の散歩道-「水仙の季節」

2023-01-21 16:17:30 | 逗子風物
1月21日(土)

 「今年の1月は気温高めだな」と思っていましたが、さすがに寒のうち、この一週間は冬らしい寒々とした日々が続きました。暦の上の「大寒」は昨日で、週明けには記録的な凄まじい寒波がやって来るとか。
 花粉症対策で耳鼻科へ行くの、どうやら2月に入ってからでよさそうです。

 ということで、今のうちにせっせと散歩に出ておかなくてはと、襟を立てて外に出るわけですが、この時期、水仙の花があちこちに。

 京急逗子葉山駅南口近く、仲町橋前の
  逗子教会の花壇
  

  八重のニホンスイセンも
  

 この時期、城ヶ島の「水仙まつり」とか、久里浜・野比「北下浦水仙ロード」とか、三浦半島にも水仙の名所があって気になりますが、ラッパスイセンや黄房スイセンならともかく、はかなげで可憐なニホンスイセンの花は、群生しているよりも散歩道の脇に数株が何気なく花を咲かせているほうが似合っている感じもします。

 「切り花にして、それも一輪挿しに一、二本というのがいい感じかな」と思っているところに、

 これもお似合い
  お地蔵さまの仏花に
  

 ところで、アオサギやコサギ。鴨などが羽を休めている
  田越川
 
  

  その水辺に数輪
  

 水仙は種子ではなく球根で増えるはずなのですが、人の下りるのが難しい水辺にいったいどうやって育ったのでしょう。誰かが球根を落としたのか、どこからか転がって来たのか、鳥なんかが運んで来たのか、とにかくここで咲いている生命力に感心します。


   水鳥を眺めて静か野水仙   弁人


 実は、このニホンスイセン。散歩に出ずとも、
  我が家にも咲いております
  

  八重咲きも数輪
  

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ようやく復旧。「逗子グリーンヒルの歩行者専用の坂道」

2023-01-16 14:24:34 | 逗子風物
1月16日(月)

 熱海の伊豆山で大規模な土砂崩れがあったのは、一年半前の2021年7月3日でしたが、実はその日、逗子でも大きな土砂崩れがありまして、私がよく散歩で歩いていた道も一部埋まってしまい、ずっと閉鎖されたままで、その状況は2021年9月26日の記事に載せてあります。

 まあ、散歩で歩いていただけの私なんぞは論外ですが、グリーンヒル住宅地の住民にとっては、徒歩で町に下りるのがかなり不便に違いないと同情していました。
 とはいえ、交通インフラの面で言えば、横浜横須賀道路の逗子インターの取付け道路が塞がれ、湘南海岸や葉山へ向かうのに便利な逗葉新道との接続も絶たれて、そっちの影響のほうがはるかに大きかったのでしょう、車のほうは三ヶ月後に暫定的に通れるようになって、その後も大がかりな斜面の工事が続いていました。

 ということで、この坂道には散歩の足も遠退いていたわけですが、三日ほど前、車で逗子インターへ入った時に、閉鎖されていた歩道橋に歩行者の姿が見えたような気がしました。

  ちょうど、この辺り
  
  (写真は開通後で、昨日歩道橋の上から)

 「工事、終わったのかな」と期待して、昨日、グリーンヒルへ行くバスに乗って、車窓から県道への下り口の階段を覗き込むと、「行き止まり」の看板がなくなっているようだったので、そのまま坂の上の住宅地まで行ってみました。

 歩道橋の工事がまだ一部残っているようですが、
  開通していました
  

  整備された斜面と歩道橋
  

 土砂崩れの起点の丘と、コンクリートの補強には
  太い水抜き管が
  

 犬の散歩で上って来る方に「ここ、いつから通れるようになったのですか」と聞くと、「去年の暮れ、年末だったかな」とのことでした。

 さて、右にヘアピンして被害の少なかったほうへ下ると、
  桜の古木、健在です
  

 もう一本の桜の木の下で左にヘアピンすると、
  自動車道を跨ぐ歩道橋
  

 歩道橋を渡って振り返ると、下りて来た斜面の
  全体が見渡せました
  

 以前の、雑草の生い茂る中に野の花が咲いていたりする小径から、コンクリートで固められた光景に変わってしまいましたが、こればかりは仕方ありません。

 この歩道橋の先は、車専用車線を越えた丘なので土砂は来ていません。

 雑草が刈り取られ、ややさっぱりした感じですが、
  以前のままの小径
  

 ヤツデの花が咲いていますが、この花に会うのは
  二年ぶりですか
  


   仏にや知らぬ風情の花八つ手  弁人


 県道に下りて、いつもの田越川の上流沿いの道に入ると、年明けから穏やかな天気の日が続いたせいか、

 ほころぶ臘梅。
  まさに「春近し」
  


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お正月にKAZU君がやって来まして

2023-01-04 21:40:47 | KAZU君
1月4日(水)

 逗子と大宮の距離、社会情勢もありますが、近いようで遠くなってしまった中で、久しぶりで私の前に現われたKAZU君。もうすぐ中学三年生、身長は170㎝プラスαとか。

 逗子海岸に佇む後ろ姿のKAZU君。とても、
  孫には見えません
  

 まさに「感無量」の思いでカメラを向けました。

 「今年は高校受験を前にした一年になるから、ボクちょっと忙しくて、そんなに会えないかもね」
 「そうか、でも、行き詰まってムシャクシャしたりする時もあるかもしれない。そんな時はいつでも憂さ晴らしにおいで」

 とうとう、そんな会話をする日がやってきました。

 少しでも、あどけないしぐさを見ると
  ほっとします
  

 ところで、前日、逗子にやって来た日の晩のこと。

 最近、友だちと「Dr.コトー」の映画を観たそうで、「映画も良かったけれど、音楽が大好きになっちゃった」とのこと。
 実は、三年前の3月から5月、コロナで学校が休校になって逗子に疎開していた時、「コトー」のDVDを何話か見せたのですが、あの時、「手術の場面は怖い」と目を伏せていたのを思い出しまして。
 「でも、もう平気だったよ。あの頃は子どもだったからね」と頼もしいことばが。

 実は私、「Dr.コトー」のDVDを書棚に並べてあるのです。それで、ふと「それならKAZU君にあげちゃおうかな」と思ったのですが、ここは冷静に「ドラマに夢中になっちゃうと、勉強がおろそかになっちゃうから、DVD、今は渡せないかな」ということにして、バックミュージックのCDのほうを手渡すことに。
 ところが、今は、音楽をCDで聴く時代ではないそうで、年寄りは付いて行けませんね。
 でもKAZU君、「大丈夫、聴く方法はあるから。ほんとうにいいの、ありがとう」と喜んで受け取ってくれました。

 まあ、今のところ、医者になりたいという気持ちはなさそうですが、外科医が手術をするということがどういうことなのか、そんなことを考えるのも大切かなと、昭和の終わりころに、歴史上、初めて天皇陛下のお身体にメスを入れた東大病院の森岡先生の手記の本を「読んでみるかい?」と見せたところ、これも「ありがとう」と手にしました。

 そして翌日、海岸に散歩に出ることになったのですが、
 「おじいちゃん、去年行った森戸神社へ初詣に行きたい」と言うので、

 「それはいいね」と
  森戸神社に参拝
  


   孫の世に幸多かれと初詣  弁人


 おみくじを開きながら「中吉だった、残念!」と言うので、「スタートからいきなり大吉より、中吉のほうが伸び代があっていいのじゃよ」と励まして、

 お正月の富士山の
  雄姿を眺めました
  

 とはいっても、もう1月4日です。実はKAZU君、この日の夕方には塾に行かなければならないのです。そう、お正月気分もここまでということで。
 逗子の家に帰って、おばあちゃん特製のお昼を食べると、CDと手記の本をバッグに詰めて、ほどなくして大宮へ帰って行ってしまいました。


   初富士に人の世のさま眺められ  弁人

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2023年。少しは良いことがあればと願いつつ

2023-01-03 17:20:53 | 身辺雑記
1月3日(火)

 平和で希望あふれる人間社会であってほしいのですが、2023年はどんな一年になるのでしょう。

 この世に生を受けてから74回目のお正月。現状を踏まえると、めでたいのかどうか。
 でも、お正月ですからね、気分を一新して、良き一年になることを願いましょう。

 今年も元旦の空は穏やかで清々しい。逗子は海側以外は丘陵に囲まれているので初日の出を拝むのは難しいけれど、天気の良い日の富士は格別です。

 ということで、元日の朝、披露山へ。
  朝焼けの富士を拝みました
  

 74回目の正月と言いましたが、子どもの頃の記憶はあまり残ってなくて、青春時代もどうしていたのか、大学を卒業してからは50回目のようで、その翌年に結婚して世帯を構えましたので、それからは49回目になりますか。
 そんなことを考えると、あと何回新年の気分にひたれるのがわかりませんので、まずは今年の正月を正月らしく過ごすしかないかと、

 二日の朝は出かけました。ラジオを聞きながら相模川の河口の
  平塚、須賀漁港に
  

 河口に架かるのは
  湘南大橋
  

 そう、箱根駅伝です。二年間テレビ観戦に甘んじてきましたが、私にとっては沿道で応援するのが正月恒例なのだからと、3年前のビデオを見ながら、コース後半で比較的人の少ない所をと考えたのですが、すごい人気ですね。川沿いを散歩している場合じゃなかった。

 選手が来る30分も前にして、
  この人垣
  

 ダークホース?古豪復活?2区エース吉居君でトップに立った中央の3区中野君が先頭で行った後、

 やはり、この二校が強いのか、20秒後にやって来たのは、
  駒沢篠原君と青学横田君
  

 そこから1分以上遅れて4番目に国学院。「ヤマモトォー!」と叫びたいところですが、
  声を出しちゃいけません
  

 この日の往路は、駒沢、中央、青学、国学院の順。
 ちょっと残念ですが、数年前まではシード権取れれば「よくやった!」というレベルでしたから、贅沢を言っちゃいけません。

 今日、三日の朝は大磯へ。国学院、7区に沖縄出身の一年生、上原君が走ることになりまして、その応援に。

 6区の山下りで青学が失速とか。1位駒沢と2位中央には大きく離されましたが、
  3位で来ました
  

 主力でキャプテンの中西君。復路の8区あたりに温存したかと思っていたのに、何があったのか、結局出走せず、これはダメだと思っていたら、案の定、8・9区で後続集団に吸収されましたが、なんとか4位で大手町に。
 来年の100回記念大会のシード権を得たのでまあまあでしょうか。

 さて、大宮で暮らしていて中学二年生になっている初孫のKAZU君。暮れから関西山陰方面の旅行へ出ていたそうですが、もうすぐ逗子にやって来ます。
 うれしいな。今日は楽しい夜になりそう。


   ひと時の楽しみよろし三が日  弁人


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