チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

二年数か月ぶりに、明石の町を歩く

2018-11-08 16:55:10 | 明石風物
11月8日(木)

 朝の一番電車で出かけた4日の伊勢の大学駅伝。そのまま夕方に名古屋へ戻れば、ゆうゆう日帰りで帰って来られる状況でしたが、帰りの新幹線、去年は三連休の最終日で、名古屋駅はごった返していました。今年は三連休ではありませんが、いちおう日曜ですからやっぱり混んでいそうで気が重い。
 それに、せっかく伊勢まで出かけているんです。行き来が便利になったからといって、真っ直ぐ帰ってしまうのももったいないという貧乏根性も芽生えて、近鉄特急で行ける大阪のホテルを予約してみました。
 別に京都でも奈良でもよかったのですが、心の隅に「久しぶりに明石に行ってみるのもいいかも」という気持ちがあって、どこへ行くにしても無難な大阪泊となりました。

 5日朝、目の覚めるような秋空。
  快速221形、まだ健在です
  

 「京都がいいかなあ。でも、台風のおかげで、今年の秋はさんざんという情報もあったし、やっぱり、懐かしい所に行こうかな」
と、8時過ぎの新快速に乗って、明石に来ちゃいました。

 お城の櫓を眺めながら、
  軽く朝食
  

 逗子の家の新築が成って、荷物をまとめて最後に明石を後にしたのが、2016年の7月27日でした。その後、KAZU君がオランダから明石に引き揚げて来たので、いずれまた、訪れることもあろうかと思っていましたが、その冬に、KAZU君大宮へ転居という意外な展開となり、すっかり遠い地になってしまいました。

 ところが、こうして公園のベンチに腰を下ろし、駅で買ったパンを頬張り、缶コーヒーを口にしていると、「久しぶりだなあ」という感慨が全く湧きません。「今日はいい天気だ。朝食は公園だな」という、たまに訪れる気持ちのよい朝のひと時、まさに日常の中の一コマにすぎない感じです。
 本当は、昨日新幹線と近鉄特急で伊勢まで行って、夕方大阪に来て、ホテルに泊まって新快速で着いたところなんだという、そんな現実が遠退いてしまう不思議な感覚に浸っていました。

 大学を出るまで生まれ育ったのは、今KANA君が住んでいる東京の下町ですが、その変貌ぶりは凄まじく、僅かに昔の匂いが多少残っているのは三ノ輪橋の都電くらいでしょうか。
 それに対して、ここは歴史のある城跡の公園。まあ、まだ二年ちょっとしか経っていないのですから比較にはなりませんが、懐かしいという思いは全く込み上げてきませんでした。

 とはいえ、この日明石に来た目的の一つは、駅前の変貌ぶりの確認もありました。

 2013年の秋に始まった駅前の再開発。駅前の賑やかな飲食街が突然消え、一部は駅の東に仮移転したものの、ジュンク堂書店もマクドナルドも閉鎖になっていました。 その再開発事業が完成したのが2016年12月。私はその姿を見ることなく、完成の数ヶ月前に明石を後にしていたのでした。
 「さてさて、どんなふうになったのかな」と楽しみに、明石駅の海側へ出てみると、

 ドーンと、高層マンションらしき
  ビルが
  

 もちろん下は商業施設で、
  名付けて「パピオス」
  


   秋空や駅前ビルの眩しかり   弁人


 エスカレーターを上がると、「市民広場」なる
  開放的なスペース
  

 ジュンク堂も
  復活していました
  

 さて、ビルの南には国道2号線が走っています。かつては、ごくありきたりの歩道橋か、もしくは信号、とにかくそれを越えないと、港はもちろん、明石の台所「魚の棚」にも行けなかったのです。
 私が明石に来た時、いちばん初めに思ったのは、この国道を地下のバイパスにするとか、なんとかしないと、歴史ある港町とそれを象徴する商店街が廃れてしまうのではという危惧でしたが、再開発したのですから当然ですよね、

 パピオスの2階から、そのまま
  魚の棚へ行けるようになりました
  
 これで、雨の日も駅から傘をささずに魚の棚へ行けますが、国道を渡った所にエスカレーターを設置するスペースがなかったのでしょう、エレベーターだけになっていたのがちょっと残念。

 その新しい歩道橋を渡って
  「魚の棚」へ
  


   店先に港の香り秋の朝   弁人


 アーケードの上に映画の看板らしきものがぶら下がっています。タイトルは「進撃のタコドン~魚の棚大決戦」。地元明石を舞台にした映画が出来たのかなと、お店のおばちゃんに聞いたところ、「ありゃ、冗談、冗談」と笑っていました。
 どうも、魚の棚商店街活性化をもくろんだパロディの看板のようで、

 こんなのもありました。
  「魚の棚の嫁はえらいよ」
  

 他に、「うおんたな~一丁目の昼網み」とか、「魚の惑星~今晩の食卓編」とかもぶら下がっていて、こんなものを考え出す、いかにも関西人といった明石のおっちゃんの顔が浮かんでくるようで、思わず吹き出してしまいました。

 さあ、次は天文科学館でしょう。なにしろこの天気、14階からの展望も楽しみです。ということで、

  山陽電車で人丸前駅に
  

 でも、掲揚ポールに旗が見えない。そうなんです、月曜日は休館なのです。溜め息をつきながら国道2号線に出て、休(やすみ)天神社にお参りした後、

 もちろん、お世話になった稲爪神社の神さまにも
  近況を報(奉)告
  

 新しくできた道や、火事で消失した
  大蔵市場の跡地を見ながら
  
  

 海岸に出ました。
  空も海も真っ青
  
  

 いたいた、
  N船(右-JFE運搬船)
  

 天気良すぎます。この時期になると、もう太陽もだいぶ低く差し込んでくるので、天気がいいと逆光で眩しく写真も難しいんです。


   孤船目に吾も佇むや秋の浜   弁人


 それでは、あの歩道橋(跨線橋)を
  渡りましょうか
  

 朝霧駅前。なんか
  かっこ良くなっている
  

 丘の上からの見慣れた景色。海には
  自動車運搬船通過中
  

 そして、いつも歩いた
  駅への線路伝いの道
  

 気がつけば、お昼の時間に。明石駅に戻って、「パピオス」とかの新しいお店に入ってみようか。でも、朝の様子では、昼から一杯ひっかけられる店は「目利きの銀次」とか「魚民」とかのチェーン店だったような。やはり、舞子にしましょうか。

 ということで、舞子駅ビル7階の
  和食レストラン「海彩園」へ 
  

 ここは、海と橋の眺めが抜群で、かつてはKAZU君の家族も妻君もけっこう気に入っていたお店です。実は、二年前、明石を去る前日の最後の夕飯をと来たのですが、あいにくの定休日で入れませんでした。
 そのリベンジではありませんが、今回は天気も絶好、少々眩しい景色を眺めながら、タコの柔らか煮とお造り定食をおいしくいただきました。

 この景色も欠かせません。電車の線路の先に
  明石の町を一望
  


   行く秋や海峡の潮静かなり   弁人


 こうして、久しぶりに、6時間ほど明石の町の香りの中に身を置きましたが、二年以上の空白があっても、その香りは今でも身に染みついているのかもしれません。もう異郷の地になっているのに、旅先という感覚が全く沸き起こってこない不思議な旅人を演じている気分のまま逗子の家に帰って来ました。


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明石公園でお花見ができました

2016-04-10 15:02:37 | 明石風物
4月10日(日)

 逗子から明石に戻った後、全国的に荒れ模様の天気が一日ありましたが、その日以外は春らしい陽気に恵まれています。
 とはいっても、やはり明石は大阪や神戸に比べると気温が低めで、近くの公園の桜もまだまだ健在。
 逗子に留まっていた妻君も金曜の夜に戻って来たので、土曜日のお昼前にぶらっと明石公園へ行ってみました。

 公園入り口近くの広場。
  枝垂れ桜が鮮やか
  

 隣接する「宮本武蔵庭園」脇の八重桜も
  なかなか清楚な感じ
  

 城郭を彩る
  ソメイヨシノ
  
   

 同じソメイヨシノでも、陽の当たり具合で
  こんなに鮮やかに
  

 お掘りの前の桜も
  風情があります
  

 そして、メインの
  剛ノ池へ
  

 土曜日ということで花見客はたくさん来ていますが、都心のような混雑ではなく、どことなくのんびりとした雰囲気が漂っているのは、やはり地方の一都市ということなのでしょうか。

  いつものベンチに座って
  

 缶ビール片手に、
  明石の桜を堪能しました
  


   花満ちて微かな囀り何処より   弁人


 そろそろ引き上げようかと、席を立って池の畔を歩いて行くと、公園事務所の屋上庭園に鮮やかな花が陽を浴びていました。

  「源平桃」と「菊桃」
  

 あと一、二週間すると、菊桃の脇に「ハナミズキ」の白い花が咲いてより華やかになるのですが、その頃はもう初夏の香りの漂う時期になっているはずです。


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逗子へ帰ろうとしているのに、明石の桜咲いちゃいました

2016-04-03 17:48:07 | 明石風物
4月3日(日)

 わずか二日前(31日)は咲き始めだったのに、昨日の土曜日の朝、玄関を出て見下ろすと、

  もうけっこうな色づき加減。
  

 前日の夜のテレビでは、明石公園一分咲き、赤穂の御崎はまだつぼみということだったので、逗子から明石に戻った後にお花見ができると思っていたのに、まあこの陽気ですから一晩越えれば様変わりするのも仕方ないのかもしれません。
 まぶしい日差しと花に誘われて、とりあえずカメラを持って近くを歩いてみました。

 去年KAZU君が入学した
  朝霧小学校
  

 そういえば、学童クラブの教室の裏手の桜は満開が早かったと思い出しました。

 もう、
  ほぼ満開ですな
  


   思ひ出の詰まる明石や花の中   弁人


 ちょうど明石駅行きのバスが来たので乗り込んで、いつも買い物の行き来に車で通る所で降りました。

 私が勝手に明石の桜の標本木にしている
  素盞鳴(スサノオ)神社の桜
  

 近くの住宅街の黄色の花は
  「サンシュユ」です
  

 いつも三月になると花を開き始め、桜の季節の近いことを教えてくれる花です。桜が咲き始めるころには花も終わりになるのに、今年は三月下旬に気温の低い日が多かったのでしょう、

 まだまだ頑張って、
  春を彩っています
  


   青空を背に山茱萸の花負けじ   弁人


 この後、のんびりと歩きながら明石駅に下りてみましたが、食品売り場のお弁当コーナーは大混雑。やはり土日の明石公園には近づけないようです。

 それじゃあ懐かしい所を歩きながら帰ろうかと、大蔵町界隈へ。

 KAZU君の保育園の前にある
  休(やすみ)天神社に寄って
  

 もちろん、保育園のある稲爪神社にも
  お参りしました
  

 桜が咲いたとはいっても、天気の良いのはこの日の土曜日だけで、今日も明日もお日様は出ないそうです。そんな中で一度逗子に帰りますが、戻って来た頃にはたぶんもう花筏なのでしょう。
 楽しみにしていましたが、明石公園の桜の下での一杯ははかなき夢となりそうです。


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ジェノバラインの新型船に乗ってみました

2015-09-21 16:41:24 | 明石風物
9月21日(休)

 「KAZU君、これがジェノバの新型船だよ」
 

 オランダへ行く前のKAZU君、7月は毎週のようにジェノバラインの船に乗って淡路島へ出かけました。

 7月の半ばの頃だったか、淡路の岩屋港から乗ったタクシーの運転手さんから、ジェノバラインにもうすぐ新しい船が来るという話を聞きました。

 港の窓口で確かめると、8月初めに就航するとのことで、どんな船かなと楽しみにしていました。
 KAZU君が最後にジェノバラインに乗ったのは8月1日だったので、「もしかしたら今日は新しい船かもしれないね」と、わくわくしながら明石の港へ行ったのですが、「明日(8月2日)就航式をして、それからです」という話で乗れませんでした。
 KAZU君は、その数日後に逗子の家に移って、そのまま成田からオランダへ飛び立ったので、結局、新型船を見ることも乗ることもできませんでした

 さて、5連休に入って部屋の片付けも追い込みに入りましたが、まあ、ここに来て毎日天気のいいこと。行楽地はさぞかし混雑していることでしょう。
 と、他人事のように思っていながら、明石に手伝いに来ている妻君にも息抜きの時間があってもと、連休三日目の今日、KAZU君がお目にかかれなかった船に乗りに行ってみようかと誘ってみました。

 明石の船着場へ行くと、
  お馴染みのアオサギ
  

 いよいよ乗船。大きな鯛を釣り上げている
  恵比寿様がお出迎え
  

 船体は、明石海峡にふさわしい
  イラストで埋めつくされています
  

 後ろの甲板には
  明石海峡大橋のイラストが
  

 海峡の連絡船からのこの風景。
  また見ることがあるでしょうか
  

  淡路の岩屋港です
  

 すぐにUターンしてもよかったのですが、せっかく島へ渡ってきたのだからと、港の食堂で淡路名物の「生しらす丼」に舌鼓みをうってお昼過ぎに帰って来ました。


   思ひ出は新しき船にも秋の海   弁人


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播磨にいた記念に「播州そろばん」を

2015-07-25 09:03:48 | 明石風物
7月25日(土)

 電卓なるものを初めて見たのは大学生の頃でした。子どもの頃に珠算二級の検定をパスしていた私は、こんなものに負けてなるものかと、就職してからもしばらく、数字の計算は全てそろばんで済ませていました。
 しかし、時代の流れには逆らえません。40代半ばになると、電卓どころかコンピュータなるものが目の前に現れ、「123」や「エクセル」の表計算ソフトを使うようになってからはとんと御無沙汰。
 7年前、明石へ行く時に書斎を整理していると、使い古したそろばんが二つ出てきました。しかし、二丁とも珠の動きもままならない状態だったこともあって、潔く処分してしまいました。

 そんな昔話はさておき、明石から車で北へ30分ほど、三木市の先にある小野市。その市役所前の駐車場に、

 こんな看板があります。そろばん珠の表示は、どうやら
  西暦の「2015」のよう
  

 そろばんといえば、私なんぞは「ともゑ」「天下一」という商標が浮かんでくるのですが、処分したそろばんがはたしてそんなブランド品だったかどうかは記憶にありません。

 実はそろばん、伝統的には「播州算盤」の兵庫と「雲州算盤」の島根が二大生産地なのです。どちらも生産量日本一をうたっていますが、歴史的にはどうも「播州算盤」のほうが古いようです。

 それはともかく、「播州算盤」の生産地として有名なのがこの小野市で、算盤や金物の伝統工芸都市として知られています。

 さて、播州は明石での暮らしもわずかになりました。この際、記念にひとつ算盤でも買っておこうかと、春以来三回ほど小野市に足を向けました。

 市役所の前にある市民会館の隣に「伝統産業会館」があって、中に入るとすぐ一階に、

 「そろばん博物館」なる
  スペースがあります
  
   

 珠の材質になる木はいろいろありますが、伝統工芸品として作られるものの代表的なのが「樺(かば)」と「柘(つげ)」です。茶色の「樺」のほうが一般的で安価。珠の色もそろばんらしい感じがします。「柘」は黄色に近い明るい色合いで高級感があり値も張ります。それよりも高級なのは真っ黒の「黒檀(こくたん)」ですが、黒い木枠の中に納まっている珠が少し見えづらい感じがします。
 今はプラスチックや新素材を使った安価なものもあるのでしょうが、ここの販売コーナーに置いてあるものは、さすがに手作りのものだけですから、「これは」と思うものは万札一枚でも買えません。

 6月の紫陽花のきれいな頃でした。せっかく播州算盤を手に入れるなら、どこかの工房を訪ねてみようかと小野の算盤職人を調べ向かいました。

 市街地の少し南に天神町という所がありまます。国道175号から100メートルほど西に入った所です。

  公民館があって、
  

 広めの道路の反対側の路地に
  看板を見つけました
  

 ここに、伝統工芸士に認定されている宮本一廣さんという、そろばん作りの職人としては小野で最も有名な方がいるはずです。看板の家のすぐ東に小さな水田がありますが、

 その脇の洗濯物が下がっている所が
  宮本氏の工房でした
  

 気難しい方だったらどうしようかと思っていましたが、とても気さくで話好きのおじいちゃんで、小一時間ほど算盤製作の過程や苦労話などを聞くことができました。テレビでも何回か紹介されたようで、その写真も飾ってあり、何年か前には叙勲を受けたという話もお聞きしました。

 そして、明石にいた記念にほんまもんの播州算盤を手にするのなら、やっぱり「柘」か「黒檀」だろうと、自作の品を数丁並べてくれました。たしかに「黒檀」のほうが重厚な感じがしますが、珠が見づらいのも事実。ということで、

 色鮮やかな柘珠の算盤を購入。
  これぞ「珠玉」の一品?
  

  銘もちゃんと入っています
    

 はたして、この算盤を手にして珠をはじくことがあるのでしょうか。でも、道具ですから箱にしまっておいても意味はありません。明石から引き揚げたら、パソコンデスクを整頓してキーボードの脇に置いておこうと思っています。


   パソコンの脇で算術夏の夜   弁人


 話は変わります。算数も頑張っているKAZU君、ランドセルの中に、単語カードのような「たし算カード」と「ひき算カード」が入っていて、数字の式を見て即座に答えを言う宿題がよく出されます。
 何回も繰り返しているうちに、二つの数字を見ると、まるで暗記したかのように答えを言うようになります。ところが、テストを見ると、時々間違えたりしていて、いったい彼の頭の中で、どういうふうに数の概念ができて行くのか少々不安になって、この前、おはじきを並べてみたりしました。

 「そうか、そろばんがいいかもしれない」と思って、先日、もう一度小野へ出向いて小型のそろばんを一つ買いました。

 そのそろばん、ごく一般的な樺珠のもので、そんなに高くはありませんでしたが、
「子どもが使うそろばんとしては、見劣りすることはないですよね」と念を押したところ、
「そりゃあ、もう、なにしろ手作りの伝統工芸品ですから、この辺りの子ならともかく、こういうのを持ってる子は、ふつうなかなかいないんじゃないですか」というお言葉をいただき大満足。


   餞別の工芸品抱へ夏木立   弁人


 さっそくKAZU君の前で開けてみましたが、やはりまだ早かったようです。おはじきより玉が小さいので興味を示しませんでした。
 とはいえ、そろばんは日本が生んだ文化の一つです。たしかに時代は変わりましたが、今でも三年生くらいになると、算数の授業でそろばんを使ったりするとも聞いています。はたしてオランダの日本人学校で算盤が登場するかどうか、その辺はわかりませんが、どこかで役立つことを祈りつつ、KAZU君への餞別として持たせることにしました。


コメント (4)
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2015年「明石(近辺)からの桜便り」その2

2015-04-07 17:13:45 | 明石風物
4月7日(火)

 4日の土曜日は、午前中は好天気だったのですが、明石公園での花見を切り上げて姫路に着いてみると、初夏を思わせるような日射しはすでに白い雲に隠れていました。

 とはいえ、雨の心配のない土曜日です。姫路城は平成の大修理を終えて、一般に公開されてからまだ一週間しか経っていません。人が押し寄せるのも当然です。大手前を越えて、姫路城前の交差点へ行くと、もう身動きも取れないほどです。

 なんとか信号を渡って、まずは
  新装なったお城の雄姿を一枚
  

 一方通行の橋を渡って大手門をくぐると、
  この花見客
  

 一年でいちばん賑わう桜の季節。天守閣から見下ろす西の丸の桜も見応え十分なのですが、天守閣内へ入るには二時間近く並ばなくてはならず、とても無理です。
 もちろん、初めからあきらめていましたが、とりあえず、

 この日に行ける
  いちばん近くから撮りました
  

 雲の下だったので、「純白に光り輝く」という感じにならなかったのがちょっと残念。

 実は、修理前の2009年の桜の季節に来たことがあったので、その時のアルバムを開いてみると、

 ありました。
  ほぼ同じ所から撮った一枚が
  

 どうでしょう。今回は日射しがなく、快晴だった6年前とは趣が異なりますが、修理前の姿を前にした時に、すでに「さすが白鷺城」と目を奪われたくらいの名城ですから、期待も大きくなるというものです。


   白鷺の眼下は人の花の宴   弁人


 ところで、姫路から帰って来た頃から少しずつ雲が厚くなってきて、夜半には雨も降ってきました。
 翌5日は66才に誕生日です。「魚の棚で蒲鉾なんぞを買い込んで、桜の中で一杯だな」と楽しみにしていたのですが、あいにくの天候で、残念ながら叶いませんでした。

 もっとも、そんなことも予想して、前日に桜の写真を撮りに出かけたのですから、「まあいいか」と、テレビで野球観戦と相成りました。
 ところが、優勝を期待されて大盛り上がりのカープ、オープン戦以来のつながらない打線は依然としてそのままに、なんと6連敗という惨めな結果が待っていて、最悪サイテーのスペシャルサンデーとなってしまいました。

 さて、楽しみにしていた週末が終わって、またKAZU君が学童クラブへ通う日がやって来ました。

 その月曜日。小雨の中を学童へ向かったKAZU君を見送ったあと、少し空が明るくなって雨も上がりました。天気予報によると、しばらくはお日様が現われそうにありません。それでも、桜の季節はどんどんと移ろい行くのが現実。雨が上がっているだけでも幸いと思い、気にかかる所へ向かうことにしました。

 それは、淡路島の桜です。明石海峡公園にも桜の園があったはずと、車で橋を渡り9時半に到着。ところが開園は10時ということでまだ入れません。仕方なく、県営の淡路島公園に行ってみると、

 曇り空でしたが、
  きれいに咲いていました
  
  

 木が若い感じで大木ではありませんでしたが、そのぶん、爽やかな色あいに感じられて、厚い雲に覆われてはいるものの、すがすがしい気分でお花見ができました。

  そして、今はチューリップが彩る
  明石海峡公園へ
  

 もちろん、
  桜も咲いています
  
  

 水仙に囲まれた
  「太白」という白い桜
  

 ソメイヨシノもところどころに咲いていますが、この公園には、国内外いたる所から集められた桜が植えてあります。
 咲き終わった河津桜、これから花を開く遅咲きの桜や八重桜など、ソメイヨシノのお花見とは異なる楽しみができる公園です。

 これで、今年の桜も満足という気分で、お昼過ぎに明石へ戻って来て、そのまま車で、お城の西の明石川を越えた辺りの道を走っていると、右に入る一方通行の道でしたが、ソメイヨシノがやけにきれいに咲いている細い道が目に入りました。

  桜の並木道
  

 ここは、王子小学校と
  その南の公園の脇になります
  


   見納めの明石の桜や雨に濡れ   弁人


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2015年「明石からの桜便り」

2015-04-06 17:47:35 | 明石風物
4月6日(月)

 早く桜が咲かないかなと待ち遠しかったのに、いざ咲き始めると、まったくもってせわしないこと甚だしい限りです。

 28日のKAZU君の卒園式の日は、まだ「一・二輪開いたかな」という感じでしたが、週明けに少し気温が上がったせいか(~とはいえ、最高気温が20度を超えたのは4日の土曜日が初めてだったのです~)、前回の記事のとおり、4月1日にKAZU君と学童へ行った時の小学校の桜は八分咲きくらいにまで咲いていました。

 翌2日の木曜日は珍しく青空が広がった日でしたが、いつものスーパーへ買い物に行くと、大きな駐車場なのに車が満杯でなかなか停められませんでした。

 実は、このショッピングモール、
  明石公園のすぐ近くなのです
  

 「もう、こんなに花見客が来ているんだ。それじゃあ」と、ちょっとだけ公園を覗いてみましたが、

 やはり七分咲き程度で、
  ちょっとほっとしました
  

 ところが、買い物からの帰り道に通る、桜のきれいな素盞鳴(スサノオ)神社に寄ってみると、

 ここは、
  もうすぐ満開という感じです
  

 KAZU君の家のすぐ近くの
  朝霧公園もほぼ満開
  

 この時点では、翌日から週末にかけてずっと天気が悪い予報が出ていたこともあって、「明石での春が最後になるかもしれないのに、5日の日は6年ぶりのスペシャルサンデー(実は誕生日)になるというのに、あーあ、今年はゆっくりとお花見を楽しむことができないかも」と、少々テンションが下がってしまいました。


   せっかちな桜とつきあう暇はあり  弁人


 予報どおり、3日の金曜日は雨まじりの南風が吹き荒れて、学童クラブから帰って来たKAZU君の傘の骨も折れてしまうほどのとんでもない一日になりました。でも、その嵐が去った影響か、「曇後雨」の予報だった土曜日の朝は青空が広がっていました。

 今日しかないかもしれない。誰もがそう思うような空模様です。

  さっそく明石公園へ
  

 目に焼きつけておきたい
  春の明石の風景
 
 「巽(たつみ)櫓」と「天文科学館」と「明石海峡大橋」

 再開発中の
  明石駅を見下ろす桜
  

 剛ノ池。これぞ
  「日本桜名所百選」明石公園の桜です
  

 このベンチ、私が毎年座る
  「一人花見専用席」
  

 目の前に
  花びらが広がります
  


   歌声も桜の園に紛れ込み  弁人


 30分ほどベンチでぼんやりしていましたが、少し雲が多くなってきて、ふと気になってきたのが、また雨とかいう翌日曜日の天気です。今日しかないのなら、やっぱり行ってみようかと立ち上がり、この後、姫路へ向かいましたが、

 今回は「明石の桜」ということで、その記事は次回に回すことにします。


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明石からも弥生三月の花暦-「石ヶ谷公園の梅園」

2015-03-17 22:43:37 | 明石風物
3月17日(火)

 今日は暖かかったですね。三日前の土曜日に逗子に帰って来たのですが、横須賀線の車窓から見た木蓮のつぼみがが一気に開きました。

 今回は、逗子へ帰る前日の13日の金曜日に、ちょっと行って見たいと思って出かけた明石の梅園の紹介です。

 西明石駅の一つ先が大久保駅。その2キロほど北にあるのが石ヶ谷公園。なかなか広大な公園で、来月になれば、桜の咲きほこる憩いの場となります。KAZU君も好きな大型遊具のある子ども広場もありますが、その東に大きな梅園があります。

 子供広場の北に明石市の中央体育館があって、駐車場は、体育館の向こうにある乗馬施設のそばにあるので、梅園までは少し歩くのですが、どうも、梅園に隣接している高速道路のパーキングエリアからも出られるらしいのです。

 そこで、今回は神明道路の
  明石パーキングエリアへ
  

 公園の歴史が浅いので、
  近年に植えた木が多そう
  

 寒波が収まった前日の12日は、シルバー天文大学に出向いた後、午後からイカナゴのくぎ煮炊き、翌14日は逗子に帰るということで、気温が低めでなかなか満開にならないとはいえ、明石の梅を見ておくのはこの日しかありませんでした。

 この日は、
  やはり五分咲きほどでしたが、
  
  
 今日の陽気の中で、今ごろは満開に近くなっているかもしれません。

 可愛い声が背後から。
  遠足の園児たちです
  

 そう、この日はKAZU君も保育園最後の遠足で、お弁当を持って明石公園で楽しんでいる時間でした。


   梅の香に包まれ春知る園児かな   弁人


 二日前までの寒波も影響してか、
  なかなか開かないつぼみも
  

 でも、風がおさまっていれば、
  春爛漫です
  

 頑張って咲きました。
  いかにも春を待っていたかのよう
    

 見晴らしの良い所へ
  上って行って、
  

 振り返ると、サンシュユの咲く
  中国風の東屋が見えます
  

 逆光の中、パーキングの向こうに
  淡路島が浮かんでいました
  


    海峡の南の島も春誘ひ   弁人


  気温差2~3度とはいえ、これがかなりの差なのでしょう。翌日逗子に帰って来ると、残っている梅の花びらはもうわずか。とっくに見頃も過ぎて、花暦も次の段階へ移りつつありました。


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シルバー天文大学-三回目の卒業式

2015-03-15 18:19:41 | 明石風物
3月15日(日)

 明石市のシンボルの天文科学館。ご存知、東経135度の標準時子午線上に建っています。

 最後の「イカナゴのくぎ煮」を炊いた
  12日の木曜日の朝
  

 シルバー天文大学の今期の最終日で卒業式がありました。そのことは数日前までしっかりと頭に入っていたのですが、火・水曜日に襲来した寒波でイカナゴ漁が休漁となり、「くぎ煮炊き」の予定がずれてうっかり忘れるところでした。皆勤賞目前のところで危ない危ない、イカナゴの新子を購入しようと家を出た時に気がつき、慌てて戻って出直しました。

 明石に来てから6年半、何回この坂をのぼったことか、機会を見つけては出向いていたので、館長さんや学芸員の方とのやりとりも重なって、声をかける時もつい名前が出てしまうようになりました。

 ここ何年か、秋から半年間開かれるシルバー天文大学を受講していたこともあり、年間パスポートを持っていますが、あと何回来るのかなと思うと感慨深くなります。
 今のパスポートの有効期限は9月までで、ちょうど明石を去る頃になりそうですが、それまで出入り自由とはいえ、6月11日の「時の記念日」は無料開放なので、パスポートを使うのは、あと一・二回でしょうか、そう4月4日は皆既月食とかで、次回はその前後になるのかもしれません。

 ということで、
  最終回の講義です
  

 この日の内容は、稼働期間日本一を更新中の投影機の維持管理の苦労話で、その後、半年間の内容のおさらいをして、卒業証書の授与となりました。

 話題の中心は、今年の8月で
  55歳となる投影機
  

 ドイツのカールツァイス社製の機械で、詳しくは2012年12月16日付けの記事で紹介しました。

 ところで、投影期間の長寿記録。世界では錦織圭選手と同じくランキング5位なのですが、実はその上位の5台、この機械を含めて全てカールツァイス社製なのだそうです。
 今は、国産でもかなり優秀な機械が存在しているのですが、部品等のアフターケアーはせいぜい30年くらい、50年を超えてもなんとか維持できるのは、この機械よりも古い機種がまだ動いていて、そのメンテナンスを参考にできるということも要因なのかもしれません。
 そうはいっても、いつまでも部品があるわけではありませんから、メンテナンスに関わる職員が、いかにこの機械の構造と仕組みに精通し、自力でオーバーホールや修理ができるレベルを保っていられるかというところが大切なのでしょう。

 世の中の存在物に永遠なるものがあり得ないとすれば、さてさて、この古風?な機械、いったい、いつまで動き続けるのでしょうか。見届けたいような気もしますが、その前に私の寿命が尽きてしまう可能性のほうが高いのかもしれません。


   梅一輪果てなき夢の香りけり   弁人


 はて、この数字は?
   「1999年9月」ではありません
   

 実は、この長寿のプラネタリウム。3月12日のこの日、稼働日数が1万と9999日目だったのです。
 ということは、翌日の13日の金曜日に20000日目という記念すべき日を迎えるわけで、残念ながら予定が合わず行けなかったのですが、夕方から講演会などの記念イベントが組まれていました。

 「本当のことを言いますと、明日、2万日目の日に出勤したら、どこか故障しているかもしれないという不安があって、今晩は眠れないかもしれません」
と館長さんがおっしゃっていましたが、冗談として一笑に付せない、ある種、胸に迫る重みを含んだことばのように感じました。


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心を込めたつもりですが-「イカナゴのくぎ煮」

2015-03-13 09:55:32 | 明石風物
3月13日(金)

  今朝の海峡風景
 

 小さい写真でわかりにくいでしょうか、この時期特有の光景です。春告魚「イカナゴ」漁の小型の漁船がいっぱいで、貨物船やフェリーの船長も大変そうです。

 東北を襲った忌まわしい大震災から4年、あの日は寒い一日で、ニュースに耳を傾けながらイカナゴのくぎ煮を炊いていたのを思い出します。

 あれ以来、3月11日は毎年寒い日が続いているような気がします。それはともかく、その日のことを忘れないようにと、3月11日はくぎ煮を炊く日と決めたのですが、翌年は休漁の日曜日で一日遅れ。昨年もカープのオープン戦を見に出かけたりして、なかなかうまくいきません。

 今年も10日11日と甲子園でオープン戦があり、10日は野球、11日はくぎ煮という予定を立てていたところ、今年最後とかいう大寒波が襲来、10日の甲子園での野球観戦はさっさとあきらめて、11日の準備に取りかかりました。

 そして11日。くぎ煮炊きに寒さは関係ありません。まずはイカナゴの新子の調達に魚の棚へ出向きましたが、海は大荒れ、魚屋には「本日、時化のため休漁」の掲示がぶら下がっていました。

 翌12日はシルバー天文大学の最終日で躊躇したのですが、逗子に帰る日も迫っているので、アイスボックスを用意、天文科学館へ行く前に新子を購入しておいて、お昼過ぎから、たぶんこれが最後になるだろう「イカナゴのくぎ煮」を炊きました。

 普通は1キロで炊くのですが、鍋が小さいので
  いつも500グラムずつ
  


   海峡へ届ける気合くぎ煮の香   弁人


 実は、今年二回目なのです。例年解禁日は3月初めだったのですが、今年は2月26日と早く、様子を見に魚の棚へ行って見ると、もうけっこうな大きさになっていたのです。
 ちょうど、KAZU君の生活発表会を見に来ていた熊本のおばあちゃんが28日に帰るというので、それじゃあと、その前日の27日に炊いてみたのですが、もう何回も作っているのに、やはり一年ぶりとなると満足した出来にはなりませんでした。

 来年の春は明石にいないとしたら、なんとしてももう一回、有終の美をと思って、寒波がやって来る前の先週末の朝、まずは漁の状況を観察に行きました。

 明石の港です。
  江戸時代の灯台が残っています
  

 独特の漁法の
  二艘引き
  

 カモメが群がっています。
  きっと網を引き始めたのでしょう
  


   朝日中カモメも小躍り春の魚   弁人


 漁船が一艘
  港に帰って来ました
  

 漁港には
  猫が似合います
  

 8時半、魚の棚近くの
  水揚げ場でのセリです
  

 魚の棚へ行くと、その前の便でしょうか、キロ1300円です
  
  

 とにかく、その年その日の水揚げの状態で値が上下しますが、まあ、これほど値が大きく変動するものがあるとは。首都圏の街中で一消費者として育ってきた私には目を見張るものがあります。

 例年、解禁日がいちばん高くて、イカナゴが大きくなるとともに日ごとに下がって行くので、3月10日ごろの値段が目安になりそうですが、私が明石に来て初めての春は大不漁、なんとキロ2500円くらいでした。うって変わって、その翌年は1000円ほどで、その後3年間は600円から800円くらい、昨年も初めはそのくらいでしたが、3月半ばには500円を割っていました。
 今年は、解禁前に水産技術センターから「かなりの不漁」という発表があったので、2月中に解禁したのは意外でしたが、不漁なのは確かなようで、だいたい1500円くらいで推移しています。
 ともかく、2000円以上の時もあれば500円以下の時もあるという、産直というか港町ならではの生活体験かもしれません。

 いっぽう、こちらの値段は世間一般、どこの店も低価格ショップに負けじと踏ん張っているようで、魚の棚商店街の魚屋の近くの店にも、

  100円タッパが並び
  

 スーパー同様、くぎ煮炊きの
  必需品が並んでいます
  

 明石に来て七回目の「イカナゴ」の季節。メモを見ると昨日が12回目の「くぎ煮」作りでしたが、とうとう、「これだぁ」というオリジナルには至らずに終わりました。


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