チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

紅葉の京都で、秋にお別れの気分に

2012-11-29 22:42:38 | お出かけ・散策
11月29日(木)

 快晴の淡路島でKAZU君と遊んだ後の週明け、またまた天気が崩れ、冬の足音を実感する寒さとなりました。
 逗子に帰る前に、やっぱり京都の紅葉を愛でておきたいと、27日の火曜日、北風が冷たく吹く日ではありましたが、少し早めに起きて電車に乗りました。

  東福寺の本堂の前にある三門。国宝です
  
 なんだ、人影がまばらじゃないかと思うかもしれませんが、この時期、訪れる人は本堂の裏に広がる紅葉が目当てなので、あとでびっくりすることになります。

 京都駅の南、九条通りを東へ向かった所にある東福寺と泉湧寺、すぐ南に伏見稲荷があって、近くを通ったことはあったのですが、なぜかこの二つのお寺を歩いたことがありませんでした。
 東福寺は紅葉のきれいな寺だと聞いていたので、その時期になったら行ってみようと思っていました。ところが、今年は関西のテレビでさかんに「東福寺、東福寺」と紹介されるので少々戸惑っていたのです。

 本堂にお参りして、紅葉の名所通天橋の見える所へ向かうと、そこはラッシュアワーのような人垣。三連休を避けて平日に来たのに、シーズンとなれば関係ないのでしょう。人の波といい見事な色彩といい、本堂辺りとはまさに別世界でした。

 人いっぱいの臥雲橋から、
  同じく人いっぱいの通天橋を望む
  

  そして、お目当ての通天橋の入り口に
  

  通天橋中央。押すな押すなの人の波です
  

 このあと、開山堂にお参りしてから見事な紅葉の園内を一巡りして、枯山水のお庭で有名な方丈に行きましたが、

 方丈へ行く前の園内で、
  地に這うような黄色いもみじに出会いました
  


   行く秋を惜しむは人ばかりにや   弁人


 方丈は人も少なく、
  落ち着いて通天橋も眺められました
  


  さて、東福寺の次は、天皇家と関わりの深い泉湧寺です。

  門をくぐると、正面に立派な仏殿が見えました
  

 九条通りから右に折れて上って行く参道は、伊勢神宮のような緑の木立の中を通っていて、ところどころに色づいた葉も見えるものの、特に紅葉で有名というわけではなく、人影もまばらで、静寂な空気に包まれていました。

  本坊脇の御座所庭園
  

 御寺泉湧寺に来て、すっかり気分も落ち着けた感じで、ゆっくりお庭を眺めていたい気分もありましたが、時間があれば、もう一つ足を延ばしたい所が浮かんで来て、長居をせずに泉湧寺をあとにしました。

 実は、学生時代に京都を歩いた思い出の中で、紅葉の美しさでは、なぜか大原の三千院の黄色の世界が強烈に残っていたのです。
 この日、東福寺と泉湧寺で黄色に色づいたもみじを前にして、「そういえば、あの時以来大原に行ってないなぁ」と、ふと心に引っかかっていたものが蘇って来てしまったのです。

 それじゃあと、さっそく京阪電車で出町柳駅に出て、バスに40分ほど揺られました。

 バスを降りると、
  雨上がりの大原の里に大きな虹が・・・
  
 前日の雨が上がって、この日は天候も回復と聞いていたのですが、実は西高東低の冬型の気圧配置になって、さすがに洛北は、青空に季節風に乗った雲が流れて時雨模様の天気になっていたのです。

  三千院のお庭の黄色のもみじ
  

 「思えば40何年か前。あの時は11月の中旬だったのかな」とか思ったりしますが、美化された思い出と比べてはいけませんね。

  しっとりとした趣の「極楽往生院」
  


   霜月や京都大原三千院  弁人

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冬間近、快晴の休日を淡路の公園で

2012-11-26 19:25:33 | KAZU君
11月26日(月)

 今年の11月は例年より寒い上に、天候も不順気味で、ここ二、三週間、なかなか快晴の青空に恵まれませんでしたが、昨日の連休最後の日曜日は、久しぶりに朝から眩しい日射しが差し込む気持ちの良い休日となりました。

 ちょうど、大阪でも神戸でもマラソン大会が行われていたので、阪神方面は車が少なくて、そのぶん空も澄んでいたのかもしれません。

 秋の終わりのせっかくの好天気。さっそくみんなでお弁当を持ってお出かけとなりました。行き先は交通規制のない道を通って、淡路島の明石海峡公園にしました。

 「カーくん、きょうはおじいちゃんの車に乗って、橋を渡って行くよ」
 「おじいちゃん、カーくんなぁ知っとるで、アジャジシマやろ」

 この時期、花は咲いていませんが、
  ほんとうに良い天気
  

  「もう少し行くとな、おすべり台あるで」
  

  「子供の森」というエリアのおすべり台
  

  スワンボートに乗って、鴨さんに餌をやりました
  

  園内バスの「夢ハッチ号」にも乗って
  

  大人は晩秋の光景を満喫。「カーくん、ほら、お空青いよ」
  
 茶褐色の木はラクウショウ。黄色い葉の高い木がポプラです。


   各々が冬を待つにや凛として  弁人


  そして、お楽しみの「夢っこランド」に到着
  

  いっぱい遊んで、ぽかぽか日射しの中のお弁当
  
 「おじいちゃん、カラアゲとおにぎりとフルーツやで」


   おにぎりを頬張る孫や暮れの秋  弁人


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播州山崎の紅葉狩り「最上山もみじ山」

2012-11-23 18:22:29 | お出かけ・散策
11月23日(金)

 今回明石に戻ったのは、まだ立冬まで一週間近く間のある今月初めでしたが、けっこう冷え込んでいて、慌てて冬物を取り出すという始末でした。明石の11月の気温、最高も最低も平均も、今年は去年より3~4度低くなっています。
 ということで、関西の紅葉も例年より一週間ほど早い色付きとのこと。三連休の前に一度京都へ行きたいと思いつつ、ここに来てなかなか良い天気に恵まれず、それに来週には逗子へ戻らなければならないので、京都にはその時に寄ればいいかなと思いとどまっています。

 とはいえ、テレビに映る紅葉情報が目に入って来ると、忍び寄る冬の寒さを前に、秋の終わりを味わっておかなければと、ついつい気が急いて来てしまいます。

 昨日の朝、予報では朝方雨が残る曇りがちの一日ということでしたが、カーテンを開けると、薄曇りの空が思ったより明るく見えました。それじゃあ出かけてみようかと車に乗り込みました。

 行き先は、宍粟市は播州山崎にある「最上山公園もみじ山」です。山崎といえば、一昨年と昨年の初夏に紹介した花菖蒲園や、千年藤のきれいな大歳神社がある所で、今回が三回目の訪問です。

 中国自動車道を下りて数分、
  もみじの山が右側に見えました
  

  駐車場から酒蔵の並ぶ古い町並みを抜けます
  
    

  公園の入り口からつづら折りの坂道が続きます
  

  いやいや、見事な彩りのもみじでした
  
   
    


   播州の香と色満ちて紅葉狩る   弁人


 古都の神社仏閣の風情とは、またひとつ趣を異にした自然の中の彩りの光景、10年くらい前になるでしょうか、温泉に浸かった後に訪れた奥利根の照葉峡の絢爛たる秋色の世界を思い出しました。

 さて、足もとに眼を落とせば、
  まさに錦の絨毯
  

  その絨毯の上で、記念に一枚
  


   錦秋の宴の夢に迷い込み   弁人


 さらに公園の小道をどんどん登って行くと、ここが頂上かなと思う展望の開けた所に出ましたが、道は篠ノ丸城というお城の跡がある、もう一つ先の山へ続いていました。ハイキングをする気はなかったので、今回はここまでと振り返ると、薄曇りの空からお日さまが顔を出して、

  もみじの下に、 宍粟市山崎町の家並みが光っていました
  

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JR「○○市駅」追加編-西脇市「旧鍛冶屋線跡」

2012-11-16 21:02:43 | 鉄道
11月16日(金)

 前回の記事で、JRの「○○市駅」という駅を3つ挙げて話題にしましたが、実はもう一つ、兵庫県にもあるのです。

 10月初めに、東経135度北緯35度にある西脇市の「日本へそ公園」に行き、10月5日の記事に載せました。その時に、今は廃線となった、西脇市駅から彼岸花のきれいな多可町を結んでいた「鍛冶屋線」の跡も車で回ってみたのです。そのスタートがこの駅です。

  JR加古川線の「西脇市駅」
  

 加古川線は、山陽本線の加古川駅と福知山線の谷川駅を結んでいるローカル線ですが、直通の電車はほとんどなく、この西脇市駅が中継の駅となっています。

  ホームには二つの電車が並んでいました
  
 左の電車が加古川行き、右の電車が谷川行きです。西脇市から加古川方面は、それでも1時間に1本ほど走っていますが、谷川方面は運行本数が少なくて一日9本。写真の10時12分発の電車の次は、13時41分発まで約3時間半も間隔が空いてしまいます。

 その谷川方面の次の駅は「新西脇」という駅名になっているのに、なぜこの駅の名称が「西脇駅」でないのかを、駅前で煙草をふかしていたタクシーの運転手さんに聞いてみたところ、かつてこの駅は「野村駅」という名称で、今は廃線となった旧鍛冶屋線に「西脇駅」という駅があったからではないかということでした。

 その旧鍛冶屋線、廃線となったのが1992年ということですが、かつてはこの駅(当時の野村駅)から加古川の支流の杉原川に沿って北上し、さらに、その支流の思い出川沿いを上って、多可町の鍛冶屋駅までを結んでいたということです。

 その旧鍛冶屋線。始発の「野村駅」の次の駅に「西脇駅」という駅があったとかで、地図を見ると、その場所は、たしかに今の市街地に近い所なのですが、廃線にともなって、市の中心部にあった「西脇駅」が消える運命になり、今度は、加古川線の「野村駅」という名称を、一見して西脇とわかる駅名に変えることになったようです。どうもその時に、廃止される駅との混乱のないように「市」を入れて「西脇市駅」としたようでした。

 ということで、この日は、この町の駅名に「市」が付いているわけに納得ができた気分。少しすっきりした中、せっかくなので、杉原川沿いに車を走らせ、終点の鍛冶屋駅跡に向かってみました。

 途中の道路沿いに、
  ラッピングされた青い電車がありました
  
 旧西脇駅の一つ先の「市原駅」跡です。彼岸花の咲く土手とのあいだに道路を挟んで、昔のホームが残っていて、そこに浦島太郎の絵が描かれている電車が残っていました。

  すぐ脇に駅舎も残って、記念館になっています
  

  思い出の品が展示されていました
  

  さらに10キロほど北上すると
  
 終点の旧鍛冶屋駅の駅舎です。田園地帯の中とはいえ、駅の周辺は、昔ながらの古めかしい家も並び、往時はそれなりに人の往来の多い土地だったような風情も残っていました。

  駅舎を抜けると、プラットホームに出ます
  

  「キハ」のブルーの車体が秋空に輝いていました
  


   往にし日の面影追ひて秋澄みぬ   弁人


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関西の私鉄に多い?「○○市駅」という駅名

2012-11-11 20:22:27 | 鉄道
11月11日(日)

 明石にやって来たのが2008年の秋。いろいろと懐かしい思い出が蘇って来ますが、4年前の11月10日の記事に「茨木童子」の記事を載せたことがありました。
 この前、9月の半ばに大阪へ出かけた時に、ふと懐かしくなって、「茨木童子」に会いに梅田から阪急電車に乗りました。

 JRの駅は「茨木駅」ですが、
  阪急電車は「茨木市駅」です
  

 市役所は両駅のほぼ真ん中にありますが、賑わっている町の中心部は阪急電車の駅のほうです。

  同じ駅名の構図が阪急電車にもう一つあります
  
 「高槻市駅」です。JRは「高槻駅」で、こちらもどちらかというと、阪急の駅前の方が繁華街として賑わっています。

 「○○市駅」という呼称は、関東ではほとんど覚えがありません。そこで地図を広げてみたところ、東武東上線に「和光市駅」「川越市駅」という駅がありました。でも、実家が東京の下町とはいえ、大人になってからずっと神奈川で暮らしてきたので、あまりなじみがありません。京浜急行、小田急、相鉄などで「○○市駅」という駅に出会ったことがありませんでしたから。

 東武東上線に2駅あるのだから、阪急電車で2駅見つけたからといって、そう驚くことはないのかもしれません。ところが、実はこの種の駅名、京阪電車に乗ると次々と現れるのです。

  こんな具合に
  
  
   
   

 まだありました。
  石清水八幡宮の最寄り駅です
  

 阪急電車の場合は、ほぼJRと並行しているので、私鉄の駅に「市」が付けばわかりやすいのかもしれません。しかし、京阪電車の大阪区間は他の路線と競合しているとは思えません。それなのにこういう駅名が並ぶとちょっと気になってしまいます。

 ところで、山手線と大阪環状線の大きさを比べてみるとわかりますが、大阪市に20以上の区があっても、東京23区の規模には到底及びません。そのかわり、大阪市の回りには実にたくさんの「○○市」があって、京阪電車の駅名を見ると、その各市の存在をアピールしているかのような感じです。
 大阪方面へ出かけた時に、もう少し広域に大阪の区割りがあってもいいのではと思ったりもします。橋下大阪市長が「大阪都構想」を掲げていますが、周辺の市を含めて区を統合しようとするのなら、一理あるのかもしれません。

 結局、なぜ駅名に「市」が入るのか、気になってはいるものの、今のところよく分かりません。
 阪急電車のように、離れたところにJRと私鉄の両方に駅があるからと思っても、京阪電車には当てはまりませんし、その阪急電車でも、JRに「吹田駅」があるのに、数百メートル離れた所にある駅名は、

 市役所のまん前の駅なのですが、
  「市」が付きません
  

 いずれにしても、「市」の付く駅名は私鉄だけだろうと思っていると、ありました、JRにも3駅。

 その一つが「和歌山市駅」です。でも、実はこの駅は南海電車との共用駅で、どちらかというと、私鉄の駅にJRの駅が付随しているような駅なのです。

 次に、近鉄とJRの駅が並んでいる「伊勢市駅」。私はこの駅で乗降したことがないので、よくわかりませんが、双方の駅が跨線橋で結ばれていて、ここも同じ所にある駅ということで同名になっているのかもしれません。

  そして、もう一つが山陰本線の「出雲市駅」
  

 昨年の秋、駅伝観戦で出雲に行った時に撮った写真で、下の写真とともに昨年の12月14日の記事に一度載せました。その記事でも触れたのですが、出雲大社には一畑電鉄の「出雲大社前」という駅があります。JRの駅はその10キロほど南東の、たしかに市役所のそばに位置した場所にありますが、わざわざ「市」を付けなくてもと思いました。そして、ここでも私鉄の一畑電鉄の駅が隣接していて、その駅名にも「市」が付いています。

  その「電鉄出雲市駅」
  

 このように、JRの駅名に「市」の付く駅は3駅とも私鉄の駅と一緒になっていて、両方とも同じ駅名になっています。ただ、「和歌山市駅」はJRに「和歌山駅」があるので、南海電車の駅のほうに「市」を付けたのかもしれません。でも、「伊勢市駅」と「出雲市駅」は、どうして両方の駅ともに「市」が付いているのか、ほかに「伊勢駅」とか「出雲駅」とかがないのにと、ちょっと不思議でした。

 去年出雲へ行き、先日伊勢に行った時も地図を眺めながら、「伊勢神宮」「出雲大社」という神々しい地名をそのまま駅名にはしなかったのかなとなんとなく思ったりしていました。
 ところが、このあいだKAZU君に見せようと、録画しておいた鉄道番組をDVDにダビングしている時に、ふと「旧国名そのままの駅名は存在しないのではないか」という思いがわき起こって来たのです。「伊勢」も「出雲」も旧国名です。例えば、「伊勢中川」「信濃大町」「相模大野」「駿河小山」「三河安城」「備中高梁」のように、国名に付随した地名を入れた駅名はいくらでも挙げられそうですが、「信濃駅」とか「相模駅」とか「備中駅」とかはありません。やはり、これはどうも当たっているような気がしています。
 今度、旧国名そのままの駅名があるかどうか、暇な時に調べてみることにします。

 ということで、とりとめなく思いを巡らしているうちに、話題が関西の私鉄からそれてしまいました。京阪電車の「○○市駅」については、今だに少々もやもやした状態のままですが、今日はこのへんにしておきます。


   長き夜に鉄路の夢を果てもなく   弁人

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網干でJR車両見学-「ふれあいフェア」

2012-11-05 21:40:11 | KAZU君
11月5日(月)

 明石からです。明石に戻った金曜日の夜、連休中のKAZU君のお出かけの予定を聞いたところ、翌3日の文化の日はJRの車両基地の「ふれあいフェア」があるので楽しみにしているという連絡がありました。

 場所は姫路のいちばん西にある網干。網干という町は、海沿いを走る山陽電鉄の網干駅周辺が中心のようですが、JRの山陽本線はそこから北に2、3キロ離れた内陸寄りを走っていて、網干駅もいかにも田園地帯といった少し田舎びた所にあります。

 そのJR網干駅の西に、JR西日本の網干総合車両所という大きな車両基地があって、その関係で、新快速も「姫路行き」ではなくて「網干行き」という電車がよくあります。

 ふだん、姫路より西は新幹線が便利なので、播州赤穂などに向かう時以外はあまり在来線に乗ることはありません。
 特急の「スーパーはくと」も通過しますが、姫路の先の「英賀保(あがほ)」とか「はりま勝原」という駅を通るのは久しぶりです。

 駅から車両所までは歩くと30分ほどかかるそうで、無料の送迎バスが運行されていました。

  いよいよ到着
  

 JRの施設は初めてですが、電車好きのKAZU君、山陽電車や京阪電車の催しには行ったことがあって、一週間前の私が逗子にいる時にも、山陽電車の車両工場に電車を見に行ったとのことでした。

  それでも、さっそく興奮気味のKAZU君
  

  ふだん見たり乗ったりしている電車が勢ぞろい
  

 KAZU君のいちばんのお気に入りの
  「221系快速電車」
  
 90年代の新快速の車両で、20年ほど前に、私も京都から大阪へ行く時に乗った思い出があります。今は快速の一部に使用されていて、KAZU君の本では、福知山線の「丹波路快速」として紹介されているので、KAZU君は「タンバ」と呼んでいます。たしか「大和路快速」でも走っているような気がします。

  新幹線ができる前の「特急つばめ」の車両
  

  ハリセンボンのように棒が出ている珍しい車両
  
 「建築限界測定用の試験車」で、新線開業の時などに建築構造物などが限界内に収まっているかどうかを検査する車両です。かんざしがたくさん挿してあるように見えるところから「おいらん車」という俗称があるとか。

  工場の脇にミニSLが
  

  さっそく一緒に乗りました
  

  次は「車両洗浄体験」の223系新快速の車両に乗りました
  
   
 シャンプーとブラシがけをして水洗いをするのですが、それぞれが一瞬の出来事で、カメラを構えていても、なかなかうまく撮れません。

  広場でミニ500系新幹線にも乗れました
  
 500系はJR西日本の車両で、今は山陽新幹線のこだま号の一部に使用されているだけですが、砲弾型のデザインとブルーの車体が魅力的で、子どもたちにとっては、ドクターイエローと並んで大人気の車両なのです。


   行く秋や夢いっぱいの児と遊び   弁人

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秋晴れに誘われて、富士を見に江ノ島へ

2012-11-02 17:26:08 | 湘南・鎌倉・三浦ぶらり
11月2日(金)

 KANA君が遊びに来てくれた翌日の朝は、快晴の空が眩しく広がっていていました。
 路地を出て、富士のてっぺんがちょこっと見える所で眺めてみると、すっかり白くなった頂きが輝いていました。

 朝食を済ませてのんびりしていると、妻君が「いい天気、富士山が見えるかもね」と言うので、「江ノ島へでも行ってみようか」と答えて、大船からモノレールで向かいました。

 橋を渡って、いつもの土産物屋や岩本楼の並ぶ参道を上って、

  辺津宮に
  

 トシを取ると、階段がきつい。この後、エスカーに乗ってしまいました。

  シーキャンドル(展望灯台)からの素晴らしい眺め
  
 昼近くになっても、北の龍口寺方面は、雲一つない本当に良い天気なのですが、

  肝心の箱根金時山方面は
  
 残念ながら、伊豆半島から丹沢山系に向けて白い雲が低くたなびき、富士の雄姿を拝むことはできませんでした。


   秋澄むや大宇宙の果て近くなり   弁人


  奥津宮の拝殿
  
 江ノ島といえば、弁財天と龍神様でしょうか。大きな杓文字にそれぞれの絵がありました。

  天井には「八方睨みの亀」の絵が
  

  昼食は稚児が淵の上の魚見亭で「生しらす丼」
  
 せっかくカニ味噌汁も付けたのに、角度が悪かったのと、日射しの関係でうまく撮れませんでした。9月23日付の記事にも「生しらす丼」が載っていますので、よかったらクリックしてみて下さい。

  お腹を満たした後は、久しぶりに岩屋へ入ってみました
  
   

 江ノ島の岩屋洞窟。子どもの頃に父と、大学時代に友人と来た記憶はあるのですが、大人になってからは、ここまで足を運んだ覚えがありません。今はきれいに整備されていますが、たしか藤沢に勤務していた頃は、嵐か何かで岩が崩れて、ずっと閉鎖されていたように思います。

  雄大な相模湾。海峡の海とは一味異なる荒々しい海です
  


   果てありや大海原の秋さやか   弁人


 潮風を背に長い階段を上り、ヘトヘトになって振り返ると、午後になって雲が少し切れてきたようで、

  逆光の中に、やっと富士山の姿が現れました
  

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