チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「名にし負はばいざ言問はむ都鳥」

2010-01-29 15:26:54 | 明石風物
1月29日(金)

 師走に入って、明石公園にユリカモメがやってくると、「いよいよ冬になったな」という感じです。
  

 去年の冬は、KAZU君に「なんて言う鳥だかわかんないだけど、お掘に白い渡り鳥がいっぱい来ているんだよ」と話しかけていた程度でしたが、この冬は年末に逗子に帰る前に車で通ると、欄干に一列に並んでいる光景が壮観だったので、ちょっと気になっていました。
  まさに「冬告鳥」の称号がふさわしい
  


    冬鳥がふるさと思ふ寒さかな   弁人


 帰省した正月に、隅田川の河畔を歩いていると、いるわいるわ、同じ鳥がわんさかと橋の欄干や街灯の上で羽を休めていました。やっぱり、ユリカモメだ。

 「伊勢物語-東下り-」の隅田川の川岸での場面の

-さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を喰ふ-

という箇所が思い浮かんできます。

 明石に戻ってから、買い物がてらさっそくお掘端に様子を見に行ってみました。
  この日も鳩を追いやって、欄干の上を独占
  

  色といい形といい表情といい、なんとも上品で愛くるしい
   

 ざっと数えると、百羽近くでしょうか、1メートルほどに近づいても動じません。たしかに白い鳥でくちばしと足が赤い。でもよく見ると、向こうの鳥のくちばしと足はちょっと黄色っぽい感じです。

 そこで、ユリカモメの足に環でマーキングをして飛来の状況などを調べている「大阪市立自然史科学博物館」にある「日本鳥類標識協会」に問い合わせてみました。

 お話によると、日本各地にやってくるユリカモメはロシアのカムチャッカ半島が生息地だそうです。そして、くちばしと足の色がオレンジ色の鳥は生れて1年目の幼鳥で、2年以上の成鳥になると本来の赤になるということでした。

 ところで、「伊勢物語」では

-京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞き-

と続きます。

 「ミヤコドリ」という学名の鳥も存在するそうですが、この鳥はくちばしと足は赤いものの、腹部以外は頭も体も黒い鳥なのです。したがって、「伊勢物語」に登場する「都鳥」は「ミヤコドリ」ではなく、実は「ユリカモメ」だったとするのが妥当なのだそうです。

 もう一つ、京都の鴨川に「ユリカモメ」がたくさん飛来して来るという情報がありましたが、上の文では

 -京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず-

とあり、これはいったいどういうことなのだろうと、これもお聞きしたところ、実は1970年代の半ばまで、京都には本当にほとんど飛来していなかったということです。たまたま鴨川に下りてきたユリカモメに熱心に餌付けをした人がいて、その効果で次第に多くなり、今では冬の風物詩になったということでした。
 日本の各地に飛来するのに、どうして京都には来なかったのか、たまたまだったのかもしれませんが、不思議ですよね。

 ともかく、東下りの一行の人たちにとって「見知らぬ鳥」であったことは確かなようで、その鳥の名前を「都鳥」と告げられたのですから感慨も深かったに違いありません。そんなことを思いながら

 -名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしや-

という歌を口ずさんでみるのも、興趣が増して「いとをかし」というところでしょうか。

 先日、京都へ出向いた時に鴨川へ行ってみましたが、ところどころに数羽ずつしか目に入ってきませんでした。
  やっと、四条大橋の南に30羽ほどの群れが
  

 天気があまりよくなかったこともあるのでしょうか、水の上にいて間近でなかったからでしょうか、やっぱり、明石公園のユリカモメが可愛いなと思って帰って来ました。

  


    言問ふもまじろぎもせぬ百合鷗   弁人


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北野の天神さんへお参りに

2010-01-26 11:42:03 | お出かけ・散策
1月26日(火)

 学問の神様の菅原道真公。お誕生日が6月25日で、お亡くなりになったのが2月25日と伝えられています。
 つまり、25日は「月命日」、そしてこんな言い方は聞いたことがありませんが、いわば「月誕生日」ということで、全国の天神様では毎月25日に「月次祭(つきなみさい)」が行われるそうです。

  そして、その年初めての25日が「初天神」
  

 昨日は日差しが全くなく底冷えのする京都でした。お昼頃からは雨もポツポツと。
  でも北野天満宮は大変な賑わい
  



    初天神へ白梅町より歩きけり   弁人


 もちろん参道にはいろいろな出店がぎっしりでした。

  参道の脇には古着や衣料品の店がたくさん
  
 他にも、骨董品や植木のお店もいっぱい並んでいて、これまで出かけたお祭りとはちょっと違った雰囲気でした。

  楼門をくぐると、お店もなく落ち着いた雰囲気
  

  拝殿前は大鈴を鳴らす順番を待つ人の列
  

 私も、KAZU君が向学心旺盛な少年になることを祈ってお参りしました。


 ところで、道真公というと、「梅」と「牛」でしょうか。

 京都から太宰府に西下する際に、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠んだところ、梅の花が太宰府まで飛んで行ったという伝説はあまりにも有名ですが、幼少の5歳の時には「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」という歌を詠んだとも言われています。

 大寒から数日しか経っていない冷え込んでいる京都です。さすがに道真所縁の梅の花は全く期待していませんでしたが、それでも境内には早咲きの梅が何本かあって、ほんのりとした香りを漂わせていました。

  八重の紅梅
  

  白梅とその向こうに蝋梅
  

  もうひとつの由縁は「牛」。その石像
  
 道真公は丑年生まれだそうです。また、死後に「柩の車を人に引かせずに牛の行くところにまかせて墓所とせよ」という遺言のとおりにしたところ、その場所が都府楼の丑寅(北東)の方角であったという話も伝わっているということです。



    春待つや梅の蕾も牛の眼も   弁人


 私も丑年なので、ちょっと牛の頭を撫でて帰って来ました。


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矢尽きずとも刀折れそうな「たこフェリー」

2010-01-23 09:03:27 | 明石風物
1月23日(土)

 明石海峡に欠かせない連絡船、おなじみの「たこフェリー」

  キャプテン格の「あさしお丸」
  

  基調の黄色が鮮やかな「あさかぜ丸」
  

  イルカの絵が子どもたちに人気の「あさなぎ丸」
  


 以前(08年11月)に紹介したとおり、「たこフェリー」は、交代で3隻のうち1隻がドッグで休み、常時2隻で運航しています。
 しかし、明石海峡大橋の通行料金の値下げにともなって、最近は、乗客も一緒に乗る自動車もめっきり減って、いつもがらがらの状態なのです。それでも本当によく頑張っていると思います。約30分間隔での運行をずっと維持しているのですから。


    寒風にさらされ健気海峡フェリー   弁人


 ところで、年末のことです。逗子の家に帰る何日か前、窓の向こうの海峡に今まで見たことのない船が「たこフェリー」の航路を進んでいました。
  真っ白の船体
  

 年明けに明石に戻って観察していると、どうも黄色い「あさかぜ丸」が目に入ってきません。さっそく港に行ってみると、なんと「あさかぜ丸」はお色直しをしていたのです。
  聞くところによると、12月に入って新装したとのこと
  

 今までは、ハチマキ姿の赤いタコのイラストが片面に一つだけしか描かれていませんでしたが、今度は可愛いイラストがちりばめられていて、子どもたちが喜びそうです。まぶしく眺めていましたが、一方で、黄色い船体の思い出がとても懐かしく脳裏に蘇ってきました。
  9月にKAZU君と乗ったのが昨日のことのよう
  

  もう、この姿にはお目にかかれないのです
  

 さて、そんな感傷に浸っている時に、地元のテレビ局からとんでもないニュースが飛び込んできました。

 「たこフェリー」存続の苦肉の策とかで、「あさなぎ丸」を売却し、今後は2隻運行で頑張っていくというニュースです。
 イルカの船が消えて行くのか。でも、部外者がいくら感傷的になっても、どうにもなりません。

  今は、眼に焼きつけておくしかない?「あさなぎ丸」
  

 せっかく「あさかぜ丸」が模様替えをして、白の船体に愛嬌のあるイラストの船が揃ったというのに。

 なんとも切ないですね。

 もしかすると、お色直しは「残った2隻でなんとか踏ん張るぞ」という心意気だったのかもしれません。

 それはともかく、現状では3本の矢が2本になりそうなのです。でもここは刀が折れないことを祈るしかありません。


    ふるさとを去る船無言や冬の海   弁人



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震災から15年

2010-01-18 07:12:53 | 身辺雑記
1月18日(月)

 明石公園の中の図書館の前に、1945年の終戦前に見舞われた「空襲の碑」があります。
  

 実はこの石碑、台座から斜め前方に10㎝ほどずれているのです。
  
 15年前の1月17日に起きた兵庫県南部の大地震によるものです。

 空襲の惨状を記した石碑が、50年後の地震の大きさをも物語ってしまうというのはなんともやりきれませんが、明石市では事実を後世に伝えるためにそのままの状態にしているのです。


 さて、その震災記念日ですが、今年は日曜日で穏やかな晴天の日となりました。
 
 今年も昨年と同様、神戸市役所の隣の東遊園地に赴き、慰霊の献花と追悼の灯をともしてきました。
 
  
   


     追悼にこうべを垂れて実万両   弁人



 ところで、震災後の復興といえば、昨年の秋に新しい巨大なモニュメントができ上がりました。
    

 どうですか、この力強さは。

 「鉄人28号」の作者の横山光輝は神戸出身だそうで、そんな縁があって、復興のシンボルとして作られたのです。
 場所は被害がもっとも凄まじかったと言われている神戸市の長田。JR新長田駅からすぐそばの広場です。
 鉄人ですから、もちろん鉄製。身長18m、体重は50トン。「がんばるぞ!」という気合いがみなぎっていて頼もしい限り。
     

 足の間をくぐり抜けると、思わず「倒れてきたらどうしよう」と不安になりますが、足の下には、像の三倍の150トンの鉄の柱や塊が埋まっているとかで、大地にドーンと根を張って踏ん張っているので大丈夫なのだそうです。

 広場には特設ステージができていて、昨日は数時間に及ぶラジオ番組が公開されていました。


     鉄人の意気伝はりし震災忌   弁人


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KAZU君の好きなバス

2010-01-16 07:03:26 | 明石風物
1月16日(土)

 大きくて動くものが気になるKAZU君、電車だけでなくバスも大好きなのです。

  
 秋のころは自動車はほとんど「バシュ」と言っていましたが、今は普通の自動車は「ブーブー」と言って区別しています。

 今回は、明石市内を走っていて、KAZU君がふだん「バシュ」と指をさしている路線バスを紹介します。

  明石ですから、まずは明石市営バス
  
 写真はベーシックとなるバスです。実は、明石市営バスにはコマーシャルをペイントしたラッピングバスがたくさんあります。ラッピングバスは後日あらためて紹介する予定ですが、今回はその中の一台を。

  東経135°の子午線をデザインした車
  

  次は、神姫(しんき)バス
  

 神姫バスは、KAZU君や私のマンションがあるJR朝霧駅には、神戸学院大学行きの一路線のみしか来ません。それも通学用として朝と夕方しか登場しないので、二人で歩いている時に出合うことはほとんどありません。
 でも、明石駅に行くと、大半がこのオレンジの神姫バスです。保育園前の国道2号線もこのバスが頻繁に行き来します。


 二人で帰る時に通るJRの朝霧駅は、もちろん明石市営バスがたくさん発着しますが、駅前から北に伸びる道がちょうど神戸市との境界線になっているので、明石の中心部には走っていない神戸市営バスと山陽電鉄のバスが次々とやって来ます。

  緑が基調の神戸市営バス
  

  新型のノンステップバス
  


 山陽電鉄は神戸と姫路を結ぶ私鉄で、電車の車庫も明石市にあるのに、傘下の山陽バスの路線は神戸市内中心で、明石ではほとんど走っていません。車庫も隣の神戸市垂水区にあります。でも、朝霧駅にはいっぱい来るのです。

  山吹き色の山陽バス
  

  ノンステップバスには明石海峡大橋のイラストが
  



    冬空もバスを待つ児はうきうきと   弁人


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コメントの管理について

2010-01-14 09:54:33 | お知らせ
1月14日(木)

 最近、時々ですが、心ないコメントが入るようになりました。

 パソコンは素人だからとか言って、コメントの管理もできないのなら、ブログを発信する資格はありませんね。

 ということで、コメントの掲載はブログ作成者の承認後ということにしましたので、お知らせします。コメントを投稿してもすぐに反映されなくなりますが、気になさらずに、これからも忌憚のないお言葉をいただければ幸いです。

 それから、もう変なコメントは載りませんので、どうぞ安心して、今後とも時々『チムどんどん「明石通信」』を覗いてみてください。
                    チムどんどん
 


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準備着々、世界のイチロー

2010-01-13 14:23:38 | スポーツ観戦等
1月13日(水)

 先週、明石に戻ってから入ってきたニュースのひとつに「イチロー、スカイマークスタジアムで自主トレ公開」というのがありました。
 公開といっても報道陣だけなのかもしれません。その辺の情報とか、自主トレの予定とかはさっぱりわかりませんが、ちょっと見てみたいという気分になっていました。なにしろ、スカイマークスタジアムは今の住まいからは10キロほどのところにあるのですから。

   

 スタジアムは神戸総合運動公園の中にあって、車で出かける時によくそばを通ります。時間は20分ぐらいでしょうか。ところが、オリックスの試合は大半が京セラドームで、スカイマークスタジアムの試合が少なく、まだ一度も行ったことがなかったのです。

 3連休の最終日、近くへ行ったので、季節的に閑散としている駐車場に車をちょっと入れてみました。
 ここには、神戸の新長田から地下鉄西神線が来ています。(交差している下の線路は山陽新幹線)
   

 新長田は明石からJRで15分ほどなので、電車で来ても一時間はかからないのかもしれません。駅はメインスタンドの真ん前です。こんなに交通の便がよいとは。プロでも、高校や大学や社会人の試合でも、もっと使えばよいのにという感じです。

 どうも中には入れそうではありません。丘陵になっている外野のほうから覗いてみました。
   
 グラウンドもスタンドもきれいで、なかなかの球場です。でも今日は整備に専念なのでしょうか、選手らしい人影はありませんでした。

 坂の下の3塁側へ下りていこうとすると、すれ違ったおっちゃんが「イチローならこの下の車の中におるよ」と声を掛けてくれました。

   3、40人の人だかりと白いワゴン車
   

   突然車から出てきたイチローが階段上り
   

   そして同伴の仲間を率いて下りてきます
   

 車の中で数分間息を整える形で、階段上りを何回も繰り返していました。最初はゆっくり、徐々にスピードを上げて段を飛ばして駆け上がって行きました。

 体温調節でしょうか、最後のほうはウエアを重ね着していました。
   



    初トレはがんばろう神戸の気合ひなり   弁人


 見ている人は少なくてとても静か。時々イチローの笑い声や関係者のやりとりが聞こえてきます。子どもが一人二人、階段の脇の石垣をよじ登って近くで見ようとしている以外はざわついた様子もなく、カメラを向ける人もほとんどいません。
   

 イチローはこんな雰囲気が好きなのでしょうか。見物の一人が隣人に小声で曰く、「彼は神戸が好きで大事にしてくれている。特にスカイマークが好きなんだ」と。

 やがてメニューが終わると、トレーニングを共にした人と挨拶を交わして、たぶん昼食なのでしょう、車に乗り込んで公園の外の道路へ出て行ってしまいました。
 その間、サインを求める人もなく、実にあっさりと気持ちよく午前の練習が終わりました。


    何事もなきがごとくに冬の雲   弁人


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関西の初春、恒例の「十日戎」

2010-01-11 18:20:13 | お出かけ・散策
1月11日(月)

 新春といえば、関東では「七福神巡り」というのがありますが、こちら関西では、七福神の中でも特に「恵比寿様」の人気が抜きん出ています。
    
 「恵比寿様」の起源は、①.伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた蛭子命という説と、②.大国主命(大黒様)の子の事代主命という説があるようです。
 ①の蛭子命は、二神の子どもとして認められずに海に捨てられ、瀬戸内海に漂着した時、魚を手にしていたという伝説があり、②の事代主命は、父の大国主命から国譲りの件について相談を受けた時に釣りをしていたという言い伝えがあります。
 いずれにしても、もともとは漁業の神様ということになるのでしょう。それが農業色の強い大黒様と結びついて、やがて「商売繁盛」のシンボルとなり、上方では欠かせない存在となったようです。

 蛭子命が漂着したのが西ノ宮辺りということで、兵庫南東部は特に恵比寿様のお祭りをする神社が多いようです。

 明石では「岩屋神社」と「稲爪神社」でしょうか。なにしろ「稲爪神社」はKAZU君の通っている保育園を設置している神社なので、何はともあれ、まずはみんなでお参りに行きました。

  「こういうふうに手を合わせたんだよ」と言いたげ
  

  見慣れた園庭が、今日はなんとお祭りの場に
  

   福引もおもしろい
   


     初春やよちよち歩いて恵比須顔   弁人


 「初ゑびす」は三日間です。9日が「宵ゑびす」で10日が「本ゑびす」、それに11日の「残り福」と続きます。今年はちょうど三連休と重なったので、どこも大変な人出です。

 去年は福娘で有名な大阪の「今宮戎」に行きました。今年は早朝6時に赤門から社殿までの全力疾走で争う「開門神事福男選び」で有名な「西宮のえべっさん」へ行ってみようかと。
 「開門神事」といえば、ここ何年かTBSが実況中継しているそうです。私はこの日もまだ寝ておりまして見ませんでしたが。

  阪神西宮駅を降りて出店でいっぱいの道へ
  

  入り口は「開門神事」のスタート地点の赤門
  

  人が多くてほとんど前に進みません。店は商売にならない
  

  わずか2~300mを20分ほどかけてようやく社殿に
  
  神官が御幣で参拝者のあたまを撫でてくれるのです

    あったぁ、巨大マグロ
    
  お金がうまく引っ付くと、お金が身に付くそうで

  参拝のあとはお馴染みの「福笹」と
  

  西宮神社では期間限定の「鯛みくじ」が
   
 カップルの彼氏が「鯛みくじはな、大吉がぎょうさん入っとるんやで」と彼女に言っておりましたが、果たして、私のも大吉でした。


    初ゑびす鯛もまぐろも微笑みて   弁人


 帰りの電車。兵庫駅で「福笹」を手にした人がたくさん乗ってきました。駅のそばに「蛭子神社」があるのです。垂水駅前の「海神社」も名前のとおり漁業の神様なので、たくさんの人が歩いているのが見えました。
 
 電車を降りたあと、駅前のお店で「エビスビール」をつい買ってしまいました。やっぱりふだんの発泡酒とはぜーんぜん違いますね。


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今年も明石で頑張るぞ

2010-01-08 23:56:28 | 身辺雑記
1月8日(金)

 正月気分は何日続いてもいいけれど、いつまでものんびりはしていられません。

 退職まで3ヶ月の妻君は40日もの有給休暇を持っているのに、やっぱり休めず勤めに出ています。

 KAZU君も寒い中、5日の朝から保育園に通っているのです。なにしろ、神戸のほうは今いちばん朝が暗くて、7時頃にやっと明るくなるのですから。

 私の居所はやはり明石なのかもしれません。でも、「お気に入りの富士山を見てからでないと」と思ったりしていました。

  正月にKAZU君に見せたかった景色
  

  ほんとうは、このぐらいの雄姿がよかったんだけど
  

 富士山を眺めているうちに明石へ戻ろうという気分が強くなりました。ということで羽田空港へ。
 明石との往復、最近はもっぱら飛行機です。スカイマークだと新幹線より早くて安いのです。

  空港からも とても美しい富士山が
  
 方向的に考えると、JAL系の第一ターミナルからでないと見えないと思います。


    小寒や富士を瞼に出立す    弁人


 飛行機は臨海副都心の方向へ飛び立ち、逆さ「の」の字を描くようにアクアラインの上から横浜市街の上空へ右旋回、富士山の真上を通過して行きました。浜名湖が左後方に消えていく頃から雲の上に。そして冬型の気圧配置で強い西風の中を神戸空港へ。

  神戸はやはり瀬戸内海の湿気を含んだ雲の下でした
  

  明石海峡大橋もよく見えません
  

  それでも、明石駅で降りるとホッとした気分に
  

 湘南より日差しが少ないからか、冷たい西風にさらされているためか、かなり寒い。保育園からの帰り道がちょっと心配になりました。


  部屋の窓からの明石海峡大橋のライトアップはいつものままで
  



    電飾が透きとほるほどの寒さかな   弁人


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'10年のお正月が「やっ○来た」

2010-01-05 15:03:55 | 身辺雑記
1月5日(火)

 記事の題の「やっ○来た」の「○」には、「て」を入れるのか「と」を入れるのか悩むところですが、それはともかく三日遅れの私のお正月です。

 三日間、駅伝のテレビを見ながら母と四方山話に明け暮れていました。窓の外には元旦も2日の日も、ふだんではとても見られないような青空が広がっていました。

  

 逗子海岸からの富士の雄姿を想像しながら、「KAZU君と散歩に行きたいな」と思っていた三日間でした。
 またどこかでお話しをすると思いますが、明石海峡から大阪湾にかけては、冬型の気圧配置になっても海上を吹き抜ける西風の影響で、なかなか抜けるような青空が広がってくれないのです。冬になると南関東では富士山がよく見えますが、そんな中でもやはりお正月の澄んだ青空は格別です。

 そんなことを思いながら、3日の夜に逗子に帰って来ました。でも、世の中は翌日が仕事始めです。幸いKAZU君の両親は5日からお仕事ということで、少しだけKAZU君との時間が持てることになりました。

 4日の朝です。

  「ちょっと寒いけれど、電車を見に行こう」 大喜び
    

  「この赤い電車が京浜急行だよ」
    

  「横須賀線には、二階建てのグリーン車があるんだ」
    


 小一時間ほどで我が家に戻ると、もう明石へ帰る時間になっていました。「それじゃあ、東京駅まで一緒に行こう」ということで、横須賀線に乗りました。

  向こう側の電車を指さして興奮気味?
   

    車窓の風景も珍しいのかな
    

 ちなみに、このご洋服、私がコラボレートしたクリスマスプレゼントでした。配色といい、着こなしといい、実に素晴らしい!
(「ナントカバカ」とお笑いの方の顔が目に浮かびます。アッハッハ)


 東京駅でKAZU君御一行様を見送ったあと、天気が急によくなりました。母の部屋からちょっとだけ見えていた工事中の新東京タワー「スカイツリー」が気になって隅田川の河畔に出てみました。
   
 まだ200mくらいでしょうか、完成すると650mほどになるそうです。


     鮮やかに世代交代江戸の春   弁人


 川を渡ったところにあるおなじみのモニュメントのビルです。
   

 スカイラウンジの喫茶室でひと休み。さすがにアサヒビールのビル、平日なのにメニューの大半はやはりビールでした。
  それにしても、すばらしい眺望
   


     治水技家康公なら雑煮前    弁人


     


     東雲の空に描かむ初日の出   弁人


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