チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

我が家に戻る前のひととき

2009-12-29 15:46:23 | KAZU君
12月29日(火)

 保育園のクリスマス会で、サンタさんからプレゼントの絵本をもらって大喜びのKAZU君。ご挨拶も上手になりました。

  

 
    児喜びてサンタクロースの照れ笑ひ   弁人



 私は、このあとKAZU君と別れて、翌日のクリスマスイブの日に逗子に帰ってきました。何かと慌ただしい年末の日々、あっという間に一週間近くの時間が流れましたが、今回は、こちらに戻る前のKAZU君とのひとときをお伝えして、今年のブログ記事を締めくくりたいと思います。

 気持ちの良い日差しには恵まれませんでしたが、寒波が去って比較的しのぎやすい日になりました。
 寒風にさらされなければ、やはり、景色がいい、船も見える、電車が来る、滑り台もある、ということで、お散歩は大蔵海岸公園ということになります。

  歩道橋の上から
  

 ここは、8年前の花火大会の時に人が押し寄せて大惨事があったところです。それ以来花火大会は行われていませんが、ほんとうは、KAZU君のマンションも私のマンションも海が一望できるので残念でなりません。

  花が絶えることのない慰霊碑。その少女の像も冬模様
  

  歩道橋を下りると、花壇があって、目の前が海
  
  最近「海」も「船」も認識できるようになりました
  

  さっそくお気に入りの幅広の滑り台へ。景色も抜群
  
          
    

 でも、いちばん好きなのは、やっぱり「電車」なのです。音がすると一目散に走って行って、「デッシャだぁ!」と叫んでじっと見ています。
  

  砂場のそばに、もう一つ慰霊の像が
   

 これも同じ8年前のことでした。今度は冬に人口の砂浜が陥没して幼い命が失われたのです。
 実はこの場所、振り向くと電車の行き来がよく見えるのでKAZU君のお気に入りの場所になっています。


    冬凪の海を見る眼の穏やかさ   弁人


 KAZU君は元旦に逗子の家にやってきます。でも、事情があって、彼を抱き上げるのも、彼がおじいちゃんの膝に座るのも、その二日後の3日までお預けです。

   それでは皆様、よいお年を


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師走の寒波に完敗でした

2009-12-22 10:10:39 | KAZU君
12月22日(火)

 いやぁー、ここ一週間ほど、ほんとうに寒うございました。

    

 ずいぶん昔の話になりますが、スキーに夢中になった頃がありました。当時、「トウショウボーイ」という名馬がいて、よく引き合いに出されて、「・・・じゃあるまいし、オツムが凍傷になっているんじゃないか」とからかわれたりしました。
 その頃は、よく「クリスマス寒波」っていうのがやってきてワクワクしたものですが、12月の中旬に、こんなにすごい寒波が来るとは、ちょっと油断をしておりました。

 元気なのに、時どき「ゴホン、ゴホン」をしていたKAZU君、実はその風邪が私の喉元に居座って苦しい毎日。

  保育園からの帰りも重装備
  


    木枯らしの唸りの下の通園路   弁人


 ブログも、ぶつぶつとつぶやく記事を連続して載せてしまいました。ふとんの中にいると、思考も閉じこもりがちになるのか、落ち込む方向にばかり物を考えてしまって、カメラを手にするとか、一句ひねってみようかという気分にはとてもならないのですね。

 逗子の家に帰る日も近づいてきました。ちょっと早いけど、クリスマスパーティをと、プレゼントとケーキを用意しましたが、

  今度はKAZU君が重症に
  
   

  ケーキは冷蔵庫に直行、口にしたのは翌日でした。
  


    吾も児も風邪こじらせて林檎の頬   弁人


 さてさて、なんとか二人とも体調が戻ってきました。明日は祝日ですが、お父さんもお母さんも休日出勤でお仕事です。一日KAZU君とゆっくり遊んで、翌24日に逗子に帰ります。

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つぶやきNo.7「ジャンボ宝くじ」

2009-12-19 12:39:16 | つぶやき
12月12日(土)

 当たるわけがないのに、つい買いたくなってしまう「年末ジャンボ宝くじ」。テレビCMによると、200人以上の億万長者が生れるとか。

 ところで、売り上げの何パーセントが当せん金として還元されているかご存知ですか。

 財団法人宝くじ協会のHPに次のようなグラフが載っています。

  
 右の青の部分が自治体へ送られる分・左の朱色が当せん金
 ・下の緑が必要経費

 ギャンブルの代表格は競馬でしょうか。その還元率が75~80%と聞くと、宝くじの還元率がずいぶん低くなっているということがわかります。

 競馬の収益金が畜産の振興に使われるのは置いといて、宝くじのほうはというと、よく「自治宝くじ」と聞くように、地方自治体の公共事業に使われているということです。いったいどんなところに使われているのでしょうね。とにかく、売上げの40%強、たんまりと吸い上げているのですから。

 特定財源という制度が最近変わったようですが、自動車税やガソリン税では足りずに道路関係にでも回しているのでしょうか。「宝くじ号」と書いてある移動検診車は見たことがありますが、いずれにしても、売るための宣伝はさかんにするわりに使途の紹介がほとんどありません。管轄は昔の自治省だから今の総務省です。もしかすると、役人が天下っている機関ががっぽりとせしめていたりして。こういうことが冗談に聞こえないとしたら、本当にひどい時代になったということです。

 ちなみに、文科省が管轄しているサッカーくじ「toto」は、スポーツ振興を目的としていますが、天下りの役員の報酬を優先しているので、ほとんど補助ができていないということです。
 先般の、来年度予算要求に対する事業仕分けのあと、スポーツ選手が会見を開いて抗議していましたが、まずは、間違った構造を変えることのほうが先決のような気もします。


 さて、宝くじ事業を規定している法律「当せん金付証票法」の第一条には、次のように目的が書かれています。

「この法律は、経済の現状に即応して、当分の間、当せん金付証票の発売により、浮動購買力を吸収し、もつて地方財政資金の調達に資することを目的とする」

 浮動購買力というのは、自由に使えるお小遣いくらいの意味でしょうか。つまり、「国民のポケットにある自由なお金を地方財政のために吸い上げましょう」というようなことですから、還元率が低いのも当たり前ということなのでしょう。
 そんなことも知らずに、一攫千金を夢見て、なけなしの小遣いを吸い上げられている庶民、私も含めてなんと哀しい構図でしょうか。

 実は、前々から気になっていることがあります。それはジャンボ宝くじの宣伝です。

 以前は所ジョージが登場していたテレビコマーシャル、今は西田敏行のなんとも派手な映像が流れます。時々ならまだしも、たまにつけたテレビ画面に次々と登場してくると、さすがにあきれてしまいます。

 私が見るテレビはスポーツ番組が多いのですが。

 先日の日曜日に行われた「福岡国際マラソン」のテレビ中継は、最近まで「年末ジャンボスポーツスペシャル」と銘打って放送されていました。国際大会と銘打っている、日本国内では歴史も知名度もナンバーワンのマラソンレースです。そのレースの選手の胸に、公益とはいえギャンブルの宣伝の文字が貼りついているという、なんとも滑稽かつ不快な光景。まあ、今はなくなったのでホッとしていますが。
 先月末に高知で行われた「カシオワールドオープンゴルフ」に「年末ジャンボ」の文字が出てきました。スポンサーになってCMも流れていました。ちょうど石川遼クンが賞金王に王手をかけていた試合で、視聴率もかなりの中継でした。
 他にもあったような気もしますが。

 初めに示したグラフでは必要経費が14%となっているので、もちろんその範囲内での支出なのでしょうが、そんなに大々的にキャンペーンを張らなくても、知名度は高いし、フトコロに余裕がなくても夢を追う庶民はたくさんいるのです。それがギャンブルなのですから。
 宣伝費を抑え、その分を賞金に回して還元率を高くすれば購入意欲もアップするかもしれないのに。

 確かに、グラフの円の大きさを大きくすればするほど、つまり、売れれば売れるほど地方自治体の懐に入る分が増えるわけで、宣伝したくなるのもわからないではありません。しかし、動機は所詮、庶民の財布をターゲットにしたギャンブルです。そして管轄は公的機関。若者の視聴率も高いスポーツ番組や子どもも見るお茶の間のテレビに、有名タレントを使って煽るのはやめていただきたいし、そこで浮いた経費は還元分に回すべきだと思います。

 ついでに、ちょっとそろばんをはじいてみましょうか。億万長者が200人以上ということは、その部分だけで200億円をはるかに超える金額が賞金になります。1枚300円ですが、10枚に1枚は300円が当たります。つまり初めから10%は還元分です。それを含めて、いったい末等に至るまでの賞金額の総額はどのくらいになるのか、400億円を超えるのか、500億円くらいになっちゃうのか、やはり計算は無理でした。
 さて、その膨大な賞金額が実は売上げ総額の半分以下なのです。庶民のなけなしのお小遣いなんて、いとも簡単に吸い上げられちゃって、こんな金額になってしまうのです。どうりで、人気番組のスポンサーになっても痛くもかゆくもないはずでした。
 やっぱり、情けない。

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つぶやきNo.6「普天間問題で思うこと」

2009-12-17 15:24:28 | つぶやき
12月17日(木)

 9年前、初めて沖縄へ行った時、石垣島から乗った飛行機が30分ほどで那覇空港の上空に来たのに、嘉手納の管制の指示で着陸できず、さらに30分ほど上空を旋回していたことがありました。那覇空港はいわゆる「軍民共用空港」で、自衛隊との共同使用ですが、その離着陸は全て嘉手納の管制の指示下にあるということを知り、沖縄と米軍基地の問題を再認識させられました。

 最近、あまり沖縄へ足を運んでいません。前回は5年前の春でした。嘉手納基地と那覇空港のあいだにある普天間飛行場、その脇にある佐喜眞美術館を訪れたのはその時です。丸木位里・丸木俊夫妻の「沖縄戦の図」を見るのが目的で、それを果たしたあと、普天間飛行場が一望できる美術館の屋上に上りました。
 たまたまその日は飛行機やヘリの離発着がなく静かな飛行場でしたが、非常に奇異な感じで、宜野湾市民の生活圏が楕円形のドーナッツ状になっているのがよく見渡せました。

 美術館の南方にある沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落したのは、その数ヶ月後のことです。


 この飛行場の返還が日米で確認されたのは十数年前。その後まもなくその代替施設として辺野古の名前が上がったものの、反対運動はもちろん、知事の交代などもあり、現在に至るまでほとんど進展していません。
 ところで、最近の報道では、さかんに米側から合意の実行を迫られているということですが、アメリカの都合として考えられることは、滑走路の老朽化に対する不満、それに日本の意を酌んだ形になっているグァム移転に関する予算編成上の問題というところでしょうか。
 しかし、よく考えると、アメリカとしては普天間を今のまま使いながら海兵隊を順次グァムに移せばよいのですから、このまま移設が進まなくても痛くもかゆくもないはずなのです。
 つまり、前政権が約束をした日米合意をどう扱うかという外交問題を抱えてはいるものの、基本的には日本国内の問題なのです。

 政権が交代しました。その新しい政権が宜野湾市民の生活の安全を期して普天間の返還を実現し、辺野古の自然を守るために新たに代替地を考えるという姿勢はそんなにおかしいことなのでしょうか。問題は一度約束したことを変更することで、この交渉にはそれなりの軋轢が生じることは当然でしょう。しかし、体制が180度転換して、一方的に「出て行け」と言っているのではないのですから、多少の困難があっても、ここはきちんと外交交渉をしてほしいものです。

 ところが、最近のメディアの姿勢、マスコミの論調を見ると、「そんなことをしていたらアメリカが」という、日本の大事なところは全てアメリカの掌中に収められているかのような報道が多く、いたづらに国民の不安をあおっているような気がしてなりません。
 きちんと納得できる着地点を模索してほしいのに、なぜそんなにアメリカに対して臆病にならなくてはいけないのでしょうか。

○ アメリカが日本を守っているから
 日米安保条約で日本人の安全が守られている? たしかに米軍が日本にいることが抑止力になっているのかもしれません。しかし、米軍が日本にいるのは、あくまで極東地域での戦略の一環であって、日本を守るというのは二義的・三義的なものでしかないのです。海兵隊のグァム移転も日本の要求を酌んだものではなく、あくまでも極東の兵力の削減計画によるものなのです。

○ 北朝鮮の核ミサイルが
 万が一そういうことが起こるとすれば、それはまさに北朝鮮が断末魔の状態に陥った時で、常識的には、国際社会を敵に回して無謀な行動に出ることは考えられないのです。もちろん、考えられないことをするのが北朝鮮という脅威論もありますが、その時に本当に米軍が迎撃できるのでしょうか。どのように防ぐのかというのは機密事項の領域なので真相はわかりませんが、アメリカが太鼓判を押して阻止してくれるのだという話は聞いたことがありません。

○ 日本の安全って?
 政治家がよく、「国民の生命と財産を守る」と言います。そのために「思いやり予算」を正当化したり「防衛費の増額」を図ったりしますが、それで本当に私たちの生命と財産が守られているのでしょうか。
 昔の話と言えばそれまでですが、太平洋戦争を振り返れば、ヒロシマ・ナガサキの原爆、各地を襲った大空襲、オキナワの地上戦、みな庶民が犠牲になっています。それに対して、戦争犯罪で裁かれた人や権力闘争で抹殺された人を除けば、国家の中心にいた人はほとんど犠牲にはなっていません。
 ベトナムもカンボジアもアフガンもイラクも、辛酸を舐め犠牲になるのは、そのほとんどが一般市民なのです。今の日本は戦下ではありませんが、不況による自殺者の増加、失業、収入の低下、税金の無駄遣い、国債発行による借金。とても「国民の生命と財産」が守られているとは思えません。もしかすると、国家が守る「国民の生命と財産」というのは違う意味があるのかもしれません。

○ アメリカの本音
 中国や韓国に対しても同様でしょうが、戦争を放棄している日本が、防衛のためとはいえ、軍備を強化して核を保有しようとする方向に進むのはとても困ることなのです。大事なのは、日本人に日本はアメリカの傘の中にいるという安心感を持たせることなのです。だから「日本が言うことを聞かないのなら云々」というのは外交上の圧力にはなっても、もう面倒は見ない、引き上げる、見捨てるということにはならないでしょう。


 昨日のニュースによると、鳩山首相は辺野古以外に代替地を模索すると報じ、私はほっとしましたが、ニュースではどのチャンネルも、そのあとに、米側の反発が必至とか、怒りを通り越してあきれられるだろうという懸念を訴えていました。ちょっと卑屈すぎませんかね。
 そんな風潮の中で、鳩山首相に対しては、優柔不断ではっきりしない、頼りないという評が専らですが、ここは彼の焦らずに信念を貫くという頑固さに期待したいと思っています。


 聞くところによると、国会で沖縄選出の下地議員が、例えばの話で、関空の名を出して県外への移設を主張したところ、元官房長官の町村議員が「関西の人に失礼だ」「持ってこられた県がかわいそうだ」と野次を飛ばしたということです。この人は沖縄なら失礼でなくかわいそうではないとでも思っているのでしょうか、信じられません。

 ところで、関西では、伊丹・関空・神戸の三空港問題がよく取り上げられます。大阪の橋下知事は上の前官房長官とは対照的に「関西でという話があれば話し合うのはやぶさかでない」と発言し、「沖縄県民の負担軽減は全国民レベルで考えなければいけない」という姿勢を表明しました。さらに神戸空港なんかもという話も出て、神戸市長が抗議する状況もありました。ふだんから橋下知事は目立った発言が多くてよく物議を醸しますが、この件では視野の大きさという点で知事に分がありそうです。

 実は、関西には米軍基地がないのですが、こういう話は関西に限らないのです。JALの問題でも浮き彫りになりましたが、日本は空港を作り過ぎたきらいがあって、使用率の低い滑走路がたくさんあるのです。

 普天間飛行場の滑走路は2700mです。しかし当初の移設案では、普天間はヘリコプターの利用が主で、代替地の辺野古には滑走可能な1300mのヘリポートを建設するという話だったのです。ところが、それがいつのまにか1800m2本ということになっています。米側の要求と日本のゼネコンの利権がかみ合ったのでしょうか。もしかすると、辺野古の工事が中止になっていちばん困るのは大手ゼネコンとその利権に絡んでいる業者なのかもしれません。

 そろそろ話をまとめましょう。冒頭の那覇空港の例と同じように、日本にはいわゆる軍民共用空港がいくつも存在しています。そのほとんどは自衛隊と民間機との共用ですが、福岡空港や長崎空港などは米軍が利用しています。また、自衛隊単独の飛行場も存在しています。宮崎県には2700mの滑走路を持つ自衛隊基地もあります。
 つまり、全国の飛行場を自衛隊基地を含め、共用も視野に入れて整理して行けば、新施設を作らずとも、普天間に代わる場所は作り出せるはずなのです。それに極東の米軍配置は縮小の方向に向かっているのです。共用と言っても半永久的にということにはならないでしょう。そういうことを踏まえて、今、大切な自然を破壊してまで新滑走路を作る必要があるのかと考えると、答えは簡単だと思うのですが。

 アメリカは大国です。日本の一軍用施設の移設が遅れているということで、本当にけんか腰になるのでしょうか。アメリカでは、普天間問題は新聞の記事にもならないほどの話題であり、一部の政府関係者・軍事関係者を除けば、ほとんど関心を持っていないというのが現実なのです。


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週明けからの楽しみ

2009-12-12 21:39:02 | KAZU君
12月12日(土)

 クリスマスも近くなってきて、いよいよ冬本番ですが、まだ夕方の冷え込みがそれほど厳しくないので助かっています。
 とは言っても、日の暮れるのが早いので、やっぱり保育園の帰り道は暗くて寂しい。

 最近はXmasのイルミネーションを飾っている民家が増えてきました。
  KAZU君も指をさして「アヤ、アヤ、」と目をパチクリ
  

  電車が通っても、車体の色がよく見えない
  

 さて、KAZU君、大蔵海岸のイルミネーションを見たら喜ぶかなと思って、ちょっと寄り道をしました。
  日もとっぷりと暮れた17時半過ぎ
   

  電車が来ると、やっぱり「デッシャ、デッシャ」と
  

 ほんとうは、さっき二人でこんなにきれいな花の下を歩いてきたのですが、花の好きなKAZU君も暗くて気づいてくれません。
  サザンカ
  

  ランタナ
     

 さっき、「保育園から明るいうちに帰れる日が早く来ないかなぁ」と思って、日の入りの時刻を調べたところ、なんと、昨日の金曜日を境に日脚が延び始めているのです。
 これから寒くなるというのに、もう春に向かっているところを見つけてうれしくなりました。

 気は持ちよう、これからは日ごとに夕方が明るくなるのです。週明けから少しウキウキした気分で保育園へ迎えに行けそうです。


    吾と児を冬花見下ろす夜道かな   弁人


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KAZU君も光の世界へ

2009-12-08 12:40:26 | KAZU君
12月8日(火)

 一昨日の日曜日、マラソンのテレビを見たあと、淡い日差しの中、KAZU君のマンションへ行きました。
  久しぶりの裏山の道、初冬を彩るハゼとエノキの葉
  

 今日のお出かけは車ではありません。
  駅まで歩いて大好きな「デッシャ」に乗るのです
  

  目的地は師走恒例となった「神戸ルミナリエ」
  

 JR元町駅で下りて2号線を渡って行列に並びました。幸い、日曜日の夕方にしては比較的人が少なかったようです。なにしろ混んでいる時は列の最後尾が三宮まで伸びてしまうということでした。それでも入り口にたどり着くには、元町からいったん三宮まで進んで再び元町の大丸デパートのところまで戻らなければなりません。
  この日は30分ほどで光の世界の入り口に
  

 今年は14日(月)までということで、期間はとても短いのです。どうも、クリスマスの時期になると、あまりに多くの人が押し寄せて危険なので避けているもようです。隣接する市の明石海岸での花火大会の事故の影響がこういうところまで及んでいるのかもしれません。
  写真を撮るのも一苦労
  
 
  それでも、光のトンネルを進み始めるとそんなに混んでない
  

  途中の交差点では、KAZU君も歩き回れる
  

 年末には「東京ルミナリエ」もあるようですが、神戸は単なる光の祭典ではありません。震災の犠牲者の霊を追悼し復興を願う目的で、震災のあった1995年から始まった行事だということを忘れてはいけないのです。

 アーチをくぐり抜けた先の大きなイルミネーションは、1月17日の震災記念日に「慰霊のつどい」が行われる広場に飾られています。
  KAZU君にはまだ黙祷は無理かな
  



    鎮魂の祈りを胸にルミナリエ   弁人


 三宮は人でいっぱいだったので、KAZU君の大好きな「新快速電車」で明石に戻って夜ご飯を食べました。

  



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背中の銀杏が笑っているかも

2009-12-04 15:55:40 | 明石風物
12月4日(金)

 銀杏(いちょう)の葉がようやく落ち始めました。

  KAZU君のマンションの玄関側から見下ろしたバス通り
  

 銀杏の葉が落ちるのがほんとうに遅くなりました。子どもの頃は11月の中頃、ちょうど七五三の頃には地面が黄色になっていた記憶があります。

 ところで、一昨日、調べたいことがあって図書館へ行きました。場所は明石公園内、北東の丘の上にあります。
  図書館の前の銀杏も実に鮮やかです。
  



    図書室の窓に落つるや銀杏の葉   弁人


 実は、明石の図書館、駅から公園に入ってかなり歩かないと着きません。それに石段もたくさん登って、お城のやぐらのそばを通って、そう、15分位はかかるでしょうか。夏だったら大汗です。散策気分で行かないとちょっとしんどい。
 自転車で来る人も多いようですが、坂があるし石段は無理なので、一般道を迂回しなければなりません。やはり車かバイクでないと気軽には行けません。

  駐車場は完備していて、1時間まで無料
  

 しかし、調べものがあってここに来て1時間というのはかなり短い。1時間を超えると駐車料は500円になります。

 それにしても、誰でも手軽に利用できなければならない公共施設なのに、どうしてこんなに不便なところにあるのでしょうか。車に乗れない年配者もたくさんいるのに、とても気軽に利用できる立地とは言えません。
 館内に食堂があるので食事はとれますが、9月に来た時は、昼に駅へ下りたら戻る気になれませんでした。それで天気のよい日に、公園でお弁当を食べて昼過ぎに行ったりしました。

 ところで、先ほどの銀杏の前の階段を上ると、奇妙な光景が。
  

  左の階段の上に兵庫県立図書館の入り口
  

  同じ建物の右側に明石市立図書館が
  

 入り口は別。中の行き来もできません。双方に閲覧室があり、もちろん開架式の書架もそれぞれに完備しています。当然、同じ本もあります。

 「なにこれ珍百景」に出すほどではありませんが、初めて来た時はかなり面食らいました。中で行き来できるものと思って市立のほうに入ってみると、なんと全く別々だったのですから。雨の日などは一度傘をさして外を歩かないと、もう一方のほうへは行けません。
 閲覧室は、県立のほうが広くゆったりとしていてとても静かです。市立のほうは児童閲覧室もあって庶民的、人も多く書架の間隔も狭くて、やや雑然としていますが、こっちのほうが落ち着くという人もいるのかもしれません。

 でも、一ヶ所に二つの図書館が併設されているというのは、やっぱりおかしいと思いませんか。それもこんな不便な場所に。

 もう一つ、図書館の裏の駐車場の脇にサッカーゴールが置いてある競技場があります。第3コーナーから第4コーナーにかけては観客席もあります。
  

  競技場入り口の建物の表示
  

 そうです。ここは「自転車競技場」なのです。よく数人の選手が競技用の自転車を走らせていますが、私はまだ、他の競技で使用しているところを見たことがありません。この施設も無駄っぽくて、いつも、もう少し有効な利用方法がないのだろうかと思いながら眺めています。数年前に兵庫で「のじぎく国体」というのがあったので、きっと、その遺物なんだろうと思っていましたが、実はそうではありませんでした。
 その昔、ここは明石競輪場だったのです。調べたところ、1950年から61年までの10年余りのあいだ開催されていたということで、ずいぶん昔のことですが、走路は今でも残っているのです。もちろん国体にも使われたということでした。
 きっと競輪場だった頃は、駅からバスでも出ていたのでしょう。今年、明石駅周辺を一回りする「ちょいのりバス」というミニバスができて、図書館裏にもその停留所があるのですが、なんと、金・土・日だけの運行で平日は来てくれません。

 さて、図書館の話に戻りますが、競輪の開催がなくなったあと、観客席の跡地に建設されたとのことで、両図書館ともに1974年に同時に開館しています。

 だいたい県立図書館が県庁所在地にないというのも珍しいと思いますが、いったい、当時の県や市の役人が「図書館」というものにどういう認識を持っていたのか、というより、県立の公園の中とは言え、こういう立地に図書館を並べて設置するという見識のなさにあきれてしまいます。まさか市が県に地代を払ってるなんてことはないでしょうが。

     本求め運動不足を解消し   弁人


 図書館の正面にある銀杏の木は、はたして泣いているのか笑っているのか、競技場の件も含めて、私にはちょっと滑稽に見えて哀しくなるお話でした。


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