チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

楽しみにしていたクリスマス

2011-12-26 19:19:28 | KAZU君
12月26日(月)

「クリスマスにおばあちゃんが来るって。よかったね」
「おばあちゃん、カーくんちにおるかなぁ、もうクリスマスやもん。今日、保育園でサンタさんの絵書いたで。ほらクリスマス、キラキラしとるやん」

  保育園からの帰り道の、明石人丸教会の灯り
  

「そうか、でもあと何回か保育園に行くと、本当のクリスマスの日になって、保育園にもサンタさんが来るんやで」

 先週はそんな会話をしていましたが、そのKAZU君、楽しみなクリスマスを前にして風邪で体調を崩してしまいました。
 それでも、保育園にサンタさんが来る日は午前中だけ登園して、絵をはめ込むパズルのプレゼントを直接手渡してもらうことができて大喜びでした。

 その翌日の23日。一日早いのですが、
「今日の夜はクリスマス会をしようね、おうちにもサンタさんが来るといいね」
「カーくん、『京成スカイライナー』欲しいねん、おじいちゃん、頼んどいてな」
「そうか、それじゃ、ちゃんと寝んねして風邪を治しちゃおうか」

 とは言っても、天気がいいのに、おうちの中でじっとなんかしていられません。「熱もないし、三連休なのでいいかな」ということでお出かけです。

  大好きな電車に乗って、どこへ行こうかな
  

 KAZU君、電車を降りると、
  必ず車掌さんに手を振ってお別れをします
  
 車掌さんんも、子どもが手を振っていると、ちゃんと手を振って応えてくれます。
 そう、貨物列車の運転手さんも、沿線から子どもが見ていると、窓から手を出して振ってくれることがよくあるので、KAZU君も自然と礼儀正しく手を振る習慣が身に付いたのかもしれません。

  この日も、お気に入りの新長田の鉄人28号広場の若松公園
 
  
   

 公園から帰ってお昼寝をしているうちに、やがてクリスマス会の夜になりました。
 おうちで、手作りのクリスマスケーキを作ろうということになり、

  KAZU君も楽しそうにクリーム塗りやいちご乗せに挑戦。
  

 その後、サンタさんからのプレゼントを開けると、
  なんと「京成スカイライナー」が出てきました。
   

  KAZU君の、何とも言えないうれしそうな表情
   

  最後は手作りケーキを平らげて
   

 ご機嫌のKAZU君、この後、おじいちゃん・おばあちゃんと上手にお別れができました。


   寒空に映る星座も児の笑顔   弁人


 その翌日、前夜のKAZU君のうれしそうな笑顔に後ろ髪を引かれながら、お正月の再会を楽しみにして新幹線に乗り込みました。

  まさにクリスマス寒波到来。関が原付近
  

  関東方面はとても良く晴れていて
  

 富士の雄姿に来年の幸いを祈って、逗子の我が家に帰りました。

   それでは皆様、よいお年をお迎えください。

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「水都大阪」を彩るイルミネーション

2011-12-22 16:00:08 | お出かけ・散策
12月22日(木)

 師走もだんだんと押し詰まってきて今日は冬至。でも、夕方の日脚は少しだけ延びてきて、17時過ぎの保育園もわずかに明るくなりました。

  それでも、寒さの本番はこれからのようで
  

 ところで、先週末に「春日のおん祭」見物で奈良へ出かけているあいだに、KAZU君も風邪を引いてしまって保育園を二日ほどお休みしました。

 そんな中、クリスマスももう間近なので、KAZU君は何が喜ぶかなと、夕方に大阪へ出かけましたが、水の都もこの時期はイルミネーションで賑わっていました。

  中之島は、堂島川に架かる「渡辺橋」
  

  中之島中央にある大阪市役所
  
 大阪のイルミネーションの中でも、最も代表的で人気のあるのが、この市役所から始まる中之島の東側の「OSAKA光のルネッサンス」と称した光の祭典です。

  正面ツリーの下のシャンデリア
  

  土佐堀川沿いの光のアーチを進みます
  

  ネオバロック様式の柱が印象的な大阪市中央公会堂
  
 正面の壁面に「ウオールタベストリィ」という映像が映されて観衆をうならせます。

  東に向かって難波橋を潜っても、なお会場は続き
  

  ここは中之島公園の東の端のバラ園です
  


   光冴ゆ水の都の師走かな   弁人


 人の流れに沿って再び市役所前に戻り、淀屋橋から御堂筋のいちょう並木を南のほうへ目を向けると、心斎橋駅のある長堀通りまで延々とイルミネーションが続いているのです。

  本町までは、いちょうのイエローを基調に
  

  本町の先は「御堂筋コーラル」(珊瑚色)の光が
  


 「大阪光の祭典」は「大阪・関西から元気を」をスローガンにしていますが、市役所周辺の「光のルネッサンス」が大阪市を核とした組織が運営しているのに対して、「御堂筋イルミネーション」のほうは大阪府が中心となって催されているようです。


 「せっかくだからずっと歩いて、食事は道頓堀で」と、イルミネーションの先は心斎橋商店街を歩いて、とうとう難波まで御堂筋を踏破してしまいました。


   冬の夜に商都の意気や御堂筋  弁人

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今年も「春日若宮のおん祭」へ

2011-12-20 22:32:24 | 旅行
12月20日(火)

 「おん祭」は、昨年の12月15日の夕方から17日の深夜まで、ほぼ全体にわたって堪能したつもりでしたが、見学最終日の「お旅所祭」の夕方から半時余り食事に出ていて、最後の「舞楽」のかなりの部分を見逃していました。

 どうもその時に、「来年は17日の夕方から始まる『舞楽』のところだけはちゃんと見に来よう」と呟いていたようで、12月に入って、奈良にいる妻君から「防寒対策を万全に」というお誘いの連絡が来ました。

 そして17日の土曜日。この日は皆既月食の満月の日からちょうど一週間、冬型の気圧配置の上、月も無くしんしんと冷え込む宵となりました。

【※ 今回の記事は、昨年の「おん祭」の記事の続きのようなものですので、祭りの流れなどの説明は省きました。「おん祭」全体のことは、昨年の12月20日と21日の記事に載せてありますので、不明の点があれば参照して下さい】


 さて、この日は早めに夕飯を済ませ、まだ時間はありそうだと、時間延長をしている国立博物館を覗いて、とっぷりと日の暮れた頃合いに「お旅所」に行ったのですが、今年は「東日本大震災」と「紀伊半島南部の大水害」の復興祈願を行うということと、その関係か、演目が例年の十一曲から十三曲と多くなっていて、「舞楽」の開始が1時間ほど早まっていました。

 席に着いた時は、すでに最初の演目の「振鉾(えんぶ)三節」の舞が終わって、二番目の「萬歳楽」が始まっていました。
 そして三曲目の「延喜楽」、さらに「賀殿(かでん)」「長保楽」「甘州」と続き、

  19時頃のお旅所の景と、七曲目の「敷手(しきて)」の舞
  
   


   オリオンも観客となる神遊び   弁人


 その昔、大陸から伝わり、現在では日本にしか残っていないと言われる古い舞楽。やがて、我が国固有の文化である「能」や「浄瑠璃」、そして日本の各地に伝わる民俗芸能や神楽の元となって行くのですが、その貴重な舞には、中国・インド・ベトナム方面の南の方から伝来した「唐楽」とも言われる「左舞」と、朝鮮や渤海方面の北方から伝わった「高麗楽」とも言われる「右舞」の二系統があるということです。
 途中で、「和舞(やまとまい)」という、風俗舞の時間が別に入りますが、演じられる十三の舞楽のうち、一曲目「振鉾三節」の左右両方の舞人二人の舞の後は、「左舞」「右舞」のそれぞれ二曲が対になって、都合六番十二曲の舞が演じられて行きます。
 対になっている演目の舞は「お旅所祭」に先立って行われた「お渡り式」の「競馬」や「流鏑馬」の勝敗によって、それぞれ順番が決まったり、勝ち方の曲だけが舞われたりする決まりがあったようですが、今年は「競馬」で左方が勝ったので、二番目の「萬歳楽」から最後の「落蹲(らくそん)」まで、それぞれの対が「左舞」「右舞」・・・・の順で進んで行くとの説明がありました。

 お旅所に入ると、左右に「鼉太鼓(だだいこ)」という大きな火焔太鼓?が置かれ、舞に合わせてなんとも力強い音を響かせます。

  「右舞」の時は左側、つまり、若宮様からは右側の太鼓が使われます
  

 南方から伝わった「左舞」は朱系統の色合いの装束ですが、北方の「右舞」は緑色を基調にした淡い色彩が特徴です。したがって、最初の写真の「敷手の舞」は「右舞」ということになります。

  21時を過ぎました。十曲目の「散手(さんじゅ)」(左舞)
  

  続いて、これも鉾を持った一人舞の「貴徳」(右舞)
  


   凍てつく天突き裂く気合やおん祭  弁人


  「左舞」の最後は、力強い所作が印象的な「抜頭(ばとう)」
  

  いよいよ、最後の演目「落蹲(らくそん)」(右舞)もあとわずか
  

 終演は22時20分。5時間くらいでしょうか、簡易カイロを手に震える手でシャッターを切るという状態で、きれいな写真など望むべくもありません。

 ところで、20時半頃の八番目の舞「蘭陵王(らんりょうおう)」が代表的な舞楽として人気があるようで、その後に観客が少し帰途についたようです。でも、個人的な感想を言うと、昨年も感動しましたが、やはり圧巻は最後の二曲でした。12番目の「抜頭」の力強い迫力、続く二人舞の「落蹲」の幻想的な雰囲気に今年も寒さを忘れて魅了されてしまいました。

 すべての演目が終わると、「還幸の儀」を前にして、やがて篝火の火も落とされ、春日の森に漆黒の闇が訪れますが、今年は、若宮様がお帰りになる前にお旅所を後にして帰りを急ぎました。
 駐車場に着いたのは23時前。天空には冬の星座がまたたき、車にはうっすらと霜が降りて窓も凍りつき、なぞると指先が滑る状態になっておりました。


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めったに見られない「車両と駅名」

2011-12-14 15:08:01 | 鉄道
12月14日(水)

 KAZU君だけでなく、鉄道の本を見ている子どもたちがみんな知っていて、一度は間近に見てみたいと憧れている新幹線の車両をご存知ですか。

  ドクターイエロー
  

 新幹線の「保線検測作業車」です。上り下りとも10日に一回くらいの運行で、その筋の方は運行時刻を予測しているらしいのですが、実際に出会うことはまずありません。

 年に10回近く新幹線で往復している中で、一度だけ黄色の車体とすれ違ったことがありました。まったく一瞬のことだったので気にも留めませんでしたが、新幹線を度々利用していると、やはり出会うこともあるもんですね。その機会が突然やってきました。

 9月の初めに明石に戻る時、新横浜駅のホームで「回送列車」という案内放送があって、東京方面に目をやると、遠くから来る列車がたしかに少し黄色っぽく見えたのですが、まさか「ドクターイエロー」とは思わずに売店のほうに気をとられていたのです。ところが、カメラを手にした数人の人がホームを走っているので振り返ると、ほんとうに「ドクターイエロー」が来ちゃったのです。咄嗟のことでキャリーバックからカメラが出せず、ケイタイで撮影した次第です。

 実はこの車輛、おもちゃ屋の「プラレール」の所に必ず置いてある大人気の新幹線ですが、実際に目にすることは難しく、もし写真を見せると「かークンも見に行く!」という声が聞こえてきそうなので、KAZU君にはまだ見せていないのです。

 ところで、話は数日前のことになります。車で買い物に出た時、山陽本線のガードをくぐる道に入ろうと信号待ちをしていた時に、突然黄色い列車が向かって来るのが目に入りました。
 たまたまカメラを持っていたので、後方の車の迷惑も顧みずハザードランプを点けながら信号を左折して撮影しました。

  JR西日本の保線作業車「キヤ141系」
  
 「ドクターウエスト」と呼ばれる列車で、こういう類の車両に出会うというのも、やはりめったにないことのようです。


   イエローに幸ひを期す師走かな   弁人


 さて、話題が変わって、

 この前、奈良の桜井からJRで天王寺へ向かった時、ちょっと珍しい駅名に出会いました。

  その名は「JR五位堂(じぇいあーるごいどう)」駅
  
 奈良県なので、歴史のあるお寺でもあるのかと思わせる名前ですが、どうも、この地を開いた大伴金村の末裔であった人が「五位堂」と呼ばれていて、それが地名となったようです。
 
 それはさておき、数百メートル離れた所に近鉄大阪線の「五位堂」駅があります。近鉄の駅は昭和の初めに開業した古い駅ですが、JRのほうは2004年開業の新しい駅で、そんな事情で駅名に「JR」という名称が付いているのでしょうか。

 ふつう、私鉄とJRの駅が近くにある場合、私の地元神奈川でも、「京急鎌田」「京急久里浜」というように、私鉄の駅のほうにその鉄道の名称が付いています。

  たとえば明石でも、JRは
  

  対して、山陽電鉄のほうは
  

 という具合です。ほかにも「山陽須磨」駅、「山陽姫路」駅などがあります。

  山陽電車の「山陽垂水」駅
  

 京浜急行の場合、「京急・・・」となるのはJRの駅と離れていて、「品川」や「横浜」のように駅舎が一緒になっていると、同じ駅名になっています。そう、奈良の桜井もJRと近鉄が同じ駅舎にありますが、両方とも駅名は「桜井」です。

  近鉄線の桜井駅
  

 ところが山陽電鉄では、たしかに「須磨」「魚住」「姫路」は駅が離れているのですが、「垂水」と「明石」は同じ駅舎にホームが並んでいるのに「山陽・・・」という名称になっています。

 それはいいとして、ちゃんと調べたわけではありませんが、私の知っている限り、頭に「JR」と冠している駅名が他に全く思い付かないということは、「JR五位堂」駅というのは、めったに出会えない珍しい名称なのかもしれません。

  10月に出雲へ行きましたが、JRの駅舎は
  

  一畑電鉄のほうは「電鉄出雲市駅」と
  

 両方ともに会社の名称が付いていると興味を持ったのですが、JRのホームの表示は、やはり単に「出雲市」となっていました。


 ところで、駅伝のスタートの最寄り駅は「出雲大社前」という名前なのだから、市役所に近い駅とはいえ、「出雲」駅・「電鉄出雲」駅というふうに「市」は付けなくてもいいのではないかと、よそ者が勝手な感想を持ったのですが、次回はそんな話題を記事にしたいと思っています。

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「皆既月食」にお付き合い

2011-12-11 22:37:31 | 身辺雑記
12月11日(日)

 昨夜の「皆既月食」、おかげさまで十分堪能することができました。

 秋から明石天文科学館の「シルバー天文大学」に出ていて、月食のお話もよく聞いていたものですから、もし天気が良かったらなんとしても観察しなければと思っていました。
 昨日は冬型の気圧配置の寒ーい一日になりました。こちらは関東地方と違って、冬型になると西よりの風が瀬戸内海から大阪湾を経て生駒葛城山系へ吹き上げるものですから、どうしても雲が多くなって、午後からは俄か雨も降るという一日になりました。

 月食の開始は21時半頃。20時頃にベランダに出ても上空は厚い雲ばかりで、「こりゃあかん」とあきらめかけていたのですが、21時を過ぎた頃には雲も薄くなって満月が雲の中を泳ぐように見え隠れしていました。

  いよいよ欠け始めました
 

  およそ10分後
 

  ちょっと気を許していたら
 

  冷え込んでいましたが、急いで眺望の良い所へ行きました
 

  23時を過ぎて「皆既月食」となりました
 

 月のすべてが地球の影に入るといっても、月の姿が消えるということではなく、なんとも幻想的な薄赤い色合いです。


   月や今淡き光の特等星   弁人


 実は、皆既月食の時の注目は「ほのかな色合いの月の姿だけではなく、突然輝きを増して来る星空と、運が良ければ見えるかもしれない双子座流星群の流れ星」という話を天文科学館の先生からお聞きしていたので、丘の上の平らな所に20分ほど仰向けになっていました。

 流れゆく雲もそんなに大きくなくて、月と木星の間の少し南だったでしょうか、スバルの星雲もかなりきれいに見ることができました。
 流れ星もいつ視界に入っても大丈夫なように、願いごとを口ずさみながら星空を見上げていましたが、残念ながら寒さに堪えかねて部屋に戻りました。


   月喰はれきらめく冬の星座かな   弁人


 それにしても、小型のデジカメで星空を撮影するのは難しいですね。オリオン座くらいは撮れるだろうかと何回もシャッターを切ったのですが何も写っていませんでした。肉眼のすばらしさを実感させられた次第です。

  部屋に戻ってホッとしていたら
 
 月食もほぼ終わって、満月に近い明るさに戻っていました。

 冷え込んでいる時にカメラ持って何回もベランダに出たり、坂道を登って行ったりしましたが、なにせ、冬の月は太陽と反対で天空の高い所に輝いているので、首が少々お疲れ気味になってしまいました。

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明石にも、ようやく冬の訪れが

2011-12-07 21:32:37 | 明石風物
12月7日(水)

 11月の末から一週間ほど逗子に帰っていました。明石に戻って、関東のほうが少し気温が低かったかなと思いつつも時々ストーブのスイッチを入れたりしていますが、やはり温暖化は確実に進んでいるようで、銀杏の葉の色づきも確実に遅くなっています。

 とか思いながら、久しぶりに明るい時間にKAZU君のマンションへ行くと、

  眼下の銀杏並木がきれいに色づいていました
  

  「やっと秋も深まったか」という感慨にひたって
  

  明石駅前のお掘り端へ行くと
  
 なんと、冬を告げるユリカモメが北の国から到着していました。暖かそうな羽を持っているのにもう関西まで飛んでき来ちゃったということは、すでにカムチャッカのほうは厳寒の季節が到来しているのかもしれません。

 そういえば昨日、窓の外から
「雪やこんこ、あられやこんこ、降っても降ってもなお降りやまぬ・・・」
という歌が聞こえてきました。冬になると、明石の町に灯油を売りにトラックがやって来ます。そのトラックのスピーカーから流れて来るのです。


   冬の香が目にも耳にもしのび寄る  弁人


  明石公園の西側のお掘り端の道も鮮やかな輝き
  
 どうも、クヌギやアベマキの紅葉のようです。

  公園の真ん中にある桜堀もきれいに色づいていました
  

  マガモのご夫婦でしょうか
  
 寒いのか温いのか、近づいてもお構いなくじっと目を閉じてオヤスミしていました。


   僅かなる暦知るにや首すぼめ   弁人

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KAZU君、「鉄人28号」に夢中です

2011-12-01 08:44:23 | KAZU君
12月1日(木)

  神戸は新長田駅前にある若松公園
  

 もうすぐ17年目の震災忌を迎える阪神淡路大震災。その被害がもっとも大きかったのが長田地区です。
 この辺りも一面の焼け野原と瓦礫の山だったということですが、今やすっかり復興が成って、デパートやショッピングビル、そして大きなマンションが立ち並び、アーケードの商店街も活気に満ちて賑わっています。
 その一角に、繁華街としてはかなり広いKAZU君お気に入りの公園があります。

  なんといっても、遊具が楽しい
  
  
   

 おすべり台の向こうに後ろ向きに立っているのが、ご存知「鉄人28号」の巨大モニュメント。
 全体像の写真は、今年も去年も1月の「震災忌」の記事に載せたので割愛しますが、震災の苦難から立ち上がり、復興を成さんとする力強い意志を如何なく表現したモニュメントです。

  KAZU君も鉄人の「がんばるぞ!」のポーズが得意です
  

 休日の半日ちょっとのお出かけに、大好きな電車に乗って時間はちょうど良い15分ほど、公園は駅のすぐそばにあって、多少の雨でも逃げ場はたくさんあるし、レストランや大好きなラーメン屋さんも並んでいて、連れて行く大人にとってもKAZU君にとっても実に好都合な条件が揃っています。

  私が好きなのは「琉球ワールド」
  
 沖縄料理のレストランだけでなく、沖縄の物産なら泡盛はもちろん何でも買えます。フロアの広さは横浜の鶴見にある沖縄物産センターの10倍ほどあるでしょうか、好物の「海ぶどう」なんかも置いてあって、ここへ来ると、晩酌のことを考えながらルンルン気分で帰ることになります。

  鉄人によじ登ることはできないけど、力強さを体感
  

 最近は週末が近づいて来ると、「かークン、鉄人行く」と興奮気味に話します。「ドライブに行こうか」「動物園は?」「プラネタリュウムに行くとシゴセンジャーおるで」「水族館面白そうだよ」と誘っても、答えは「テツジーン!」というハマりようです。

 鉄人広場では、休日になると大概イベントが催されていて、特設ステージが設置されて、テントの出店が並んだりします。

  この日は、障害者支援の団体が車椅子列車を走らせていました
  

  消防署も広報活動を行なっていて、KAZU君も消防士になりました
  


   子の夢の視界の外や色づく葉   弁人


 とにかくここに来ると楽しいことがいっぱいで、KAZU君、お昼を食べて帰りの電車に乗る時は、「またテツジン来るで」という気分になるのでした。

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