チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

楽しみにしていた「新春歌舞伎」

2015-01-27 22:58:52 | 身辺雑記
1月27日(火)

 新しい年の明石でのスタートを二週間余りでひとまず切り上げ、先週末に逗子に戻って来ましたが、それには理由がありました。

 週明けに向かったのは、皇居のお掘り端の三宅坂。

 そう、国立劇場の
  「初春歌舞伎」です
  

 演目は、「通し狂言
  『南総里見八犬伝』」
  

 千秋楽の前日。大寒を過ぎた一月下旬とはいえ、

 館内は
  新春ムードにあふれていました
  

 歌舞伎の舞台ですから華やかなのは当たり前ですが、やはり一月の公演は雰囲気が違います。

 尾上菊之助扮する犬塚信乃、父菊五郎が犬山道節という親子共演もさることながら、松緑の犬飼現八、中村時蔵の犬坂毛野という配役のほか、悪役の扇谷定正に市川左団次と、なかなか豪華な顔ぶれ。

 犬塚信乃と犬飼現八の芳流閣の屋根の上での渡り合いや、女装した犬坂毛野が剣舞に乗じて犬田小文吾を救い出す場面も見どころですが、特に今回、舞台装置等に工夫を凝らしたという犬山道節の火遁の術の場面は迫力満点の美しさでした。


   初春や揃い踏みなる伊達男   弁人


 この公演、知ったのは12月の22日に逗子に帰って来た時でした。いつものように机上に溜まった郵便物やパンフレットなどを整理している時に案内を見つけました。

 歌舞伎で「八犬伝」とは珍しいし面白そうということで、妻君と相談してチケットを取りました。正月明けはいつ明石へ戻るかわからなかったので、一月下旬の通院日に近いところで26日にしたわけでした。


 実は、「南総里見八犬伝」に興味を持ったのにはちょっとした事情があるのです。

 もう15年も前になるのですが、2000年の秋に大学時代の旧友が早逝しました。
 当時、その友人は結婚して千葉市に住んでいましたが、実家は安房郡富山町(今は南房総市)の犬掛という所でした。

「『里見八犬伝』の話、知ってる? 犬掛って、八犬伝の最初に出てくる『八房』っていう犬が生まれた所なんだよ」
ということばが耳に残っています。

 あいにく、当時の私は近世の戯作文学にはあまり興味がなく、あまり気には留めませんでしたし、その何年か後、八犬伝がNHKの人形劇になった時も、ちらっと画面を見たことはあるものの、ちょうど仕事に就いたばかりの頃で、子ども向けの夕方の番組を見る時間なんぞあるはずもなく、とうとう里見八犬伝のお話には興味を抱かずに年を取ってきたことになります。

 ところが、その友人が亡くなって一年後のこと。今でも年に一回年末にはゴルフに行くのですが、たまたまその年に仲間のリザーブしたゴルフ場が「八房ゴルフクラブ」というゴルフ場だったのです。ちょうど二回目の墓参りに千葉へ出向いた後だったこともあり、
「『八房』? そうだ、あの人が言っていた『南総里見八犬伝』の犬の名前だよ。そんなことも次の墓参の時に報告できたらいいかな」
と思い、急に本が読みたくなったのです。

 数年後、ハイキング仲間と鋸山に登った時に、仲間から
「あれが千葉県でも指折りの標高を誇る富山。でも高さは350メートル。あの辺りの地名は『トミヤマ』だけど、山の名前は『トミサン』って言うんだ。おもしろいでしょ」
と聞いて、
「そうなんだ、あの山に八犬伝の話の『伏姫』と『八房』が隠れ住んでいたんだ。でも、八犬伝の本では『トヤマ』って言ってたけどね」

 そんな話をしながら、あの山の辺りが亡き旧友の故郷なんだと思いながら眺めていたのを思い出します。

 そういう事情があって、そのころは八犬士の名前をフルネームで、それぞれ持っている玉に浮かぶ文字もすらすらと言えたのですが、今回、ボールペンを手に思い出してみると、なんとうろ覚えになっていて正確に思い出せませんでした。考えてみれば、この6年余り明石で暮らしてきて、その間「八犬伝」のことを考えたことはありませんでしたから。

 せっかく歌舞伎を観るのに「これはまずい」と、実は、年末からもう一度復習をして準備万端、この日が来るのを楽しみにしていたのです。

 ということで、気分上々で
  幕間のあんみつです
  
 

   彩りも春を寿ぐ甘味かな   弁人


 仕事に専念してた? いや、血気盛んな頃は、野球、スキー、温泉にうつつを抜かしていて、歌舞伎を観に行くことはほとんどありませんでした。でも、いつごろからでしょうか、何回か歌舞伎座へ出向くようになっていたのです。
 とはいえ、お恥ずかしながら、国立劇場に入るのは、実は今回が初めてだったので、すっかりお上りさん気分での観劇となりました。

 いつになるかわかりませんが、明石を引き上げることになったら、東京通いを厭わず、今回のような機会を増やしたいなと思った次第です。


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久しぶりの飛鳥で「巨大方墳遺蹟」を見学

2015-01-20 20:34:27 | お出かけ・散策
1月20日(火)

 先週15日の木曜日、夜のテレビを見ていると、飛鳥の小山田遺蹟の調査で「巨大方墳」の掘割が見つかったというニュースが流れて来ました。

  翌日16日の朝刊
  

 どうも、蘇我馬子の墓とされている石舞台古墳より大きなものが推定されるようです。
 私自身、古代史にそれほど精通してはいないのですが、2010年から二年間、妻君が飛鳥の近くに隠棲していた時に一緒に散策することも何回かあったので、少しずつ関心が深まったことも確かです。

 新聞には18日の日曜日に現地説明会があるということが載っていました。もし妻君が奈良にいれば、さぞ胸をときめかして出かけるであろうに、明石の部屋でのんびりと広島の男子駅伝のテレビなんかを見ている場合でもありません。

 最寄り駅は近鉄の岡寺駅。そこで、大阪駅から天王寺へ向かい、阿部野橋から南大阪線に乗りました。電車の中には同じ目的と思われる人が何人か乗っていて、年配の人たちの会話で、橿原神宮駅から臨時バスが出ているということを知りました。

 小山田遺蹟は、岡寺駅から1㎞ほど東にある菖蒲池古墳とその先の甘樫丘の南端に挟まれた養護学校の敷地内にあります。

 橿原神宮駅からバスで10分、さすがに冬の飛鳥らしい冷え込みでしたが、風がなく気持ちの良い青空が広がっていました。

 久しぶりの飛鳥の里、まず菖蒲池古墳の丘に上ると、なつかしい景色が目の前に広がっていました。

  二上山と、左に葛城山
  

 さすがに、まだ菜の花は咲いていませんでしたが、

  黄水仙がのどかに日向ぼっこ
  

 発掘現場は
  明日香養護学校の敷地内でした
  

 昭和41年にできた養護学校ですが、建設当時は遺蹟指定地ではなく、考古学的調査は行われなかったそうです。その後、敷地内から木簡が出土し、橿原考古学研究所が継続して調査を行なって来たそうです。
 今回の巨大方墳の掘割は、教室棟の耐震化に向けての改修工事に伴って行われた第5・6次調査で発見されたもので、規模の大きさから、蘇我氏の大物か天皇の墳墓である可能性が高いと言われています。
 謎の解明はさらなる調査にかかってくるのでしょうが、なにしろ現場は学校の敷地内ですから、教育環境の維持と遺跡保存がうまく両立できるのかどうか、今後の取り扱いについて議論が起こりそうな感じもします。

 パネルの前で
  10分ほど説明を受けて
  

  校舎の裏に回ると長蛇の列
  

 翌日の新聞で知りましたが、この日、遺跡説明会では異例の8000人が訪れたそうです。私ごとき者まで行ったのですから、さもありなんというところでしょう。

 150人ずつ、
  順番に見学します
  

 手前から掘割の貼石と敷石。
  その向こうが墳丘の裾の部分
  

 重要なポイントは、墳丘の裾とみられる向こう側(南側)の石積みで、基底に緑泥片岩を置き、その上に「榛原石」と呼ばれる安山岩を段状に積んであるところです。この安山岩は桜井市の東方の室生で産出される石で、「室生安山岩」と言うそうです。

 この場所、蘇我蝦夷・入鹿父子の邸宅があった甘樫丘に隣接していることから、蝦夷の墓ではないかという見方ができる一方、「榛原石」を使った板状の石積みは、桜井市忍坂にある舒明天皇陵とされる段ノ塚古墳と同じで、他には例がないこと。さらに、舒明天皇の墓は一度改葬されたという記述が日本書紀にあることから、改葬する前の初葬地ではないかという見解も出てきて、古代歴史ロマンが一気に広がっているのです。

 発掘現場西側から。
  右(南)側に墳丘があったもよう
  


   往にし世も知るや飛鳥の黄水仙   弁人


 上の写真の前方左に甘樫丘が見えていました。丘の上に行けば発掘現場が見下ろせるかもしれないと、遺跡見学の後、気持ちのいい日射しに誘われて、甘樫丘へ向かってみました。

 凜とした空気に満ちた
  静寂な坂道
  

 少し雲が多くなってきた中、丘の上から
  橘寺方面を望んで
  

 南端に行くと、
  養護学校と発掘現場が見下ろせました
  


   甘樫も飛鳥の里も冬日中   弁人


 散策を終えて橿原神宮駅に戻ると、10分後に京都行きの特急がありました。どう考えても、阿部野橋経由が早く帰れそうなのですが、吉野からの特急には時間が合わなかったので、

  京都経由で明石へ帰りました
  


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「えびす祭り」でスタートする関西の新年

2015-01-12 14:20:29 | 明石風物
1月12日(休)

 正月9日からの三日間、関西はえべっさんのお祭り「十日戎」で盛り上がります。

 明石の私の家の周辺でも、いろいろな所に恵比須神社の祭りを知らせる赤い旗が立てられています。

 海へ出る陸橋の下を走る
  国道2号線
  

 2号線と交差する
  子午線沿いの道
  

 「宵えびす」の9日、玄関の扉を開けると、西風に乗って、KAZU君の保育園のある稲爪神社にある「濱ゑびす神社」から雅楽の調べが聞こえて来ました。
 今年は、本えびすの10日と残り福の11日が土日になるので、大阪の今宮戎神社や西宮神社は大変な人出だろうと思いやりながら、本えびすの土曜日のお昼前に、稲爪神社のゑびす祭りを覗きに行きました。

 お祝いのお酒も並び、
  新年の挨拶が交わされています
  

 お金が身に付くようにと祈る、お馴染みの
  大きなマグロも
  

 ごったがえすほどの賑わいではありませんでしたが、お正月も終わって「寒の入」を迎えた後とはいえ、境内には新年を祝う雰囲気が満ちています。
 どうも関西では、新しい年の商売繁盛と豊漁を願う「えびす祭り」に、一年のスタートという意味合いが込められているような感じがします。

 さて、そろそろ家に帰ろうかと本社の拝殿前に戻ると、

 お正月から飾ってあるのでしょう、
  立派な門松が、
  

 保育園のお迎えでいつも来ているのに、冬の夕方はもう暗い上、寒い中KAZU君を急いで車に乗せたりするので気がつきませんでした。

 年末にKAZU君から、「お習字で書いたんやけど、「カドマツ」ってなんや」と聞かれて説明が難しかったと、たしか年末の記事に書きましたが、その時は、「クリスマスにクリスマスツリーを飾るやろ、それと同じようなもんで、お正月に玄関の前に立てる松と竹で作った飾り物のことやな」と言ったものの、KAZU君はよくわからなかったもよう。

 逗子に帰ると、駅前のビルの前にあったので、お正月に東京へお出かけする時、実物を見せてあげたのですが、なんとまあ、保育園の園庭の目の前にあったわけで、それを見せて説明すれば済んだのでした。

 あらら、KAZU君の書いた作品も
  飾ってありました
  
 一人一文字。左から三番目の「ま」がKAZU君の作品です。なかなか力強くて頼もしい限りです。


   歳神の微笑む顔も浮かびけり   弁人


 ところで、この日のKAZU君、午後は買物がてら、両親と神戸へ遊びに出かけていて、夕方に福引券を持って稲爪神社へ行くという連絡が入りました。そこで、私も再び出向くと、暗くなりかけたころにKAZU君が到着しました。

 「えびす様と大国様に
  会ってくるで」
  

 「これ、コメダワラだって、
  お米が入っとるんやろ」
  

  そして、お楽しみの福引です
  

 4回分の券を持っていましたが、な、なぁーんと、1回目に赤玉が出てきました。私が明石に来てから7回目の新年。KAZU君はいったい何回くらい福引を回してきたのか、もしかしたら、一度くらい末等の次が出たことがあったかどうか、とにかく、福引は白い玉しか出てこないものと思っていたところに飛び出してきた赤玉。それも、保育園最後の新年に出てきたのですから、なんと縁起の良い出来事でしょうか。
 KAZU君、大喜びで「やったぁー!うれしい!」の連発でした。


   満面の笑顔の十日ゑびすかな   弁人


 赤玉は、右から二番目の「大國賞」ということで、
  

 掲示板では「硬貨(50円玉)のつかみ取り」になっていますが、現ナマをどれだけ手にするかというのは、やはり保育園の子どもには不向きかもしれません。そんなことを気づかってくれたのか、福娘さんが福引担当のおじさんと相談して、一等賞の商品券を渡してくれました。

 まさに金一封のような賞品を手にして興奮気味のKAZU君、「園長先生(宮司さん)に見せなあかんな」と、境内をうろうろしていましたが、「このお忙しい時に、やめとき」と諭されてお家に帰ることになりました。

 駅に向かう途中、「これでおもちゃ買えるやろ、カーくんな、妖怪ウオッチほしいねん、これからトイザラス行こうな」と言い出しました。でも、「今日はもう遅いから、帰って早くご飯食べなあかんやろ、明日にしような」と言われて少々がっかり。

 もちろん、一等賞は自分の手に
  しっかりと持ったままでした
  


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正月休みのお楽しみ-二人の孫と

2015-01-07 18:46:02 | KAZU君&KANA君と妹君
1月7日(水)

 今年もあっという間に松の内が明け、4日に明石に帰って行ったKAZU君も、翌日の月曜日から保育園に通っています。
 私も、明日は天文科学館での講座を受講する日になっていて、七草粥を食べる前に明石に戻って来ました。

 ふり返れば、3日の日に東京で二人の孫と遊んでから、もう四日も経ってしまいましたが、ようやく写真の整理もできたので、今回はその思い出を。

 前日の2日は、前回の記事のとおり、中野での新年会から帰って来たのが遅かったので、翌朝早く起きるのは少々大変でしたが、KANA君と「明日は一緒に都電に乗りに行こうね」と約束していたKAZU君、がんばって早起きをして、大人の仕度の終わるのを「早く、早く」とせかしていました。

 逗子から横須賀線で東京へ出て、地下鉄にも乗って、なんとか11時に、今年もKANA君の待っている都電始発駅の三ノ輪橋駅に着きました。

 「ワーイ、
  今日も楽しく遊ぼうね」
  

  最初はどこで降りるのかな
  

 朝がんばったとはいえ、時間はもうすぐお昼時。ということで、レストランのありそうな停留所で降りて、

 先に、
  お昼ごはんを食べておくことにしました
  

 腹ごしらえも済んで、まずは遊園地かなと思いましたが、KAZU君もKANA君も大の電車好き。それじゃあ、初めはいろいろな新幹線が次々とやって来る所に行こうかと、王子駅まで行きました。

 残念ながら、飛鳥山公園のケーブルカーは運休中で
  階段を上ります
  

 公園に上がると大きな滑り台が目の前で、二人とも電車のことは忘れて一目散に走り出しました。

 やっぱり、こっちのほうが
  楽しいんですね
  

 思いっきり遊具で遊んだ後、ひとしきり高台から新幹線や在来線の電車を眺めて、再び都電に乗って、

 いちばん楽しみにしていた
  荒川遊園へ
  

 写真もいいけど、
  早く遊ぼうよ
  

 めっちゃ楽しい
  お子さま遊園地
  
   

 日が暮れないうちに
  観覧車にも乗らないと
  

 ちょっと風の冷たい日でしたが、雲一つない快晴の空。逗子から日帰りだと、実質半日ちょっとしか遊べませんでしたが、まるで兄弟のような二人の孫と一緒に楽しい時間を過ごしました。


   正月の空爽やかに子ら無心   弁人


 さて、二日間KANA君と一緒にいて、すっかりお兄ちゃん気分になったKAZU君、

  翌日の日曜日に、笑顔で明石へ帰って行きました
 
      

 「おじいちゃんも早く明石に帰って来てな」
 「木曜日のお迎えはおじいちゃんが行くからね、明日から元気で保育園に行くんだよ」
 「うん、わかっとるで」

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正月恒例と思いきや

2015-01-04 18:16:02 | 身辺雑記
1月4日(日)

 元日のお昼前から突然雲行きが怪しくなって、小雪もちらつく寒さとなりました。

 夕刻、羽田空港から到着したKAZU君から、
「おじいちゃん、カーくんな、京浜急行乗っとたやろ、そしたら雪降っとってな、窓の外、真っ白やったで。でも、新逗子駅降りたらな、雪降っとらんかった」
という報告がありました。
 どうも、横浜辺りは屋根が白くなるくらい降ったようです。それはともかく、その夜、熊本からのお土産の馬刺で乾杯、KAZU君を中心に楽しいひとときを過ごしました。

 翌日の二日は、恒例の箱根駅伝の応援です。

 年々過熱する人気で、今までに行き慣れた応援スポットは、青物横丁も蒲田も川崎も保土ヶ谷も・・・、どこも人の頭越しからしか見られなくなり、もう沿道に出るのはやめてテレビでいいかなと思うのですが、いざ二日の朝になると、6時ごろに目が覚めてしまって、つい玄関を出てしまいます。

 昨年は、京浜急行の特急が停車しない六郷土手に行ってみたのですが、やはりすごい人で、今年は一つ先の雑色駅で降りてみました。
 駅前の信号から数分歩くと、比較的応援しやすい箇所があり、「こいつぁ、春から縁起がいいわぇ」という具合。

 8時50分頃。先頭は青学・明治・東洋、
  すぐ後ろに駒沢
  

 国学院の蜂須賀君、14~5位でしたが、トップとの差は40秒ほど。なんとか1分差程度で2区へ繋いでほしいと願い、ラジオに耳を傾けていると、1分15秒差の14位で繋いだということでした。
 1、2区は各校ともエース級の選手ばかりですから、シード権を取るには、順位には関係なく、なんとか3区以降に2~3分差で繋ぎ、5区山上りでどれだけ踏ん張れるかにかかっているのです。ということで、期待どおりではないものの、まあまあかというところでしょう。

 京浜急行で横浜に戻って、とりあえず横須賀線に乗り、混雑覚悟で保土ヶ谷駅で下車。少し歩いた所の反対側からなら、目の前を車は通りますが、声かけはできなくとも状況はわかります。

 エース格の沖守君。15位争いか。
  まだ2分差以内
  

 さて、毎年二日には、中野にある妻君の実家で新年会があります。昨年は事情があって開かれなかったのですが、私は一昨年の正月は明石にいて、その前年は箱根まで追っかけちゃって顔を出せなかったので、4年ぶりになります。
 妻君とKAZU君たちは、12時ごろ中野のお家に着くということで、私も今年は駅伝の応援を適当に切り上げて中野へ向かう予定でした。

 以前は、東海道線で東京に出て中央線の快速というパターンでしたが、今は湘南新宿ラインで新宿に出るのが便利になりました。小田原まで行ってしまった時は、急ぎなら新幹線、時間があれば小田急ロマンスカーに乗ったりしたのでしたが。
 ところが、東海道線や小田原方面から来る湘南新宿ラインはとても混んでいて、グリーン券を用意しても座れないことがよくあったり、湯本からのロマンスカーも最近は切符の買えないことが多くなり、なかなか悩ましい。

 保土ヶ谷駅9時45分。まだ中野へ向かうにはちょっと早い。そこで藤沢へ行ってみることにしました。頭に浮かんだのは、小田急ロマンスカーで新宿に出るプランです。
 10時過ぎに藤沢駅に着いてすぐ小田急の窓口に行き、10時45分発のロマンスカーの切符を手に入れました。駅から沿道の南仲通り付近まで歩いて10分ほど。駅伝の先頭の来るのが10時25分くらいとして、母校が来るのが数分差以内であればじゅうぶん間に合いそうです。

 予定通り10時25分に先頭が来ました。
  駒大と東洋
  

 でも、その後、肝心の国学院全然姿を現しません。時計とにらめっこをしていると、いつの間にか6分も離されていました。
 結果、この区間のブレーキが響いて最下位に転落。翌日の復路頑張るも14位までしか浮上できず、今年はこの時点で終わってしまっていたのでした。
 いや、そんなことよりロマンスカーに乗ることが先決。けんめいに駅へ走り、何とか乗ることができました。

 ところが、息せき切って座席に落ち着き、車内販売がない放送を聞き、缶ビールを買う時間がなかったことを恨めしく思っている時でした。突然電車の床下に異常音が流れ、急ブレーキがかかったのでイヤな予感がしたのですが、結果、その予感どおりの事態でした。

 場所は湘南台駅。停車した時、私の座席はホームを数メートルほど超えたところ。やがて人身事故の報告があり、しばらく車内で待つことに。
 救急や警察が来て現場検証やら、小田急職員による車両点検やら、結局1時間半近く車内に閉じ込められた後、ノロノロ運転で大和駅まで連れて行かれて下車ということになりましたが、まあ新年早々、とんだ電車に乗ってしまったわけです。
 鉄道ですから人身事故もあるでしょう。でも、自分の乗った電車でそんな出来事に出合ってしまうなんて、確率はかなり低いでしょうから、今年はもう、宝くじなんか買っても当たりそうにはありませんね。

 12時半近く。大和駅から回送される
  乗車していたロマンスカー
  
 あーあ、とっくに中野のお家に着いていた時間なのに。


   まさかなり箱根駅伝にロマンスカー  弁人


 この後、ダイヤの乱れた普通電車で相模大野へ出て、急行に乗り換えましたが、新宿着は14時近く。楽しい新年会の場に2時間も遅れてしまい、KAZU君から「なにやっとったんや」と笑われてしまいました。

 本当は、夕方にはみんなで逗子に帰る予定だったのに、私の到着が遅れたこともあって、

 帰りの電車に乗った時は
  もう真っ暗
  
 いろいろなことがあったけれど、それは私だけのことのようで、

 子どもたちは元気いっぱい楽しい一日を過ごして、下の孫のKANA君とお茶の水駅で別れた後、KAZU君と逗子の家に戻りました。


   新年の集い去り行く電車かな   弁人


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2015年のスタート

2015-01-01 08:00:31 | 身辺雑記
 


      


 大晦日の夜半に少々お天気が怪しくなりましたが、明け方に逗子に帰ってひと眠り、元旦の朝は気持ちの良い青空が広がっています。

 

 毎年正月に、逗子海岸から眺める霊峰富士。一年一年はあっという間に過ぎて行って、去年の元日、海岸に立ったのが昨日のことのようです。

 逗子で暮らし始めてからもう40年あまり。今の所に居を構えて36回目のお正月、いや、一昨年の正月は明石にいましたので35回、都合41回目となりますが、振り返ってみると、ずいぶん長いこと逗子で暮らしてきたんだという思いが正直なところです。


   初富士や見慣れてなほも神々し   弁人


 ところで、昨年の正月に立てた「6キロの減量」は、あと2キロというところで、いまだ達成できていませんが、もうすぐ66歳になる身、今年の目標なんかもういいでしょう。
 なにはさておき、二人の孫の穏やかな笑顔を前にして、明るい一年を過ごすことができれば、それで十分なのです。


 と、欲のないことを言っていますが、実は年末に、ヤンキースの黒田投手が古巣広島に戻ってくるという、カープファンとしては、まことに素晴らしいニュースが舞い込んで来て、今年は本腰を入れてペナントレースを追いかけないとと、少々入れ込んでいるところなのでございます。

 20億の年俸を蹴って、4億しか払えないカープに戻って古巣に恩返しをしたいという、お金持ちの話とはいえ、まさに日本男児、男の中の男と称賛されていますが、心配がないわけでもありません。

 なんせ、男気たっぷりの強面(こわもて)の投手ですから、はたして、世代交代が進んで若返った威勢のよい選手たちが萎縮したりして、持ち前の思いっきりのよいプレーができるかどうか。
 でも、タイガースをお払い箱になった新井のお兄ちゃんも戻るということになっていて、彼は黒田投手と同じ世代ですから、たとえ出場機会が少なくても、ベンチから元選手会長の器でうまく間を取り持ち、チームをまとめてくれるはずと信じているのです。

 よく、ペナントレースは先発投手が55~60勝すればほぼ優勝と言われますが、マエケンと黒田で25勝行くでしょうから、大瀬良と野村で15~20勝稼ぎ、去年9勝のバリントンは退団したものの、新外国人や他の投手で15~20勝くらいは行けそうなので、かなり現実味を帯びているのです。
 それに、アメリカへ行きたくてうずうずしているマエケンは、マー君のように、その前に好成績を出しておきたいと張り切っているもよう。黒田の年齢なども考えると、いったい今年に期待せずに、いつ期待できるのかというところなのです。


   初夢のふくらむ鯉の滝のぼり  弁人


 さて、今年も7日から
  明石暮らしを始めますが、
 

 今年は何回か広島へ出向くことになるかもしれず、ちょいと忙しいかもしれません。

 その前に、楽しみな箱根駅伝もありまして、さてさて、どんな一年になりますか、わくわく胸踊る新春とあいなッた次第であります。


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