1月27日(火)
新しい年の明石でのスタートを二週間余りでひとまず切り上げ、先週末に逗子に戻って来ましたが、それには理由がありました。
週明けに向かったのは、皇居のお掘り端の三宅坂。
そう、国立劇場の
「初春歌舞伎」です
演目は、「通し狂言
『南総里見八犬伝』」
千秋楽の前日。大寒を過ぎた一月下旬とはいえ、
館内は
新春ムードにあふれていました
歌舞伎の舞台ですから華やかなのは当たり前ですが、やはり一月の公演は雰囲気が違います。
尾上菊之助扮する犬塚信乃、父菊五郎が犬山道節という親子共演もさることながら、松緑の犬飼現八、中村時蔵の犬坂毛野という配役のほか、悪役の扇谷定正に市川左団次と、なかなか豪華な顔ぶれ。
犬塚信乃と犬飼現八の芳流閣の屋根の上での渡り合いや、女装した犬坂毛野が剣舞に乗じて犬田小文吾を救い出す場面も見どころですが、特に今回、舞台装置等に工夫を凝らしたという犬山道節の火遁の術の場面は迫力満点の美しさでした。
初春や揃い踏みなる伊達男 弁人
この公演、知ったのは12月の22日に逗子に帰って来た時でした。いつものように机上に溜まった郵便物やパンフレットなどを整理している時に案内を見つけました。
歌舞伎で「八犬伝」とは珍しいし面白そうということで、妻君と相談してチケットを取りました。正月明けはいつ明石へ戻るかわからなかったので、一月下旬の通院日に近いところで26日にしたわけでした。
実は、「南総里見八犬伝」に興味を持ったのにはちょっとした事情があるのです。
もう15年も前になるのですが、2000年の秋に大学時代の旧友が早逝しました。
当時、その友人は結婚して千葉市に住んでいましたが、実家は安房郡富山町(今は南房総市)の犬掛という所でした。
「『里見八犬伝』の話、知ってる? 犬掛って、八犬伝の最初に出てくる『八房』っていう犬が生まれた所なんだよ」
ということばが耳に残っています。
あいにく、当時の私は近世の戯作文学にはあまり興味がなく、あまり気には留めませんでしたし、その何年か後、八犬伝がNHKの人形劇になった時も、ちらっと画面を見たことはあるものの、ちょうど仕事に就いたばかりの頃で、子ども向けの夕方の番組を見る時間なんぞあるはずもなく、とうとう里見八犬伝のお話には興味を抱かずに年を取ってきたことになります。
ところが、その友人が亡くなって一年後のこと。今でも年に一回年末にはゴルフに行くのですが、たまたまその年に仲間のリザーブしたゴルフ場が「八房ゴルフクラブ」というゴルフ場だったのです。ちょうど二回目の墓参りに千葉へ出向いた後だったこともあり、
「『八房』? そうだ、あの人が言っていた『南総里見八犬伝』の犬の名前だよ。そんなことも次の墓参の時に報告できたらいいかな」
と思い、急に本が読みたくなったのです。
数年後、ハイキング仲間と鋸山に登った時に、仲間から
「あれが千葉県でも指折りの標高を誇る富山。でも高さは350メートル。あの辺りの地名は『トミヤマ』だけど、山の名前は『トミサン』って言うんだ。おもしろいでしょ」
と聞いて、
「そうなんだ、あの山に八犬伝の話の『伏姫』と『八房』が隠れ住んでいたんだ。でも、八犬伝の本では『トヤマ』って言ってたけどね」
そんな話をしながら、あの山の辺りが亡き旧友の故郷なんだと思いながら眺めていたのを思い出します。
そういう事情があって、そのころは八犬士の名前をフルネームで、それぞれ持っている玉に浮かぶ文字もすらすらと言えたのですが、今回、ボールペンを手に思い出してみると、なんとうろ覚えになっていて正確に思い出せませんでした。考えてみれば、この6年余り明石で暮らしてきて、その間「八犬伝」のことを考えたことはありませんでしたから。
せっかく歌舞伎を観るのに「これはまずい」と、実は、年末からもう一度復習をして準備万端、この日が来るのを楽しみにしていたのです。
ということで、気分上々で
幕間のあんみつです
彩りも春を寿ぐ甘味かな 弁人
仕事に専念してた? いや、血気盛んな頃は、野球、スキー、温泉にうつつを抜かしていて、歌舞伎を観に行くことはほとんどありませんでした。でも、いつごろからでしょうか、何回か歌舞伎座へ出向くようになっていたのです。
とはいえ、お恥ずかしながら、国立劇場に入るのは、実は今回が初めてだったので、すっかりお上りさん気分での観劇となりました。
いつになるかわかりませんが、明石を引き上げることになったら、東京通いを厭わず、今回のような機会を増やしたいなと思った次第です。
新しい年の明石でのスタートを二週間余りでひとまず切り上げ、先週末に逗子に戻って来ましたが、それには理由がありました。
週明けに向かったのは、皇居のお掘り端の三宅坂。
そう、国立劇場の
「初春歌舞伎」です
演目は、「通し狂言
『南総里見八犬伝』」
千秋楽の前日。大寒を過ぎた一月下旬とはいえ、
館内は
新春ムードにあふれていました
歌舞伎の舞台ですから華やかなのは当たり前ですが、やはり一月の公演は雰囲気が違います。
尾上菊之助扮する犬塚信乃、父菊五郎が犬山道節という親子共演もさることながら、松緑の犬飼現八、中村時蔵の犬坂毛野という配役のほか、悪役の扇谷定正に市川左団次と、なかなか豪華な顔ぶれ。
犬塚信乃と犬飼現八の芳流閣の屋根の上での渡り合いや、女装した犬坂毛野が剣舞に乗じて犬田小文吾を救い出す場面も見どころですが、特に今回、舞台装置等に工夫を凝らしたという犬山道節の火遁の術の場面は迫力満点の美しさでした。
初春や揃い踏みなる伊達男 弁人
この公演、知ったのは12月の22日に逗子に帰って来た時でした。いつものように机上に溜まった郵便物やパンフレットなどを整理している時に案内を見つけました。
歌舞伎で「八犬伝」とは珍しいし面白そうということで、妻君と相談してチケットを取りました。正月明けはいつ明石へ戻るかわからなかったので、一月下旬の通院日に近いところで26日にしたわけでした。
実は、「南総里見八犬伝」に興味を持ったのにはちょっとした事情があるのです。
もう15年も前になるのですが、2000年の秋に大学時代の旧友が早逝しました。
当時、その友人は結婚して千葉市に住んでいましたが、実家は安房郡富山町(今は南房総市)の犬掛という所でした。
「『里見八犬伝』の話、知ってる? 犬掛って、八犬伝の最初に出てくる『八房』っていう犬が生まれた所なんだよ」
ということばが耳に残っています。
あいにく、当時の私は近世の戯作文学にはあまり興味がなく、あまり気には留めませんでしたし、その何年か後、八犬伝がNHKの人形劇になった時も、ちらっと画面を見たことはあるものの、ちょうど仕事に就いたばかりの頃で、子ども向けの夕方の番組を見る時間なんぞあるはずもなく、とうとう里見八犬伝のお話には興味を抱かずに年を取ってきたことになります。
ところが、その友人が亡くなって一年後のこと。今でも年に一回年末にはゴルフに行くのですが、たまたまその年に仲間のリザーブしたゴルフ場が「八房ゴルフクラブ」というゴルフ場だったのです。ちょうど二回目の墓参りに千葉へ出向いた後だったこともあり、
「『八房』? そうだ、あの人が言っていた『南総里見八犬伝』の犬の名前だよ。そんなことも次の墓参の時に報告できたらいいかな」
と思い、急に本が読みたくなったのです。
数年後、ハイキング仲間と鋸山に登った時に、仲間から
「あれが千葉県でも指折りの標高を誇る富山。でも高さは350メートル。あの辺りの地名は『トミヤマ』だけど、山の名前は『トミサン』って言うんだ。おもしろいでしょ」
と聞いて、
「そうなんだ、あの山に八犬伝の話の『伏姫』と『八房』が隠れ住んでいたんだ。でも、八犬伝の本では『トヤマ』って言ってたけどね」
そんな話をしながら、あの山の辺りが亡き旧友の故郷なんだと思いながら眺めていたのを思い出します。
そういう事情があって、そのころは八犬士の名前をフルネームで、それぞれ持っている玉に浮かぶ文字もすらすらと言えたのですが、今回、ボールペンを手に思い出してみると、なんとうろ覚えになっていて正確に思い出せませんでした。考えてみれば、この6年余り明石で暮らしてきて、その間「八犬伝」のことを考えたことはありませんでしたから。
せっかく歌舞伎を観るのに「これはまずい」と、実は、年末からもう一度復習をして準備万端、この日が来るのを楽しみにしていたのです。
ということで、気分上々で
幕間のあんみつです
彩りも春を寿ぐ甘味かな 弁人
仕事に専念してた? いや、血気盛んな頃は、野球、スキー、温泉にうつつを抜かしていて、歌舞伎を観に行くことはほとんどありませんでした。でも、いつごろからでしょうか、何回か歌舞伎座へ出向くようになっていたのです。
とはいえ、お恥ずかしながら、国立劇場に入るのは、実は今回が初めてだったので、すっかりお上りさん気分での観劇となりました。
いつになるかわかりませんが、明石を引き上げることになったら、東京通いを厭わず、今回のような機会を増やしたいなと思った次第です。