チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

KAZU、梅雨空に絵本で遊ぶ

2009-06-28 10:39:33 | KAZU君
6月28日(日)
  



 北関東のほうでは「真夏日」とのニュースが流れていますが、こちら明石は南風が吹いて湿度は高いものの、今のところ30度を越えることはあまりなく、水無月の香りが漂っています。
  近所の家の紫陽花
  


 ところで、前回の記事に「おむすびころりん」の絵本が出てきましたが、KAZUには、お話の絵本はまだ早く、今のところは単発的なことばを聞かせながら視覚に訴えるという段階です。

 実のところ、ついこのあいだまでは表紙を見るぐらいで、あとはテーブルから落として喜んでおしまいだったのです。ところが2週間ぐらい前だったでしょうか、ちょっと眼を離していたら、本を前にして「ぎゃあ」とか「みゃあ」とか「びゃあ」とか言っているのです。
  

 朝保育園に着くと、園長先生が絵本を読んでくれます。 KAZUの保育園は絵本の読み聞かせに力を入れていて、毎月一冊の絵本の配布もあります。
 KAZUの母親も絵本が好きで、よく本屋へ足を運んでいます。

 それにしてもKAZUの反応を見ていると、つくづく子どもの教育は「根気」だなと思います。
 先月、新型インフルエンザの騒ぎで保育園がお休みの時にも絵本を読んであげたりしたのですが、その頃はあまり興味を示さず、仕方なく散歩に出たりしていたのです。
 最近は、ミルクを冷ましているのを待てなくて「ハヤク、ハヤク」という感じでむずかる時でも、絵本を広げると数分ですが喜んで眺めています。
  



    水無月や児らの心に絵の世界   弁人


 でもやっぱり幸せなのは、もちろん適温になったミルクを飲む時なのでした。
  


 19時ころKAZUと別れて帰路へ着きますが、最近私が帰るのをいやがるようになりました。
  

 そこで絵本に興味を向けさせて、寂しいけれどそっと外に出てしまうようにしています。
  

 夏至も過ぎました。ショートカットの峠道を通って帰ることができる陽の長い時期ももう少しなのかもしれません。
  



    夕凪ぎの瀬戸も寂しき峠道   弁人


   
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「おむすび」と「おにぎり」

2009-06-25 16:24:33 | ことば・あれこれ
6月25日(木)

 先日、広島へ出向いた時、姫路で新幹線に乗り換えようとコンコースに下りたところ、こんなお店がありました。
   
 おむすび屋さんです。最近は、コンビニでもどこでも「おにぎり」と言うのが一般的なので、ちょっと目にとまりました。
 そして、かつて広島の「むさし」というお店で、やけに大きい三角おむすびを食べた思い出が蘇ってきました。

 そんなことがあって、広島でマツダスタジアムへ行く前に「むさしおむすび」の店に寄ってみました。
  大通り店
  

  球場にもありました。
  

 おかずも入った詰め合わせもいろいろありますが、特大の三角おむすびが私の思い出です。たしか、一辺が15センチぐらいの大きさで3種類の具が入っていたと記憶していました。
 球場からの帰りに居酒屋にでも行こうと思っていたので、試合が始まる前の腹つなぎ用に買いました。
  「山賊むすび」450円
  

 昔の思い出がふくらみ過ぎていたのか、思ったよりは小さく(それでも一辺は優に10センチ以上)、具は昆布と鮭の二種類でした。店員に聞いたところ、「昔のことはわかりませんが、具は以前から二種類だと思います」との返事でした。


    山賊も浴衣の客もむすび顔   弁人


 さて、今日の本題です。

 広島では「おにぎり」のことを「おむすび」と言うのかなとちょっと興味深い。コンビニを覗いてみると、やはりどこにでもあるあの三角形のは「おにぎり」でした。でもその隣に「むさし」のではありませんでしたが、「山賊おむすび」というのも並んでいました。
 翌日の午前中、町を歩きながら、呼び方について何人かの人、駅の売店のおばさんや「むさし」の店番の人、コンビニの店員さんなどに聞いてみました。

 どっちでもいいという人もいましたが、考え込んでくれる人もいました。苦しまぎれの答えもあるでしょうが、言い方の違いについて次のような答えがありました。
 1、むさしのは「おむすび」で、コンビニのが「おにぎり」。
 2、どっちがどっちだかわからないが、たわら型と三角形の違い。
 3、広島では「おむすび」と言う人が多いが、ふつうは「おにぎり」じゃないか。

 印象では、「おむすび」という言い方を好んでいるのは女性のほうに多いような気がしましたが、おおまかに言えば、みなさんよくわからないというところでしょうか。

 「もともとの意味とか由来とかは気になるけれど、実際に世の中で通用していれば、それはすでに正しいことばである」
と私は思っていますので、どちらの言い方とも身の回りにある以上、どう言おうが問題はありません。現に、「おむすび専門店」と名告るお店のウインドウに「こだわりのおにぎり」というのが並んでいる例もあるのです。本屋で「おむすびころりん」の絵本を見ていたら、「おじいさんがにぎり飯を出して云々」という記述もありました。

 しかし、どうでもいいというのではブログの話題にならないので、今回はこだわって調べてみたところ、諸説紛々。以下、いくつかの説を記します。

 1、もともとは「おにぎり」。宮中の女房言葉の中で、より上品で丁寧な言い方として「おむすび」という言葉が生まれた。

 2、天地開闢の際に現れた、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)の三柱の神の、あとの二柱の神に共通する「産巣日」という言葉に由来し、その神の力を授かるために米を山型(神の形)にかたどったのが「おむすび」の始まりである。「おにぎり」は形を問わず単にご飯を握って作ったもの。

 3、昔からおにぎりには「鬼を切る」という意味もあり、魔よけの効果があると言われ、鬼退治に握り飯を投げつける民話もある。

 4、言葉の説明ではないのですが、2000年4月の西日本新聞の「目指せおにぎりの鉄人」という記事の中に「九州を含め関西以西はおにぎり、東はおむすびと呼ぶ地域が多い」という解説が。

1について
 接頭語の「お」を取って「にぎり飯」と言うと、たしかに男っぽい響きがありますが、「お」を付ければ女性の言葉として違和感はなさそうです。また「きる」が忌み詞とも考えられますが、「握り」という単語から「切り」を連想するかどうか、ちょっと疑問です。

2について
 「産巣ぶ」は「造り出す」という意味を持っていて、神聖な食べ物として「むすび」という言い方はあるかもしれません。

3について
 「お」が接頭語であることを考えれば、「鬼」という語呂合わせはどう考えても後から発想したものとしか考えられず、こじつけっぽい。

4について
 根拠が不明。むさしのおむすびがいつから売られたのかわからないので何とも言えませんが、広島では「おむすび」と呼ぶ傾向が強く、自動車のマツダではロータリーエンジンの三角形の部分を「おむすび型」と称しているとか。また、「天むす」というおむすびは名古屋で生まれたそうですが、こちらは50年以上前からあるとのこと。そう、冒頭のように姫路にもありましたし。そして、
  明石のスーパーでも
  

 気をつけていると「おむすび」の呼称は関西にもけっこうあるのです。


〔私 見〕
 「拳を握る」「手に汗を握る」「(相手の)手を握る」「赤ちゃんがにぎにぎする」。やはり「握る」は片手の動作です。
 対して、「結ぶ」は「(二人が)結ばれる」「(両国が)手を結ぶ」「紐を結ぶ」というように、二つのもの、つまり手で言えば両手の動作でしょう。

 両手でしっかりと形作るものであるとするなら「おむすび」だと思います。機械が作って量販されるのはどっちでもいいのかもしれません。
 ちなみに、江戸前の寿司を「にぎり」と言います。片手でシャリの形を整えてもう片方の手でネタをのせる。つまり基本的には片手の動作なのかもしれません。だから「にぎり」か。

 したがって、私は「おむすび」派です。「おにぎり」という呼称が席巻している現状をちょっと残念に思っていたので、今回の発見は少しうれしいのです。

  昔話の絵本の表紙
     

 この世界では「おにぎりころりん」という題名は存在しません。


    緑陰やおむすびころりん聞かせたし   弁人


※ 余談
 今では本がありますが、昔話は本来「語り聞かせる」ものです。当然ながら、語り手の舌の回りによって話は変形します。本になっても同じで、何冊かを読み比べてみると微妙に違っています。
 でも、変えてはならない部分が必ずあるのです。これを「話核」とも言います。
 語り継がれる中で「話核」を支えてきた重要な要素が「うた」です。「おむすびころりん」の場合、穴の中でねずみが唄う歌は不可欠なのです。歌詞の記述のない絵本は買わないほうがいいでしょう。
 他にこの話で大事な要素。善良なお爺さんのあと欲張りなお爺さんが登場すること。そして、欲張り爺さんが猫の鳴きまねをしてねずみが消え、真っ暗の土の中でモグラになってしまうことです。
 このように、昔話にはその話が原型に忠実かどうかチェックしなければいけない部分があります。それ以外の部分は語り手や書き手が自由に脚色していいのです。
 「おにぎり」は「鬼を切る」ものだからということで、桃太郎の「きび団子」を「おにぎり」に変えてしまうのは、もし「きび団子」に意味があるとすれば考えものです。追加するぐらいが無難です。

 童心社の昔話の絵本は、私が尊敬する松谷みよ子氏のものですが、おむすびを転がして穴に入るのがお婆さんになっています。あとがきに、西の地方でお婆さんを主人公とする話が伝承されていて、それをもとにしたと書かれていますが、もしKAZUに絵本を買うとしたら、やはりお爺さんのものにしたいと思いました。


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「明石海峡船景色」第4回 客船と高速船

2009-06-20 17:43:49 | 船景色
6月20日(土)

 先日、明石海峡を通過する船を調べていると、商船三井の大型客船「日本丸」が神戸から広島を往復する一泊二日のクルーズに出るという記事が目に留まりました。神戸を午後に出て、三つの本四架橋をくぐって翌日の昼過ぎに帰って来るという豪華客船の旅としては比較的「安金短」の設定です。

 薄曇りで視界が少し心配でしたが、往路は海峡の手前を通るので、カメラを抱えて海岸へ出ました。実は、船舶は万国共通「右側通行」なのです。

 さすがに梅雨の中休み、やはり視界は不良でさらに逆光、とても鮮明な写真は撮れませんでした。
 


 翌日もなんとなく晴れという状態。今度は淡路島側を通るのであきらめかけていましたが、「そうだ、たこフェリーに乗ってみよう」と急いで港へ。淡路島側からは陽が後ろからになって船の撮影に向いているのです。でもベストは海上で接近のパターン。日本丸の通過予定時刻は12時10分。11時40分のフェリーだと淡路に着いてしまうし、12時15分の便では間に合わないだろうと迷いましたが、航路に向かって行くという点に賭けて後発の「あさしお丸」を選択。

 はるか西に船影が。「はやく、はやく」
  

 全長167m・2万2千トンの大型客船に精一杯の接近
  

   あとは遠ざかるのみ
    


 岩屋港で休んで、帰りは「淡路ジェノバライン」に乗ってみました。

  通常は「まりーんふらわあ2」号です
  
 200人くらいは優に乗れそうな船ですが、とにかく速い速い、大好きな「あさしお丸」もスイスイと追い越してしまいました。
  

  10分ちょっとで船着場に
   

 運賃は450円。ちなみに、たこフェリーが390円なので、身一つならば割高感もなく島の往復にはかなり便利です。でも、やはり乗客は少ないようでちょっと心配です。
 「ジェノバライン」は別名「子午線ライン」とも言い、待合室には子午線のラインと子午線が通過する都市の表示が。
   

 天井もラインに合わせて外の光が入って来るようになっています。
    

 東経135度にある天文科学館からは西に1キロほど離れているのですが、まあいいでしょう。

 朝夕は小型船が登場。便数が増えます。
  63人乗りの「ジェノバⅠ」号
  

  今度はこれに乗りたい「レットスター2」号
    


     梅雨晴間しぶき爽快ジェット船   弁人

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KAZUと水無月の香りを

2009-06-17 16:27:25 | KAZU君
6月17日(水)

 梅雨入りして二日間ほどはいかにもという天気でしたが、そのあとは梅雨前線が南下して過ごしやすい毎日です。

 近所の家の庭先の紫陽花も鮮やかになってきました。「どこかきれいに咲き誇っているところはないかな」と家族で話していたのですが、インターネットで調べたところ、神戸の北の三田のほうに3万株の紫陽花が咲いているところがあるとのこと。13日の土曜日にみんなでドライブがてら出かけました。

  KAZUは喜んでくれるかな
  

  丹波へ向かう、のんびりとした道沿いにある「相野あじさい園」
  

 情報とはうらはらに、紫陽花はまだ一分咲き程度。人影もまばらでひっそりとした林の中に入り込んだ感じでした。
  やっと見つけた
  



     ひそやかに三田の里の紫陽花園   弁人


  やはり水無月、花菖蒲が見事
  



     白深し孫の心も花菖蒲     弁人


 花園の中でとはいきませんでしたが、とりあえずシートを広げてお昼ご飯となりました。
  「早くして」
  

  「なくなっちゃった」物足りない様子
  

  大人の飲物にも興味津々
  
 

 ところで、「白い花がきれい」という声で振り返ると、なんとこの林には「ミズキ」の木がたくさんありました。関西では初めてです。
  


 
     丹波路に珊瑚の棚か白き影    弁人



 ミズキの花が咲いていたということは、たぶん少し内陸に入った所なので、2~3週間分気温も低いのかもしれません。紫陽花も咲いていないはずでした。


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時の記念日-明石にて

2009-06-13 23:27:25 | 明石風物
6月13日(土)

 東海から西の地方は、関東地方より一日早く9日(火)に梅雨入りしました。

 ところで、6月10日は「時の記念日」でした。日本標準時の子午線の通る明石では、「時のウイーク」と称して、この日の前後にさまざまな催しが行われます。せっかくのイベントなのに記念日がどうしてこんな雨の多い時期に設定されたのか、ちょっと気になったので調べてみると、東経135度の子午線がどうのこうのということには無関係でした。

 今から1300年以上も前の7世紀後半、天智天皇の時代に宮中に水時計が設置され、初めて時が告げられたという記述が「日本書紀」にあり、その日付を太陽暦に換算したのが6月10日で、1920年に時間の大切さを喚起するために制定された記念日だそうです。
 琵琶湖の西岸の比叡山の麓に天智天皇を祀った近江神宮がありますが、そういえば時計の博物館があったような記憶があります。

 6月には祝日がないということで、一部でこの記念日が話題になっているとの話もありますが、どうでしょうか。祝日の間隔からいうと時期的にはとてもいいと思いますが、いくら「時は金なり」といえども、常に時間に追われている現代人にとって、はたして意義があるかどうかちょっと考えものかもしれません。「時間を忘れる日」なんていうほうがうれしいのではないですかね。


 それはともかく、当日は明石の天文科学館は入場無料です。不評?の有料駐車場(このことはそのうちに記事にするかもしれません)も無料です。情報では記念品も配られるとか。

 KAZUと一緒に行っても、まだ何もわからないだろう。それではと、保育園に行く前に寄ってみました。
 

 あいにくの雨、せっかくの眺望もこのとおり
 

 人丸神社も雨の中
 



    梅雨覆ふ時計の塔もわたくしも   弁人


 でも、記念品がもらえてうれしい
 

 もちろん、KAZUの分もちゃんといただきました。正しくは「日本標準時子午線-通過記念証」と言いまして、「軌道星隊シゴセンジャー」が子どもの心をくすぐりそうです。

 さっそくその夜に組み立ててみました。
 

 絵を見ると、さぞかし子どもが喜ぶものだろうと期待しましたが、なんと、定形郵便物が25グラム以内かどうかを確かめる秤のようなもので、これを子どもが面白がるのかどうかちょっと首をかしげました。メールはやめて「もっと手紙を書きましょう」ということなのでしょうか。

 25グラム以上だと、ブラック星博士の「NG料金不足じゃ!」という絵になる仕掛けです。
  

 1円玉を25個用意しないと量れません。今回、1円玉が1グラムちょうどだったということを初めて知りました。これが明石にいる私の一回目の「時の記念日」の発見でした。


    夕凪の海に子午線眠りたり   弁人


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「明石海峡船景色」第3回 タンカー編

2009-06-10 08:05:06 | 船景色
6月10日(水)

 インフルエンザ騒動のおかげもあって、船の写真のストックもけっこうな枚数になりました。

 今日は「タンカー」です。

 日本は石油を産出しない先進国ですからタンカーは大事。ン十万㌧の大型船もたくさんありそうですが、石油タンカーで言えば、明石海峡ではまだ10万㌧くらいまでの船しか出会っていません。

 写真の中ではこれが一番大きい。商船三井の「グリーンホープ」というタンカーです。
  

 「FINAVAL」の文字。どうもイタリアのタンカーのようです。10万㌧ぐらいありそうです。
  

 「MARIKA」というノルウェーの船。このくらいの大きさで4.3万㌧です。
  
   
 ペルシャ湾から東南アジアを経て瀬戸内海に入ってくるのですが、だいたいは姫路や岡山の水島で荷揚げされます。上の写真は西へ向かっているので荷揚げ前で重そう。下の写真は東方向なのでタンクはカラになっています。

 次は港で大活躍する小型のタンカー。大きな船に燃料を補給します。ちなみに船の燃料の重油を「バンカー」と言うので「バンカー船」とも言うそうです。大きさはみな100㌧以下です。
  


 ところで、燃料と言えば「天然ガス」の時代でしょうか。都市ガスのほとんどが「天然ガス」をベースに製造されています。
 その「液化天然ガス」を運ぶのが「LNGタンカー」です。

 英国の「ノースウエストシーイーグル」-10.6万㌧
  

 大阪ガスと日本郵船が所有する「LNGジュピター」-12.4万㌧
  


    白の列連勝の兆しうきうきと   弁人


 商船三井の「若葉丸」と川崎汽船の「尾州丸」-ともに10万㌧
  
   
 この二つの船のタンクは球ではなくて少し角ばっていました。

 これも大阪ガスと日本郵船が所有する船で、「LNGドリーム」-12万㌧
  

 タンクの絵は、画家のジミー大西氏と40名の子どもたちのコラボレーションによって完成した作品で、左から「カメ・エビ・カニ」の順に並び、先頭の絵が「魚」の絵なんだそうです。大阪ガス創業100年の記念事業のプロジェクトの一つで、子どもたちから『ドリームタンカー』と呼ばれている人気者です。


 以上、球形のタンクを並べたものを「モス型」と言いますが、LNG船には「メンブレン型」という普通のタンカーと同じような形の船もあります。

 マレーシアのタンカーで、8.6万㌧
  

少しコンパクト、それでも4.9万㌧あるブルネイのタンカー
  


    昼下がり網戸の先に大型船   弁人


 おっと、今日は「時の記念日」でした。これから天文科学館へ行ってみます。

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初見参 MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム

2009-06-07 17:45:31 | スポーツ観戦等
6月7日(日)

 しばらく身動きがとれなかったので、「お出かけ欲求」がたまっていました。

 やはり、交流戦で7連勝を記録したカープの試合を広島でということで、5・6日の金と土曜に出かけました。

  姫路から「ひかりレールスター」で
  

 広島はけっこう遠くて東京から豊橋くらい。日帰りでのナイターはとても無理です。新幹線は片道9000円ほどですが、JR西日本が山陽新幹線二日間乗り放題12000円というのを発売しています。しめしめと思ったのですが、なんと二人でないとダメだそうでがっかり。

  それはともかく、さっそく車窓から新球場が見えました
  

 広島に着いたのは昼でした。そのままJRで宮島口へ行き、「あなごめし」で有名な「うえの」に直行。

  店内の張り紙にさそわれ、まずは「白焼き」から
  
 わさびをのせて塩で食べます。

  そしてメインの「あなごめし」
  
 タレがかかっていますが、甘味がおさえられていてさっぱりとした味わいでした。


    船着きて大野の瀬戸の穴子かな   弁人


 あなごといえば明石も有名で、魚の棚で買ってみたり、進物に送ったりしましたが、明石のあなご料理店にはまだ行っていませんでした。

  瀬戸の対岸に大鳥居
  

 ここまで来て宮島へ渡らない人も珍しい。でも、翌日の試合のチケットがまだ手に入っていないので、球場に早めに行かなければなりません。

  広島電鉄で市内へ
  

  市内にはいたるところに露天の店が
  
 「とうかさん」というお祭りで、街には「ゆかたできん祭」のポスターもありました。どうりで浴衣姿の女性が目立ちました。聞くところによると、園隆寺というお寺の中にあるお稲荷さんのお祭りとか。「稲荷」を音読みして「トウカ」となったようです。

  さあ、球場にご到着!
  


  そして、プレーボール
  
 インターネットでは3塁側の席しか取れませんでしたが、観戦には絶好のポジション。

 ところが前列に二人連れのサラリーマンが。背丈がまるで「オール阪神巨人」のような二人。私の前が「オール巨人」さん?いや「ザコウイチ」さんかも。-よう見えんわ-
  

 試合はカープが逆転! その後、突然の大雨でそのまま終了。勝ったからいいのですが、雨具がなく球場で雨宿りの羽目に。そして結局は追い出されるように濡れながら帰途に。
  


   驟雨来て浴衣の乙女の合羽かな   弁人



 ホテルの部屋は東向きで、翌日は朝から快晴の日差し。

 市内を散歩して早めの昼食。この日は釜飯の名店「酔心」で
  

  今日は1塁側だぁ
  

 気合を入れて応援しようと意気込んだものの、エースの大竹クンが散々の出来、序盤で大差をつけられてしまいがっかり。駅でお好み焼きでも食べてさっさと新幹線に乗ろうかなと思っていると、今日も突然の雷雨に見舞われ降雨コールド。小やみになるのを待っているうちに夕暮れになってしまいました。


    勝ち負けは辛抱せよと夏の雨   弁人

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つぶやきNo4-「インフルエンザ渦をくぐり抜け」

2009-06-02 22:44:15 | つぶやき
6月2日(火)

 どうやら、関西の「新型インフルエンザ騒ぎ」も、なんとか一段落という気配です。

 たまたま渦中とも言える明石で暮らしていて、状況がかなり身近だったので感想もそれなりにあることはあるのですが、この間終始気にかけていたのは、KAZUはもちろん、自分を含めて身内の人間が風邪をひかないということでした。なにしろ普通に風邪で発熱しても、近所の医療機関で受診できる状態ではない上に、熱が下がったところで、保育園の登園や送迎などを簡単にできる状況ではなかったのですから。

 たしかに、今でも熱が出た場合、「発熱相談センター」に連絡しないと医師の診断は受けられませんし、保育園の送迎も出入りには手洗いをしなければなりませんので、まだ完全な終息ということにはなりません。でも、マスクをしなくてもKAZUを送り迎えできるようになりました。
 そして、いっときのように、どの家庭でも、身内に何かあったらいわれのない噂やパッシングなどを受けるかもしれないという緊張感や不安感から解放されたことも事実です。秋以降の再発生が心配との報道がありますが、なにはともあれ、とりあえずは一服というところでしょうか。


 しかしそんな安堵感とともに、実は今、なんとも言えない疲労感に浸っています。

 帰国後7日間という潜伏期間が過ぎたので、やっと公表できるのですが、実は、兵庫・大阪で感染者が続出し保育園が閉鎖されていた時、KAZUの母親は出張でアメリカへ行っていたのです。

 もちろん、園長先生と担任の保育士さんは知っていましたが、ほかの保護者の方などに余計な不安感を与えてはいけないということもあり、周囲には極力黙ってることにしていました。

 この米国出張はかなり前から決まっていたのですが、4月下旬にメキシコ・アメリカで感染者が出た時点でたぶんなくなるだろうという推測をしていました。
 私はそんな気分で連休中に逗子の自宅へ帰ったのですが、明石に戻る前に「出張は予定どおり」という連絡を受けました。母親が不在の間、少しでも父親の力にならなければという思いで明石に戻って来たのです。

 この時すでに保育園から「連休中に海外へ渡航したり、近日中に海外へ出る予定のある家族がいる場合の注意事項」というプリントが出されていました。その指示どおりに保育園に届けましたが、さすがに園長先生も戸惑い気味で、私にも帰国後のことについて、「くれぐれもよろしくお願いします」と心配そうに話しかけてきました。
 要するに、万が一にもウイルスを保育園に持ち込まないでということなのですが、いくら気を配っても相手は目に見えない曲者です。絶対大丈夫と誰が言えるでしょうか。

 「帰国後7日間母親は保育園には近づかない」「母親とKAZUとの接触もなるべく少なくする」「少しでも風邪気味であれば保育園を休ませる」というような話をしました。

 そして渡米の前日、神戸の高校生が発症。その翌日にドライブがてら車で娘を関空へ送った帰り道、車のラジオでは感染者が神戸市を中心に増え続けているとの報道。

 母親がアメリカへ旅立った翌月曜日、外はマスクをしていないと申し訳なくて歩けないような状況。さらに明石でも感染者。そして保育園から休園の連絡。

 考えようでは、国内の、それも私たちが暮らしている地域で感染が拡大しているのですから、KAZUの母親がアメリカに行っていてももう関係がなくなったという安堵感もありました。成田空港などの検疫担当医師が地域医療に戻りつつあるというニュースも流れましたし。

 ところがどっこい、数日後に首都圏でも感染者が出たのですが、最初の二人とそのあと何人かがアメリカからの帰国者だったのです。母親の帰国を前にして、なんとも困った事態になりました。
 あとは、何事もなく帰国し何事もなく一週間が経つことを祈るだけになりました。KAZUだって、男二人を相手にしているのも、きっと飽き飽きしているにちがいないし、母親との接触を少なくするなんてできるわけがないのですから。

 そして母親の帰国の日。夕方保育園に行くと、担任の保育士さんから「今日お帰りですよね、お元気なんですよね」ということばが。

 ということで、「あと一週間、6月の初めまで、だれも風邪をひかないこと」、これがわれわれに課せられた課題となったわけです。

 今までの人生の中で、これほど手を洗ってうがいをしたことはなかったと思います。睡眠にも注意、ヤキトリ屋さんの前も素通り。

 そして、待ちに待った一週間後がやってきました。大丈夫でした。重かった肩の荷がおりました。


 ところで、日本国内での感染者は300人あまりとのこと。宝クジで億万長者になるのと同じくらいの確率でしょうか。ということは本当はそんなに気を遣う必要はないのかもしれません。
 しかし、現実は甘くないのです。大問題は宝くじの末等に当たるのと同じくらいの確率の、ごくふつうの風邪にもかかれなかったということです。今回のような状況下で、もしそうなったら、おそらく家族は社会的に隔離されてしまうかもしれないのですから。そのことは、感染者を多く出した高校に対して、社会がどういう眼差しを向け、どう対応させたのかを見れば一目瞭然です。


 「自分は自分、周りに振り回されることはない」といっても、やはり人間は社会の中で生きているのです。その社会が個人をどう扱うのかということが問題なのです。

 アメリカから帰国後に発症した首都圏の高校生。在学する高校の校長が、会見で涙ながらに「本人は申し訳ないと泣きながら謝罪をしています」と言いました。あの校長は役者ではありません。あくまでも本人はいい子なんだということを演技ではなく本心から伝えたかったのだと思います。しかし、このことばが本当に本心から出たものだとすればやはりおかしい。本人は悪くないのですから。いったい誰に謝罪をして誰に許してもらいたかったのでしょうか。
 そして、もしこのような話題が美談めいて伝わったとすれば、それを美談として受け入れる社会とその社会を支えているわれわれは、もっと冷静になって反省すべきだと思います。

 空気の乾燥する秋以降に備えて、今回起きた現象を一人ひとりが検証しておくことが大切なのです。


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