チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

おつまみでないアーモンドと甲子園

2009-03-28 08:31:30 | スポーツ観戦等
3月28日(土)

 甲子園の野球をまだ観客の少ない一回戦の時期に、日だまりの中で見たいと思っていました。WBCの野球に夢中になっているうちに春休みに入り、テレビ画面で見るスタンドもだいぶ賑やかになってきました。早く行かないとと気が急いて、一昨日の木曜日(26日)に出かけました。

 久しぶりの阪神電車、一週間前に三ノ宮から近鉄奈良まで直通の路線が開業したばかり。
  

 甲子園の手前、芦屋のそばの深江浜。ここに花見の名所があると聞き、立ち寄ってみました。タクシーが止まったのは「東洋ナッツ」という会社の工場でした。
  
  
 幼稚園の園庭ぐらいの前庭に2~30本の桜の木がと思いきや、実はナッツ会社らしくアーモンドの花でした。
  
   

 満開をちょっと過ぎたくらいでしたが、桜の花よりもひと回り大きく、淡いピンクの花びらと鮮やかな赤い花芯、なかなか趣のある風情でした。
  

 5~60人しか入れないのではと思う敷地でしたが、帰り際に観光バスが2台やって来ました。タクシーの運転手の話では、数日前の3連休は身動きがとれなかったとのこと。まったく、さもありなんと思った次第です。


 ナッツ工場ビール片手の花見客   弁人



 さて、甲子園です。ちょうど第一試合が終わったところでした。延長戦での決着というかなりの熱戦だったようで、スタンドには興奮の余韻が漂っていました。
 第二試合は、関西の雄天理と早稲田実業。好カードとの下馬評もあり、まだ一回戦なのにかなりの熱気でした。
 新装なった銀傘とほぼ満員の観客
  

 6回に天理が追いつき、緊迫した展開
  

 結果は、早実が9回サヨナラで勝ちました。


   花冷えの空に白球打ち上がる   弁人


 第3試合は、冷たい風の中マフラーを首に巻いて見ていましたが、試合は大熱戦でこんなスコアなのでした。
  

 甲子園の野球、面白いはずですね。


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今日のつぶやき 「WBCが終わって」

2009-03-25 16:28:30 | つぶやき
3月25日(水)

 明石に来て半年が経ちました。孫の様子やこちらで見聞きしたことを、写真を中心に下手な俳句を添えてブログで伝えていますが、心のどこかに「こんなことがありました」という報告に終始しているだけとの思いがありました。
 
 そこで今回、「つぶやき」という新しいカテゴリーを設けました。日々の暮らしの中で感じたことや気になったことなどを気ままに綴ってみようと思っています。


 第1回は「ワールドベースボールクラシック-WBC」について感じたこと二点。

 一つは、「原辰徳の非凡な統率力」。

 アンチ巨人だからというわけではありませんが、私は現役時代の原辰徳はあまり評価していませんでした。高校時代から注目を集めていましたが、スポーツマンとしては気性が優しすぎたのか、勝負もろさが目につきました。甲子園でチャンスに力んでキャッチャーフライを打ち上げたのを目の前で見たことも印象に残っています。長嶋や王に比較されるので気の毒ですが、やはりジャイアンツの主砲としては物足りなさもありました。
 しかし、ジャイアンツの監督になってからは、不振がちの清原をうまくコントロールして使ったり、最近では、スター選手が居並ぶ中で坂本や亀井などの若手をしっかりと育てている点など、なかなかだなと好感を抱いていました。

 今回はまさにその経験が生きたのだと思います。超一流のスター選手30人近くからなる集団をまとめるのは至難の業ですが、選手起用の面でもチーム内に不協和音を生じさせませんでした。
 例えば、大舞台の準決勝・決勝で、藤川球児の調子を見てダルビッシュを抑えに回しましたが、こういうことは選手との間に信頼関係がなければできるはずがありません。
 そして、私がいちばん感心したのは、村田と栗原の入れ替えでした。故障して出られない選手をベンチに入れておく必要がないのはもちろんですが、それまでの村田の活躍ぶりと貢献度、急遽アメリカに飛んでくる選手の時差ボケと緊張感を考えると、最後までベンチに入れておきたいと思っても仕方のない状況だったと思います。しかし彼は情に流されたりはしませんでした。迅速かつ果敢な決断。村田が故障した試合中に日本へ連絡を取り栗原を招集していました。カープファンの私は高松でのタイガースとのオープン戦を気にかけていましたが、栗原は試合前のシートノックを受けている最中に通告を受け、私がチャンネルを切り換えた時には、すでに彼は球場にいませんでした。

 このような決断がなぜできたのか。なぜみんなが納得したのか。それは、「勝利へ向かって最善を尽くす」という一点だったと思います。勝負事ですから負けることもあるでしょう。しかし最も大切なのは、最後の最後まで勝つためにどれだけ精一杯戦ったかということです。重圧や周囲の雑音をはねのけるには、なんとしてもこういう姿勢と信念が必要なのです。それが原辰徳の中にしっかりとできていて、選手の中にも浸透していたということだと思います。監督がどんな采配をしようが、それは勝つための最善の道であると選手たちが信じている。私は、こういうチームを作り上げた原辰徳の監督としての統率力に感心しながらテレビ観戦していたので、ピンチになっても比較的落ち着いて見ていられたのでした。


 二つ目は不愉快な話題ですいません。「理解できないメディアの姿勢」

 18日(水)の第2ラウンドの韓国との3試合目、日本に勝利した韓国選手がまたしてもマウンドに韓国国旗を立てました。こんなことをするのは韓国だけでしょうが、何とも言えない強い嫌悪感におそわれて、オリンピックやサッカーのワールドカップを含めて、国別対抗のスポーツのイヤな面を再認識しました。純粋にスポーツ観戦が好きなだけの人間は国別対抗のスポーツは見ないようにすればいいのでしょうか。

 ところで、私が理解できないのは、論評とか説明とかをいっさい抜きにして、この光景を繰り返し紹介するテレビ局の姿勢です。この光景をまのあたりにして悔しがっている日本人選手の映像もあり、不愉快な光景として流しているのだろうとは思いましたが。
 しかし、大事なのはその「不愉快」の内容です。もしかすると、「国家を背負って戦っているのだから、行為自体は理解できる」と思っている人もいるかもしれません。そう思ったのは23日にアメリカに勝ったあとに、テレビ解説をしていた元メジャーリーガーの口から「明日は韓国にぜひ勝って、マウンドに日の丸を立ててほしいですね」という発言でした。ああやっぱり、嫌悪感を持っていない人もいるのだと暗然としました。今から考えると、韓国に対する単純な対抗心だけから出た発言だったのかもしれませんが。
 大人がこの状況。それでは、判断力の乏しい若者や子どもたちは、何の論評もなく繰り返し流されるテレビの画面を見て、いったいどういう印象を抱いたのでしょうか。アメリカ戦のあった23日の夜のニュースステーションでは、「日本が勝って両国の国旗を立ててほしい」という小学生からのメッセージが紹介されました。さすが子どもらしく「お子さまランチ」を連想というのは冗談で、おそらく日韓仲良く友好的にということなのでしょうが、やはり子どもの心の中で、マウンドに旗を立てる行為自体が容認されていたのです。
 それにしても、たくさんの意見が寄せられた中からこのメッセージを取り上げたということは、これがこのテレビ局の考え方で、バックにある朝日新聞の姿勢と捉えられても仕方ないのではないでしょうか。がっかりです。

 とにかく18日以降は、韓国には早く敗退してほしいというのが正直な気分でした。そして23日のゲームの後は、日本がアメリカに負けたほうがよかったと思ってしまいました。夜のテレビを見た後は、翌日の日韓戦が憂鬱になって、もし日本が勝って日の丸を立てたらどうしようかという不安に陥りました。まったく、つまらないことでスポーツの面白さが損なわれてしまうものです。

 結論。純粋なスポーツ好きは試合だけに集中して楽しむしかないということです。スポーツを利用したナショナリズムの高揚などというよけいなことを考えてはいけないのです。きっと。



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陽光いっぱいの一日

2009-03-23 15:44:35 | KAZU君
3月23日(月)

 いよいよ年度末ですが、大詰めのWBC野球、桜の開花のニュース、甲子園の開幕とわくわくする忙しさの中で落ち着きません。

 3連休の最終日の昨日は、朝から嵐のような雨まじりの南風、「台風の時はもっとすごいのかなぁ」と思いながら、ふだんは穏やかな明石の海に波頭が舞う初めての光景を眺めていました。


 嵐の前日の21日の土曜日は、朝から気持ちよく晴れわたり、春らしい穏やかで気持ちのよい一日になりました。
 こういう日にじっとしていたら神様に叱られそうなので、KAZUとみんなでドライブに出かけました。
  ご機嫌のKAZU
  

 この連休から明石海峡大橋の通行料金が格安になり大混雑です。それで、敢えて反対方向へ。
  丹波の春日の里
  

  初めて外の地面に座って戸惑い隠せず
  


   青踏みて丹波の国の日向ぼこ   弁人


  内陸の寒冷地。まだ梅が咲いていました
  

  今日の目的は昼の但馬牛。残念ながらボクは眺めているだけ
  

  このレストランは牛や馬を飼育しています
  

  午後は西の方へ下り、朝来(アサゴ)市生野の「播磨屋本店」へ
  

  この店は「おかき」や「せんべい」で有名な兵庫の名店
  

  茅葺きの母屋で休憩
  

 豪農の館のようなお邸がレストラン風にアレンジされていました。メニューを見ると、どうもご飯もののほか「ぜんざい」や「おしるこ」の甘味が売りのようでした。われわれは「おうす、あべかわセット」をいただいて帰って来ました。


    山あいで家族団欒わらび餅   弁人


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「山陽大動脈-列車風景」 その1

2009-03-20 18:04:40 | 鉄道
3月20日(金)

 風のない日は、明け方に列車の音で眼を覚まします。実は私のマンションの前のすぐ向こうには山陽本線が走っているのです。ベランダから海はよく見えますが、線路は住宅の下で見えず、音だけが聞こえてきます。

 少し西の方へ目を向けると、海の手前に大きなマンションがありますが、ここは線路と国道2号線をはさんだ向こう側になります。
 
 右上は「たこフェリー」。左下の丸の中に駐車場が見えますが、その向こうが線路です。
 拡大すると、車の向こうに電車の屋根とパンタグラフが写っているのですが。
 


   春彼岸列車の響きに目覚めたり   弁人


 マンションの前の道を100mほど下って行くと見通しのよいところに出ます。
   

 線路は6本。右の2本は貨物列車用だと思いますが、今は「新快速」や特急列車との併用になっています。写真の列車は、京都・米原方面行きの上り「新快速」電車です。

 その左の2本も同じ山陽本線で、「神戸線」と言われて、「快速」と「普通(各駅停車)」電車が走っています。

 向こうの2本は三宮と姫路を結ぶ山陽電鉄で、梅田から阪神電車の直通特急が乗り入れています。

 線路の向こうにトラックが見えますが、この道路が国道2号線。2月頃から年度末の工事で平日は大渋滞です。
  
  下の写真は山陽電車とJRの電車
   

 「ここは山陽道の大動脈なんだなぁ」と感慨に耽っていると、後ろから下りの貨物列車が。不況の影響か、コンテナの載ってない貨車が多くてちょっと寂しい。
   
   

   カラ車両黄塵排し走り去る   弁人


 坂を下って振り返ると、姫路方面行きの下り「新快速」が来ました。
   

 神戸方面へ5、6分歩いて戻ると、海岸に出る朝霧駅の歩道橋があります。線路と国道を越えると目の前に淡路島。ここからの海の眺めはなかなかなのですが、逆側に視線を向けると、ここも大動脈が一望です。
   
  上の写真は梅田行き阪神直通特急とJR快速電車


   光る風鉄路の彼方に思ひ馳す   弁人


 雨の日以外は、保育園からの帰りに線路伝いを歩きます。電車が次々と来るのでKAZUも興味深そうです。夕方は通勤電車ばかりなので、今度休みの日に、貨物列車や特急列車を見せてあげようと楽しみにしています。
   

 鉄道好きになっちゃうかな。


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春告魚-明石海峡のいかなご

2009-03-14 08:14:40 | 明石風物
3月14日(土)

 「いかなごのくぎ煮」はご存知ですか。明石海峡の名産品です。

 「いかなご」には、くぎ煮にする「新子」(3~6センチの小魚)と成長した「古背」(10㎝位でドジョウを大きくした感じ)があります。
 「古背(フルセ)」は一度鍋にしてみましたが、ちょっとグロテスクで今ひとつでした。「新子(シンコ)」のくぎ煮は日もちもするし真空パックもあるので、遠くへ発送したりお土産にしたりということでよく知られています。

 北海道のニシンとか、各地に「春告魚」が存在するようですが、こちらでは「新子」の漁が春先に解禁となるので、「春を告げる魚」は「いかなご」ということになります。

 今年の解禁日は、明石海峡の大阪湾側が2月28日で播磨灘側は3月2日でした。
   

 くぎ煮は販売業者だけではなく、多くの一般家庭で独自のものが作られ、近所どうしで交換したり遠くの親類や知人に送ったりするのです。ということで、2月の末から、こちらのスーパーでは、鍋や容器や調味料などのくぎ煮用品がメインの一角に並べられます。
   

 先週末に「魚ン棚」へ行ってみました。10時半頃でしたが、何軒かある魚屋の前はどこもご覧のような行列です。
   
 漁は早朝から昼頃まで行われ、水揚げされたばかりの新鮮な「新子」の入荷を待っているのです。

 先日、朝日新聞の神戸版に
「イカナゴの稚魚、近年にない不漁。価格二倍、でもすぐに完売。産卵減?海水温上昇の影響?」
という見出しで大きな記事になっていました。
 
 フェリー乗り場の近くに「水産物分場」というのがあるので10時ごろ行ってみました。これが水揚げされたばかりのいかなごの「新子」です。
   


    昼網のいかなご澄みて静かなり   弁人


 6センチくらいのもあり、少し大きいような感じ。日ごとに大きくなっていくのかもしれません。ラジオ番組で「くぎ煮には3、4センチぐらいが最適」という話も聞きました。

 いかなご漁は「二隻曳き」の形態で、下図のように2隻の船が網を曳き、三角形の頂点にいる船が周囲の安全確認と魚影を捉えて指示を出す役割を担っているようです。

      

 2隻平行に並んでいるので、海岸に行くとすぐにわかります。
   

 多い時には40組ほど漁に出るので、100隻を優に越える小舟が狭い海峡に散らばり、安全確保のため、海上保安庁の船が走り回り、大阪湾海上交通センターも航行する船に注意を呼びかけています。
 海峡を横切るたこフェリーは特に大変そうで、漁船を避けて大きく迂回することもよくあるとか。
   


     いかなご漁長閑に眺め泳ぐ蛸   弁人


 さて、ここまでいろいろ調べたり観察してくると、どんな気持ちになるか、お分かりですか。そう、作ってみたくなりますよね。
 ということで挑戦しましたので、その顛末を報告します。

 まず「新子」の購入です。
 例年、キロ1000円から1500円ほどで、どこのスーパーでも置いてあるポピュラーな魚らしいのですが、今年はあまり見ませんでした。
 あるスーパーで初めて出会った時の値段はキロ2300円でした。
 11日の水曜に垂水の魚屋へ下見に行くと、やはりどこも行列でしたが、キロ2800円が2軒で2500円の店が1軒でした。
 作る予定の金曜日は悪天候らしいので、前日に仕入れておこうと一昨日魚ン棚に行くと2300円で売っていました。ところが、生の「いかなご」は一晩経つと鮮度が落ちてしまうそうで、「大丈夫、明日も漁はあるから」ということばを信じて、炊く当日の昨日改めて出直しました。
 実は、値は毎日変動するのでした。昨日は2500円でした。
 「2000円以上もするんだらとても買えんわ、今年はなしや」という女性の声もありました。
 湘南の生シラスはたしか500グラムで6~800円くらいだったと思います。やっぱりいかなごのほうが高いかな。
 でも、お店で売っている出来あいの「くぎ煮」がグラム500円以上はしますから、うまくできれば自前のほうがいいのです。

 うまくできなかったら、娘夫婦のところへ持っていけないけど、まあ、ここは気楽に考えて「今年は自分が口にすればいいか」という気分。といっても1キロ単位でしか売ってくれません。

 それで、300グラムぐらいでしょうか、釜上げにしてみました。
   
 こちらでは「釜揚げシラス」というのはあまり見かけず、乾き気味の「ちりめんジャコ」ばかりなのです。「シラス」といえば、逗子では釜上げはもちろん、生でもよく口にしました。そう、「新子」も一見「生シラス」のようなのです。釜上げにして、大根おろしを和えてカツオぶしをのせればおいしそう。

 さて、いよいよ「くぎ煮」です。
 独自色も出したいなと、初めてなのに気張って調味料を工夫しました。うまくいけば秘伝の味になるので公表せず。
 写真は、煮汁が少なくなって泡に粘りが出てくると、アルミの落とし蓋が下に下がるというのをハラハラしながら見ているところです。
   

 そのとおりになったので、弱火にして煮詰めました。
   

 粗熱をとってから網に移し汁気を切り、タッパに移して白ごまをふり、うちわであおいでいるところです。
   


    海眺めいかなご炊くや明石にて  弁人


 さっそく夕飯でたらふくいただきました。「釜上げ」はちょっと茹で過ぎで50点、「くぎ煮」はまあまあでしたが、山椒を入れ過ぎたので70点というところでしょうか。

 とりあえず、今日の夕方にKAZU一家のところへ持って行って、いかなごパーティをという予定ですが、きっとがっかりするだろうな。


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春を告げる法会-二月堂修二会

2009-03-11 23:56:09 | お出かけ・散策
3月11日(水)

 春を告げる行事として有名な東大寺二月堂の「修二会(しゅにえ)」。大きな松明が欄干を走り抜ける光景は、テレビでもよく紹介されます。

 旧暦の2月12日の夜半過ぎに神聖な水を観音菩薩にお供えするところから「お水取り」と言われていますが、その12日前から2週間、「お松明」による「火の行」が行われます。

 今年は3月1日からで、さっそく夜のテレビニュースで紹介されていました。ちょうど琵琶湖のマラソンを見てきた日だったので、帰りに奈良まで足を伸ばせばよかったと後悔しました。そんな気分で、勇壮で幻想的な光景を思い浮かべているうちに、やはりじっとしていられなくなりました。
 情報によると、12日以降は大変な混雑で入場規制があるとのこと、10日の火曜日(昨日)は天候がよさそうということで出かけました。


 夕方までに着けばとも思いましたが、せっかく奈良まで行くのだからと朝から出かけました。でも花粉症がひどくてゆっくりと散策という気分にはなれません。大阪へ出る電車の中で「お湯にでもつかって花粉を洗い流してから行こうかな」と思いつき、阿倍野橋から近鉄南大阪線に乗って、富田林の東の太子町にある太子温泉へ。
       
   

  あたりは一面のビニールハウス。ぶどう栽培だそうです
  

 ここは近くに聖徳太子の廟があって、そのゆかりの温泉とうたっています。大阪府ですが、すぐ東の県境には
 「もも伝たふ磐余の池になく鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」
という辞世の歌で有名な大津皇子が眠っている二上山が横たわっていて、のん気にお風呂につかっているのも気が引けるようなところです。
  車窓からの二上山
   


   光る風いにしへおもほゆ太子の湯   弁人


  橿原から京都線で奈良へ
  

 16時ごろ近鉄奈良駅に着きました。改札を出たところに案内の人がいて、入れなくなると大変なので早く行っていたほうがよいというアドバイスがあり東大寺へ直行。
  大仏殿前
  

  夕方の二月堂、西向きなので夕日に映えていました
  

  点火前のお松明
  

  カメラマンや場所取りの人はいましたが、まだガラガラでした
  

 お松明は19時。シートも携帯のイスもないので、開山堂の石段に座って、かゆい眼と寒さと闘いながらじっと待つこと2時間余り、やっとその時が迫ってきました。
 見物人もどっと増えて、もう火の粉のかかる方へは近づけなくなりました。
  

 その時、目の前の三月堂の上に丸いお月さまが(この日は旧暦2月14日で満月の1日前)。まさに「春日なる三笠の山に出でし月」なのでした
   


    お水取り三笠の月に照らされて  弁人
  

 いよいよ明りが消され本番です。松明は10本ですが、次々とは登場しません。1本が北西の角で火勢を整え、一気に南西の角へ走り南側で一段落しそうなころ、次の松明が北側から現れます。並んで何本もと想像していましたが、1本ずつ思ったよりゆっくりというところがかえって幻想的な美しさを映し出していました。僧の姿はよく見えませんが、とにかく勇壮で力強い動きが手にとるようにわかるダイナミックな光景でした。
  


    修二会僧影法師となり踊りけり


 プロの写真は実にきれいです。おそらく2~3分シャッター開放にしているのでしょう。こんなにたくさんの光は実際にはありません。
   


〔余談〕 帰りは近鉄奈良線で鶴橋に出、環状線で大阪駅へ向かいました。ところが、大坂城公園で事故による運休で降ろされてしまいまったのです。運休が鶴橋なら、いや途中駅の玉造や森ノ宮でも、次の京橋でも乗り換えができたのに、夜遅く土地勘の乏しいところで途方に暮れました。電話で娘のアドバイスももらい、なんとか地下鉄のビジネスパーク駅まで歩いて梅田にたどり着いたのでした。


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新芽の伸びるがごとし

2009-03-09 12:25:21 | KAZU君
3月9日(月)

 スギ花粉の最盛期、いやぁ、明石も同じです。今年もやっぱりまいっています。

 何もかもがうっとうしいので、髭も落としてしまおうかなと思ったりしましたが、KAZUが髭を引っ張って喜ぶし、保育園の子どもたちも「おひげのおいちゃん」って寄ってくるので踏んぎりがつきません。

 そんな中、昨日の日曜日は市販の薬の力も借りてなんとか症状をおさえて、昼前から数時間KAZUと二人で過ごしました。

   

 「ママが楽天ファンで」と先日の記事に書きましたが、その楽天のオープン戦が明石でありました。
 春らしくなったとはいえ、乳児が外気の中で長時間じっとしているのは無理そうだし、夫婦二人で楽しんでくるのがなによりと思って、KAZUと私が留守番をすることにしたのです。

 それにしても、この10日間程のKAZUの成長(進化?)ぶりは、びっくりするほどめざましいのです。
 ひと月程前までは、ゴロゴロするのが精一杯で、よつんばいになっても後ろにしか動けなかったのですが、その後、座って一人で遊べるようになり、感心しているのも束の間、すぐにハイハイができるようになりました。
 デジカメで撮った動画の拡張子の変換がうまくいかなくて、ブログに載せられないのが残念です。
   

 昨日は、そんなKAZUと家の中で遊んでいたのですが、昼過ぎに日差しが出てきたので、二人で海岸へ行ってみました。
   


    水温み児等の視線の柔らかさ   弁人


 初めは元気だったのですが、お日様がまぶしかったのか、眼をほそめて春の空気をすっているうちにそのままおやすみになってしまいました。
   


 ところで、最近、保育園の友だちを見て真似ているのか、生えたての歯が痒いのか、はたまた私が口笛を吹いたのが気に入ったのか、唇をとんがらせて「ブーブー」と息を吐くのが大好きになりました。離乳食を食べている時も面白がってやり、大人を困らせます。
 写真は、帰って来た母親に抱かれて得意の「ブーブー」
   


    山笑ひ孫はおどけて口結び    弁人


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小田原ういろう物語 その4(最終回)

2009-03-08 01:54:41 | 小田原ういろう
3月8日(日)

 このシリーズはずいぶん間があいて、前回の「その3」から3カ月ほど経ってしまいました。

 10月に、明石銀座の和菓子屋さんで「ういろ」を発見したのがきっかけで、「ういろう」の思い出を綴ってみたのですが、話が長くなってしまい、分割して載せてきたわけです。
 今回は最終のつもりで、昨年夏の「外郎売の口上大会」に参加した話で締めくくりたいと思います。

 昨年の夏、KAZUが生まれたあと、秋から明石へという話になりました。はじめは「まあ、いいか。けっこうおもしろいかも」という気楽な思いでしたが、よーく考えるとそんなに簡単なことでもないのでした。

 気分的なことで言うと、何事も先が見えないのはちょっとつらいもの。ところが、いつまでという話にはならず、とりあえずという状況。
 「須磨・明石を流離った光源氏のように、いずれ戻ってくるんだ」という思いの中で、ふと、道真のように西国に留まったままの人のためしも頭をよぎって、ちょっと複雑な思いに駆られていました。

 そんな時に、八月の末に行われる「外郎売の口上大会」の参加者募集を知り、神奈川での思い出のひとつになるかもしれない、それに「群読」ならステージの隅で大声を出していればいいという気楽な気分もあり、参加の申し込みをしたのでした。

  

 小田原市民会館での「口上大会」は第一回の時に見に行きましたし、それ以外の催しにも出向いたことがありましたので、どんな人たちがどんな活動をしているかということもだいたいは知っていました。

 キッズの演技(小田原ちょうちん祭り)
  
 
   夕立が来ても動ぜぬ気合ひかな   弁人


 若かりし時から声の大きさには自信があったのですが、いざ練習会で発声すると素人丸出しで、さすがにふだんから活動されている方にはかないませんでした。それに「群読」の途中で、一人がワンフレーズずつ「早口言葉」をリレーするところがあって不安が襲ってきました。全部暗記しているんだという自負がいくらあっても、いざ大声で口を動かすと舌が回らないのです。そんなわけで、車の中、海岸の港の突端で、布団の中でとずいぶん練習をしました。

「おちや立ちよ茶立ちよ、ちやつと立ちよ茶立ちよ」
「菊栗きくくり三きくくり、合わせて菊栗六きくくり」
「麦ごみむぎごみ三むぎごみ、合わせて麦ごみ六むぎごみ」
というところなんかに当たったらどうしようという気分でしたが、幸い、私の担当は
「摘み蓼摘み豆摘み山椒、書写山の社僧正」
というところになり、少し胸をなで下ろしました。

 ところが、担当が決まったあと、もう一つ役割がまわってきたのです。
 後半に「おっと合点だ」というところがあり、この部分だけは誰かが一人で発声することになったのです。そして声も背も大きい私が指名されました。ことば自体は簡単なのですが、「群読」の最中なので、発声のタイミングに戸惑いました。さらにイントネーションやテンポなんかを考え出すと、どんどん難しくなってくるのです。でも、子どもたちからお年寄りまで全員が一生懸命な中で、その雰囲気に引っぱられてなんとかなりました。

 キッズの子どもたちはとても気さくで、楽屋の前や舞台のそでで会うと「おっと合点の先生だね」と呼びかけられ、「よろしく」とか「がんばって」とか声をかけてくれました。ちょっとしたことなのですが、こんなやりとりがとてもうれしくて、ほんとうに参加してよかったと思いました。

  群読
 

  参加者みんなで
 


    口上の声和してくる走馬灯   弁人


 大会のあとの反省会では、異口同音に「来年もがんばりましょう。明日からまた練習ですね、よろしく」ということばが出てくるので、私も笑顔で受け答えをしていました。
 秋になってから、「どうしたのですか、定例の練習会にいらっしゃって下さい」という声もかけていただきました。そんなことがあって、明石に来る時もちょっと後ろ髪を引かれる思いがあったのです。それからもう半年になりましたが、今はこちらに来る前の大切な思い出になっているのです。
 
 ということで、私のような者を優しく受けいれていただき、期待までしてくれた方々への感謝と罪滅ぼしの意も込めて、このブログで「外郎売の口上」とその活動の一端を紹介した次第です。おもしろそうだと思われる方はいらっしゃりませぬか。1月にはディズニーランドで口上披露をしたそうです。また今月の21日(土)には、日本橋のプラザ展示ホールで披露があるそうです。よろしかったらぜひお出かけ下さい。

 (外郎売の口上大会のHPを左のブックマークに入れました)


 ところで下は、今年の1月2日、箱根駅伝観戦時の写真です。
   
 2006年から山上りの区間が長くなり、小田原中継所が「風祭」から「外郎本舗」前に移りました。

 「川崎、かな川、程がや、とつかは走って行けば、やいとを摺りむく、三里ばかりか、藤さは、ひらつか、大いそがしや、小磯の宿を七つ起きして、早天さうさう相州小田原透頂香・・・」
            (外郎売の口上より)

    正月の古道を学徒走り抜く   弁人


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びわ湖毎日マラソン観戦

2009-03-02 20:20:09 | スポーツ観戦等
3月2日(月)

 ランナーを間近で応援するのが面白くて、箱根駅伝はもちろん、以前は横浜国際女子駅伝に出かけたこともありました。数年前には、大学駅伝の追っかけで、桑名から伊勢まで近鉄特急を乗り継いで行ったこともあります。

 でも、なぜかマラソンの応援に出かけたことはありませんでした。東京のマラソンなら、交通も便利で何ヶ所かで見られるはずですが、逗子から国立競技場へ行って、平和島まで乗り継いでまた新宿のほうに戻るというのがちょっと億劫だったのかもしれません。

 ということで、マラソンはもっぱらテレビ観戦でしたが、前々から琵琶湖のマラソンは一ヶ所で4回見られるということで、一度行ってみたいと思っていました。昨年の9月、こちらに来るときに瀬田の唐橋で一泊したのも、近江八景や石山寺など風光明媚で歴史ロマンがあふれるという魅力に惹かれたのはもちろんですが、マラソンコースを確認しておきたいという気持ちもありました。

 前置きが長くなりました。本題です。1日の日曜日、京都から浜大津に出て、三井寺のそばの皇子山陸上競技場へ。春らしいぽかぽか陽気で、比叡山はもちろん、雪を頂いた比良山系の山並みも明るく輝いていました。
  
    

 所要時間がわからないので、スタート前に瀬田の唐橋へ向かいました。京阪電車といっても2両編成の小型車両、途中路面を走る所もあり、まるで江ノ電のようでした。
   

 瀬田川にかかる唐橋。
   

 「壬申の乱」や「木曽義仲と源範頼の戦い」、また「承久の乱」や「本能寺の変」など、ここが舞台となった戦いは数多く、「唐橋を制する者は天下を制す」とも言われています。

 マラソンコースはこの川の西岸を南下し東岸を北上、復路は逆に、東岸を南下し西岸を北上します。つまり、橋を行き来すれば、同じ場所で4回見られるわけです。
 
 ということで、1回目は唐橋東詰の9.3㎞地点
   

      唐橋も争ひ楽しむ弥生かな   弁人


 2回目は「夕照の道」と言われる東岸の道で17.4㎞地点。後ろには新幹線が。
   

 そばのお寺の前に桃の花が咲いていました。
   

      棄権せし選手に優し桃の花   弁人


 4回目は勝負どころの33㎞過ぎ。
   
 旭化成の清水選手が先頭ですが、この時は向かい風で、ここでトップに出るのは不利ではないかと心配しました。後ろにエストニアのアスメロン選手とスペインのリオス選手、左にケニアのテルガド選手。


    瀬田川に先陣争ひ春嵐    弁人


 結果は、世界歴代2位の記録を持つテルガド選手が優勝。清水選手は4位に終わりましたが、日本人トップということで、8月の世界陸上の出場権を得ました。


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