チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

思い出いっぱいの「明石」が遠い世界に

2016-12-19 07:43:11 | 身辺雑記
12月19日(月)

  KAZU君。大宮駅で
  

 2008年の夏に生まれた初孫のKAZU君、一年のオランダ暮らしを経て明石の小学校に戻っていましたが、今回、明石の地に別れを告げ、実は今、逗子の家に逗留中です。

 生後二ヶ月ちょっとの時でした。9月の半ばを過ぎた頃から7年間、私はKAZU君のそばで暮らし、さまざまな思い出を作ってきましたが・・・。
 そのKAZU君の故郷の明石がとうとう遠い世界になってしまいました。今後、私に残された人生の中で、はたして再び訪れる機会があるかどうか。

 というのも、オランダから帰国した後、お母さんの職場復帰の話がうまく進まず、秋の終わりに、ようやく再就職先が埼玉の会社に決まり、KAZU君、復帰した小学校は二学期だけでお別れして、大宮へ移住することになったのです。
 実は、この秋、三回ほど逗子にやって来たのも、そんな事情があったからのことでした。

 明石のマンションの荷物の積み込みが17日だったので、その日に、先週半ばから片付けの手伝いに出向いていた妻君と一緒にKAZU君もひとまず逗子の家にやって来ました。

 引越しの家財は、昨日
  大宮の新居に到着
  
  

 とはいえ、お母さんは残務整理で明石へとんぼ返り、明日、最後の荷物を車に積んで明石からこちらに来ることになっているので、KAZU君の大宮での新生活のスタートは明後日以降になりそう。

 幸い、冬型の気圧配置が崩れて、明石からの車の移動中での降雪の心配はなさそうですが、寒い時期の長距離運転は心配なので私が同乗するプランを立てていたところ、息子が仕事の都合を付けて今日明石へ向かってくれたので大助かり、今日は我が家でちょっと長くなったKAZU君の冬休みの勉強に付き合っています。


   孫もまた荒波越えて年の暮   弁人


 KAZU君の新しい住まい。二階の窓から
  新幹線が見えます
  

 大宮駅から新都市交通ニューシャトルに乗ると一つ目の駅が鉄道博物館前です。そこからいくつか先の駅が

 今度の住まいの最寄り駅です
  
  

 そんなわけで、鉄道好きのKAZU君、少々寂しいことがあっても気が紛れるかもしれません。

 まあ、私の子どもたちの二家族とも首都圏で暮らすことになったのは事実。今は上野東京ラインもありますが、湘南新宿ラインを使えば逗子から大宮まで乗換なし、行き来はこれまでの比ではありません。上野で降りれば従弟妹のKANA君やCHUMUちゃんに会いに行くことも簡単です。

 そうは言っても心配事は尽きません。なにしろランドセルを背負ってから転校続きのKAZU君です。別れと出会いは思いも複雑で緊張感も伴います。慣れてしまうなんてことはあるはずもなく、今はまず、年明けからスムーズに学校生活に入って行けることを願うしかありません。

 さて、いよいよ今年も押し詰まってきました。

 それにしても、身辺多事多難だった2016年、来年は無事平穏で落ち着いた一年になってほしいと願っていますが、それは、KAZU君の大宮での生活が軌道に乗ってからということになりそうです。


   それぞれに漂泊の年の師走かな   弁人


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冬の寒さが到来しないうちに「花散歩」

2016-12-07 17:45:07 | 湘南・鎌倉・三浦ぶらり
12月7日(水)

 師走に入って気分的に慌ただしくなってきましたが、先月末から一週間余り、比較的暖かな日が続きました。

 小春日和は初冬の頃ですから、もうその時期は過ぎているものの、風がなくて穏やかな日が射し込んでくると、外はどんな具合だろうかとカメラを持って出かけたくなります。
 ということで、先日、大船のフラワーセンターへ行ってみました。

 園内に入ると、まずは
  コスモスがお出迎え
  

 その先に、鉢植えですが面白そうな花が目に入ってきました。
  「ミナ・ロバータ」
  
  (「スパニッシュフラッグ」とも)
 ヒルガオ科ということで葉はアサガオにそっくりですが、花は全然違います。始めは赤く咲き次第にオレンジ、黄、白と変化するそうで、一房(枝?)の花にその様子が見てとれました。

 そして、ドウダンツツジに
  カメラを向けたりしながら
  

 この時期らしい、ツワブキの黄色い花の
  脇を抜けると
  

 ようやく紅葉真っ盛りになったと言わんばかりの光景が
  目の前に
  
  

 プラタナスの葉は
  だいぶ落ちていました
  
 ふつうスズカケの木と言いますが、スズカケを漢字にすると「鈴懸」ではなく「篠懸」と書くそうです。

  その篠懸の実
  
 「篠懸」とは山伏が羽織っている衣のことで、両胸の辺りに丸い房が付いていますよね。その形に似ているところから付いた名前とのことです。

 この時期に?
  そうです、正真正銘「サクラ」です
  
 名前は「三波川冬桜」。三波川のある群馬県の桜山公園に植えられているのは国の天然記念物になっているとかで、この時期にいったん咲き始め、寒さが強まると残ったつぼみはそのまま冬を越し、春になるのを待って咲くのだそうです。ちなみに、その桜山公園とかでは12月初めに桜まつりがあるそうでびっくりです。
 そういえば、昔購入した「日本桜名所百選」という本の中に、たしかに群馬県の「桜山公園」のページがありました。私の家が逗子市桜山なのでなんとなく記憶に残っていて、帰宅後さっそく書棚から出してみると、なるほど上の説明どおりのことが載っていました。


   おっと、首傾げるように冬桜   弁人


 これは? そうそう、
  クチナシの花の実です
  
 明石の太山寺でもカメラに収め、ブログの記事にした思い出があります。一昨年の冬、2015年の2月頃だったでしょうか。

 落ち葉の中からひっそりと咲くのは
  スノードロップ
  
 日本ではマツユキソウ(待雪草)とも。小さくて可憐な花ですが、鮮やかな純白さがなんとも言えず魅力的です。
 ヨーロッパではこの花にまつわる言い伝えや童話がたくさんあるようです。

 次は、かわいい花がたくさん集まっている
  イソギク
  
 「キク」と言ってもいろいろです。この菊は葉の縁取りが白くなっていますが、実は葉の裏が白くてそれが表の縁に現れているのです。

 しんがりに、なかなかいい香りを漂わす
  ヒイラギの花
  
 漢字で書くと「柊」ですから、やはりこの時期の花なのでしょう。ヒイラギはギザギザの葉が特徴ですが、これはモクセイ科の木でギザギザがありませんでした。モクセイと言えばキンモクセイやギンモクセイが浮かんできて、なるほど香りのよいのも肯けます。
 
 なお、赤い実を付けるのはモチノキ科の「ヒイラギモチノキ」で、「ヒイラギナンテン」というのはメギ科で春に黄色い花を咲かせるそうです。


   色も香も健気にしたたか冬の花   弁人


 なんか、今回は急に花のことに詳しくなった感じですが、実は、この日はちょうど園長さんから案内をしていただける月一回の「花さんぽ」が開かれる日だったのです。
 ということで、この記事は、園長さんと職員の方の説明を受けながらの、いわば、うろ覚えの「俄か知識」といったところが大半でした。あしからず。


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ぶらっと、観音崎へ

2016-12-01 15:17:04 | 湘南・鎌倉・三浦ぶらり
12月1日(木)

 妻君から「横須賀美術館に行ってみたいんだけど、どこにあるか知ってる?」という質問が。
 どうも、テレビで特別展の案内を見たようです。

 もう10年ほど経つでしょうか、観音崎で「こんな所にこんなに立派な美術館があるんだ」と思いましたが、中には入りませんでした。

 車なら簡単に行けるのですが、なかなか交通不便な所で、車を運転しない妻君が電車で出かけるとなると、最後はどうしてもバスに乗らなければなりません。横須賀の路線バスには不慣れな妻君ですので、いずれにせよ一緒に行くのがいいかなと思っていました。

 ということで、一昨日ぶらっと出かけました。

 観音崎なら、海を見ながらのランチも楽しみかなと、車ではなく横須賀からバスに揺られて行きました。
 最寄りのバス停の京急ホテル前で下車すると、目の前に広がる東京湾には、

  久しぶりに見るLNGタンカー
  

 明石海峡では珍しくもなんともない光景なのですが、こちら逗子で眺める海は相模湾で、大きな貨物船などはずっと沖合を航行しているのでしょう、目に入るのはクルーザーやヨット、あとは小型の漁船くらい、大型船を目にすることはまずありません。

 考えてみると、横須賀から川崎にかけては一大工業地帯、ふだん東京湾側の海を間近に眺めたりする機会があまりないのでした。
 もしかしたら、シーパラのある八景島あたりからなら船を眺めることができるのかもしれませんが、孫でも遊びに来なければ遊園地には行きませんし、そんな時に海をぼんやり眺めるなんて考えられません。

 それはともかく、ちょっとしたお出かけとはいっても、やはり天気は気になります。予報では快晴とのことだったのですが、冬型の気圧配置で季節風が強かったのか、どんよりとした空模様。
 当てがはずれてがっかりしたものの、その北風のおかげで空気は澄んでいたのかもしれません、

 なんと、彼方に
  スカイツリーが見えました
  

 そして、
  目的の美術館へ
  

 展示室を出ると、
  お日様が戻っていました
  

 さて、観音崎といえば灯台です。鯵とシラスの地魚にマグロの刺身でお昼をいただいた後、海沿いの道を灯台へ向かいました。

 アオサギ。やっぱり
  どこにでもいるんですね
  

 洋式としては日本初という、
  歴史ある観音崎灯台
  

 天気回復、なんとも気持ちいい
  爽快な眺め
  

 船舶の航行という点では、おそらく日本でいちばん通行量が多く、難所中の難所である浦賀水道。灯台の果たす使命は計り知れないものがあるのでしょう、近代に入って真っ先に作られたのも肯けます。
 とはいえ、明治初期に作られた灯台です。現代の船の運行状況を背負うのは重荷ということで、今は観音崎にもう一つ大切な施設ができているのです。

 それが灯台の右に見える、
  これも白い塔
  
 海上保安庁の「東京湾海上交通センター」の管制塔です。

 私が明石にいた時に眺めていた海峡も大型船の航行が頻繁で、ベランダの正面の淡路島の上にも同じような塔が立っていました。その名も「大阪湾海上交通センター」、大型船舶の航行一覧などが載っているHPもあって、間接的に関わりを持ってきた施設でした。

 でも今日は、向かいが淡路島でなく房総半島。明石海峡とは一味違った眺めですが、思い出の光景を重ねるように、しばし浦賀水道を行き来する船を眺めました。

  
  
  


   潮の香に溶け込む船や師走前   弁人


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