チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「湘南電車」今昔

2009-09-29 23:54:56 | 鉄道
9月29日(火)

 入院中の母が退院するということで、一週間ほど自宅に戻り、逗子から東京へ通っていました。

 ふだんは横須賀線を利用しますが、途中で用事があると、大船・戸塚・横浜から東海道線に乗ることもあります。また、逗子の家に帰ると「ういろう」や「梅干し」の調達で小田原へ出向くことがよくあります。

  大船で乗り換える東海道線
     (窓の上に緑のライン・下にオレンジと緑)
  
          
 子どもの頃から「湘南電車」の愛称で親しんできた、おなじみの緑とオレンジ色の湘南カラーです。
 でもこの電車、私はちょっと違和感を覚えるのです。

  私が「東海道線だなぁ」と思う電車は
         (窓の上下にオレンジのライン・下の緑のラインは細め)
   
 そう、緑とオレンジの色の割合いが異なります。オレンジ色の多いほうが私のイメージする「東海道線」で、最初の緑の多いほうの電車は、7、8年前から運行されている「湘南新宿ライン」の車輛だと勝手に思い込んでいたのです。

 ところが、どうも最近の東海道線は「湘南新宿ライン」の車輛だと思っていた電車が多くなっているようなのです。湘南電車は昔から「みかん色」ですが、配色はどちらかというと、オレンジ色が主ではないかと思っていたのです。

  平塚駅のエスカレーター
      
 これで判断するのは難しいでしょうか。私にはオレンジ色主体に見えるのですが。

  京都からの帰途、新幹線ホームの自動販売機を見るとオレンジ一色
   

 もしかすると、JR東海がオレンジ色中心なので、JR東日本が緑にこだわっているのかなと思ったりしていた時、ちょうど先日、国府津駅にJR東海の御殿場線が停車していました。
  果たして、オレンジ一色のライン
   

 真相や如何にと思っている時、ふと、藤沢駅のキオスクのデザインは以前のままだろうかと心配になりました。
  ありました。感激
   
 これぞ、本当の湘南電車カラーなのです。あんまり懐かしくて、この電車の写真を探していました。
  あったぁ
   

 昔は、湘南電車も横須賀線も2つドアーで、いかにもちょっと遠くにお出かけという感じだったのです。やがて、ドア付近が1列シートの通勤型3つドアの車輛に変わりました。
  この頃から、少し夢が減少
   
 この電車はいつごろ消えたのか、つい何年か前まで乗っていたような感じがするのですが、もしかしたら、どこか地方で乗り合わせたのかもしれません。


     彼岸花眺むる列車はみかん色   弁人    


  東海道線もすっかりアルミ車輛になったと思っていたのに
   
  その車輛も少なくなって、やっぱり今日も緑色の目立つ電車が
   

 実は簡単なことでした。ホームに立っていて、足元の停車位置と案内放送でわかったのですが、この車輛は4つドアーだったのです。中距離電車もどんどん通勤電車化していて、私の好きな3つドアーの電車は少しずつ消えていく運命だったのです。

  そういえば、いつも逗子で乗る横須賀線も4つドアーじゃないか
   


 この間、東京で山手線に乗りましたが、なんと6つドアーの車輛がありました。どうも首都圏の通勤電車に少しずつ導入されているようです。
 乗り降りの効率を考えているのでしょうが、座席が極端に少なく、人間をそんなにもの扱いしなくてもという気分になりました。

 これからの社会、高齢化も進み、人口も減少に向うというのに、まったく。

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KAZU君だって、「シルバーウイーク」

2009-09-23 23:31:23 | KAZU君
9月23日(水)

 こんな時期に五連休。誰だって「どこかへ行きたい」けれど、どこも満員でなかなかプランが立てにくい。

 でも、淡路島の「かんぽの宿」が取れました。

 逗子から私の妻君も駆けつけて、まずは家族みんなで空いている「たこフェリー」に
   

 今日は黄色の「あさかぜ丸」。船内には子どもの遊び場も
   

 港が近くていつでも乗れそうですが、実はKAZU君は初めてなのです
  

 淡路島の牧場でバーベキュー
   


    無の境地ウッドデッキの秋の昼    弁人


 そのあと、アヒルやヤギを御観察
  


 二日目。
 宿からKAZU君のマンションまでは、車で橋を渡ると1時間程でした。
 
 もう一度出直して、今度は「特急スーパーはくと」で京都へまっしぐら
  

 嵐山を散策
  

 会席料理の宿で一泊した翌日、KAZU君をトロッコ列車に乗せたくて、朝早くから並んだのですが超満員。
  
 写真だけ撮って、亀岡へは山陰線で向かいました。

 そして、今回の旅の目玉の保津川下り
  
     


    保津川に孫が指さす石たたき   弁人


 というわけで、明石を基点に、あっちへ行ったりそっちへ行ったりという家族旅行でした。

 でも、遊んでばっかりはいられません。お茶の水の病院にいる母が連休明けに退院するという連絡があり、京都駅でKAZU君と別れて、妻君と一緒に逗子に帰って来ました。

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秋の香りの中で

2009-09-18 09:42:01 | KAZU君
9月18日(金)

 すっかり秋です。今年は閏月があったのでしょうか、仲秋のお月見は10月初めになっています。
 欠かせないのはススキですが、KAZU君の住まいの近辺はパンパスグラスがあちこちに群生しています。ねこじゃらしが好きなKAZU君も興味津々。
   

 保育園の帰り道。陽が落ちるのも早くなり、ちょっと寄り道をすると、すぐに夕暮れの気配が。
   

 道沿いの民家に真っ赤なセンニチコウ、「ストロベリーフィールド」と言うそうです。
   

 真っ赤と言えばケイトウ。これぞ真紅という鮮やかさ
    

 明石市営バスはいろいろなコマーシャルをコーティングしたバスが走っています。今日は「カワサキ」のバスが駅にいました。
   



    今日もまた孫と一緒に秋の風   弁人


 赤いシャツを着て、赤い花を見て、お尻の赤いバスを見送って、すっかり興奮?のKAZU君。赤いスプレー缶を手に「わいのオデコの血ぃ吸った奴ぁ、どこやねん、許さへんでぇ!」
      

 わんぱくぶりも板について。おむつ替えを拒否?
   

 おいしいものは手づかみで
   

 海岸の公園、肩車でご満悦
   

 この日は、そのまま海辺のレストランでバーベキュー
   



    夕暮れの団欒爽やか海の風    弁人


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「ありの実」は「梨」の「忌みことば」

2009-09-15 21:16:52 | ことば・あれこれ
9月15日(火)

 前の記事の最後に「あった、あった、さすが『ありの実』」と記しましたが、若い人の中には「なに?」と思う方もいるようなので、今回は「忌みことば」について。

 葛飾の亀有。「こち亀」で一気に有名になりました。
    
 「亀有」という地名は、元々は「カメナシ」と言って、「亀無」「亀梨」と表記していたものを、江戸時代に「ナシ」は縁起が悪いということで「亀有」になったと言われています。テレビでも時々取り上げられたりするので、聞いたことのある人も多いかもしれません。

 こういうことばを「忌みことば」と言います。

 子どもの頃、周囲の大人が「梨」のことを「アリノミ」と言うのを聞いて、甘くておいしいので「アリンコが好きなんだろうな」と思っていましたが、上のような事情で生まれたことばなので、表記は「有りの実」です。

 以下、「忌みことば」の例を思いつくままに挙げてみます。

○ 「キネマ旬報」という映画雑誌があります。「死ぬ」を忌み嫌って「シネマ」という音を避けたもよう。
      

 「シ」を避けるといえば、数字の「4」を嫌うのも同じ発想でしょう。

 そういえば、私は42才の時1年9組の担任だったのです。厄年でもあるし、「死に行く」という語呂がふと頭に浮かんで、周囲に、笑いながら「今日はどうなるかな」と口走っていました。でも9組はいい子ばかりで、とても楽しい一年間だったのを覚えています。
 昔、本屋で立ち読みしていたら、陸運局では「4219」という車のナンバーを希望のない限り出さないそうで、さもありなんと思っていたら、そのあとに「始終荷が行く」と読んで、運送業者から希望があるということも書いてあって感心しきり。
 要するにものは考えようということですが、それではこの話題が面白くなくなってしまいますね。

○「刺身」の「刺す」、「切り身」の「切る」を嫌って「お造り」と

○「猿」が「去る」に通じるので「得手公(エテコウ)」に

○「するめ」の「スル」が賭け事に負ける意味があるので「当たりめ」に
 (「すり鉢」を「あたり鉢」って言うんだと言っても、若い人には通じないのでしょうか)
                 等々。 

 話を「亀有」に戻します。人気タレントに亀梨クンがいますが、彼は本名で活躍しているそうで、「亀梨」という苗字もあるのです。
 「カメナシ」の語源についてはいろいろな説があるようですが、一説に、大昔に朝鮮半島から移住して来た人に「金(キム)」という姓が多く、漢字で「亀無」と音読みで表記したものを訓読したというのがありました。地名と姓の両方ということになると、この説は説得力があるように思います。今の亀有の辺りに「金(キム)」さんたちが住みついたのかもしれません。

 「亀梨」の二文字を眺めていると、小学生の頃口ずさんだ「山があっても山ナシ県」という語呂が思い出されます。「山梨」の語源も諸説ありそうですが、漢字表記を「山無」と置き換えると、「音無川」や「音無の滝」の「音無」の意味、さらに話が「神無月」・「水無月」の表記にも広がって、今回の「忌みことば」からどんどん離れてしまうので、今日はこのへんにして、「お開き」といたします。

 おっと、そうです。「鏡開き」というのも「割る」を嫌った表現だと思います。
それでは「お開き」に。

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ありそうでないもの(1)「長十郎」

2009-09-12 13:02:11 | 身辺雑記
9月12日(土)

 「ありそうでないものはナシ」ということで、今回は「なしのはなし=梨の話」です。

 私は酸っぱいものが苦手なので、リンゴはたまに口にしますが、ミカンやグレープフルーツなどのオレンジ系のものにはほとんど手を出しません。果物なら、梨か桃です。

 立秋を過ぎると梨の季節です。叔母のいる千葉の松戸・流山方面には梨園がけっこうあって、お盆のころに送ってもらいます。昨今は「幸水」か「豊水」です。子どものころに食べていた梨より確実に進化していて、甘みも水けも申し分なく、誰もが「これが梨」と思っているに違いありません。
 しかし、昔の思い出の梨、「長十郎」、あのシャキシャキっとしたした歯ざわり、味は淡白だったのかもしれないが忘れられません。

 この梨が消えてからどのくらいになるのでしょうか。もしかしたら、大人になってから一度も食べていないのかもしれません。
 就職した当時、南武線の溝ノ口のほうに住んでいる友人がいて、こんな会話をしていましたから。

 「俺のほう、のどかなもんよ。けっこうな梨の生産地でさ、梨園いっぱいあるよ」
 「そうだね、電車からも見えるね。・・僕は長十郎が好きなんだけど、最近見なくて」
 「長十郎じゃなくても、おいしい梨はちゃんとあるんだからいいんだよ」

 おそらく、「長十郎」の欠点を「二十世紀」系と掛け合わせることで解消したのが今の梨なのでしょう。そのかわり、歯ごたえにしまりのある「長十郎」が姿を消してしまった。

 以前、横浜線沿いの道を走っている時に、中山辺りだったか、梨の直売所があったので車を止めてみましたが、やはり「長十郎」はありませんでした。

 豊かな国日本? たしかに何でも手に入りそうな日本ですが、無いものは、やはり無いのです。店頭に並んでいるものの中から選ぶしかありません。


 ところが、昨年の秋の初め、川崎の小学校の総合学習の話題が新聞に載りました。農園と協力して「長十郎」を栽培、収穫したという記事でした。
 さっそく、川崎市へ問い合わせ、農園を紹介してもらいました。しかし、明石移住計画の算段に追われて時間が経ってしまい、連絡をとった9月中旬には「今年は終わりました」ということで、小さな夢の実現はお預けとなりました。


 先月下旬から逗子に帰っていたので「今年は逃さんぞ」という思い。9月に入って早々に車を登戸へ走らせました。
 道沿いに並ぶ梨園
 
    

 やはり並んでいるのは「豊水」「新星」といった品種で、「長十郎」を扱う梨園は限られたところのみなのです。そのうちのひとつが丸杉園(正確には○の中に杉の字の表記)。
  

 ご主人は近くの梨園で収穫の仕事でしたが、私の到着に合わせて直売所のシャッターを開けて待っていてくれました。価格、4つで500円でした。


    これなりと選びし梨のいと重き   弁人



 ということで、これぞ、もぎたての「長十郎」!!
  


    よく見よと姿凛々しき長十郎    弁人



 秋の夜長に虫の音を聞きながらの「長十郎」三昧でした。

 ということで、今回は「ありそうで、ない」ものが「あった、あった」、さすが「ありの実」というお話でした。


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「外郎売口上大会」、今年は観客で

2009-09-09 11:04:40 | 小田原ういろう
9月9日(水)

 母親の病院通いもありましたが、年に一度の「外郎売口上大会」、今年は9月5日の土曜日。せっかく逗子に戻っているのだからと、時間を確保して出かけました。

 今年の演目
    

 昨年はたしか14時開演だったとの記憶があり、よく案内を見ず、昼過ぎに小田原に到着したところ、今年は16時開演でした。

 時間があるので、いつものように「ういろう」を購入したあと、城下を散策。

 小田原城の南側、外郎本舗の裏にある「三の丸小学校」
  
   

 この校舎ができて20年くらいになるのでしょうか、最初はびっくりしました。武家屋敷か何かをでっかくしたような、いかにもお城の脇といった雰囲気で、とても学校とは思えませんでした。「都市景観賞」とか「学校建築賞」とかを受賞していると聞いたことがあります。

 数年前から復元整備されていた二の丸もきれいになりました。
  
   

 口上大会の会場の市民会館はかなり老朽化しています。ここはすぐ南の「城下町ホール」の建設予定地。いろいろな意見があり、今は広場になっています。
  

 「学橋(まなびばし)」。この橋が見えてくると、小田原に来たなという気分に。
  


    秋の空佳き日思ほゆ城下町    弁人


 そして、日頃の活動の成果満載の「外郎売口上大会」。

 できれば、今年も9月の初旬は時間をあけて参加したいという気持ちもありました。でも観客席でよかった。群読も今年は一人で発声する部分が多くなり、昨年一緒に参加した方は、皆さん、群読だけでなく他の演目でも活躍されていました。
 やはり、日頃の活動と練習の積み重ねが大切で、にわか仕込みで舞台の上に立つのは失礼でした。
 それでも、皆さんから「来れるのだったら、一緒にできたのに」と温かいことばをいただき、とてもうれしくなりました。

 実行委員会の桜井会長扮する「外郎売」
   

 会長から「打ち上げにぜひ」と誘っていただきましたが、ほんとうに楽しく参加できる日を期して会場をあとにしました。


    パンパスを片手に粋な団十郎   弁人


 ところで、4月にこんな絵本が発刊されました。
  
   

 NHKの「にほんごであそぼ」でも取り上げられた「口上」を、長野ヒデ子さんのなんともユーモラスな絵で着飾った絵本です。こういう形で「外郎売」が世に出て行くのはとてもうれしい。ぜひ本屋さんで手にとってみて下さい。

 さて、「口上」の中にはたくさんの早口ことばが並んでいますが、私はこんなことばの言い回しも好きなのです。

「此のういらうの御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に・・・」

 こういうことば遊びについては、「ことばあれこれ」と題して、後日記事にしたいと思います。

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'09夏が終わって

2009-09-03 23:58:23 | 身辺雑記
9月3日(木)
  (※ まず、音量を下げてからクリックです。すいません)

   

 都市対抗野球の観戦は、応援のボリュームに慣れないと、とても集中して見ることはできないのです。
 (東京ドームでの話題はこの記事の後のほうです)


    幼子の面影も秋の風の中    弁人

 たとえば孫のKAZUが離れたところにいて、この夏に久しぶりで対面したとしたら、それは大きな思い出になったことでしょう。
 でも、KAZUはいつでも会えるところにいたので、今回の記事は、その他の件をいくつか。


 ○ まず初めは、甲子園でのもう一つの出来事。

 私は長いこと高校で野球部の指導をしてきました。そう、今から26年も前のことになってしまうのです。その時の3年生というと、もう四十代も半ばになるかと思いますが、中心選手、キャッチャーで3番バッターだったK君が甲子園で主審(球審)を勤めました。

 彼は数年前から塁審として甲子園の舞台に登場していました。春は毎日新聞、夏は朝日ですが、朝刊にその日の審判団が掲載されるので、確認したあと、テレビ画面にくぎ付けになったり、もちろん球場でも、何回か直接見てきました。
 今年はセカンドの塁審を何回か務めていました。雨で二回流れた高知-如水館戦の担当だったので、二日目から三日続きの出番で、暑い中、ほんとうにご苦労さまのひと言でした。

 19日の水曜日。三回戦の最終日。テレビで第一試合に出てないことを確認してから、駅で新聞を求めて珈琲店に入りました。なーんと、第三試合の最初に彼の名があるのです。たぶん主審は初めてではないか、デビュー戦だとしたら、テレビじゃ失礼でしょう。というわけで、さっそく夕方の保育園のお迎えはキャンセルにして甲子園に向かいました。

  

 結果は・・、そりゃあ、(こういうの、見事な「何さばき」というのでしょうかね)もちろん無難に。だいいち何かあったら大変ですよね。ただ、私も力が入っていたのか、ちょっと試合時間が長く感じました。

 そう、K君が三年生だった時、本当にいい選手だったんです。四回戦で第一シード校に惜敗しましたが、指導者が未熟でなかったら、あと二回ぐらいは勝てたのです。そうしたらレベルの高い神奈川県でベスト8だったなあと、過ぎ去ったことなのに、私はしばらくの間、勝手に絵に描いた餅を眺めていたものです。

 卒業後は大阪の大学へ進み、そのまま関西の企業に就職したと聞いていましたが、その10年後に私の娘がその会社に入るとは。そしてその時、彼は新入社員の研修担当だったのです。そんなこともあるんですね。

 さて、甲子園が終わったあと、彼から「次のジャッジは、明石での軟式の全国大会です」というメールが入りました。実は私も明石にいるので、この大会を楽しみにしていたのです。しかし、事情があって、その前に逗子に帰ってきてしまったのでした。


    歓声も審判コールも浜風に    弁人


 ○ 二つめの話題です。

 逗子の我が家に帰ると、机上に留守中の郵便物が山になっています。この点検には、いつも数時間程かかってしまいます。
 今回、軽いのに厚ぼったくて大きめの茶封筒がありました。中にはTシャツとこんなメッセージが
   
 
 うれしいですよね。
 心の中では「ここでツキを使っちゃ、宝くじが当たらんなぁ」などと罰あたりなことを考えたりしているのですが、サイモン&ガーファンクルには思い入れがあるので、ただただ感激です。2009年の夏、思い出のTシャツになりました。


 ○ 次は、早めに逗子に帰った事情です。

 今年米寿を迎えた母が転倒し骨折。入院、そして手術にという報が入ったので慌てて帰ってきました。ということで、実は現在、ずっとお茶の水の病院通いが続いているのです。
 駅から数分の大病院。その正面玄関前
  

 まあ、病いではないので大丈夫だと思っていますが、何しろ高齢なのでリハビリがうまくいくかどうか、やはり、そのへんの状況を見るまでは気がかりなのです。

 甲子園も大詰めになってきた頃でした。選挙もあるし、そろそろ逗子に帰ろうかと思っていました。でも、明石で軟式の全国大会があるし、9月5日にある小田原の「外郎売の口上大会」に顔だけでも出したいとか思って、ちょっと躊躇していたのです。そんな時の知らせでした。なんというタイミングでしょう、きっと「早く帰れ」という天のお叱りだったのかもしれません。
(ということで、ブログの記事も、実はここ三回ほど、逗子のパソコンで更新しています。)

 さて、母の状態ですが、今はだいぶ落ち着いてきて、今週はリハビリも始まり順調な回復、自分の状況も少しずつわかるようになってきたのでホッとしているところです。
 でも、なにしろ高齢で痴呆気味の症状も心配していたところに、病院に搬送されて、生まれて初めての点滴、痛み止めの処方、夜は睡眠薬の投与、そして全身麻酔の手術ときたのですから、正気になれということ事態が無理な話なのです。昨日も、「まあ、よく来たね。遠いところから大変だったでしょう」と言われて苦笑してしまいました。


 ○ 最後の話題。

 母の病室からは東京ドームが目の前
  

 8月31日の月曜日。この日も午前中から母の脇にいました。関東地方に台風が接近して、朝から風雨に見舞われていた日です。


    扉開きプラットホームに野分かな    弁人


 昼過ぎに姉が来て「電車が心配だから早く帰ったら」と言ってくれたので、甘えて交代、お役御免に。
 ニュースでは夕方頃が最もひどいということでした。ということは、夜になれば台風一過で回復、それじゃあドームの中にいるのが妙案と、都市対抗野球の観戦となりました。

 準決勝二試合の日でした。誰か知ってる選手でも出ていないかなと、日産自動車対トヨタ自動車のスコアボードを見ると、トヨタのトップバッターの荒波君、数年前の横浜高校の中心選手でした。
  

 第二試合のホンダ対NTT東京戦も投手戦に。応援のボリュームにも慣れて、場内アナウンスもなんとか聞き取れるようになっていたその時、「ホンダのピッチャー、チクガワ」という声が聞こえました。
 もう、十年近くなるのでしょうか。東海大相模が春の選抜で優勝した時の投手です。ちょうど娘に会いに行った時で、六甲山で宿泊する前と下りてきた日に、対東洋大姫路戦と対作新学院戦の二試合を見て、このピッチャーはかなりのものだと感心した記憶が蘇ります。この大会は、智弁和歌山が強かったのですが、彼の投球もすばらしく、東海大相模が優勝旗を手にしたのです。

 ついこの間、甲子園のネット裏で、「築川という投手がいたけど、球速はどのくらいだったのだろう、やけに球のキレがよかったなあ、今どうしているのだろう」と、懐かしく思い出していたところだったのです。

 代わりっぱなに失点しましたが、ホンダがすかさず逆転。勝利投手で決勝進出となりました。
  

 翌日の決勝戦は、録画して夜遅く見ましたが、ホンダが見事に快勝。築川君は先発で勝利投手、なんと、MVPにあたる橋戸賞に輝きました。


    夏逝きて大人と成れる若き人   弁人


 そして最後に、この夏の一枚

     






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