チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

明石の夏を思い出す「タチアオイ」

2020-05-30 18:15:21 | 逗子風物
5月30日(土)

 コロナウイルスに怖じ気づいた訳でもないのですが、いわゆるステイホームとかを心がけていると、ついつい怠け心に負けて、ウオーキングや散歩に出る機会が少なくなってしまいます。
 体重も増え気味で、これはまずいとまた歩き始めました。

 我が家の近く、田越川の散歩道(右)
  

 桜がきれいだった対岸はこじんまりとした住宅地ですが、ちょうど、二本の川と京急・JRの二つの線路に挟まれて、二区画がそれぞれ島のように独立しています。
 その二区画を分ける池子川が田越川に合流する所で川面から目を上げると、橋の左、すらりと伸びた枝に真紅の花が咲いているのが目に入って来ました。

 「タチアオイかな、懐かしい」
  


   コロナ禍に令和二年の夏来たり  弁人


 タチアオイを見て「懐かしい」と思ったのは、この花、この時期から梅雨が明けて「いよいよ真夏だ」と感じる頃に、明石の町でよく見かけた花だったからです。
 KAZU君が1年生の1学期に通っていた明石の小学校の前の交差点を渡った所の緑地とか、そうそう、江井ヶ島の太陽酒蔵の近くとか、明石の夏空を思い出すと、その映像の中にピンクや赤のタチアオイの花が浮かんで来るのです。

 実は、去年も一昨年も、梅雨明けの青空を見上げながら、時々「逗子の近辺ではタチアオイの花、あまり見かけないな」と思ったりしていました。

 ところで、対岸の宅地へ行くには300mほど先の橋を渡って行くのですが、宅地の端の我が家の近くまで来ても、再びその橋まで戻ることになるのがちょっと癪で、ふだんはあまり行こうとは思わないのです。
 でも、タチアオイが咲いているんじゃ、行かない訳には行きません。

 田越川の橋を渡って宅地に入ったすぐの所に、
 さっそくお出迎え
  
 八重のタチアオイで、なかなか立派な成長具合。向こうに横須賀線の線路があって、電車とのコラボもと待ちましたがうまく行きませんでした。線路の向こうは運動公園。

 いつもの散歩道から見えたタチアオイは、池子川を挟んで二つ目の宅地に入る橋のそばでしたが、歩くこと数分、そこへやって来ました。

 対岸の白い家の前がいつもの道
  

 白い花も青空に映えて清々しい
  

 咲き始めの紫陽花を手前にして
  

 奥のは一重ですが、手前のは八重っぽい
  

 実は、明石でも八重の花はあったのでしょうが、記憶に蘇って来るのは一重のタチアオイ。それに、色もこんなに見事な真紅ではなく、ピンクか、赤くてももう少し薄い色だったような、思い出の色も淡くなっていて、家に戻ってからアルバムを辿りました。

 ありました。KAZU君の小学校の前の大通りを渡った所の緑地です。
 5年前の6月末でした(左奥が小学校)
  


   思い出は淡くなるにや立葵   弁人


 そして、今日。違う場所で見つけました。ちょっとした空き地に。

 こんな淡い色あいもなかなかです
   



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大人も子どもも、ほとんどの人は頑張っているんですがね

2020-05-20 17:21:43 | 身辺雑記
5月20日(水)

 連日、一定の時間になると、市のスピーカーから「不要不急の外出自粛要請」の声が流れてきますが、今日は中身が異なりました。なんと「Jアラート」の試験放送でした。
 スピーカーの調子は毎日確認できているわけなのに、何を今さら試験放送かと。
 やはり、国を預かる人は、いざという時に国民が従順に行動することをどこまでも求めてくるようで、先日の西村大臣の「気の緩みが心配」という発言にもよく表れています。

 PCR検査、医療現場への支援、国民への経済的援助、どれをとっても口先だけで、ほとんど進んでいない中で、政府からも知事からも、とりあえず「自粛の継続を」としか聞こえてこないのですから、じっと耐えている国民はたまったもんじゃありませんね。
 どうも、感染の第一波とかやら、落ち着いて来たようにも見えますが、これ、国や県が頑張ったからではなくて、全部、緊急事態宣言が出てから連休まで、みんながじっと我慢して自粛した結果なんです。大阪の人たちの頑張りも光っていたけれど、日本の人たち、「みんな、えらーい!」

 そうなんです、庶民はそんなにアホではないのです。今出されている緊急事態が解除されたからといって、ほとんどの人はですよ、すぐさまマスクを放り投げて、密集した空間の中で解放感に酔い痴れて大声で騒いだりはしませんって。
 先日、政府は専門家会議からの提言を受けて、国民に向けて「新しい生活様式」とかを発表しましたが、どこの世界にも無頓着な人が多少いるとはいえ、国民も馬鹿にされたもんです。普通の人はみんな、しばらくはこうしなくちゃと思っていることばかりじゃないですか。

 子どもだって若者だって同じです。ものわかりの良くない子も少しはいるかもしれませんが、三ヶ月近く学校が休みになっていれば、さすがに事態の異常さには気づくでしょう。コロナウイルスの怖さはもちろん、そのためにも、マスクや手洗いの大切さがわかっちゃったし、友だちとの距離、そう「ソーシャルディスタンス」ということばも知っちゃったんですから、学校が再開されたからといっても、そう簡単には、教室内でワイワイキャーキャーとはならないんですよ。

 上に立つ人、もう少し、国民を信用してみませんか。

 営業自粛要請が出されたのは、たしか4月10日ころだったと思います。あれから一ヶ月以上経済活動がストップしているのですから、経営が行き詰まるのは当たり前ですが、そうなったのは、お上からの経済支援策がほとんど機能していないからじゃないんですか。
 一方で、経済支援策の声が挙がらない学校の閉鎖、これは簡単でしたから、3月初めからですよ。5月末でなんと三ヶ月。このぶんだと、再開も後回しになっちゃうような気がしてとても心配です。

 そこで、よく考えてもらいたいのですが、学校休業が三ヶ月も続いているという現実、これはかなり深刻な事態なのです。

 私にも小学生の孫が二人いますが、学校から渡された課題を、たぶんイヤイヤながら、健気に取り組んでいるといったところ。
 やっぱり、子どもは、先生が前にいて、時に褒められ、時に叱られたりしながら勉強する中で、知識を身に付けて行くんじゃないんでしょうか。「オンライン授業」とか言っても、大学生なら大丈夫かもしれませんが、高校生だって、受験勉強ならともかく、教室での血の通った対面授業の大切さは計り知れません。それに、学校での行事や部活動から得るものも若者の成長に欠かせない大切な要素じゃないですか。
 そういうとても大事なものを、今、子どもや若者から奪っている。将来の日本のことを考えても、これは憂うべきことなのです。

 そういう状況なのに、文科省って、いったい何をやっているんでしょうか。

 報道によると、いわゆる「9月入学」へ向けて二通りの案を提示したとか。びっくりです。呆れます。今は、そんな将来のことを考えている時ではありません。一刻も早く、学校教育の場を取り戻すために、その段取りというか、シュミレーションを示す時なのに、それがほとんど見えません。

 ところで、「9月入学」を言いだしたのは誰なのか知りませんが、たしか、テレビで東京都知事も「ぜひそうしたい」旨を言っていましたし、橋下徹元大阪市長(府知事)も「こういう機会を逃しちゃダメ、ガーンとやんなくちゃ」とか言ってたような。だいたい文科省が検討したということは、内閣からの要請があったということなんでしょうが。
 私は納得できません。3月からずっと学校を休みにしてきて、どうしようかなという時に、「9月新学期開始? こりゃいい! これならまだ間がある コロナも収まるはず」とでも思ったのでしょうか。
 甘いのひと言。分散授業、時差通学等々、どんなに対策を講じても、学校に感染者が出ない保証は全くありません。もし感染者が出れば、学校保健安全法を待つまでもなく、現状では再休業が免れません。要するに、まったく先が見えないのです。「9月再開ならなんとか」じゃダメなんです。できるところから再開しないと、ほんとうに取り返しがつかないことになってしまうかもしれないのです。

 いずれにしても、この時点で生じている遅れを、今できる範囲で幾分でも取り戻す努力を重ね、再度休業に追い込まれて、さらに遅れが生じても、それを少しずつ回復するという、そういう前進が必要なのです。仮に、その過程で、まだあと半年分回復しなければという状態になったりすれば、「9月入学」というのも視野に入って来るかもしれませんが、ワクチンも先が見えない今、「半年遅れスタート」などと考えるのは、何の解決策にもならず安易すぎます。

 今朝の朝日新聞の投書欄に「あなたはどう思うか、9月入学」というテーマでいくつかの投書が載っていて、思わず溜め息をつきました。おそらく、賛否の投書がたくさん来て載せないわけにいかなかったのだろうと思いますが、世の中、コロナウイルスと戦って、子どもたちも「早く学校へ行きたい」とイライラしている時にですよ、「入試は寒い時期を避けるべき」とか、「運動会は秋がいい」とか、「受験勉強が」「就職活動の時期が」とかとか、論争している場合じゃないと思うのですが。

 ということで、気晴らしに散歩へ

 公園に「ブラシノキ」の花
  

 川っぷちに「ウツギ(卯の花)」
  

 川向こうの木々
 
   


   万緑や緊急事態継続中   弁人


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暗然たる思いを和ませてくれるのは、やはり花ですか

2020-05-13 13:31:46 | 身辺雑記
5月13日(水)

 日本って、本当に民主主義国家なのでしょうか。

 主権者たる国民の一人が「これはおかしいな」と思ったことを表明すると、「ろくにわかってもいないくせに、生意気な」とか、「裏で煽っているやつがいるんだろう」とかいう反発にあったりします。
 もし反論があれば、「その主張のこういうところの認識がこういうふうに誤っていて、この問題はこれこれこうだから、私はおかしいとは思わない」と言うべきところ、ただ「うるせーな、黙っとれ」と言っているだけで議論になっていません。

 最近、「#検察庁法改正案に抗議します」のツイートが何百万にも達したのを受けて、法案賛成派から「#検察庁法改正案に興味ありません」というツイートの拡散が図られたとか。
 もともと興味のない人が、なぜわざわざそのことをツイートしなければならないのか理解不能で、全く反論になっていない。こういうのも、議論とは言えない典型的な例。

 議論にならないと言えば、今、政権を担っている政治家たちも同様。
 一度こうだと言い出し、一度こうだと進み始めたら、どこかで「あれっ」と思ったとしても、意地でもあとに退きません。世の中の「おかしいな」という声は完全無視、必死に自己正当化を図って墓穴を掘るばかり。
 そんな人たち、そういう政権に、コロナ対策も明日の日本のあり方についても頼らざるを得ない日本国民。思わず「あーあー!」っと、深ーい溜息。

 「やんなっちゃうなぁ、気分転換に外の空気でも吸って来るか」と、ちょっと散歩に出ました。

 実は、ご近所にバラの花を見事に咲かせているお宅があって、いつも感心しているのですが、今回はカメラ持参で。

 お庭というか、建物とフェンスの間は1mほどなのですが、
  とにかくお見事
 
  
   

 ひとときですが、憂きことを忘れます
  
   

 これもみんな、バラ? いや、クレマチスでした
 
  
   

 世の中、全てがストップしているような感じですが、時間は止まってはくれません。確実に季節は移り変わっています。

 もう一度、ビールを飲みながらカープの応援ができるのだろうか。
 もう一度、高校野球や駅伝の追っかけはできるのだろうか。
 もう一度、純米酒をクイっとやりながら鰻重をパクつけるのだろうか。
 もう一度、孫たちとの団欒の時がやってくるのだろうか。
 近いうちに、孫たちは友達と楽しく学校や保育園に行けるのだろうか。
 いつになったら、百歳になりなんとする妻君の母君に会いに行けるのだろうか。

 このトシになるとですね、自粛の日々とはいえ、人生の残された時間は確実に短くなっているわけで、やはり気が急いてしまいます。

 そうそう、4月の初めのころかな、年長の孫のKAZU君に論語の一節を教示し訓読してあげました。

「孔子曰く、良薬は口に苦けれども、病に利あり。忠言は耳に逆えども、行いに利あり。湯・武は諤諤(がくがく)を以て昌え、桀・紂は唯唯(いい)を以て亡びたり。」
の一節です。

 国政を担っている政治家の皆さんは学識のある方々のはずなので、まぁ烏滸の沙汰なのでしょうがね、最近、「本当に立派な方々なのかな、なんてガキっぽいんや」と耳や目を疑うことがあるのも事実。

 ということでですよ、上の「論語の一節」、総理大臣をはじめとする閣僚の皆さまへ、ぜひ献上したいと思ってやみません。


   新緑や緊急事態宣言中   弁人


  
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