閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

ぽんぽこの謎

2018-06-07 16:31:25 | 

よそ猫ジャッキー。ベランダ限定免許更新。
こっちが気づかずにいると、ドコドコと足音をたてて、それとなく存在をアピールしたり。
左前足が浮いているのは、心理的な「敷居の高さ」をあらわしている。
このあいだ、MNさんに貸してもらった猫漫画の主人公のツシマという猫によく似ている。

うちよりもっと山奥のMNさんちを訪ねた帰り、スリル満点な急カーブの急坂を下る途中で、焦げ茶色の動物が車の前をトコトコと横切るのを見た。
「え? ジャッキー??」と、よくよく見たら、猫ではなくて、狸。
ふだんは夜行性の穴熊も狸も、5月6月は子育て中だからか、昼間でも餌を探してうろつく姿を見ることがある。
後ろ姿を見送りながら、「あ。そうだ」と思いついてバッグの底からスマートフォンを探しだし、ブレーキをめいっぱい踏んだままの姿勢で助手席側の窓を開け、「えーと、カメラはどれだ?」といろいろ手間どった末、撮った写真が、

これでございます(笑)
けっこうのんびり歩いてたので、こちらの行動が素早ければ、もうちょっとましに撮れたはずなんですが。

狸といえば、化ける。化かす。それに、化かすのバリエーションとして「月夜にポンポコ腹つづみを打つ」というのは子どもでも知っている。
だけど、実物の狸を見ると、どうしたらこれが立ち上がっておなかを叩くなんて発想が出てくるのか、不思議でならない。
そもそも、笠をかぶって徳利さげて酒買いに…という信楽焼の置物からして、実物とは似ても似つかぬ姿なんだけど、あれはほんとに狸なの?
もしかしたら、日本には「動物(哺乳類イヌ科タヌキ属)の狸」と「妖怪の一種である狸」の2種類が存在するのではないだろうか。
その2つは、元々はひとつのものだったが、都市化が進むにつれて、一般の庶民が「動物の狸」を目にする機会が減り、その一方で「妖怪の狸」のイメージがどんどん勝手に増殖していったのではないか…とか…。

わたしがジャッキーと見間違えたように、夏の狸は大きめの猫くらい、あるいは小さめの犬くらい、体重の増える冬でもせいぜい10kg程度だというから、小型犬を飼っている人はちょっと後足で立たせてみれば感覚的にわかると思うんだけど、こういう動物がいくら太ったからって、絵本や漫画の狸のようになるわけがない、でしょ?
「巨大なぽんぽこおなか+マルにバッテンのおへそ」は、デフォルメの域をはるかに超えている。フィクションというより捏造に近い。

幼稚園児に「猫さんはなんて鳴く?」と聞くと、口々に「にゃーん」とか「にゃあにゃあ」とか答えてくれるだろう。
「犬さんは?」「わんわん」「ぶたさんは?」「ぶうぶう」
「じゃあ、狸さんは?」と聞くと、おそらく大半の子が両手でおなかを打つ真似をしながら「ぽんぽこぽん!」と元気よく答えるに違いない。
そのイメージは、いったいどこから来たのか。
タヌキと「ぽんぽこ」は、いつどのようにして結びついたのか…というのが、本日の謎です。
(長い前置きだなあ。このあとも長いですよ)

「月夜にぽんぽんと音を出すものがあり、その正体がわからないまま、狸と結びつけた」
というのが始まりではないかと、まず考えてみた。
夜鳴くトラツグミの声を妖怪の鵺(ぬえ)と思ったり、ケラの声をミミズが鳴いていると言ったりするのと同じで、見えない音源の主がわからなくて気になると、別のものに結びつけてしまいやすい。
人間は「言葉」に頼る生き物だから、対象に名前がつくと、とりあえず「わかった」気がして安心するのだ。
(ぬえの例は、ほんとはもうちょっと複雑なのですが、それはちょっと置いとく)
しかし、「月夜にぽんぽんいうもの」って、何だろうか。
カッコウの仲間のツツドリの声なんか、かなり鼓っぽいけれど、ツツドリは月夜に限らず昼間でも鳴くし、昼間なら見ることが可能だし、あきらかに高いところから聞こえる音を、地べたの狸と結びつけるのは無理がある気がする。
では他に何があるかと考えても、さっぱり思いつかない。
現実に「ぽんぽんの音」があって、現実に「狸」がいて、そこから「狸が鼓を打つ」姿を想像した…という仮説は、どうもいまひとつ決め手に欠ける。そうじゃないと思う。

「人すまで鐘も音せぬ古寺に たぬきのみこそ鼓うちけれ」
鎌倉時代の「夫木和歌集」にある寂蓮の和歌だそうだ。
これはまだ、和尚さんに化けた狸がまじめくさった顔つきで鼓を打っている、というふうにも読める。
古寺のイメージから連想できる音源は、庭の添水、いわゆる「ししおどし」かもしれない。
このあと「鼓」が「腹」と結びついたのがいつかは不明だが、江戸時代にはすでに「狸の腹鼓」は誰でも知っている話だったらしい。
「しょ・しょ・しょーじょーじ♪」の狸ばやしで知られる木更津の證誠寺は、江戸初期(17世紀半ば)にできたお寺だそうだが、伝説の元はおそらくもっと古いだろう。
話が先にあり、「事件現場」や「発祥の地」があとからできる、というのはよくある話で、「ここがあの有名な…」ということで集客効果が上がるのだから、「先に名乗ったモン勝ち」なのである。
童謡「証城寺の狸囃子」が発表されたのが大正14年。昭和に入ってからレコードがヒットして、證誠寺が全国的に有名になったけれど、それ以前の「腹鼓」伝説は、場所が特定されたものではなかったようだ。

明治43年に発行された『教訓新お伽話』(園部紫嬌著 石塚松雲堂)という本に、「腹鼓」という章があり、「今の狸が腹鼓叩かぬ理由」と副題がついている。「今」というのはもちろん今じゃなく明治のことなんだけど、
「ぽんぽんが痛いと嘘を月の夜に 鼓のけいこ休む小だぬき」
という歌をマクラに、こんなお話が紹介されている。
村のお稲荷さんの祭りの日。狐はごちそうが食べられると喜んでいるが、狸は面白くない。
そうだ、こっちには祭りはないが、腹鼓というものがある。狸の底力を見せてやろうじゃないか。
狸たちが祭り太鼓に対抗して腹鼓を打てば、それを聴いて人間のほうも負けじとドンドコ叩く。
しかし、いくらがんばっても狸は狸、人間にはかなわず、叩きすぎてとうとう腹の皮が破れてしまいましたとさ。
(すみません、多少脚色しました…)
これは一見「狸vs人間」の構図のようではあるけれど、じつは狐が一枚かんでいる…というところに、重要なヒントがあるんじゃないか、という気がしてきた。

うどんじゃないけど、狐と狸といえば、化ける・化かす界のツートップ。
昔話で両方出てくるとしたら「化けくらべ」の話だ。
ずる賢いキツネに対し、タヌキは愚直でどんくさい奴と、役どころもだいたい決まっている。
狐が芸者さんに化けて色っぽく三味線など弾いてみせれば、狸も鼓を…。
あ、そうか。そこで鼓が出てくるんだ!
しかし何かを鼓に見立てるというほどのセンスも技術もないので…。
「腹を鼓がわりにする」というのは、人間(または人間に化けた狐)の「正しいやりかた」がまず前提にあり、それを真似て不器用な狸がやるとしたら…という笑いを含んだ意味合いが、なんとなく感じられる。

なぜ狸が鼓なのか、なぜ笛とか琵琶とかじゃないのか…という点でも、打楽器のほうが簡単で「狸でもできそう」というイメージは確かにある。
能楽の鼓はそれなりに難しそうだと思うけど、ばちで打つ太鼓なら、幼児が打っても狸が打っても音は出る。
鼓の皮というのは、今は牛革が普通だそうだが、浄瑠璃の「狐忠信」には狐の皮を張った鼓が出てくるくらいだから、ずーっと昔(室町時代以前?)は、狸の皮なども使った…なんてことはないだろうか。
鼓に張らないまでも、狸は毛皮として利用されていたわけで、それにはぴんと張って乾かすという工程があるから、その状態から「叩けば鳴る」うちわ太鼓的なものを連想することも、まあできそうな気はするけれど。
そのあたりの考察は、ちょっと閑猫の手に余るので、どなたか詳しい方がいらしたら教えてください。

最後に、幼稚園児の話に戻るけれど、他の動物が「鳴き声」で表現されているのに対し、狸だけどうして「ぽんぽこ」なのか、気になりません?
狐は「コンコン」と鳴く。
(実際は「コン」というより「キャーン」に近いと、聞いた人が言っていた)
じゃあ狸の声は…?と聞くと、たいていの大人も知らない。
狸は鳴かないのか。
わたしは狸が鳴くのを聞いたことがある。
夜な夜な山から謎の鳴き声が聞こえるのが気になり、窓辺でずーっと見張っていたら、狸だった。
「ミー」とか「ミュー」とか…字で書くと猫のようだけど、あきらかに猫とは違う、もっと抑揚のない単調な声で、まさか狸とは思わなかったのでビックリした。
でも、「狸の鳴き声はミューだ」と言い切っていいのかどうかは自信がない。
以前うちの猫で「にゃあ」じゃなく「おわん」と鳴く子がいたけど、だからって「猫はおわんと鳴く」とは言えませんからね。
狸をつかまえた経験のある人だったら、「狸はギャーギャーと鳴く」と言うかもしれないし。
まあとにかく、狸の鳴き声がよくわからず空白になっているところへ、腹鼓という言い伝えがすっぽり入りこみ、「狐=コンコン」「狸=ぽんぽこ」のコンビとしてすっかり定着してしまった、ということではないでしょうか。

そうそう、狸だけでなく、うさぎもめったに鳴かない。
うさぎの場合は、残念ながら音の出る伝説もないので、「耳」+「ぴょんぴょん」でうさぎと認識される。
動物のプロフィールにおいて「何と鳴くか」(≒何と「言う」か)は必須事項で、その欄が空白だと落ち着かず、何かしら入れずにはいられない。
やっぱり人間って「言葉」に頼る生き物なんだなあと思う。


ついでに、おまけ。
「狸の腹鼓」と書いて、「これ何て読む?」といきなり聞くと、おそらく半数以上の人が
「たぬきのはらづつみ」
と答えるのではないでしょうか。
なぜかみんな「風呂敷包み」のように「づつみ」と読んでしまう。
狸だけでなく「舌鼓」でも同じ現象が起こる。
じつはわたしもそうで、「鼓だから、つ・づ・みだから、えーと、はらつづみだ」と頭の中でいちど考えないと声に出せない。
おかしいなあと前から思っていたのですが、上に書いた明治時代の本を見たら、なんとなんと「腹鼓」に「はらづゝみ」とルビがふってあるじゃないですか!
言葉の意味として正しいかどうかは別として、明治の頃には「はらづつみ」と読むことが普通だったんだろうと思う。

サーファーがあつまる伊豆の海岸のひとつに多々戸浜というところがある。
これが「タダト」なのか「タタド」なのか、わたしは何度覚えても忘れる。
東京の秋葉原という地名なんかも、昔はちゃんと読めていたのに、通称「アキバ」と呼ばれるようになったせいで、どっちだか自信なくなってしまった。
「秋葉原の狸が多々戸の浜で腹鼓」
…読めます?

 

コメント
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