雷や雨の合間をぬって、せっせと水玉あつめに出かける。
他のものも、これくらい熱心に集めればよいのに。
(他のものって何? 金銀財宝とか?)
上のはエンジェルトランペットの葉。
西洋朝顔。
葉ばかり茂って、まだいっこも花が咲かないなあ。
こういう「名もない草の葉」(名はありますが)の水玉が
ほんとうにきれいなのです。
これは葛の葉。
見かけによらず撥水性が高い。
本日のにゃんこ。
・・って、誰ですか、きみは。
ねえ、コイツ、こんなとこで寝てますよ。
ボクたちにひとことの挨拶もなしに。
よくないなあ、新入りなのに、こういうデカい態度は。
びしっと言ってやったほうがいいですよ、ね?
(Mが先日講演に行った先でいただいてきた陶製の置物。
態度だけじゃなく、実際に「大きい」のだ~)
カラスウリは、特に水玉向きの植物とはいえない。
狙うのは、こういう巻きひげの先。
ガラスとワイヤーでこしらえた夏向きの
オーナメントのようでしょう。
つる植物はなかなかのアーティストであります。
葉っぱに水玉はめったにみつからない。
雨のしずくが「緑色」に見えるオプティカル・マジック。
そして、ふたたび花・・
うむむ。
なんか、違うんだな、光が。
♪ スポットライトでなく ろうそくの火じゃない
ましてLEDランタンの光じゃなぁ~いさ~
(思わず出てくる歌が古いんですよね・・笑)
お外で撮ると、ちと怖い。
朝になると、こんなです。
ただのくしゅくしゅではなく、内側にきっちり巻きこんでいます。
昨夜は、真夜中ごろに外に出てみたら、満天の星で・・
わたしは眼鏡かけてもあまり視力が良くないのですが、
暗闇でじいいいっと見ていたら、どんどん星の数が増えていき、
あれ? もしかして、いま見上げているのが天の川かな?
ペルセウス座って、どこだっけ??
と思っているうちに、南西にむかって、長く尾をひくきれいな流れ星。
つづいて、もうひとつ。
うわぁい。
さて、今夜の空は、どうでしょうか。
(寝転がって見ないと、首がいたい・・)
本日のにゃんこ。
木製のドアストッパー君。
すだれの影で「しましまねこ」になっちゃったぞ。
「宇宙の『ちゅ』って、なあに?」
という可愛らしい質問を某所で見かけましたので、
(ふふふ、お借りしまぁす)
本日は、宇宙の謎について。
宇は空間のひろがりを、宙は時間のひろがりをあらわす。
空間的にも時間的にも「ひろい」ものが「宇宙」である。
・・と、昔どこかで習った気がする。
どこだっけ。
何かの漫画だったかも。
字源を調べる。
ウかんむりは、家の屋根(と壁)をあらわすもの。
「宇」の中にある「于」は、弓をたわめるのに使う器具の形。
そこから、弓なりに大きく曲がったものをあらわす。
「宇」は天空を大きなドーム状の屋根と見なした文字だ。
で、「宙」は?
こちらは調べてもよくわからない。
白川静先生の説によれば、「由」はヒョウタンの形で、
中がからっぽ、という意味ではないか、とのこと。
ふうむ。
屋根の下に、からっぽがある。
お空は遠い、ということなのかなあ。
このヒョウタン、中央に軸があるから、回転するのではないか。
というのは閑猫説で、根拠はまったくありませんので、
簡単に信じないように(笑)。
しかし、そこから「時間的ひろがり」に結びつく橋が、
いまひとつ見つからず。
でも、真偽はともかく、イメージ的には、良いですよね。
大きな大きなドーム状の屋根。
月や星座をちりばめた天井。
その下で回転するひょうたん。
これって・・
プラネタリウム?
上の画像は、空にあらわれた「光持つ手」。
本日のにゃんこ。
「ぎゅう」して「ちゅう」するのが「うちゅう」だろ。
うん、そういうことだ、Tくん。
前にもいちどのせたけれど、
カラスウリの花。
夜しか咲かない。
咲いている間はちょっと香りがする。
明るいうちに、つぼみの位置をマークしておいて、
咲いた頃を見計らって出かける。
写真をとるのが難しい。
一晩しか咲かない花で、朝にはもうくしゅくしゅとしぼんでいる。
つる性なので、近寄りにくい場所にあることが多い。
周囲はほぼ真っ暗。
ライトをあてながら片手でシャッター切るには暗すぎる。
しかしフラッシュを使うと、どうもキレイに撮れない。
ふわふわと糸のように分かれていて、非常に柔らかく、
摘んでくると、みるみるしおれてゆく。
真上からだとわからないが、花のつけね部分は
朝顔のように長く筒状になっているので、横にひらたく、
しかも奥行もあるという厄介な構造。
摘んできてすぐ、小さいガラス容器にでも活けて撮れば、と思ったら、
まわりのふわふわが垂れ下がってしまって駄目。
うーむ。難しいぞ。
(もうしばらくは咲いていそうなので、再挑戦してみましょう)
ベランダの継ぎ目に土がたまり、苔が生えた。
放置していたら、こんどは杉の木が生えてきた。
いまは高さ5センチでも、杉だから「木」と呼ぶべきだろう。
さて、これはどうしたものか。
こら、さんちゃん、きみも、そこに寝てると、木がはえるぞ。
本日のにゃんこ。
・・と、本日の収穫。
「なんだかゴツゴツして寝にくいね」
「うん、ちょっとね」
日盛りに、畑の草とりをしたら、ゴーヤが夢にまで出てきた。
なぜか支柱とネットが消え失せ、そこらじゅうを這い回っている。
おかしいなあ。どうしてこうなっちゃったんだろう?
と首をかしげていた。
ゴーヤは厚あげと炒め煮にするのが美味しい。
味付けは市販の麺つゆを使えば早くて簡単。
冷蔵庫にいれておいて翌日食べると味がよくしみています。
蝉の声あびてますます雲光る
・・えっと、コレハ、俳句? デスカ?
レッツ・ゴー・ハイキング・・(笑)
(じつは俳句と川柳の区別がよくわかんない人。
川柳と「標語」の区別もあやしい人でありますが)
山の向こう側に「光る雲」があるようだ。
ふわふわとして、とてもまぶしい。
太陽とは逆方向なので、何がそんなに光っているのか不明。
上方から別の(普通の形状の)雲が近づくと、
光る雲がすうすうとほぐれて少しずつ吸収されていく。
いったい何だったんだろう、あれは。
ヤマイモの葉っぱに、ヤマイモの花の投影。
綱渡りをしているような、西洋アサガオの葉っぱ。
最初は「スピードくじ」みたいに二つ折りにくっついている。
和名もラテン名も英名も、まったくろくなものがない。
そこまで言われるほどじゃないと思うけどなあ。
(つるがからんで厄介なのは確かですが・・)
和名の別名「ヤイトバナ」で呼んでおきましょうか。
夕方。床にすだれの影が面白かったので。
本日のにゃんこ。
どーです、この曲線。
マドリの「重量挙げ」を見たい方は→こちらへどうぞ。
なぜかこっちでは「マドリ」、あっちでは「バルト」と呼ばれるボクです。
え? いや、ボクは、べつにどっちでもいいんですよ。
愛されていれば。
名前なんて。
ね?
「節電」の2文字をいたるところで見かける。
なんとなく、厄災除けのおふだでも貼ってあるようだ。
TVをみていたら、「午後1時から4時までの
節電にご協力ください」というお知らせが流れた。
そう言ってるTVが率先してその時間帯を休みにすれば。
と思ったりするけれど、それは困る!という人も必ずいるだろう。
オリンピックはある、高校野球はある、スポンサーは商品を売りたい。
見てください買ってください節電もしてください、と言われてもね。
暑いとき、冷たい麺類が美味しいけれど、
大量のお湯をわかして茹でる過程が暑い。
台所でなるべく火を使いたくない、という理由から、
調理済みの冷たい食品がよく売れているそうだ。
カップ麺は少量のお湯で作り、氷を入れて食べる、とか・・。
しかし、うちで茹でないそうめんは、どこかよそで茹でている。
冷やすのも、氷を作るのも、うちのでなければ、どこかの冷蔵庫。
冷蔵庫をフル稼働させれば、室温はますます上がり、
エアコンや扇風機をやっぱり使わざるを得ない。
あっちを冷やせば、こっちが温まる。
あっちで節電したぶん、こっちで使ってしまう、ということに
・・えーと・・ならないのかな? どうなんでしょう。
閑猫頭は堂々巡りをするばかり。
まだ「昭和」だった頃、首都圏が水不足に見舞われた年があった。
「節水はパパの協力ママの知恵」という標語ステッカーが
各戸に配られたのを覚えている。
そのとき、節水アイデアのひとつに
「食器を洗わなくてすむようラップや紙皿を使う」
というのがあって、それに対して
「そのラップや紙皿を作るには大量の水が必要」
と反論があったのも覚えている。
どっちが正しいのかわからないうちに水不足はおさまったけれど、
いま「節電」の文字を見ていると、宙ぶらりんになったままの
そのときの疑問を思い出す。
数年前のアメリカのSF映画。
ウィルスか何かで人類が突然滅亡してしまい、
廃墟と化した都市に、主人公がひとりだけ生き残っている。
夜になると襲ってくる人食いゾンビみたいなのがいっぱいいて、
それと闘いながら暮らしている。
見ていて、あれ?と思ったのは、主人公の住まいだ。
ちゃんと電気があって、明かりもつけば、音楽も聴ける。
大型冷蔵庫には食糧が詰まっている。
窓のシャッターも電動のようだ。
蛇口をひねれば水もお湯も出る。
きっと冷暖房もあるだろう。
持ち主のいなくなった車が町じゅうに残っているから、
移動手段にもガソリンにも不自由していないらしい。
発電所も浄水場も、無人で半永久的に稼働する・・
という未来の設定なのかもしれない。
あるいは、主人公が(映画にうつっていないところで)
がんばってひとりで自家発電などをしているのかもしれない。
おそらく、アメリカ的、というかハリウッド的感覚からすると、
「人間らしさ」のうちに「言語をしゃべる・衣服を着る」に加えて
「電気・水道・ガソリン」も当然のように含まれていて、
人食いゾンビとの違いを表現する必要上からも、
それらをはずすことは不可能だったんだろう、と想像する。
人類の最後のひとりかもしれない主人公は、
TVの前に座り、録画したニュース番組を繰り返し見ている。
太古の昔、ヒトは「火」を手に入れ、そこから
他の動物とは違う進化の道をたどってきたけれど、
その最初の火は、聖火リレーのごとく受け継がれ、
さまざまに形を変え、最後はTVの中に細々とともって、
終末を迎えようとしている。
TVは、原始人の焚き火であり、古き良き時代の暖炉であり、
いつもヒトは「少しでも温まろうとして」その前に座るのだな。
(・・と、例によって変なところに注目してしまう閑猫。
おそらくこのシーンはそういう意図で撮られたのではないと思うけど。
しかも、この映画、途中までしか見ていないので、
思い違いがあったらすみません)
電気使用量のお知らせが来た。
「7月分は、昨年と比べて21%減少しています」と書いてある。
節電の成果を教えてくれるようになったのは良いけれど、
じつは、そんなに減少した理由が思い当たらない。
わが家の電気使用料は、2006年あたりをピークに減少に転じ、
(人口が減っただけでなく、魚を飼うのをやめたのが大きい。
24時間ろ過装置を動かしていると、かなり電力を消費する)
この3年ほどは、ほぼ横ばい状態で安定している。
6月は昨年比プラス4%、5月はマイナス6%。
だいたいいつもそれくらいの増減はある。
お風呂場の白熱電球が切れたのでLED電球に取り替えたとか・・
(数か月に1個のペースで、切れたものから順次LED化している)
そういえば今夏はまだ階下の扇風機を出していないとか・・
(居間で使うのは一日あたり20分間くらい)
それだけのことで突然21%も減るものかな。
原因不明で増加するよりは良いのですが。
謎です。
(追記:この記事は7月下旬に書いたものですが、
扇風機はまだ出していません。
要らないのかな、あれ)
ツバメのみなさん、一列に並んで休憩中。
今年うまれた子たちも、もうしっかり飛べるようになりました。
そういえば昨年は突然「在庫一掃サマーセール」を思いつき、
どたばたしていたのでした。
(その勢いで他のとこも片づける予定だったのに、
ぜんぜん続きませんでしたが・・)
今夏は、えーと、何もございませんが、
夏休み特別企画。
発掘!閑猫堂秘蔵写真館。
ということで、(なんじゃそりゃ?)
まあいいじゃないですか。
いくよー。
その1。
お庭で遊ぶ、ひまねこちゃん。1歳4か月。
お庭の砂利をすくってバケツにいれては、あけ、
いれては、あけ、ずーっと飽きずに遊んでいたそうです。
現在もほとんど変わってないな。
バケツが他のものになっただけ・・(笑)
「お庭」があったのは、わたくしの生家・・といっても、
借りてた家でして、この後まもなく引っ越したため、
本人はまったく記憶アリマセン。
そのあとはずーっと28年間くらい、お庭なしの
アパート・マンション暮らしをしていました。
ものごころつく前に「地面」にさわるのって、
すごく大事だと思う。
次いきます。
その2。
ひまねこちゃん、船に乗る。
これは2歳3か月くらい。
この「船」は、海峡を渡る連絡船だと、つい最近まで
思いこんでいましたが、どうも琵琶湖の遊覧船らしいです。
なんか、これも変わってない。
いまもこんな感じで、ぽけ~っとお空を見上げている人です。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、
ヒトの基本的な性格は、いくつになっても変わんないのですね。
たとえ途中でグレたり、ツッパッたり、うろうろしたりしても、
2歳、3歳の頃に「好きだったこと」には、いつでも戻っていける。
うーんと遠回りしても、結局、行き着くところはそこじゃないか、
と、古いアルバムを見ながら思うのでした。
これらを撮ったのは、父の「リコーフレックス」
という、大きな箱型をした2眼レフ。
(2眼レフって、わかります? レンズが縦に2個ついてるの)
フィルムは6×6判の12枚撮り。もちろんモノクロ。
現在の閑猫カメラ「りこちゃん」の遠いご先祖さま、かもしれない。
持ち歩きに不便で、ピント合わせにも時間がかかりましたが、
昔のカメラは、なかなか味のある写真が撮れたのでした。
こちらは、もーっと前・・わたくしの生まれる前の、
三日月島の倉庫街。(・・え?)
「ドルフィン・エクスプレス」が
まだ「イルカ運輸」といってた頃。(・・えええ?)
本日のにゃんこ。
ついでにこちらもレトロ仕様で・・
ジャムくん(1983~2004)がちいさかったとき。
このとき体重300グラムくらい。
まだ哺乳ビンでミルクあげてました。