マフラーを買った。
ウール100%で、欲しかった色で、長さもちょうどよい。
さっそく針箱を持ち出し、各種タグをはずしにかかる。
紙ラベル2枚の他に、糸で縫い付けてある織りネームが2つ。
品質表示のタグと、メーカーのネームタグ。
マフラーに限らず、衣料品のネームタグが、大きすぎたり、
手触りが悪かったり、襟でがさごそチクチクしたりするときは、
さっさとはずしてしまうに限る。
といっても、これはけっこう手間がかかる。
ボタンつけなんか甘くて、すぐとれちゃったりするのに、
ネームタグはものすごくがっちり縫いつけてあるからだ。
糸を切るときうっかり生地まで切らないよう気を使う。
この頑丈さから察するに、メーカー側はボタンよりタグが大事、
どうしてもタグをはずされたくないらしい。
これが不思議でしかたない。
つけたまま使うものであるなら、それなりに材質も考え、
邪魔にならないような形状にするはず。
デザインや生地や縫製にこだわった(と称する)商品に、
こんな違和感のあるものをぴらぴらつけておくのが不可解。
ギブスンの「Pattern Recognition」(だっけ?)に、
ロンドンから来たヒロインが渋谷のパルコで服やバッグを買い込み、
同じく無印で買ったリッパーを使って、すべてのラベルやタグを、
その場で片っ端からはずしてしまうシーンがあって、
わたしはそこだけ妙に共感したものですが・・
他の人たちはみんな平気なのかなあ。
ついでに。
ブランド名は「店の名」や「屋号」のこともあるけれど、
最近はデザイナーのフルネームがそのままついているのも多い。
この人名が衣服や小物の目立つ位置に掲げられ、
それがデザインとみなされるようになったのはいつからだろう。
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という映画で、
自分が生まれる前の時代にタイムスリップした男の子が、
「あなたカルヴァン・クラインっていうのね?」と
女の子(じつはお母さんの若い頃)に誤解されていたから、
(そこと「ジョニー・B・グッド」しか覚えておりませんが・・笑)
'50年代にはそういう「デザイン」ってありえなかったんだと思う。
新品の衣類を買ったのに他人の名前が「書いて」あるって、
よーく考えるとヘンじゃないですか。
以前、背中に黒々と「山本寛斎」とか大書したTシャツを
着ている人がよくいたけれど、あれも相当ヘンな眺めだった。
さて、マフラーのネームタグはどうにかはずせたが、
よく見ると、反対端にも、もうひとつ。
しかも、こっちのは、縫いつけたどころではない。
なんと布地に直接、びっしりと隙間なくこれでもかと刺繍してある。
さすがに、これをほどくのは、無理。
たとえ何時間もかけてほどいたとしても痕が残ってしまう。
葉を刈っても茎を刈ってもまだまだ根は残ってるという・・
ある種のしたたかな植物が連想される。
そのあたりで、ようやく気づいた。
冬物最終バーゲンで安かった・・んじゃないんだ。
たぶん最初からこういうふうに作ってあるのね。
安さにつられて買った人にヒトにとりつき、「歩く広告」もしくは
「運び屋」として利用する。
目立つタグからブランド名という種子がそこらじゅうにふりまかれる。
とすると、本体はタグで、マフラーは餌なのか?
いや、うーん、いいマフラーなんですけど、ね・・。
本日のにゃんこ。
夢のニャンコハウス(動画)
引っ越すんだったらこんなお家♪
(しかーし、現実的に考えると、家の中でヒトの行けない場所に
猫が行けるのはマズイんじゃないかなあ。
猫なみの能力を持ったロボット掃除機でも雇わないと、
お掃除がたいへんよ・・笑)
「ここもいいじゃん、あったかいし」と茶々さん。
どんな場所でもくつろいじゃうのが猫の特技。
(でも、そこ、ずいぶんデコボコしてないかい? いいの?)