閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

金のまりの謎

2014-03-18 09:56:01 | 

誰でも知っている、グリム童話の「蛙の王様」という話。
お姫様が泉に金のまりを落とし、蛙に拾ってもらうところから始まる。
しかし、考えてみれば、変だ。
まりというのは普通、水に浮くものではないだろうか。

・・というような疑問を、時鳥さんが提示されていたので、
そちらのコメントにも書かせていただいたのですが、
さらに熟考してみたく、あらためてここに書いておきます。

 

「蛙の王様」には「鉄のハインリヒ」という妙な副題がついている。
副題がついているのは、200余篇中これだけだ。ということも、
ハインリヒって何?ということも、ここではまったく関係ないけれど、
KHM1、つまり全集では必ず最初にのっているため、とても探しやすい。
まずは、完訳版をみてみましょう。

<暑くってしようのない日には、おひめさまは森のなかにはいって、
このすずしい泉のへりにすわることにしていました。
それから、退屈すると、黄金(きん)のまりをだして、
それをまっすぐにほうりあげては、落ちてくるのを
下でうけとるのがおきまりで、これが、おひめさまの
なによりすきな遊戯でありました。>
(金田鬼一訳 岩波文庫)

さあ、この中に、すでに手がかりがいくつもある。
まず、放り上げては受けとめて遊んでいた、という点。
「まり」といえば当然「まりつき」と思いやすいが、
お姫様はぽんぽんついて遊んでいたわけではなかった。

次に「まりをだして」という点。
どこから、ということは書かれていないが、
ポケットにでも入れてあったような印象を受ける。
少なくとも、ずっと両手に抱えていた感じではない。

それから、「黄金のまり」だ。
これは「見た目が金色をしたまり」とも読めるし、
「黄金で作られたまり」とも読める。

「まり」という訳語が気になってきたので、
例によって近代デジタルライブラリーをのぞいてみる。
本邦初訳のグリムは明治20年の「西洋古事神仙叢話」だそうで、
これには残念ながら「蛙の王様」は収録されていない。
(タイトルを見ても、それが何の話だか見当がつきかねる。
シンデレラは入っている様子)
「蛙王子」というのが明治43年の「家庭十二ヶ月」という本にあり、
これには「金の手毬」となっている。
「まり」「てまり」以外の和訳は、わたしは見た記憶がない。
女の子のお気に入りの玩具ということで、自然にそうなったのだろう。

まり。まりつき。ゴムまり。
「水に浮く」と思うのは、おもにそこからの連想だ。
しかし、中に空気の入ったゴムまりができたのは近代になってから。
なにしろ、コロンブス隊が南米から持ち帰るまで、
ヨーロッパ人はゴムというものを知らなかった。
だから昔話にゴムまりが出て来るはずがない。
もちろん、糸でかがった「和てまり」や「蹴鞠」はうんと古い。
西欧にも革や布製のボールを使うゲームは昔からあった。
が、それらが金色をしていたとしても、水には浮く。
いや、お手玉のように、小石でも詰めてあったら、どうだろう。
沈む・・かな?
(物理が得意な人は考えてください)

ここで、グリムの原典をあたってみる。
初版も、最終版も「goldene Kugel」と書かれている。 
独和辞典が手元にないため、グーグル翻訳にかけると、
まぜか「金のまり」ではなく「ゴールデンボール」と訳されるのだが、
「まり」と「ボール」ではずいぶん違うじゃないの。
「玉」とか「球」とか訳せば、また違う。
お姫様が持っていたのは、いったい「何」だったのでしょうか。

次なる手がかりは、蛙。

<蛙は、この約束を聞くと、頭を水の中へくぐらせてもぐって行って、
しばらくしてからまた浮かび上がって来た。
口に毬をくわえて来て、草むらにほうり投げた。>
(関敬吾・川端豊彦訳 角川文庫)

わたしは、なんとなく、ヒキガエル的なものを想像していたけれど、
原典では「Frosch」だ。フロッシュというのは、一般的な蛙のこと。
絵本などでは、たいてい緑色に描かれているやつ。
日本語ではアマガエルもトノサマガエルもヒキガエルも蛙と呼ぶが、
ドイツ語では、陸棲のヒキガエルは「Kröte」で、
水棲の「Frosch」とははっきり区別される(らしい)。
いくら「おはなし」でも、雨蛙がバスケットボールのようなものを
くわえてきたら違和感がありすぎる。
とすると、この「まり」は、意外と小さいのかもしれない。
(ドイツにものすごく大きいフロッシュがいるのかどうか、
わたしは知らないので、この点はこれ以上追及しないでおきます)

で、結論は、といいますと、ぐたぐた長く書いてきたわりに
「これが真実」というものはないのですが(期待した方はすみません)

もしも「金のてまり」ではなく「黄金の球」と書かれていたなら、
取り落とせばころがっていって泉の水底深く沈んでも不思議はない。
そして、お姫様が投げ上げて遊ぶことを考えれば、
(「空高く」投げたとは書かれてませんが)
砲丸投げの玉よりは小さいほうがよい。
イメージ的には、フランスの球技「ペタンク」に使う玉と、
ハリー・ポッターに出てくる「クィディッチのスニッチ」の間くらい?
金の比重は19で、胡桃大でもけっこうずっしり重そうだなあ。
まあ、いつもそういうもので遊んでいたおかげで、
蛙を壁に投げつける腕力がついた、と、
そういうことでしょうか。


以下おまけ。

よくよく考えてみたら、水に沈む「金のまり」というものが
実在する必要はぜんぜんないのだった。
ドイツでもどこでも、ボールという玩具は古代からある。
それは革か布か、ひょっとしたら木製だったかもしれない。
糸を巻いた玉かもしれない。鉄の球もありうる。
投げて受けとめたり、棒で打ったり、ころがしたりして遊ぶ。
お姫様も、ボールで遊ぶ。
ただし、お姫様だから、庶民と同じではいけない。
ボールだって、お姫様のは、うんと上等なのに違いない。
たとえば、そう、金でできているとか。

日本の戦前・戦時中の小学生(男子)のあいだに、
「天皇陛下のおトイレは金でできてるんだぜ~」的な
「誰でも知ってる禁断のジョーク」がひそかに存在した、
という話をどこかで読んだことがある。
(久保田二郎の本だったのかな。うろ覚えですが)
「上つ方」の生活の実態など、庶民は知らない。
「金でできている」というのは、つまり「象徴」なのだ。
金のまりなんて、重くて大変じゃないの、ということは
いちいち考慮されない。
投げれば落ちる。落ちればころがる。水には沈む。
金属は比重が重いから沈むんじゃなくて、
語り手が「沈んだ」と言ったから沈んだのである。
すべては言葉のワンダーランドで起こるできごと。

 

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ドテラの謎

2013-12-03 22:46:49 | 

レストランの案内に、
「ドレスコード 短パン・ビーチサンダルまたはそれに準ずる軽装不可」
と書いてあった。

この季節にそんな涼しげな格好で行く人はいないと思うが、
「準ずる」が気になる。
「短パン・ビーチサンダル」に準ずる冬服というと何だろうか。
と考えたけれどすぐには思いつかない。

ジャージの上下に、ドテラ、長靴。とか?

(ここで、ドテラって何語?と、辞書をひく。
カステラに似ているのでポルトガル語由来かと思ったら、
そうではなくて東日本の方言のようだ。
語源は不明。
ドテラと半纏と丹前の区別はよくわからない。
三つの中で一番暖かそうな、もしくは重たそうなのがドテラ、
という気がするが、違うかもしれない)

しかし、もこもこ着込んだのを「軽装」と呼ぶのも何か変だ。
ジャージにドテラで来店した客をとがめると、
「短パンでもサンダルでもねーだろコラ文句あんのか!」
と逆におこられるのかもしれない。
そういう客商売って、ほんっとに大変だろうなあ、とつくづく思う。


本日のにゃんこ。

コンニチハ。石頭平吉です。
あ、こいつね、ドテラ、じゃなくて、えーと、マドリだっけ?
ときどきこうやって日向ぼっこで一緒になるんだけど、
きょうは、悩みを聞いてほしいって言うんで、つきあってるところ。
うん、それで?
まーまー、そんなに落ち込まないでさぁ・・ 




本日の「いいね!」

キリンと一緒に朝食を

ケニアなら、あり得るらしい。

 

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くまモンの謎

2013-11-09 20:07:36 | 

 

近頃はやりの・・って、もうだいぶ前からいるらしいけれど、
「ゆるキャラ」等と呼ばれる着ぐるみマスコット人形のたぐい。
スポーツチームから地方自治体から各種商業施設まで、
国じゅうのあらゆるところできりもなく増え続けている。
あれはもしかしたら現代の妖怪の一種ではなかろうか、
と疑いはじめた。
最初から飼い馴らされた設定の妖怪。
そう考えないと理解できないようなのが多数いる。

わたしは「ブーフーウー」の時代から着ぐるみがどうも苦手で、
ディズニーランドにも行ったことがないし、
イベントで見かければ必ず避けて通る。
目がどこ見てるのかわからないし、話も通じなさそうだし、
むやみにばたばたと手を振り回したりするので怖い。
人間というのは、表現をするとき、言語だけでなく、
多彩な表情や身振りしぐさを無意識のうちに使っている。
微妙な角度で首をひねる。髪をさわる。薄く笑う。ちらっと舌を出す。
そうしたきめ細かな表現を封じられた、とらわれの身の彼らは、
かろうじて自由な部分をばたつかせるしかない。
気の毒で見ていられない。

・・なぁんて言っていた閑猫ですが、
なぜか突然「くまモン」のファンになってしまいました(笑

なにしろ「熊」である。発想がまっすぐでシンプルだ。
もともと擬人化された熊は絵本などで見慣れているせいもあって、
二足歩行していても違和感がない。
にょっきり脚の生えた「山」だとか、目鼻をつけた「芋」だとか、
あるいは説明を聞かないとわからない、聞いてもわからない、
ご当地名産よせあつめキメラ妖怪的マスコットと比べれば、
くまモンは、ものすごく自然で受け入れやすい。
(わたしは「ふなっしー」を「バナナ」と思っていたんですが、
あれ、梨なの? そう? 「東京ばな奈」に似てない?)

「ぱかっ」とあっけらかんな表情もまた良い。
笑っているようでもあり、まじめなようでもあり、
とぼけているようにも、困っているようにも見える。
能面ではないけれど、ひとつでいろんな感情を表わすことのできる
オールマイティーなデザインだ。
この顔のおかげで、こまかい表現ができない着ぐるみのイライラが
かなり軽減されているのではないかと思う。
いや、中のヒトにはさまざまなご苦労があるだろうけれど、
(あ・・すみません、中のヒトって言っちゃ駄目?)
イライラしてないように「見える」ので、こちらもずいぶん気が楽だ。
癒される、という言葉を適用してもいいような気がする。

そして、動きが上手。
ぽてぽてしているがハリボテではなく柔らかい素材のようで、
お辞儀も踊りも驚くほどなめらかにこなしている。
ちゃんとそのためのトレーニングを積んだプロなのだろう。
やたらと無駄なジェスチュアをしないので気持ちが良い。
立っているときはぼけーっと立っている。
直立不動・・とはいかず、ちょっとゆらゆらする。
そのうち、飽きた、というように、もそもそ移動したりする。
まるで大きな幼児のようだ。
すべて計算された動きだとしたら、すごいと思う。

このあたりで「くまモン」の実物に会える可能性はほぼゼロだが、
もしもどこかで見かけたら、積極的に寄っていくかもしれない。
写真だって撮ってしまうかもしれない。
ちょっとおなかをさわらせてもらったりしちゃだめでしょうか。
握手なんかできたら「きゃあ♪」と喜んでしまいそう。

熊本は亡父の出身地でもある。
若いときに郷里を離れて、そのまま戻ることのなかった人だが、
少年時代を過ごした山村の話は好んでしていた。
わたしは2度しか行ったことがないけれど、
くまモンに肩入れしたくなるのはそのせいだろうか。
子どもの頃、「おてもやん」の古いSP盤レコードをよく聴いた。
うろ覚えながら、歌えと言われれば(たぶん)歌えます。
踊りはできませんけどね。

(くまモンのどこがいいんだろう?と思って
「謎」のカテゴリーで書き始めたのですが、
書いているうちに謎じゃなくなってしまいました。
熊がいない県なのに熊本、っていうことのほうが謎)

 

本日の「いいね!」

くまモン関連の動画はお好きに検索していただくとして・・

スノーベア (動画)

コーラはぜんぜん飲まないんですが、このCM可愛い。

 

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タコの謎

2013-10-25 10:49:09 | 

 

ロクダイさんがタコと大根の絵を描いておられましたので、
タコについて。

「梅にうぐいす」「旭日に鶴」「粟穂にうずら」などと並んで、
「大根に蛸」も、古伊万里の染付などによくある図柄です。
これは17世紀に中国から伝わった伝統的な吉祥文様のひとつで・・

・・なぁんていうのはまったくのデタラメですが、
「夜中にタコが海からあがってきて畑の大根を盗んでいく」
というのは有名な話。

有名・・ではないのかな?
昨年亡くなられた西丸震哉さんの「動物紳士録」という本の中に、
著者が三陸の釜石で目撃した一部始終が書かれております。

海岸の畑がよくタコに荒らされるという話を聞き、
夜中に提灯をぶらさげて行ってみたところ、
7、8キロはあろうかという大きなタコに遭遇。
そいつは大根におおいかぶさって、葉のあいだから八方に足を拡げ、
そろそろと背のびをしつつ、クキクキクキッと引っこ抜くと、
2本の足で小脇にかかえてずるずるとひきずって海へ帰って行った。
この話は、誰に話しても信じてもらえない、と。

40年以上前に出版された本ですが、タコの話は昭和20年代のこと。
この西丸サンという方は、怪しくて面白い話をいっぱい書いておられ、
幽霊とか超常現象もかなりお好きだったみたいで、
(浦島太郎の乗った「亀」はUFOだった!というマジメな説とかね)
それでも学者さんですから、動物の生態で嘘は書かないだろうと、
わたしは勝手に信じているのですが、どうでしょうか。

タコは水から出てもしばらくは平気で行動できて、
カニなどの餌を追って陸に上がることもあるといいますが、
大根は波打際に植えてあるものではないし。
海の生物がどうしてわざわざそのような行動を?
そもそもタコって野菜を食べるの?

調べると、大根の他に、芋、スイカなどの目撃談もあるようです。
でも、すべて伝聞か推測、「お年寄りに聞いた」的なものばかり。
ネットでざっと検索しただけなので、文献は調べていませんが、
これはつまり、インターネット、いやTVが普及した以降には、
実際に見た人が少ない、ということかもしれません。

(このへんがネット検索の限界というか、時代をさかのぼっていくと
情報量が突然すとんと薄くなるポイントがあるんですね。
情報がないからといって事実がなかったわけではなく、
そこより前では、書き残されたものの存在が俄然貴重になってくる)

いまなら、赤外線カメラとかセンサーとか各種機材もあることだし、
提灯で夜通し張り込みをするまでもなく、スクープ映像や、
証拠写真の1枚くらい、誰かが撮っていそうなもの。
環境または習性の変化で、タコは畑にあらわれなくなったのでしょうか。
それとも、やっぱり都市伝説・・じゃなくて田舎伝説?

春も近くなると、大根の葉の外側のほうは枯れて周囲にひろがり、
その中央から太い花芽がむくむくと持ち上がってくる。
夜にあかりで照らして見たら、タコが乗っているように見えなくもないと思う。
また、引っこ抜いて抱えて逃げるという行動は、サルっぽい気もする。

だけど、「クキクキクキッ」というところがね。
つくり話や見間違いにしてはあまりにもリアル。
と、思いません?


タコは大根と煮ると美味しいです。
一説によると、タコの足は大根でドンドンと叩くと柔らかくなり、
叩いたその大根を切って一緒に煮ればどちらも美味しいと。
あ、もしかしたら、それも何か関係が・・ないよね・・?

(以上、閑蛸堂でした。
画像は本文とはまったく関係ないミゾソバの花) 

 

本日の「いいね!」

ハロウィンも近いので・・

ジャンボカボチャ彫刻祭 

 

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朝顔の謎

2013-09-02 16:24:08 | 


明け方に雨が降ったので、アサガオにも水滴。
(水玉じゃなくて水滴です)
曇っているせいか、今朝は8時でもまだ開いていたけれど、
花のふちから刻一刻と色が変わっていく。
蜂が来て、そそくさともぐりこみ、すぐに飛び去る。

 



アサガオはどうしてこんなに早起きなの?
・・という小学生レベルの疑問がわく。
カラスウリが夜に咲くのは、夜行性の虫に花粉を運んでもらうためだ。
前に書いたように、カラスウリは雌花と雄花が別々の場所に咲くので、
誰かに仲介してもらわないと受粉できない。
では、明け方に咲いて、日が高くなる頃にしぼむアサガオは、
なぜそんな時間帯を選んだのか。

アサガオは、ひとつの花の中におしべとめしべがあって、
虫の助けを借りなくても自家受粉ができるそうだ。
それなら、なぜ花が咲くのだろう。
いかにも「いらっしゃい」と誘うような花の色と形は何のため?
実際、朝の短い時間に、忙しそうに訪れる蝶や蜂を見かける。
せっかくお客が来るのに、さっさと店じまいしてしまうのが不可解だけれど、
そこにはアサガオならではの事情が、あるいは戦略が、きっとあるに違いない。

(ここから先は資料の寄せ集めに想像を混ぜて書くので、
丸ごと信じないでいただきたいですが・・)

アメリカアサガオの花は9割以上が自家受粉だそうだ。
残りの1割弱に、よその株からの花粉が入る。
なぜかというと、同じ遺伝子を受け継いだものは、
特定の病気や環境の変化に弱いといった弱点も受け継いでしまう。
そうすると「宇宙戦争」の火星人みたいに、何かの原因で
一族が全滅ということもあり得るからだ。
アサガオに限らず、自家受粉できる植物が、わざわざ花をつけて
虫に来てもらったり、風で花粉を飛ばしたりするのは、
つまり子孫繁栄のための「保険」のようなもの、なんだそうです。

しかし、アサガオの花びらは、とても薄く、長もちしない。
雨風にも弱いし、強い日ざしを浴びればすぐしおれてしまう。
そこで早朝の短時間に勝負することにした。
どこよりも早く、日の出前から店を開け、看板を出して待っていて、
いちばん早起きのお客をつかまえる。
つまり、夜咲く花がしぼみ、昼の花はまだ開ききらないうちに。
寝起きのボンヤリした目にも見つけやすい、大きなパラソル型の看板。
この時間帯、他に咲いている花の種類が少ないとすれば、
花から花へ渡りあるくお客が運んでくるのは確実にアサガオの花粉。
とても効率が良い。
しかも、カラスウリと違って、お客が来なくても実を結ぶには支障がないから、
アサガオはそれほどがんばって営業する必要はない。
気温が上がってくるころには、パラソルをたたんで、おしまい。
というわけ。
(じゃないかな? W先生、いかがですか?)



これは深夜のアサガオのつぼみ。
いまにもくるくるとほどけて咲きそうな感じ。
待っていたら咲くのを見られるか・・と、ちらっと思ったけれど、
それほど根気はよくないし、それほど若くもないので(笑)
あとで調べたら、日没の約10時間後に開花する、といわれているらしい。
えーと、今だと日の入りは6時頃だから、咲くのは4時くらい?
4時まで起きてるのも、4時に起きるのも、ちょっと無理そうよ。




オシロイバナはしっかり咲いている午前0時半。

 

黄花コスモスは下向いて寝ています。

 

LEDライトをあてるとなぜか非現実的な色に写るトレニア。
半分だけ閉じて仮眠中。

 

ムラサキシキブの若い実。

 

 

うわー、綺麗。真夜中のアナベル。

 

なあに、この真っ暗けは?

 

ばけねこ真鈴ちゃん?

 

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タグの謎

2013-02-01 22:33:51 | 


マフラーを買った。
ウール100%で、欲しかった色で、長さもちょうどよい。
さっそく針箱を持ち出し、各種タグをはずしにかかる。

紙ラベル2枚の他に、糸で縫い付けてある織りネームが2つ。
品質表示のタグと、メーカーのネームタグ。

マフラーに限らず、衣料品のネームタグが、大きすぎたり、
手触りが悪かったり、襟でがさごそチクチクしたりするときは、
さっさとはずしてしまうに限る。
といっても、これはけっこう手間がかかる。
ボタンつけなんか甘くて、すぐとれちゃったりするのに、
ネームタグはものすごくがっちり縫いつけてあるからだ。
糸を切るときうっかり生地まで切らないよう気を使う。

この頑丈さから察するに、メーカー側はボタンよりタグが大事、
どうしてもタグをはずされたくないらしい。
これが不思議でしかたない。
つけたまま使うものであるなら、それなりに材質も考え、
邪魔にならないような形状にするはず。
デザインや生地や縫製にこだわった(と称する)商品に、
こんな違和感のあるものをぴらぴらつけておくのが不可解。

ギブスンの「Pattern Recognition」(だっけ?)に、
ロンドンから来たヒロインが渋谷のパルコで服やバッグを買い込み、
同じく無印で買ったリッパーを使って、すべてのラベルやタグを、
その場で片っ端からはずしてしまうシーンがあって、
わたしはそこだけ妙に共感したものですが・・
他の人たちはみんな平気なのかなあ。

ついでに。
ブランド名は「店の名」や「屋号」のこともあるけれど、
最近はデザイナーのフルネームがそのままついているのも多い。
この人名が衣服や小物の目立つ位置に掲げられ、
それがデザインとみなされるようになったのはいつからだろう。
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という映画で、
自分が生まれる前の時代にタイムスリップした男の子が、
「あなたカルヴァン・クラインっていうのね?」と
女の子(じつはお母さんの若い頃)に誤解されていたから、
(そこと「ジョニー・B・グッド」しか覚えておりませんが・・笑)
'50年代にはそういう「デザイン」ってありえなかったんだと思う。
新品の衣類を買ったのに他人の名前が「書いて」あるって、
よーく考えるとヘンじゃないですか。
以前、背中に黒々と「山本寛斎」とか大書したTシャツを
着ている人がよくいたけれど、あれも相当ヘンな眺めだった。

さて、マフラーのネームタグはどうにかはずせたが、
よく見ると、反対端にも、もうひとつ。
しかも、こっちのは、縫いつけたどころではない。
なんと布地に直接、びっしりと隙間なくこれでもかと刺繍してある。
さすがに、これをほどくのは、無理。
たとえ何時間もかけてほどいたとしても痕が残ってしまう。
葉を刈っても茎を刈ってもまだまだ根は残ってるという・・
ある種のしたたかな植物が連想される。

そのあたりで、ようやく気づいた。
冬物最終バーゲンで安かった・・んじゃないんだ。
たぶん最初からこういうふうに作ってあるのね。
安さにつられて買った人にヒトにとりつき、「歩く広告」もしくは
「運び屋」として利用する。
目立つタグからブランド名という種子がそこらじゅうにふりまかれる。
とすると、本体はタグで、マフラーは餌なのか?
いや、うーん、いいマフラーなんですけど、ね・・。

 

本日のにゃんこ。

夢のニャンコハウス(動画)

引っ越すんだったらこんなお家♪

(しかーし、現実的に考えると、家の中でヒトの行けない場所に
猫が行けるのはマズイんじゃないかなあ。
猫なみの能力を持ったロボット掃除機でも雇わないと、
お掃除がたいへんよ・・笑)

 

「ここもいいじゃん、あったかいし」と茶々さん。
どんな場所でもくつろいじゃうのが猫の特技。

(でも、そこ、ずいぶんデコボコしてないかい? いいの?)

 

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羽毛の謎

2012-12-11 21:15:31 | 


長さ約45ミリ。
左右わずかに非対称。
薄いブラウンで毛先の一部だけ色が濃い。
(写真は下がブルーのため実物よりグレイっぽくうつっている)
形状とサイズから推察して、鳩よりは大きめの鳥と思われる。

なにしろ採集場所が普通でない。
スーパーマーケットのカゴの中なんです(・・笑)
買い物をすませてカゴを戻そうとしたら、
そこに積んである一番上のカゴの中にこれが入っていた。
商品の一部ではない、と思う。
こういう羽のついているものを(丸ごとの鶏を含め)
このスーパーでは売っていないはずだ。

さらに、もうひとつ普通でないことがある。
3日前、隣町にある同じスーパーの別店舗で、
色もサイズもよく似た感じの羽を採集した。
そのときはカゴの中ではなく、階段のすみに落ちていた。

これはどういうことなのか。
2つの店は直線距離にして20キロ近く離れている。
大型の猛禽類には広大なテリトリーをもつ鳥もいるので、
同一の鳥が両方の店を訪れたとしても不思議ではない。
しかし、スーパーでは毎日何度もお掃除をしている。
たまたま羽が抜け、たまたまお掃除の人が見逃し、
それをたまたまわたしがみつける、という確率を考えると、
この鳥は相当ひんぱんに両方の店に出没していることになる。

いや、ほんとの鳥じゃなくてもですね、リオのカーニバルではあるまいし、
鳥の羽のついた衣装でスーパーに来る人はいない。
襟に毛皮のついたコートはあるけれど、羽はないでしょう。
帽子・・にも最近はあまりついていないと思う。

羽根ばたき、というのが浮かんだ。毛ばたきともいう。
お抱え運転手が高級車の埃を払う、あれですね。
(猫をじゃらすと狂喜しそう・・というイメージがある)
でも、はたきにするのはもっと長い羽根ではないだろうか。
第一、スーパーのお掃除に、使うかな? 使わないよね?

・・ということで、半日以上、不思議がっていたのですが、
ふと気がついた。
ダウンジャケットに、ダウンコート!
あれは羽毛が入っているはず。
(正確にいえば、この写真のものはダウンではなくフェザーだ)
それなら猛禽ではない、アヒル、ガチョウ、カモなどの水鳥。
日本産ではない可能性が大きい。
サイズ的には妥当。
びりびりっと破れたらおおごとだが、こんなふうに1本、2本、
知らないうちにこぼれ落ちるということも、あるのでしょうか。

うちには昔から羽枕、羽毛布団の類はひとつもなく、
ダウンコートも着たことがないため、よくわかりません。
どなたか詳しい方は教えてください。

(追記)
・・で、教えていただいた結果は→こちら 

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どんぐりの謎

2012-09-17 10:17:37 | 

 

まだ青いどんぐりが、枝葉つきのまま、いくつも道に落ちている。
毎年いまごろ、このような状態で見かけるけれど、なぜだろう。

台風のあと、というならわかるけれど、強い風も吹かないのに、
枝先が自然にこんなふうにぽっきり折れるものだろうか。
(切り口は、ちぎれたようではなく、刃物で切ったような断面)
それとも、何か生き物のしわざだろうか。

このあたりの木の上のほうに、ときどきカラスがとまっている。
もしかして、カラスが落として遊んでいるの??

 

・・ということを先日書いてUPしましたら、某出版社の方が
「ウチで出した本に載ってます!」と本ごと送ってくださり、
正体がわかりましたので、ここにまとめておきます。

カラスのいたずらではなくて、なんと、なぁんと、


(謎は自力で解きたいっ!という方はこの先読まないでね)


1センチに満たない小さな虫の仕業らしいのです。
その名は、ハイイロチョッキリ。
どんぐりがまだ柔らかいうちに穴をあけて卵をうみつけ、
それを枝ごと切って地面に落とす。
幼虫はどんぐりの内側で実を食べて育ち、
大きくなると殻から出てきて、土の中で冬を越し、春に成虫になる。
つまり、どんぐりは、お弁当つきのゆりかご、というわけ。

「どんぐりは食べてないし・・」と、そこが不思議だったのですが、
これから食べる予定、だったのね。
じゃあ、落ちているどんぐりには穴があるんだ。見てみよう。
と、探しに行きましたが、これがもう全然見あたらず。
産卵の時期が過ぎてしまったのかも。
舗装した道の上に、新しい状態で落ちていれば目立つけれど、
草むらなどで、日にちがたってから見つけるのは至難のワザ・・。

葉をくるくる巻いて落とすオトシブミは知っていましたが、
チョッキリさんは知らなかった!
わたしは昆虫全般あんまり得意ではありませんが、
(昆虫図鑑はコワイのでめくることができない・・)
こうした適応進化の多様性には、感心します。

だけど・・どうして、「枝ごと」切り落とすの?
どんぐり1個ずつのほうが、柄も細いし、らくではないかしら。

いくつかついている実それぞれに卵を産んで、
まとめて落とせば手間が一度ですむ・・ということ?
それとも、葉っぱが何か役に立つのかな。
落ちた実をおおって鳥や動物にみつかりにくくする、とか、
パラシュートになって落下のダメージをやわらげる、とか?

(ほらぁ、あらたな謎がふえちゃいましたよ、燿子さん・・笑)

 

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宇宙の謎

2012-08-11 11:50:41 | 

「宇宙の『ちゅ』って、なあに?」
という可愛らしい質問を某所で見かけましたので、
(ふふふ、お借りしまぁす)
本日は、宇宙の謎について。

宇は空間のひろがりを、宙は時間のひろがりをあらわす。
空間的にも時間的にも「ひろい」ものが「宇宙」である。

・・と、昔どこかで習った気がする。
どこだっけ。
何かの漫画だったかも。

字源を調べる。
ウかんむりは、家の屋根(と壁)をあらわすもの。
「宇」の中にある「于」は、弓をたわめるのに使う器具の形。
そこから、弓なりに大きく曲がったものをあらわす。
「宇」は天空を大きなドーム状の屋根と見なした文字だ。

で、「宙」は?  
こちらは調べてもよくわからない。
白川静先生の説によれば、「由」はヒョウタンの形で、
中がからっぽ、という意味ではないか、とのこと。
ふうむ。
屋根の下に、からっぽがある。
お空は遠い、ということなのかなあ。

このヒョウタン、中央に軸があるから、回転するのではないか。
というのは閑猫説で、根拠はまったくありませんので、
簡単に信じないように(笑)。
しかし、そこから「時間的ひろがり」に結びつく橋が、
いまひとつ見つからず。

でも、真偽はともかく、イメージ的には、良いですよね。
大きな大きなドーム状の屋根。
月や星座をちりばめた天井。
その下で回転するひょうたん。
これって・・
プラネタリウム?

 

上の画像は、空にあらわれた「光持つ手」。

 

本日のにゃんこ。

「ぎゅう」して「ちゅう」するのが「うちゅう」だろ。

 

うん、そういうことだ、Tくん。

 

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節電の謎

2012-08-06 08:42:40 | 

「節電」の2文字をいたるところで見かける。
なんとなく、厄災除けのおふだでも貼ってあるようだ。

TVをみていたら、「午後1時から4時までの
節電にご協力ください」というお知らせが流れた。
そう言ってるTVが率先してその時間帯を休みにすれば。
と思ったりするけれど、それは困る!という人も必ずいるだろう。
オリンピックはある、高校野球はある、スポンサーは商品を売りたい。
見てください買ってください節電もしてください、と言われてもね。

暑いとき、冷たい麺類が美味しいけれど、
大量のお湯をわかして茹でる過程が暑い。
台所でなるべく火を使いたくない、という理由から、
調理済みの冷たい食品がよく売れているそうだ。
カップ麺は少量のお湯で作り、氷を入れて食べる、とか・・。

しかし、うちで茹でないそうめんは、どこかよそで茹でている。
冷やすのも、氷を作るのも、うちのでなければ、どこかの冷蔵庫。
冷蔵庫をフル稼働させれば、室温はますます上がり、
エアコンや扇風機をやっぱり使わざるを得ない。
あっちを冷やせば、こっちが温まる。
あっちで節電したぶん、こっちで使ってしまう、ということに
・・えーと・・ならないのかな? どうなんでしょう。
閑猫頭は堂々巡りをするばかり。

まだ「昭和」だった頃、首都圏が水不足に見舞われた年があった。
「節水はパパの協力ママの知恵」という標語ステッカーが
各戸に配られたのを覚えている。
そのとき、節水アイデアのひとつに
「食器を洗わなくてすむようラップや紙皿を使う」
というのがあって、それに対して
「そのラップや紙皿を作るには大量の水が必要」
と反論があったのも覚えている。
どっちが正しいのかわからないうちに水不足はおさまったけれど、
いま「節電」の文字を見ていると、宙ぶらりんになったままの
そのときの疑問を思い出す。

 


数年前のアメリカのSF映画。
ウィルスか何かで人類が突然滅亡してしまい、
廃墟と化した都市に、主人公がひとりだけ生き残っている。
夜になると襲ってくる人食いゾンビみたいなのがいっぱいいて、
それと闘いながら暮らしている。

見ていて、あれ?と思ったのは、主人公の住まいだ。
ちゃんと電気があって、明かりもつけば、音楽も聴ける。
大型冷蔵庫には食糧が詰まっている。
窓のシャッターも電動のようだ。
蛇口をひねれば水もお湯も出る。
きっと冷暖房もあるだろう。
持ち主のいなくなった車が町じゅうに残っているから、
移動手段にもガソリンにも不自由していないらしい。

発電所も浄水場も、無人で半永久的に稼働する・・
という未来の設定なのかもしれない。
あるいは、主人公が(映画にうつっていないところで)
がんばってひとりで自家発電などをしているのかもしれない。
おそらく、アメリカ的、というかハリウッド的感覚からすると、
「人間らしさ」のうちに「言語をしゃべる・衣服を着る」に加えて
「電気・水道・ガソリン」も当然のように含まれていて、
人食いゾンビとの違いを表現する必要上からも、
それらをはずすことは不可能だったんだろう、と想像する。

人類の最後のひとりかもしれない主人公は、
TVの前に座り、録画したニュース番組を繰り返し見ている。
太古の昔、ヒトは「火」を手に入れ、そこから
他の動物とは違う進化の道をたどってきたけれど、
その最初の火は、聖火リレーのごとく受け継がれ、
さまざまに形を変え、最後はTVの中に細々とともって、
終末を迎えようとしている。
TVは、原始人の焚き火であり、古き良き時代の暖炉であり、
いつもヒトは「少しでも温まろうとして」その前に座るのだな。

(・・と、例によって変なところに注目してしまう閑猫。
おそらくこのシーンはそういう意図で撮られたのではないと思うけど。
しかも、この映画、途中までしか見ていないので、
思い違いがあったらすみません)

 

電気使用量のお知らせが来た。
「7月分は、昨年と比べて21%減少しています」と書いてある。
節電の成果を教えてくれるようになったのは良いけれど、
じつは、そんなに減少した理由が思い当たらない。

わが家の電気使用料は、2006年あたりをピークに減少に転じ、
(人口が減っただけでなく、魚を飼うのをやめたのが大きい。
24時間ろ過装置を動かしていると、かなり電力を消費する)
この3年ほどは、ほぼ横ばい状態で安定している。
6月は昨年比プラス4%、5月はマイナス6%。
だいたいいつもそれくらいの増減はある。

お風呂場の白熱電球が切れたのでLED電球に取り替えたとか・・
(数か月に1個のペースで、切れたものから順次LED化している)
そういえば今夏はまだ階下の扇風機を出していないとか・・
(居間で使うのは一日あたり20分間くらい)
それだけのことで突然21%も減るものかな。
原因不明で増加するよりは良いのですが。
謎です。

(追記:この記事は7月下旬に書いたものですが、
扇風機はまだ出していません。
要らないのかな、あれ)

 

 

ツバメのみなさん、一列に並んで休憩中。
今年うまれた子たちも、もうしっかり飛べるようになりました。 

 

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