閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

ヒマラヤの謎

2016-04-26 00:16:17 | 

ときどき通る道に「ヒマラヤ理容店」というのがあって、
ヒマラヤかあ、頭が涼しそうだなあ…と思っていたのだが、
ある日、よくよく見たら、「ヒマラヤ」じゃなくて「ヒラヤマ」だった。

という話を、だいぶ前に書いた気がするのですが、
どうしても見つからないので、また書きます。
前に読んだよ!という方はごめんなさい。 

その続き。
ヒマラヤじゃないヒラヤマ理容店からすこし離れたところに
「サウジ理容店」 がある。
こちらは逆に暑そうな名前で、スモーク色のガラスドアからは、
赤白チェックの布をかぶった人が出てきそうな気がする。
わたしは理容店には入る用がないので、いつも通りすがりに
ドアの文字をなんとなく見ているだけだったが、ある日、
よくよく見直したら、「サウジ」じゃなくて「サワジ」と書いてあった。

だけど、最初の印象というのはなかなか消えないもので、
相変わらず、そこを通るときは「ヒマラヤ」と読み、「サウジ」と読み、
そのあとに「じゃなくて」をつけて読み直さねばならない。
「ウ」と「ワ」なんて、字の形がまぎらわしいのもいけないんだけど、
理容店の名前って、どうして片仮名書きが多いのでしょうか。

隣町に、美味しいさつまあげを売っている店があって、
場所は知っているし、行くこともできるのに、店の名がわからない。
「ハヤマ」か「ハマヤ」か、どっちかなのだ。
看板にはちゃんと書いてあるし、包装紙にも書いてある。
でも、その3文字がまとまって目に入り、並び順がうやむやになってしまう。
こっちだと思っていたら、逆だった、ということが何度かあって、
もうぜんぜん自信がないので、「ハヤマかハマヤ」ということにしておく。 

同じ片仮名の店名でも、レストランや洋菓子店だと、
イタリア風でもフランス風でも、あまり読み間違えることはない。
(アマンドとコージーコーナーを間違えるのは、
またぜんぜん別の問題です)
しかし、本格的になればなるほど(というか、海外で修業してきた
シェフが新規に開いたお店だったりすると)名前が覚えにくい。
こないだ聞いたブラッスリ・なんとか・カントカというの、
覚えにくいなあと思っていたら、案の定、もう忘れてしまいました。

隣の隣の町で、佐藤さんという人がやっている洋菓子店は、
その名も「さとうや」という。
こういうのは忘れなくて良い。
発音すると「里親」みたいになる。
ふっくらした優しい里親お母さんのスカートのまわりに、
愛らしい里子のケーキたちがまとわりついているような
ほほえましい光景が目に浮かぶ。
(ここのケーキはとても美味しいのですが、場所がわかりにくく、
いまだに自力でたどり着くことができないのです) 

このあいだ、某新聞に、わたしの名前が1字間違って載っていた。
変換ミスではなく、入力ミス。
新聞社の人はすごく恐縮して謝ってこられたけれど、
じつは、この間違いは、小学校から現在に至るまで、
何度も経験して、もうすっかり慣れているので、だいじょぶです。
いちいち訂正もしないから、間違ったことに気づかない人も多いはず。
その名前で郵便も来る。配達の人も違うことに気づかないらしい。
何か盲点とか死角みたいなものがあるんだと思う。
姓名ぜんぶ簡単な字ばかりだから、かえって油断してしまうのかな。
「魑魅魍魎」とか「天麩羅饂飩」みたいな難しい名前に変えてみたら
どうでしょうか、ね。  

パソコンで文章を書いていると、打ちやすい単語と、
打ちにくい単語がある。
同じ言葉の、同じところで、必ず同じミスをする。
たいてい2文字目、いや、3文字目かな、あぶないのは。
ああこれいつも間違えるよね…と、そのときは思うけれど、
それが何という単語だったか、あとからはなかなか思い出せない。
いま、これを書いていて、「ヒマラヤ」が駄目なことが判明した。
何度やっても指が「ひまやら」と打ってしまい、「やら」を消して
「ら」と打つつもりで、また「や」と打って、ちっとも前に進まない。
2文字目と3文字目のあいだに、いったい何があるのだろうか。
ヒマラヤの深い謎。

 

 

本日のいただきもの。

そうだ、あれ、出たんだっけ!と思っていた矢先に
いただきました。にゃんこ切手。
おてつだいねこの好きな妙子さん、ありがとうございます。

 

 

そして、これはMのおみやげ。
この人はいったいどこに行ってきたのでしょう(笑) 

 

 

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こけしの謎

2016-04-24 18:19:39 | 

 

知人にエスプレッソの淹れ方を教えてもらった。
パーコレーター、イタリアではマキネッタというらしいが、
昔ながらの器具を使うやり方だ。

見た目はコーヒーポットみたいな形をしているけれど、
厚手の金属でできていて、ちょっと重い。
じつはとても小さな圧力鍋なのだ。
ねじ式で上下にわかれ、下はさらに2段重ねになっている。
まず一番下のタンクに適量の水をいれる。
その上の茶こしのような部分にコーヒーの粉をいれる。
粉はエスプレッソ用の深煎り、極細挽きのもの。 

次に、彼女がおもむろに取り出したのは、こけしである。
高さ30センチくらいある立派なものだ。
それを慎重に両手でにぎり、、盛り上がっているコーヒー粉に
底の部分をかるく押しあてて、平らにした。

「え! こけしで?」
「そう。ちょうどいいよ」

円筒形のこけしの底面は、器具の直径よりわずかに小さく、
なるほど、ぴったりだ。
彼女の家の台所の棚にこけしがあるのは知っていたけれど、
まさか、このためだったとは! 

粉を平らにしたら、あとは上半分をしっかりねじこみ、
ガスの弱火にかけて、数分待つ。
シューグツグツポコポコッ! と音がしたら火をとめて、出来上がり。
下に入れた水は、熱いコーヒーとなって上にたまっている。
あとは、傾けてカップに注ぐだけ。 

じつは、彼女の淹れてくれるコーヒーが美味しいので、
うちにもパーコレーター欲しいなと思ったのだ。
他人の持っている物が欲しくなるなんて、ほんとに珍しい。
幼稚園のときにお友だちのままごと道具がうらやましかったけど、
それ以来ではなかろうか。
非常にシンプルで、昔から変わらない道具であるところにひかれる。
大事に使えばたぶん一生もつだろう。
小さな火さえ起こせれば、屋外でも使える。
電気もいらないし、紙フィルタもいらない。 

しかし、エスプレッソを淹れるには、こけしも買わなきゃ…
ってことはないですね。
プロ用にはタンパーという専用の器具があるみたいだけど、
(スタンプラリーに使う柄のついた丸いスタンプみたいなもの!)
サイズの合う丸いものなら何でもいいだろうし、なんなら
そこらへんの薪の中から手ごろなのを切ってくればいい。
ほんとのところ、スプーンの背でちょいと押さえたって大丈夫そうだ。

それにしても、こけしが「役に立つ」ところを見たのは初めてで、
これはかなり新鮮な驚きだった。
昭和生まれの人だったら、(と、ざっくりまとめてすみませんが)
お家に、こけしのひとつやふたつ、あったんじゃないかと思う。
うちにも、わたしが生まれる前からひとつあって、
ずいぶん長いこと、わたしの本棚に置いてあった。
あっさりした上品な絵柄で、今考えれば、悪くないものだったかもしれない。
でも、子どもの頃は、これがどうしても好きになれなかったので、
あまり大切にしていなかった。

こけしというのは、だいたい飾っておく以外にしようがないし、
可愛がろうにも、つるつると堅くて、とりつくしまがない。
そもそも可愛がられたいという顔をしていない。
なにか異文化圏からやってきたもの、という感じがする。
飾り物のくせに、頭でっかちで、すぐにコトンと倒れるので、
ほとんど地震計みたいな扱いになっていた。
あるとき、かなづちのかわりに、手近なこれで画鋲を叩いたら、
へこんだあとがくっきりついてしまった。
ばちがあたるのではと、あとでしばらく怖かった。 

昔は呪術に使われた…とか、勝手に想像していたけれど、
べつにそういうものではなかったらしい。
昭和の子が遊んだキューピーさんや文化人形も、
平成の子どもたちには違和感が大きすぎるだろう。
こけしが異文化圏からやって来たのではなくて、人のほうが
いつのまにか異文化圏に来てしまったのだ。

リカちゃん人形だって、今は現役だけれど、
50年後、100年後には、どんな扱いになっているかな。
「昔は呪術に使われたのかも」なんて、不気味がられながら、
それでもどこかにそっと飾られているだろうか。
まさかコーヒーを淹れるときに使う人はいないだろうと思うけど、
それも今はまだわからない。

 

ということでね、とうとう買っちゃったのよ、ビアレッティ。
ただいま練習中。
といっても、エスプレッソは一日に一回しか飲めないので、
なかなか上達しません。
同じ粉でも、淹れるたびにぜんぜん違う味になってしまうのが謎。 
そういえば、うちのこけしは、どうしたんだっけ。
と、粉を詰めるたびに、気になってしかたない。
まだ持ってるとすれば押し入れの一番奥の箱の中だけど、
いまさら見るのも怖いので、探すに探せないんですが。 

 

 

本日の「いいね!」

The Bauhaus Ballet Turns 100

ドイツのアーティスト、オスカー・シュレンマーによる
1922年初演のバレエ。94年前の「モダン」は今も素敵。

 

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玉手箱の謎

2016-01-29 18:37:50 | 

「竜宮城の謎」からのつづきです。

上の画像は『教育昔話 浦島太郎』(明治32年)
近代デジタルライブラリーより拝借。 


浦島太郎の話に出てくる重要アイテム「玉手箱」は、
お正月の「福袋」と同じく、ちょっと秘密めいて、
しかも、めでたい感じがする。
発音しやすく、口にして気持ちの良い単語であります。

わたしは「玉→真珠→真珠貝」の連想からか、
螺鈿細工の宝石箱(オルゴールつき??)みたいなものを
ぼんやりと想像していた気がするのですが、
(しかも「文箱」や「硯箱」とも混同してた気がする)
この場合の「玉」は「貴重で美しい」と解釈すればいいらしく、
必ずしもジュエリー類とは限らないようです。

さて、竜宮城の謎につづき、玉手箱の謎。
(予告しておきながら間があいてしまってすみません)

どうして乙姫様はおみやげに玉手箱をくれたんだろう。
開けちゃいけないものなら、渡さなきゃいいのに。
というのが、「浦島太郎」の最大の謎であります。
亀を助けた「良い人」のはずの太郎がこんな目にあうのは変だし、
乙姫様が意地悪をしたと考えるのも変。
また御伽草子を見てみましょう。

太郎は竜宮の美女と夫婦になって三年暮らしたが、
故郷の両親のことが気になってきて、里帰りを申し出る。
ここで美女が打ち明けて言うには、
「じつはわたくし、あなたに助けられた亀でございます」

待て待て、そんな話だったっけ?

乙姫様の正体はは亀で、太郎は亀と夫婦になっていた。
と考えると、この話は「鶴女房」などと同じジャンルに入ることになり、
急にイメージが変わってまいります。

その亀嫁が「これをわたくしの形見に」と美しい箱を取り出し、
「けっしてこの箱は開けないでくださいまし」と言って渡す。
そこから、「あけてびっくり玉手箱」までの流れは、
どなたもご存じのとおりですが…

<そもそも、この浦島が年を、亀がはからひとして
箱の中にたたみ入れにけり。
さてこそ、七百年の齢(よわい)を保ちける>

つまり、玉手箱に入っていた「煙」の正体は、
スネイプ先生の調合した「老化魔法薬」などではなくて、
亀がこっそりしまっておいた太郎の「年齢」だった。
おみやげにあげたんじゃなく、本来は太郎のものだから、
返した、ということ。
開けるとどうなるか知っているので、ほんとは開けないでほしいけど…
という妻の気持ちが、この矛盾した言動になっていたわけです。 

夫が家に帰りたいと言い出した時点で、
妻(亀)は、夫がもう戻ってこないことを悟ったのです。
だからこそ「形見」を渡し、ひそかに預かっていたものを返し、
「来世ではまた一緒になりましょうね」と涙ながらに別れている。
これは、竜宮という場所が、地理的に遠いだけでなく、
人間界とは異なる世界であることをあらわしています。
異世界の出入りは簡単ではない。
おそらく、何も知らない(選ばれた)人間は入れるけれど、
そこへ行こうという意図を持って探しても絶対みつからない。
(そう、これって、「ナルニア」の入口と同じ!)

太郎のほうは、そうとは知らず、ちょっと両親の様子を見たら、
また竜宮に戻ってくればいいくらいに甘く考えていた。
しかし、童謡にもあるように、
「帰ってみれば こは如何に 元居た家も 村も無く」
故郷の様子はすっかり変わってしまっており、
親どころか、親戚も知人も誰ひとりいなくなっている。
竜宮で三年暮らす間に、こちらでは七百年が過ぎており、
草に埋もれた自分の墓まである。
がっくり、茫然とした太郎は、

<今は何かせん、あけて見ばやと思ひ>

もうどうでもいいやと、ヤケになった。
ヤケになるくらい、「故郷の喪失」は彼にとって大きな打撃だった。
こんなことになったのは、竜宮に3年間もひきとめられたからだ。
あの女に騙されたのだ。
開けるなというのは、開けると彼女に不都合があるに違いない。
よーし、それなら開けてやれ。
…と、まあ、そこまで思ったかどうかはわかりませんよ(笑)。 

太郎が亀と夫婦だった、という異類婚姻譚であれば、
この玉手箱の一件はすんなり納得できる気がするのです。
明治時代に小学校で教えるようになったものだから、
結婚というオトナの話の部分がぼかされてしまい、そのせいで、
いろいろ意味がわかりにくくなったんじゃないかな。

<あけて見るなとありしを、あけにけるこそよしなけれ>

これは、鶴の機織りをのぞくなと言われたのにのぞいて
破局になったのと同じパターン。
「開けるな」は、夫の妻への信頼度を試すテストだった…
と言ってもいいけれど、浦島くんの場合、ここで玉手箱を開けなければ
竜宮に戻れたか、っていうと、それはなかったんじゃないかなあ。
竜宮に飽きて、故郷(=人間界)が恋しくなった時点で、
すでに結婚は破綻していたと思う。
鯛やひらめの舞い踊りにぼーっと見とれている間も、
浦島の心はつねに故郷にあり、妻はそれを見抜いていたのです。
結局、人間は異世界の者にはなりきれない。逆も同じ。
という教訓を含んだお話なのかもしれません。
(「異類婚」を大雑把に「国際結婚」と置き換えて考えれば、
なんとなく、わかるような気がする)
 

さて、物語は、太郎がおじいさんになったところで
終わるのがふつうですが、
御伽草子の浦島には、続きがあります。

七百歳というスーパー老人になってしまった太郎は、
鶴になって虚空に舞い上がり、蓬莱山へと飛んでいく。
そののち、太郎は丹後の国の浦島明神となり、
そこへ亀もやってきて、鶴と亀、そろって夫婦の神となりましたとさ。
めでたしめでたし。

あ、なんだ、ハッピーエンドじゃないですか。

もともと昔話は、語り手によって内容に違いがあるのが当然で、
いろんなバージョンが同時に存在しており、
すっきり説明のつくものもあれば、割り切れないものもある。
どれが正しいということはありません。
語り伝えられたままの素朴な民話を「単衣の着物」とするなら、
御伽草子というのは、納得のいく解釈を裏地につけて仕立てた
「合わせ」や「綿入れ」のようなものかもしれません。
(閑猫的には、竜宮城は海底にあるほうが魅力的だし、
浦島明神なんて、いかにもあとからのこじつけっぽい気がする) 

もうひとつ、「乙姫様」という名前も気になるのですが、
(オトヒメのオトは、弟=年が若いほうという意味にもとれるので、
じつは姉もいたんじゃないか…とか…)
あれこれ見ていたら、さらに思いがけない本を発見。
なんとそれには、「三百年前に行方不明になった浦島某が。
今年八月、故郷に帰ってきて老死した」という怪事件が
つづられているんですけど、「今年」って、いつだ?
次回はその話をいたしましょう。再見。

 

こちらも近代デジタルライブラリーから、
『浦島太郎一代記』(明治21年)より。
おじいさんになって、がっくりしている、というより、
「いやあ、こりゃ、まいったなあ。ははは」みたいな浦島。
玉手箱はずいぶん大きく描いてある。
ちなみに、この絵本、「一代記」とはいうものの、
たった6場面で終わっちゃうという超コンパクト版。

 

 

本日の「いいね!」


休日を過ごしたい素敵なおうち10選

現代の竜宮は こんなところかもしれない。

 

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ブラザーの謎

2015-12-02 22:50:54 | 


村上春樹訳『ティファニーで朝食を』(新潮文庫)を
だいぶ前に買ったものの、ほとんど読まずに棚に置いていた。
そういえばこれ読んでなかったなあと、ぱらぱらめくっていて、
「え?!」と思う。

作品の序盤。
映画ではオードリー・ヘプバーンが演じた主人公ホリーが、
語り手である「僕」の部屋に、ある晩はじめてあらわれる場面だ。
(それも、バスローブ姿で、いきなり窓からね)

「でもなにしろ非常階段はしんしんと冷えるし、
あなたはずいぶんあったかそうなひとに見えたから。
兄のフレッドみたいにね」(p.31)

兄?
わたしはずっとフレッドはホリーの「弟」だと思っていたのです。
グリム童話の「あめふらし」が「てんじくねずみ」だった、
というのと同じくらい、いや、それよりもっとびっくり。

英語のやっかいなところは、兄と弟、姉と妹を区別しないことだ。
ふつうは、どっちでもブラザー、シスターとしか書いてなくて、
「年上の」「年下の」という説明もいちいちつかないことが多い。
そもそも「お兄さん」「お姉さん」という呼び方が存在しないわけで、
『若草物語』なんかでもそうだけれど、上も下も平等に
ファーストネームやニックネームで呼び合っている。
日本が特に「長幼の序」を重んじる国なのかどうか知らないけれど、
現実に困るのは翻訳をするときだ。

「きょうだいのフレッド」ではやっぱりまずいので、日本語にするなら
「兄のフレッド」か「弟のフレッド」か、二者択一を迫られる。
年齢を判断する手がかりが、ちらっとでもあればいいけれど、
何もなかったら、どうするのだろう。 
(というのが本日の「謎」です。あとはつけたし) 

旧来の邦訳が「弟」になっていたせいで、わたしの頭の中で、
ホリーは「年の近い弟のいる若い女性」のイメージになってしまっていた。
戦地にいる弟を気づかってピーナツバターを買い集めて送ったり、
上の階に住む「僕」のことを弟の名で呼んで世話をやいてみたり。
(いや、「弟」と思って読むから世話をやく雰囲気になるだけか。
彼女が弟の話をするとき、代名詞のheは「あの子」と訳されていたし!)
いまさら弟じゃなく兄でしたと言われても、頭の切り替えがなかなかできない。
だーって、かれこれ40年も弟だと思ってたんですからね。
弟思いの姉と、兄が大好きな妹では、ぜんぜんキャラが違うでしょ?

しかし、新しい(といっても7年前ですが)村上訳が「兄」としたのは、
もちろんちゃんと根拠があってのことで、それは本文を
そのつもりで注意深く読まないと見過ごしてしまう。
第一に、ホリーの年齢設定が「19歳の2か月前」で、
フレッドはこのとき軍隊に入っているから18歳以下のはずがない。
第二に、ホリーが自分で語っているように、
(彼女の話を信じるなら、の話ですが)
彼女が14歳で家出したとき、フレッドは「8年生を3回やっていた。」
8年生は日本でいう中学2年生にあたるそうだから、フレッドは
間違いなく彼女より2歳年上の「兄」なのだ。

と、納得はしても、やっぱり「えー」という形に口があいてしまうんだな。
だめだ、この違和感、一生消えそうにありません。

 

<追記>

あらさがしをするわけじゃないけれど、同じカポーティの
『草の竪琴』は、ドリーが姉、ヴェリーナが妹、でいいのよね?
夢見がちな頼りない姉と、実務的なしっかり者の妹。
もしかして、カポーティという作家は、きょうだいの関係を
「いかにも・らしく」描くことをしない、あるいは、できない人で、
それが誤解を招いてしまうこともあるのではないかしら。
 

 

本日の「いいね!」


Open Reel Ensemble - 回・転・旅・行・記 with 七尾旅人


うーん、なんだかよくわからないけど有機的なもの。

 

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竜宮城の謎

2015-11-27 19:37:58 | 

先日、小学校の国語教材をながめていたら、
浦島太郎の歌が出ていました。

「むかし むかし うらしまは たすけた かめに つれられて」

と、1番か2番まではどなたもご存じでしょうが、
「つきひの たつのも ゆめのうち」の、そのあとは?

この歌、5番まであるんですけど、最後まで正確に歌える人は、
少ないのではないでしょうか。
わたしは、1番と2番、あとは4番のあたまの
「帰ってみれば怖い蟹~」ってとこしか覚えてませんでしたが、
昔話のあらすじが見事にコンパクトにまとめられており、
主人公が老人になってしまう悲しい結末と、
あっけらかんと明るいマーチ風の曲とのミスマッチが
またなんともいえず印象的です。 

さて、本日は歌の話ではなくて。

浦島太郎というと、多くの人が、上のような絵を
思い浮かべることでしょう。
海の底にある竜宮城。群れ泳ぐカラフルなお魚たち。
海草がゆらゆらたなびき、サンゴの木が生えていたり。
なんで海の中でも息ができるの?
うーん、それはねー、おはなしだからねー。 

だけど、閑猫は、ふと考える。
「海の中に竜宮城が」といった場合、
それはほんとに「水中にある」という意味なのか?

垂直方向の「中」だけでなく、水平方向の「中」もある。
「太平洋の真ん中のハワイ島」が深海に没していないように、
竜宮だって海上に浮かんでいてもいいのではないか…
というのが今回の「謎」の発端です。 

浦島太郎の話は、一寸法師や、ものぐさ太郎の話と一緒に、
「御伽草子」という本におさめられています。
この本ができたのは江戸時代ですが、収録されている
二十数篇はだいたい室町時代に書かれたもの。
中でも「浦島太郎」は、古くは日本書紀、丹後国風土記にも
その原型らしき話があるそうですから、文字で書かれる以前から
語り伝えられていた昔話、と言ってよいでしょう。

先日、調べもののついでに、その御伽草子の浦島太郎を
ぱらぱらと見ていたところ、知ってる話とだいぶ違うことに
気づきました。 

助けた「亀」は、子どもたちにいじめられていたのではなく、
太郎が自分で釣り上げた亀である。

竜宮城へは、亀の背中に乗って行くのではなく、
美女が迎えに来て、太郎が舟を漕いで行くのである。

そして、その竜宮城は、海の底ではなく、海の上の島にあり、
四方には四季の花が咲いている。

(あれえ、こんな話だっけ?)

竜宮が島だと考えると、これは急に現実味をおびてきます。
水平線の向うがどうなっているか、いや、地球が丸いってことさえ
まだ誰も知らなかった時代。
船でどんどん行けば、未知の国があり、素晴らしいものが手に入る。
そう信じて乗り出していった冒険者もいただろうし、
たまたま嵐でどこかに漂着してしまった人もいたに違いない。
そういう人が、何年もたって、すっかり忘れられたころに
ひょっこり帰ってきたとしたら。
そりゃもう、みんな話を聞きたがる。
聞いた人は誰かに話さずにはいられない。
そうして語り継がれるうちに、いろいろ尾ひれがついて変化して、
「こうだった」という話が「こうだったらいいなあ」にすりかわって、
現実にはありえないようなものになっていく。

昔話って、たいていそんなふうにしてできるんだろうと思うのですが、
何もかもフィクションにすりかわってしまうとは限らない。
ちょこっとだけ「事実」が残ってる可能性もある。
浦島太郎でいえば、どのバージョンでも必ず亀が出てくるし、
最後におじいさんになってしまうのも共通している。
とすると、主人公は実在した漁師で、大きな海亀をとったことがあり、
(亀を「助けた」というのは、後付けの美談でしょうね)
漁に出て行方不明になり、帰ってきたときは老人になっていた。
と、そのあたりは実話なんじゃないか。

というのは、例によって根拠のない閑猫説なので、
話を竜宮に戻そう。 

明治時代の絵本をみると、竜宮は海の上に描かれ、
亀に乗って行くのもあれば、舟で行くのもあり、
(行きは舟で、帰りは亀というのもあり)
太郎を乗せた亀は、海面に甲羅をのぞかせ、
お客が濡れないよう気をつけています。
少なくともこのころまでは、あこがれの竜宮は
「海のむこうのはるか遠い島」という設定で、
誰も海底とは思っていなかったことがうかがえます。

しかし、大正から昭和に入ると、もう竜宮は「海の底」と
文字でも絵でもはっきり書かれています。
地球上がくまなく探索され尽くし、もう未知の大陸も島も
残っていないことがわかってしまったから、でしょうか。
海底はまだまだ神秘の世界で、想像の入る余地があった。
(そして、このあと想像力は「宇宙」へと向かうことになる…)

で、最初の謎に戻ると、

「いったい、いつから竜宮は海の底になったのか?」

冒頭にあげた文部省唱歌の「うらしまたろう」は
明治30~40年ごろにはできていたらしいので、
そこからは、歌にそった内容の絵本が主流になっていった。
ということはわかるんだけど、そもそも、その歌詞が、

「たすけたかめに つれられて りゅうぐうじょうに きてみれば」

ね? どこにも、海の底だとは書いてないでしょ?
手がかりは、次のフレーズだけ。

「おとひめさまの ごちそうに たいやひらめの まいおどり」

鯛やヒラメがひらひら踊ってるんだから、海中に違いない、と。
そうすると、この歌が作られた時点で、少なくとも作詞者は
竜宮城が海底にあると認識していた…のかな?
いや、それ以前に、海底だと書かれた本が存在したのかな?

わたしは、どうもそうは思えないんです。
なぜかというと、同じ御伽草子の中に、オコゼ(魚)のお姫様が
山の神に一目惚れされちゃう話があるんですが、オコゼ姫は
海からよちよち上がってきて、十二単を着て座ってる(笑)
魚を描くのに、未知なる海に潜っていくかわりに、
勝手知ったる陸に上げちゃうわけですね。
室町時代の人々の感覚が、そういうものだったと考えれば、
鯛やヒラメ(の精)が、乙姫様のお召しで陸にあがってきて
(まあ、あがらなくても、お座敷から見えるとこで、ね?)
舞を披露するくらいは普通だったんじゃないか。

そうすると、「陸に上がった鯛やヒラメ」の世界から
「海にもぐった浦島太郎」の世界にバージョンアップ
(アップ、というんですかね、こういう場合)した
ポイントというのが、どこかに必ずあったはず。
それは、いつだったのか。

「人は水の中では呼吸できない」という固定観念を打ち破って、
「想像の中ではできるんだよ」 と誰かが描いてみせ、
「あ、ほんとだ。それ、いいね」とみんなが次々に真似していった。
そのきっかけの最初の一冊というのが、もしあるんだったら、
見てみたいなと思います。 

こういうテーマで、時代を追って、こまかく文献を調べて、
1年くらいかけてじっくりと「自由研究」してみたら楽しそうなんですが、
そうもしていられませんので、今回は、ここまで。
次回は「玉手箱の謎」です。 

 

 

 

近代デジタルライブラリーより拝借。
明治32年刊の「浦島太郎」。

最初にあげた教材の絵は、どう見ても少年ですが、
昔の絵は、太郎もお姫様も、しっかり大人として描かれています。
(御伽草子の太郎の年は二十四五で、お姫様と夫婦になる設定)

乙姫様のファッションはいろいろなんだけど、
太郎の服装は、現在も、ほとんどこれですね。
帰るまでずーっと(三年間も?)宴会の席でも
腰蓑つけたままというのは、いくらなんでも変じゃないかなあ。 
(この絵本では、ちゃんと着替えて、立派な殿様になってますよ) 

 

 

「美しい人たちが、かわるがわる舞をまったり、笛をふいて
浦島太郎のごきげんをとる」場面。
最初のほうの文字が解読できないので、よくわからないけれど、
この人たちは鯛やヒラメではないらしい。 

 

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作文の謎

2015-05-31 17:40:37 | 

ホタルブクロ。白い花は難しいなあ。

 

 

資料を探して押し入れの奥の箱をひっくり返したら、
こんなのが出てきた。
閑猫ちゃん小学校1年生のときの作文。
(黒っぽい網戸みたいなのは、原稿用紙のつもりらしいです) 

内容は、特にどうということはない。
ありきたりの、お行儀のいい小学生の作文だ。 
クラス全員、こういうふうに書くよう指導されたのかもしれないし、
こう書くのが正しいと自分も思いこんで書いているふしがある。
ぺらぺらとめくっていたら、最後にひとつだけ変なのがあった。

きのう、がっこうから かえると おかあさんが いません。
おねえさんに「おかあさんは、どこへ いったの」と きくと
おねえさんは、「おかあさんは、だいまるへ かいものに いったのよ」
と おしえて くれました。
わたしは おやつを たべてから べんきょうを しました。

他のにくらべるとすごく短いし、中途半端な内容だ。
まあ1年生ならこんなものかな、という作文に見えなくもない。
しかし、これはすごく変なのだ。
なぜかというと、わたしには姉などいないのですよ(笑)
1年生より先に帰宅して家にいる「おねえさん」て誰なんだ。

「おかあさん」が、そもそも怪しい。
このころわが家では「おとうちゃん」「おかあちゃん」と呼んでおり、
2年生までは、どの作文にもそう書いているからだ。
教科書の例文を筆写したとも考えられるが、それにしては
「だいまる」に妙なリアリティがある。
(当時、神戸のデパートといえば、大丸か、そごうだった)
一方、子どもが帰ってくる時間帯にデパートに行ってる母
というのは、リアリティがない。 
幼稚園の弟もいたし、そういうことはなかったと思う。 

もしかしたら、これは一人称の「小説」なのかもしれない。
どこか別の星系に存在するパラレルワールドかもしれない。
とにかく書いた本人にまったく記憶がないため、
この謎は永遠に謎のままです。


 

スイカズラ。空に押し花、してみた。

 

本日の「いいね!」

Vashti Bunyan "Train Song"  (音が出ます)

クリアでピュアなことを「クリュア」って言ってたのは
サローヤンの『パパ ユーア クレイジー』の男の子だったかな。
この人の歌は、まさに、それ。クリュア。

 

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名前の謎

2015-05-12 23:25:39 | 

少し前のニュースで、お猿の赤ちゃんに英国王女と
同じ名前をつけることの是非が問題になっていたが、
反対だという人の理由として
「もっと猿らしい名前をつけるべき」
というのがあって笑った。
猿らしい名前ってどういうのだろう。
モン吉とか、キー子とか、森の石松とか?
人間が勝手につける名前なんて、
猿らしいわけがないじゃないですか。

それと直接関係はないけれど、アメリカのニュースで、
2014年の犬の名前ベスト10というのがあった。
子犬にどんな名前をつけたかというアンケートの結果。
以下、多い順に。

<♂>
マックス バディー チャーリー ジャック クーパー 
ロッキー トビー タッカー ジェイク ベアー

<♀>
ベラ ルーシー デイジー モリー ローラ
ソフィー セイディー マギー クロエ ベイリー

これを見ると、アメリカの犬の名前は、ほぼ人の名前と変わらない。
(ベアーは違うかな?)
もちろん「ぶち」とか「しろ」とかいう昔ながらの名前も
まだまだいっぱいあるだろうけど。
犬に人名をつける傾向はだいぶ前から続いているそうで、
家族の一員というステイタスが定着していることがうかがえる。

参考までに、同じくアメリカで、
2014年の人間の子どもの名前ベスト10。

<男の子>
ジャクソン エイデン リーアム ノア メイソン
イーサン ケイデン ジェイコブ ローガン

<女の子>
ソフィア エマ オリビア アバ イザベラ
ミア ゾーイ リリー エミリー マデリン

どこが違うのか、微妙なニュアンスみたいなものは
わたしはわからないのだが、しいていえば
「遠くから大声で呼びやすいかどうか」という要素が
犬の場合は多めに考慮されている、かもしれない。
でも、人名でも愛称で呼べばたいてそうなる。
ベラはイザベラの、ジェイクはジェイコブの愛称だから、
犬と人のベスト10に同じ名前が入っていることになる。

日本ではどうなってるんだろうと、ついでに調べてみた。
(調査元によって結果は多少違います)

2014年の日本の犬の名前ベスト10。人気順に。

<♂>
レオ ソラ チョコ コタロウ マロン
レオン ココ リク モコ モカ

<♀>
ココ ハナ モモ モコ サクラ
チョコ マロン モカ リン ココア

人名で通用するものも、なくはないけど。
半数が♂♀共通というのが興味深い。
それと、なんかスイーツ系が多い(笑)
ランク外には、イチゴ、メイプル、ミルクなどもあり、
これは小型の室内犬の比率が圧倒的に多いせいだろうか。
しじゅう抱っこされてる犬なら、大声で呼ぶような名は要らないし、
(事実、「猫の名前ベスト10」とかなりだぶっている!)
上記の名前も「ちゃん付け」で呼ばれることが多いのだろう。
そして「家族の一員」というと、お洋服を着せるとか、
犬用のクリスマスケーキを予約するとか、
おままごと的な方向に行ってしまうケースが多い気がする。

ちなみに、わが家の場合、サクラは犬に、コタロウは雄鶏に、
ソラはうさぎにつけた。
初代の猫は、ジャム、アンズ、トマト、チョコと食品シリーズだったし、
まずまず一般的な日本の名づけ感覚と言えるかもしれない。
マロンはいないけど、クリタという犬はいました。
 

で、日本の子どもの名前ベスト10は、もういいや。
知りたい方は各自お調べください。

(タイトルに反して、あんまり「謎」じゃなかったです。すみません)

 

本日の「いいね!」

歌うブルドッグ

この動画で一躍人気者になってしまった
フレンチブルのジュニア君です。

しゃべるブルドッグ

数か国語をこなすらしい(笑

 

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深夜貨物の謎

2014-11-12 16:53:35 | 


夜11時すぎ。
家のすぐ下の道路を大型貨物車両が通っていく。

田舎の山中の県道だから幅が狭い。
歩道というのはほとんどなく、路肩はすぐ田畑や崖。
むこうから大型バスやダンプがやってくると、すれ違いできるのか
不安になるような場所もいくつかある。
そんな道を、深夜に大きなものが通る。 

この夏ごろから、ときどき気になっていた。
家の窓からは見えない。音だけが聞こえる。
重量感のある音だが、ふつうのダンプの音とは様子が違う。
ああいう単純な体育会系(?)の音ではなくて、
「きゅうい~ん」とか「ぽー」とか「こーんこーん」とか、
妙にSF的な音が混じっている。
宇宙船が地上走行実験をしているような感じ。
スピードは異常にゆっくりだ。徐行に近い。
あるいは停まって何かしている・・ような気もする。
人の声がする・・ような気もする。
なんだろう、あれ。

見に行きたいけれど、家から道路が見えるところまで50メートルほど、
その間は真っ暗なので、ライトを持たないと歩けない。
道側から見るとあまり人家がありそうに思えないところだから、
暗闇から急に人が出てくるとむこうがビックリするかもしれない。
それに、ほんとに宇宙船だったら怖いので・・
いや、宇宙船じゃないにしても、何かの秘密兵器を運んでいて、
見てしまったら記憶を消されるのかもよ・・(「メン・イン・ブラック」か?)
などなど、勝手に想像して遊んでいたところ、ひょんなことから謎が解けた。

 


 
これはその道を歩いて10分あまり下ったところ。
路肩にはみ出して、くっきりと太いタイヤの痕がついている。

 

反対側から見たところ。ガードレールぎりっぎりで通過しています。
ここは、このあたりの道としては、たいして急カーブとはいえないし、
特に道幅が狭いわけでもない。(もっと狭いところがざらにある)
ここが曲がりきれずにはみ出すって、どれだけ大きい車なのか。

 

 

 

そしてタイヤの溝の幅と深さがハンパでない。
なんなの、これ。

 


正体は、大型トレーラーでした。
そして、積み荷は、なんと、羽根!

風力発電の風車の羽根(ブレード)です。
フランスだかスペインだかのメーカーの製品で、
船で港まで来て、そこから山奥の工事現場まで、陸路で運ぶ。
交通量の少ない深夜、羽根を1枚ずつ、特殊なトレーラーに載せて、
護衛(?)のトラックや誘導の人が前後について、
慎重にゆっくりゆっくり運ぶんだそうです。
羽根1枚といっても、 大型のものなら長さ30~40メートル、
重さ5~8トンにもなるそうで、そりゃあ、深くめりこむわけですね。

風力発電は「自然環境に優しい」 と思われがちですが、
羽根1枚でもこれだけ重いものを(1基に羽根は3枚)
山のてっぺんに建てるには、まず木を伐採したり、
岩を削ったりして、大型重機が登れるような道を作り、
何千トンというコンクリートをつぎ込んで土台を作らねばならない。
にもかかわらず、本体の素材は強化プラスティックだから、
耐用年数はせいぜいもって20年くらいなんだそうで、
1年か2年でぽっきり折れて放置されてる風車もあるみたいです。
ここまで手間ひま労力をかけて、誰か儲かるのかなあ。
わたしにはよくわかりません。

それにしても・・坂とカーブだらけの狭い道を、よく通るなあ。
こんど「きゅうい~ん」が来たら、見に行ってみよう。

<追記>
で、見に行った話は→ 「ブレード」 

 

 

本日の「いいね!」


「モノのない暮らし」が、あなたを豊かにする

・・と、言うだけなら簡単で「いいね」。

 

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コインの謎

2014-10-06 22:47:04 | 

 

「トーストの表と裏」についての時鳥さんの文章を読んで、
いろんなものの表と裏について考える。
画用紙の表と裏はちょっとわかりにくい。
海苔の表と裏はわかる。半紙もわかる。
お習字は、わざと裏に書くのが好きだった。
ざらついた面のほうが、字が上手く見える気がした。
そんなことないでしょうか。

コインを投げて決める、というのがある。
表か裏か。
Heads or tails.
投げる前に、どちらを表と呼ぶか確認しておく必要がある。
王様や女王様の顔がついていれば、そっちが表だそうだ。
日本の硬貨には人の顔はついていない。
十円玉なら10、百円玉なら100と大きく書かれたほうが表
・・と信じていたら、なんと、そうではなかった。

大蔵省が決めたところによると、「年号のあるほうが裏」で、
その裏が表なんだそうだ。変な定義ですね。
昔の硬貨は「菊の御紋」が表と決まっていて、年号が裏にあった。
戦後、その菊紋が使えなくなり、「年号が裏」だけが残った・・とのこと。
そう決まっているなら、納得するしかないけれど、
長年の思い込みが、なかなか抜けない。
どう考えても十円玉なんか「鳳凰堂」のほうが裏に見える。
五円玉だけは、表に見えるほうがほんとに表なので、よけいややこしい。
こんなことを考えていると、コイン投げはなかなか始まらない。
じゃんけんで決めたほうがずっと早い。

 

"heads" いろいろ。

 

サッカーの試合で、最初にどちらがボールを蹴るか、
双方のキャプテンを呼んで、主審がコインを投げて決める。
あのコインはどこの国のものだろう。
国の違うチームが対戦するときは、審判の国籍もまた違う。
その場合、主審がポケットから取り出すコインは、
双方の見たこともないデザインである可能性が高い。
そのわりに、投げて、とって、ぱっと見て、
はい、君の勝ち、と瞬時に決まるのが、謎。
三者頭を寄せ合って、「これ表だよ」「えー、裏だろ」と
もめるシーンなんて、見たことないでしょう?

と、ずっと不思議に思っていたら、こういうとき投げるのは
主審のポケットマネーというわけではないらしい。
「トスコイン」という専用のメダルみたいなものを、
ちゃんとスポーツ用品店で売っているんですね。
五百円玉よりちょっと大きいくらいで、片面が白、
片面が黒とか黄色とか、見分けやすい色になっている。
「白か黒か」なら、誰だって間違えようがない。
わあ、知らなかった。
審判をやる人は、本番で落としたりするといけないので、
おうちでこっそりコイン投げの練習をするそうです。
(でも、やっぱりじゃんけんのほうが早い・・と思うけど)
 

ついでに。
コインで思い出したけど、十円玉の裏の、じゃない表の、
鳳凰堂の屋根の両端にオンドリが乗っている。
どっちか一方の尾が短かかったら、それはメンドリで、
メンドリがいる十円玉はすごく珍しいので高く売れる。
小学生のとき、そんなうわさが広まり、一時期、
みんな寄り目になって十円玉ばかり見ていた。
あれはいったい何だったんだろう。
いま鳳凰堂を画像検索してみたら、屋根に乗ってるのは
オンドリなんかではなく、れっきとした鳳凰じゃないですか。
(あ、だから、鳳凰堂・・か・・笑)

 

 

本日の「いいね!」


世界のすごい図書館15選

すごすぎて、1冊も読めずに帰ってきちゃいそうな気がする。

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カルシウムの謎

2014-08-17 16:56:24 | 

ヨーグルトのふたの裏に、
1日に必要なカルシウム700ミリグラムをとるには
何をどれだけ食べなきゃならないか・・ということが書いてあり、
気になったので集めてみた。
その結果。 

しいたけ(ゆで)なら 3333個
絹豆腐なら 5丁
こまつな 2束
オクラ 111本
トマト 52個
いちご 257個
焼紅鮭 71切
ロースハム 350グラム
しらす干し 大さじ9杯
豆乳 22カップ
みかん 42個
ゆで卵 27個
ソフトクリーム 5個
牛乳 3杯
焼さんま 23尾
かぼちゃ(ゆで) 3個
うなぎ蒲焼 5尾

まだ他にもあったかもしれないが、
このへんで飽きたので蒐集をやめた。

いずれも、人が1日に食べる量としては非現実的である。
しいたけ3333個なんて象だって食べない。
しらす干し大さじ9杯くらいなら・・うーん、やっぱりちょっと多いか。
要するに、このヨーグルトはカルシウムが豊富なので、
たったの1個(80グラム)で、必要量の半分が簡単に摂取できますよ、
ということを言っているのですね。

ざっと眺めて、素朴な疑問がわく。
その1
もしかして、わざとカルシウムの少ないものを選んでないか?
カルシウムを期待していちごやみかんを食べる人はいないだろう。
しいたけやトマトだってそうだ。
というより、そんなものにもカルシウムが含まれているとは知らなかった。

その2
カルシウム700ミリグラムって、相当努力しないと摂れないような
印象を受けるけれど、本当にそうだとしたら、 
栄養学が発達する前に人類が滅亡しなかったのが不思議だ。
「1粒でレモン1000個分のビタミンC」なんていう飴もあるけれど、
考えてみれば、レモン1000個なんて絶対食べられない人間に、
どうしてレモン1000個分のビタミンCが必要になるんだろう。

その3
「何か一種類だけで必要量をまかなう」という仮定が変だ。
人間は雑食性で、いろんなものを食べるようにできている。
肉料理に野菜をつけあわせると見た目にも美しく感じるのは、
そうすることでバランスがとれることを本能が知っているからではないか。
フレンチのコースも、幕の内弁当も、「雑食」のよい見本だ。
(いや、草ばっかり食べている牛や羊だって、あれはあれで
実際はいろんな種類の草を取りまぜて食べているはずで、
一種類だけだと飽きて食べなくなり、他の草を求めて移動する。
そうすることでバランスがとれる)

で、ふと思いついたのです。
上のリストにあるもの、全部少しずつ食べたら、どうなるかなって。
ためしに、単位をすべて「1」にしてみましょうか。

しいたけ(ゆで)1個、絹豆腐1丁、こまつな1束・・は多いから半束でいいか。
オクラ1本、トマト1個、いちご1個、焼紅鮭1切、ロースハム1グラム(笑)、
しらす干し大さじ1杯、豆乳1カップ・・以下省略。

全部合わせても、元気な大人なら1日に食べられないほどの量ではない。
かぼちゃも1個は無理だから4分の1として、焼さんまとうなぎ蒲焼があって
ご飯がないというのは苦しいけど、そのへんは目をつぶることにする。

これでカルシウムがどれだけ摂れるのか、ざっと計算してみた結果・・
もしも閑猫の計算が間違っていなければ、の話ですが、
なぁんと700ミリグラムを軽~く超えてしまったではありませんか。
(あやしいと思った人は、各自、自由研究でやってみてください)

つまり、このようにあれこれいろいろ食べていさえすれば、
必要なカルシウムは(カルシウムに限らず必要な栄養素は)
意外と摂れている可能性がある。
しかし、それを言ってしまうと、このヨーグルトの立場があやうくなる。

その4
・・ということに、もしかして、メーカーさんも気づいたのではないだろうか。
近ごろ、ふたの裏の文字、見かけなくなった気がするので。 

 

(これはだいぶ前に書いて忘れていた記事です。
ちなみに、わたしがヨーグルトを食べているのは、カルシウムというより、
胃腸に負担の少ない形で動物性タンパク質をとるのが目的です。
無理にとらなくてもいいけど・・「雑食」を心がけているので!) 

 

 

本日の「いいね!」


Crazy Circle Illusion (動画)

えええ?(・・わかんないけど不思議なのでシェア)


Amazing Rolling Illusion Toy (動画)

こちらもかなり不思議。

 

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