閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

流しそうめんの謎

2012-07-23 16:28:48 | 

「こんぴらさん」と呼ばれる香川県の金刀比羅宮は、
1368段の長い長い石段で有名ですが、
その石段に竹の長い樋を設置して、「流しそうめん」ならぬ
「流しうどん」をおこなった・・というニュースを見ました。
それで・・

・問1
てっぺんから投入したうどんは、一番下に到着するのに
何分かかるか。

・問2
同じ樋に、うどんを流した場合と、そうめんを流した場合では、
流れる速度はどのように違うか。

・問3
一番たくさん食べられる場所と、一番おいしく食べられる場所は、
それぞれ、上・真ん中・下のうち、どこか。
そう思う理由をあげて回答してください。

・・などなど、いくらでも問題が作れちゃうのですが、
残念ながら、自分では解くことができそうにない(笑)
わかる人は教えてください。


ところで、
「流しそうめん」という食事の形態は、
どこが良いのか、わたしにはいまひとつわからない。
ああすると美味しくなる、というふうには思えないんですが。
むこうを見るとバケツで入れてたりするでしょう。
ペンギンの餌やりじゃないんだから(笑)。
卓上用のクルクル回る仕掛けは、もっと謎です。
あれは「流し」ではなく「回しそうめん」なのでは。
(目が回りそうなものには近寄りたくない閑猫・・)

それとも、「流しそうめん」は、食事としてではなく、
金魚すくいのようにゲームまたはイベントとしてとらえるべきなのか。
(それだったら、わたしはヨーヨー釣りのほうが・・)

「流しそうめん発祥の地」を名乗る町もあるそうだけれど、
そもそも、「流す」発想は、どこから出てきたんだろう。
ああしないと麺がかたまっちゃうから、でしょうか。
それとも、ひとりぶんずつ運ぶ手間を省いた結果、とか?

同じ麺のなかまが、ある地域では「流しそうめん」的に進化し、
ある地域では「わんこそば」的に進化する。
また別の地域では、麺が来るのを待っていないで、
お客のほうから取りに行くという「さぬきうどん」的進化もある。

(そういえば、流しラーメンとか、流し牛丼とか、しませんよね。
回転寿司は・・あれはたぶん別の経緯でああなったもので、
いわゆる収斂進化というやつ・・)

ダーウィンの研究で有名なガラパゴスフィンチのように、
どんな進化にも、そうなるに至った必然性がある、はず。
「流しそうめんはなぜ流しそうめんになったか」なんて、
なかなか良い夏向きの研究課題だと思います。
ただし、麺とつゆだけでは栄養が偏るので、
おかずのこともしっかり考えるように。


(追記)

あとで調べたら、こんぴら流しうどんは、てっぺんからじゃなく、
100段あたりから下、だったようです。
なぁんだ。
それでも、4メートルの竹を50本つないだとか。
ということは約200メートル。
500玉のうどんの、長い旅。
おつかれさま。

 

上の画像は、そうめんとは全然関係のないカラスウリ。

 

 

本日のにゃんこ。

・・と、本日の収穫。
今年のピーマンは大きいです。

 

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季語の謎

2012-06-15 15:07:51 | 

「俳句」といえば「古池や・・」が出てくる程度で、
そっち方面にはとんと疎い閑猫ですが、
季語とか、「二十四節気・七十二候」とか好きです。

本日は歳時記の話。
これが、古池じゃなく、古い古い本で、もうぼろぼろ。
なにしろ昭和9年初版、昭和28年増訂再版発行、という
「虚子編 新歳時記」(三省堂)。
つまり、初版の時点では「新」しかった、ということなんですが、
昭和9年っていえば今から77年前なので・・。

もとは父の本棚にあった本です。
わたしの知る限りでは、父は俳句はやっていませんでした。
わたしは小学生の頃から、なぜかこういう古本が好きで、
とくに旧仮名、旧漢字だーいすき!という変な子だったので、
この歳時記と、同じくらい古い牧野植物図鑑、
それにもっと古い文語体の新約聖書などを貰い受け、
コッソリ宝物にしていたのでした。

さて、ふとしたことから、その古い「新歳時記」の6月をめくってみると、
さつき、花菖蒲、あやめ、杜若などの花々から始まって、
「短夜」「競馬」「初鰹」と・・。

競馬?
京都上賀茂神社の神事の競馬が新暦6月5日に行われることから、
競馬は夏の季語になってるんだとか。
知らなかった。

どんどんめくっていくと、植物の名、鳥や虫の名、
「梅雨」「風薫る」など気象に関する言葉、
それに「田植」「鵜飼」など人の暮らしにかかわる言葉が、
縦糸、横糸となって織り上げられた6月のタペストリー。
ですが、いちいち見ていくと、「え?」と思うものが少々。

たとえば「革布団」。
革の座布団で、夏季専用のものなんだそうですが、
これはちょっと、見たことも聞いたこともありません。
昔の「いいお家」には、あったのかしらん。
そもそも、革製品って、夏向きかなあ?

それから、「蜻蛉」「蟷螂」「蜘蛛の子」はいいとして、
「へ」から始まり「び」で終わる長ーいお方とか、
家の中に出没する足の速いの、遅いの、多いの、などなど、
いわゆる不快害虫の皆さん方のほとんどが、6月の季語。
「蚤」の説明には、こんなことが書いてあります。

「蚤は憎い、が南京蟲や虱などと比べるとまだいゝ方である。
一寸愛嬌者で、夏の夜の跳梁も笑ひくらゐですまされる場合が多い」

虚子さぁん、それ、ほんとかい^^;

で、さらにめくって7月に入ると、
「え? これも?」という季語が続出。
汗疹、脚気、暑気あたり、水あたり、夏痩せ、寝冷え、日射病。
いや、そのへんまでは、まだわかりますが、
コレラ、赤痢、マラリヤ、霍乱。

霍乱というのは、「鬼のカクラン」という成句でしか知らない。
昔はヒトもかかる病気だったらしい。

それより、マラリアなんて、日本にあるの? と思ったら、
昔から「おこり」「わらわやみ」と呼ばれる国産マラリアが存在し、
終戦後は南方から持ち込まれて流行した時期があったとか。
蚊が媒介するんだから、たしかに、夏のものではある。
しかし・・そんなのを季語にして俳句を詠むかなあ。

 妻も子も婢もマラリヤやいかにせん 高峰

いかにせん・・って言われても、ねえ。
その後、どうされたでしょうか、高峰さんご一家は。

 

 

 

いまだったら、夏の季語に「冷房」と「冷やし中華」は
当然入っていそうだけれど、虚子さんのには、どちらも見当たらず。
あ、扇風機なんて、どうだろう・・と思ったら、
これは意外と古く、明治の頃からあったようで、

「電力で風を起こさせる器具で、普通電力機に真鍮製の
翼を取附けて廻轉せしめるやうになってゐる」

真鍮製、だったのか。
じゃあ、冷蔵庫は?
これも載っていました。が、

「家庭用冷蔵庫は普通小形金庫型木造のものが多く・・」

昭和29年当時は、まだ電気冷蔵庫は普及しておらず、
金庫みたいな箱に氷を入れて冷やしていたのね。


わたしは、「歳時記というのは古いもの」と思い込んできたため、
じつはこの本以外のものを知らないのですが、
最近出ている歳時記は、どれくらい違うのか、気になってきました。

気象も動植物も伝統行事も、数十年くらいでは変わらないでしょう。
バレンタイン、エイプリルフール、ハロウィンなどは、
たぶんこれ以降に追加されているはず。
母の日、父の日もそうですね。
戦前の初版から、戦後の増訂版までの20年間に変わったものより、
その後の変化のほうがもっと大きいことは想像がつきます。

新しいものがふえると、歳時記はどんどんぶあつくなってしまう。
だけど、テレビ、電子レンジ、パソコンにスマートホン、
どれをとっても季節には無関係だし・・
これから先、季語というのは、それほどふえないんだろうな。
「節電」は、夏の季語に、もうなっているかしら。

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キングギドラの謎

2012-01-31 10:37:10 | 

先週降った雪が、5日たっても溶けずに残っている。
日陰でかたまったまま、だんだんひからびていく。
100パーセント水の雪がひからびるというのも変だけれど、
5日もたつと、もう水気のあるものという感じがしない。
少しずつ蒸発して縮んでいくだけだ。

カメラの練習をしたくて水玉を待っている。
何でも他のものを撮ればよさそうなものだが、
風が吹いて乾燥して寒々として、いまひとつ意欲がわかない。
いや、寒々どころじゃなく、実際に寒いし。


どうも頭が散らかっているようだ。
キングギドラじゃないから、頭はひとつしかない。
散らかっているのは、頭の中身の話。
何かをしようとして、あ、その前にあれをしなきゃ!と
別のことを思いつき、それをしていると、
そうそう、あれもだ!とまた違うことを思いつく。
優先順位の判断が出来ず、いきあたりばったり、
手当たり次第、そして、どれもなんとなく中途半端。

たとえば・・
接着剤が必要になって、階下に取りに行った。
その途中で、目についた花瓶の花が気になり、
庭に出て新しい水仙を切り始める。
頭の上でヤマガラがビービーと鳴いている。
そうか、きょうはまだ餌をあげてなかったっけ。
餌台がカラッポになると、地面に落ちた餌をあさるのだが、
猫がいるので地上はあまり安全でない。
はいはい、ちょっと待ってねー。

餌台にひまわりの種をひとつかみ置き、
見失ったはさみを探し出し、ようやく花を切って戻る。
寒いのでお茶でもいれようと思い、
花をいけるのとお茶を飲むのを同時にやりだしたが、
結局お茶の負けで、途中でさめてしまった。
ええとそれで何だっけ? としばし考え、
接着剤を思い出せたのはほとんど奇跡に近い。
で、そもそも、接着剤が必要になる前に、
何か別のことをしていたのだが、それは忘却の彼方。

そんなふうに、とりとめなく散らかっている。
集中力がない、とも言う。

新聞に、認知症のチェックシートみたいなものがのっていて、
試しにやってみたら、けっこうあてはまる項目が多いじゃないの。
「よく知っている場所で道に迷うことがある」
ふつうにありますね。
「人や物の名前がなかなか出てこない」
レオナルド・ディカプリオを思い出すのに半日かかりました。
その前はアントニオ・バンデラスに半日。
(おまけに、わたしは4ケタの数字を逆から言う自信がないし、
引き算は子どものころから苦手であります)

でも、よーく考えると、自覚症状と客観的評価は別なのだ。
自分でチェックして、「ひとつもあてはまらないわよ」と
自信を持って言うようだったら、そのほうが危ないかも。


キングギドラって、どうして頭が3つも必要なんだろう。
身体は1つだから、3匹分の働きができるわけでもないし。
せいぜい、炎だか光線だかを同時に3方向に吐けるぐらい。
むしろ、3種類の頭をとりまとめ意思統一するのが大変だと思う。

どれか1つの頭がリーダーで、残り2つは無条件で従うのか、
そのつど協議をするのか、それとも、ああいう生物(・・怪物?)は、
そもそも考えるなんてことはせずに動くのだろうか。

頭が3つもあるので、バランスをとるため、あるいは
単に見た目上の都合で、尻尾も2本にしなきゃならなかった。
人の考えた怪獣はたいていそうだけれど、
不自然で動きにくいから苛々して暴れたくもなるだろう。
どうも不憫な気がしてならない。


キングギドラは何も考えなかったかもしれないが、
わたしは考え始めるときりのないヒトである。
Mにきいてみた。

「キングギドラって、どうして頭が3つもあるの?」
「1つでも怖そうだから、3つあったら3倍怖いんじゃない」

うーん・・そうだろうか。
わたしだったら、頭が1つの(性格の悪い)竜3匹に囲まれるほうが
よっぽど怖いと思うけど。

考える方向を変えてみよう。
もしかしたら、本来キングギドラは、火を吐いて暴れる怪獣ではなくて、
「3つのことを同時に考えられる賢い竜」という存在だったのでは?

それだったら、身体は頭の支えとして、どっしりしたのが1つあれば良い。
翼もしっぽも、見た目を豪華にする飾りだから、機能は二の次で良い。
1つでも賢い頭が、3つあったら3倍すごい。
3種類の問題を同時に解決することもできるし、
ひとつの問題を3方向から検討することもできる。
キングギドラが取調官だったら、容疑者にとっては3倍怖い。
うん、それですね。
キングギドラ、転職すべき。


(・・で? えーと、そもそも何の話でしたっけ?)


上の画像は・・キングギドラではありません。
すもも嬢さん。
「まずは机まわりを片付けたら?」と。

 

本日の水玉。

それぞれの場所で、ひとりひとりが主役。

 

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「お」の謎

2012-01-06 09:46:38 | 

お正月の話。
おせちのお煮しめを食べながら、とつぜん、
「おにしめの『おに』って何?」とMがきく。

「えーっとねえ、おにぎりの『おに』と同じ」
「おにぎりの『おに』って何?」

この人はときどきこういう変な質問をするのです。
(前にも「横縞って邪(よこしま)なの?」とか
「らちがあかないのラチって拉致のラチ?」とか・・)

「おにぎりは、鬼を切る、でしょ」
「へー」
「おにしめは、鬼を絞める!」
「ほー」

こういう人を相手にでたらめを言うのは面白いけど、
わざとなのか、本気なのか、よくわからん。

「接頭語なの」
「セットーゴって何?」
「お煮しめ、おにぎり、お餅、お雑煮、お正月・・」
「あ、そうか。『煮しめる』の『にしめ』に『お』がついたんだ!」

はい、よく気がつきました。

「じゃあさ、なんで卵焼きには『お』がつかないの?」

なんか5歳児が質問をしているみたいですが、
この人はわたしより5つ上の辰年生まれなのよ。

しかし、そう言われてみれば・・
伊達巻、田作り、昆布巻き、黒豆には「お」がつかない。
かまぼこ、きんとんにもつかない。
お芋は言うが、お栗は言わない。
おなます、お大根は言うが、おにんじんは言わない。
お刺身、お醤油は言うが、おわさびは絶対言わない。
お屠蘇、お箸、お皿、お重箱、などは普通。
お鏡餅は・・? おかがみ、おそなえって、言いますね。
でも、しめ飾りに「お」をつけると変になってしまう。

「お」がつくものと、つかないものの違いは何だろう。
敬われるかどうかの条件が、いまひとつ明確でないようだ。
おキャベツ、おトマト、とは言わない。
原則として、外来語にはつかない、という気がする。
(でも、おビールは、言う人もいるか・・)
何か隠れた法則があるのか、それとも単なる慣習だろうか。

(ついでに・・「ごはん」だけどうして「ご」がつくんだろう。
炊く前は「お米」で、炊いたら「ご飯」になる謎)

「お卵焼きとは言わないけど、おたまじゃくしとは、言うよね・・」

と、うっかり答えたら、食事中の話題としては不適切であった。
(おたまじゃくしは言うけど、お蛙は言わない。とか、
連想がどんどん変なほうへ行ってしまう。
あれ? お帰りは言うけど、お行ってらっしゃいは言わない)

「じゃあさあ、伊達巻の『だて』って何? 伊達政宗の伊達?」

・・きりがないです。
子ども電話相談室にでもきいてみたら。

 

本日のアザラシ。

 

・・じゃなかった。さんちゃん。

「なんだよぉ」

 

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干し柿の謎

2011-12-30 23:02:21 | 

「干し柿とくるみのプディング」を作りました。

このごろオーブン仕事はめったにしなくなったので、
(ほとんどレンジの「あたため」機能しか使っていない気が・・)
たまにやろうとすると、うろうろもたもたと手順が悪く、
ずいぶん余計な時間がかかってしまいます。

でも、年末にお正月用のケーキを焼くというのは、
なんとか絶滅を免れて残っている貴重な「マイ伝統行事」なので、
多少おっくうでも、そして、たとえ買ったほうが美味しかったとしても、
がんばって作ることに意義がある!
冬のいちばん寒いときに甘くて高カロリーのお菓子を食べるのは
たいそう理にかなったことでもあるし(言い訳・・笑)。

さて、この謎のお菓子については、
以前にも書いたことがあるのですが(→ここです
50年以上前のお菓子の本にのっていたレシピ。
これを紹介しているのはマーガレット・ガントレットさんという方で、
じつは、それも謎のひとつだったのです。

名前をみるとイギリスかアメリカの方かな、と思うのですが、
干し柿って、どう考えても日本(中国、韓国)のものですよね。
なぜわざわざ干し柿を?

・・と、半世紀にわたって(笑)不思議に思っていたところ、
しばらく前に、知人から中東のデーツ(ナツメヤシの実)をいただき、
食べ方をいろいろ調べているうちに、
「デーツとくるみのプディング」
というものに行き当たり、そこで、はたと気がついた。

もしかして、干し柿は、デーツの代用だったのではないかしら?
どちらも甘くて、レーズンのような酸味はなく、食感もかなり近い感じ。
うん、これは「デーツとくるみ」の日本版に違いない。

ナツメヤシはエジプトや中東など暑い国の植物ですが、
イギリスにはかなり昔から輸入されていたものらしく、
デーツを使ったポピュラーなお菓子がいくつもあるようです。
(伝統的なクリスマスプディングにもたいてい入っているとか)

明治以降、宣教師や語学教師、外交官や技術者として
多くの欧米人が来日し、その奥さんたちが教えて、
日本の家庭に西洋料理が急速に広まった・・と聞いたことがあります。
異文化コミュニケーションに欠かせないのが「一緒に食べる」こと。
それがお菓子つくりなら、いっそう場が和むこと間違いなし。
事務レベルならぬ奥さんレベルのお料理外交、ですね。

でも、オーブンの普及の遅かった日本で、
欧米のお菓子を再現するのはなかなか大変だったでしょう。
クリームやカテージチーズなど、今ではどこでも売っている材料も、
都市部ならともかく、ちょっと田舎に行けば手に入らなかったり・・
レーズンは普通にあったと思うけど、デーツは難しかったかも。
そこで、代用として、干し柿。
イタリアの日本人がバーミセリを「素麺のつもりで」食すように、
イギリス人は干し柿を「デーツのつもりで」味わったのでしょう。
「材料として」使うところが、やはり外国の人ならではの発想です。


このお菓子の本には、焼き菓子を「天火なしで」作る工夫も
あちこちにみられます。
厚手の鉄のすき焼き鍋で焼くケーキ。
フライパンやせんべい焼き器で焼くクッキー。
あるいは、ラム酒がないとき何を使えばいいか、とか、
焦げたスポンジケーキ、ふくらまないシュー皮の救済法とか。
そして、ウェディングケーキもあれば「ふかし芋」もあるという、
驚異的なというか、むちゃくちゃな幅の広さにも、
都市と地方の格差の大きかった時代が感じとれます。

本の冒頭の「ご指導いたゞいた方々」の中に、
マーガレットさんは「オーエン・ガントレット氏令嬢」、
今田美奈子さんは「今田潔氏令夫人」というふうに列記されており、
それが女性の「肩書」であった時代・・
そうか、1958年の日本って、まだそんなだったんだなあ。

(「家庭で作れるケーキ300種」主婦の友社 昭和33年初版)

<追記>

上記の記事を書いてだいぶたってから、教えて下さる方があり、
マーガレットさんのことがわかりました。
お祖父さんのエドワード・ガントレット氏はウェールズ出身で、
宣教師として来日したのち英語教師となり、日本に帰化しました。
お祖母さんは恒さんといって、作曲家山田耕筰の姉にあたる人。
お父さんのオーエン氏は、英語教師で、フルート奏者。
お母さんは日本人。
なので、マーガレットさんにとっては、干柿は慣れ親しんだ
生まれ故郷の味、だったのですね。

この本が出版された翌年、マーガレットさんは、
英国のカレッジ進学を目前にして、19歳の若さで亡くなりました。
お写真を見ましたが、はにかんだ笑顔の可愛らしいお嬢さんでした。

 

<干し柿とくるみのプディング>

一見フルーツケーキ、食べるとねっとりしたお菓子。
ホイップクリームをかけて、と書いてありますが、
うちではもう、このままで。
(愛想のない写真でスミマセン。どうも料理写真は苦手なのだ・・)


さて、続けてもうひとつケーキを焼いておこう。
こちらは呼夜のお持ち帰り用にバターたっぷりフルーツパウンド。
大晦日の夜、お店を閉めてから電車に乗ってきて、
2日の初売りに間に合うように戻るって・・
なんともせわしないことですが、まあ商売繁盛が何より。
ガンバレ店長。

 

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峠のわが家の謎

2011-12-22 22:30:40 | 

珍しく夕方から買い物に出かけたので、帰りはすっかり暗くなった。
車が山道にさしかかると、道路の片側に、色つき電球が長く並んで
ぴかぴかとにぎやかに点滅している。
あ、こんなところにもイルミネーション。
きれいねえ。
と、通り過ぎながら、どこか頭の片隅で「違う違う」と声がする。
工事中の区間の注意を促す電球であった。

峠を上り、トンネルを抜け、連続カーブを降りてくると、
葉の落ちた木々の枝ごしに、ぽつんとわが家の灯が見える。
おかえり、と声が聞こえるようで、心なごむ、よい光景である。
つけっぱなしで出てきて、よかった。

・・というところで、ふと出てきたのが、本日のタイトル。

「峠のわが家」って、近ごろの学校では習わないかな?
でも、最近どこかの電話の「お待たせメロディ」で聴いたくらいだから、
聴けば「ああ、あれ」ってわかる人は多いでしょう。
アメリカの歌で、いろんな歌詞がついていますが、
いずれも、望郷の歌、ということになっています。

が、わたしは子どもの頃から、このタイトルに
何かひっかかるものを感じていました。
何がどう変なのか、それがずっとわからずにいたのですが、
峠を越えて、我が家の灯を見た途端に、あ、と思ったのです。

峠のてっぺんには、ふつう人は住まないんじゃないか。

峠や尾根というのは、境界としての意味が大きい。
たとえばそれが国境(くにざかい)だったら、その周辺は、
いわば緩衝地帯として、定住は避けるような気がする。
そして、地形的にみて、峠は農耕に適していない。
そこからどちらかに下った川沿いのやや平らな場所に
畑や家ができて、人が住む、というのが一般的でしょう。
峠にあるのは「山小屋」か「峠の茶屋」か「お地蔵様」くらいで、
帰りたい「わが家」があるには不自然な場所ではないかしら。

えーと、この話、長くなるので途中少しとばしますが、
それで、アメリカの原曲をあたってみたところ、
カンザス州のBrewster Higley という人が1870年代に発表した詩に
Daniel E. Kelleyが曲をつけた「Home On The Range」という歌である、と。

♪  Oh, give me a home where the Buffalo roam
  Where the Deer and the Antelope play;
  Where seldom is heard a discouraging word,
  And the sky is not cloudy all day.

6番まである歌詞をざっと眺めて、はて?と、さらに疑問が深まる。
「峠のわが家」というタイトルは、どこから出てきたんだろう?
「range」で辞書をひくと、たしかに「山脈」の意味もありますが、
その「上」にある「ホーム」、と訳すのはどうも無理な気がするなあ。
だいたい、家のまわりをバファローや鹿がうろつくところでは
畑なんか絶対つくれませんでしょう。

この歌は、西部開拓時代にカウボーイたちが好んで歌い、
そこからアメリカ全土にひろまった、といわれています。
牛の群れを追って、大草原をつねに移動している、
いわば「流れ者」の愛唱歌、として考えてみると、
「この広い広い大草原が俺たちの心のふるさとさ」
というような雰囲気が一番ぴったりします。

しかし、これが、峠じゃないとして、どういうタイトルなら
この歌にふさわしいか、と、ちょっと考えてみたものの、
もう長年にわたり「峠のわが家」で親しんできてしまったため、
何ひとつ思い浮かばない・・のでありました。

 

追加。
このrangeって、往年の西部劇「ローン・レンジャー」の(見てませんが!)
ranger ← range ですよね?
そういえば、ジョニー・デップが出る予定の映画「ローン・レンジャー」は
その後いったいどうなったんだろう??

 

本日の水玉。

ぽよよよん、と。

(「本日の」といっても毎日撮っているわけではありません。
ストックがたくさんあるのです)

 

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リュートの謎(と、毒りんごの謎のつづき)

2011-09-30 08:32:05 | 

先日の「ブレーメンの謎」で、「ろばがリュート弾くかしら」と書きましたら、
同じくグリム童話に、ろばがリュートを弾く話があると、
さんごさんが教えてくださいました。

そうそう、「ろばの王子」(KHM144)がありました!
これは、ろばの姿で生まれた王子・・見た目はろばだけれど
人間だということの証しのように、リュートを巧みに弾くのですね。
(前記の岩波の金田訳では、こっちもリュートは「琵琶」、
王子は「若さま」、教えるのは「お師匠」になっておりますが・・笑)

これは、グリムの中ではやや珍しい話のような気がします。
望んだ子が、ろばとして生まれたにもかかわらず、
王様は(王妃を説得して)世継ぎの王子として大切に育てますし、
王子も終始、誇り高い貴族として堂々とふるまい、
お坊ちゃん育ちの天真爛漫さでよそのお城の居候となり、
そのまんまお姫様をもらって・・

全体としては、よくある民話のパターンではあるものの、
表現の端々になんとなく創作っぽさが感じられ、
(それがグリムの筆によるものか、語り手の趣味だったのか、
わかりませんが・・あるていど知識階級のあいだで、
口承ではなく文字で書かれて伝わったものかもしれない)
多くの「シンプルで土臭い」話とは一味違う雰囲気があります。

わたしは、この話を最初に読んだときに、訳文のせいか、
ろばのあつかましさがノーブルに感じられなかったのに加え、
「え? 脱げるんだったの?」と、そこが唐突で・・
魔法が解けましたとか、そういう手続きが示されていないので
何か釈然としない話だなあと、そのまま忘れておりましたが・・
(子供でしたのでね。これって、オトナの話、でしょう?)

で、あらためてひっぱり出して、この話の解説を読んだところ、
「ろばがリュートを弾く」というのは「できない相談」をあらわす
決まり文句であるそうな。

な・る・ほ・ど、そうだったのかー。

さんごさん、貴重なヒント、ありがとうございました。
うん、この話は、ぜひリュート演奏つきの「語り」で
聞いてみたいものですね。
(質の良い再話で、ね)

 

グリムがらみで、もうひとつ。
「毒りんごの謎」に関連して、時鳥さんから
「金星みたいな黄りんごもある」
という面白いご指摘をいただきました。
金色というか、薄い黄色、クリーム色に近い
・・なるほど、かなり「白」っぽいですね。

金星の親はゴールデンデリシャス。
この品種ができたのは1890年頃。
そのまた親は、と調べてみると、
1804年にアメリカでできたGrimes Goldenと、
1600年代にすでにヨーロッパにあったGolden Reinetteとの
自然交雑によるもの・・と言われているらしい。
つまり、黄色いりんごも、かなり昔からあったということで。

Grimes Golden・・
名前に一瞬ひっかかりましたが、
これはグライムズさんという人が発見した品種ということで、
グリムと、関係は、ないですね・・。

いや、それより、金星というりんごは、
袋をかけて育てるときれいな金色になりますが、
途中で袋を破って日にあてると、そこだけ赤くなる。
白くて、片頬だけ赤いりんごができあがる。
縦にふたつに切れば、半分白で、半分赤。

お妃、そうやって作ったのか!
(いや、違うって・・)

 

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ブレーメンの謎

2011-09-27 09:31:54 | 

荷物を運べなくなったロバ。
獲物を追いかけられなくなった猟犬。
ネズミをとれなくなった猫。
スープのダシにされる運命の雄鶏。
みんなでブレーメンへ行って音楽隊に入ろう!

・・というのが、グリムの「ブレーメンの音楽隊」。
ブレーメンというのはドイツで10番目に大きな都市で、
市庁舎のそばには、この有名な4匹の像もあるそうです。

しかし、よーく考えてみると、彼らはブレーメンに
たどり着かなかったし、音楽隊にも入らなかった。
音楽を演奏するシーンも、ひとつもありません。
にもかかわらず、この話は「ブレーメンの音楽隊」として
世界中に広く知られているのが不思議。

そもそも、「音楽隊に入ろう」と言ってるのはロバだけ。
他の3匹は簡単に「同意した」だけ。

 「ものは相談だ、どうだい」と、ろばが話をもちかけました。
 「おれは、ブレーメンへ行って、楽隊になるんだ。
  いっしょに行って、貴公も楽隊へ入れてもらえや。
  おれは琵琶を弾く。貴公は鍋太鼓を打ちなよ」
 (金田鬼一訳「完訳グリム童話集1」岩波文庫)

いくら古い訳(昭和28年改訂版)とはいえ、
「琵琶と鍋太鼓」はないでしょうよ。
これだから昔の翻訳本って楽しいんだなあ。

で、それはどうやら「リュートとティンパニ」のことらしい。
しかし、ロバがティンパニならともかく、リュート弾くかしらん。
しかも、かなり自信ありげに勧誘しているんだけど。

さて、今回、調べていたのは、昔のブレーメンの町に
「お抱え音楽隊もしくは楽団」なるものが実在していたのかどうか。
そして、リュートとティンパニのパートがあるというのは
いったいどのような曲だったのか。

ではなくてね(・・すみません;)

「ロバはなんといって鳴くのか?」

です。

 これだけのしたくができると、動物たちは、
 あいずにしたがって、 いちどきに音楽をやりだしたものです。
 ろばが割れ鐘のような声を出せば、犬はわんわん、
 猫はごろにゃーオごろにゃーオ、それにおんどりが
 のどもさけそうな時をつくったかとおもうと、
 窓ガラスを、がらがら、がらがら、ぶちこわして、
 窓からおへやのなかへなだれこみました。
 (出典は上に同じ)

犬、猫、雄鶏。
これらはまあ誰でも異論のないところです。
しかし、ロバは?
わたしは聞いたことがありません。
ほとんどの人が、ないでしょう。
「割れ鐘のような声」??

念のため原典をあたってみると、ドイツ語では
schrieと書いてあり、これは「叫んだ」という意味らしく。
(そもそも、ドイツ語でも英語でも、ここは擬音は使われていない。
日本語では「擬音」+「鳴く」になりますが、あちらでは
「犬が吠える」「猫が鳴く」に相当する動詞がそれぞれ別にある・・)

既訳をいくつか見てみると、子ども向きには「ヒヒーン」が多いかな。
馬に近い動物だから、ヒヒーンで、いいのか?

百聞は一見に、じゃなくて、百読は一聴にしかず。
動画検索して、国内、国外、いろいろ聞いてみたのですが、
これがまあ、なんとも形容しがたい鳴き声。
「ヒヒーン」では・・ないような。
フガーとか、クエーとか、ゴアーとか、ブーヒーとか・・
はっきり言って、鳴き声というより、「うるさい音」であります。

あ・・そうか。
ロバという動物はあんまり音楽的じゃないということを、
昔のドイツの民衆はよく知っていた。
もちろん手(足)先が器用じゃないってことも。
そんなロバが、リュートを弾くつもりでいる。
楽団に雇ってもらえる気でいる。
そこのところがおかしくて笑える話、だったのか、これは。

一方、たとえばハンス・フィッシャーの描いた
「ブレーメンのおんがくたい」(福音館書店)の表紙では、
ロバは背中に小太鼓をのせております。
犬はトランペット、雄鶏はクラリネットだろうか?
猫は・・絵本が手元にないためちょっと確認できませんが、
別の絵本では、猫がヴァイオリンを持ったものもあるようです。
実際に楽器を持つか、持たないかで、
この話のイメージはがらっと変わることになります。

もし「楽器の演奏もできる器用な賢い動物たち」だったら。
それなら、やっぱりブレーメンへ行ったほうが、
彼ら自身のためにも、よかったんじゃないかなあ。

まじめにこつこつ働いて定年を迎え、これからが第二の人生。
気の合う仲間と集まって、趣味と特技を生かして、
もう一花咲かせようじゃないかと、思ったわけでしょ。
せっかく途中まで行ったのに、泥棒の上前はねて
満足して終わりなんて、つまらないではないか。

と、思うのは、たぶん、現代だからでしょうね。
荷物運びだろうと、音楽隊のリュート弾き?だろうと、
人に使われて働くことに変わりはないわけで。
働かずに一生安楽に暮らせれば、それほど幸せなことはない。
泥棒の家に行き着いたのは、宝くじにあたったようなもの。
誰もがよろこぶハッピーエンドの形であったかもしれない。
(泥棒というのは、民衆から搾取している地主、統治者の暗喩・・
という解釈もありますね)

わたしはフィッシャーの絵が好きなので、
この愛すべき絵本がロングセラーなのは嬉しいです。
文章とは裏腹に、動物たち、可愛いでしょう?
働けなくなって捨てられた、というみじめっぽさがなく、
みんないきいきと楽しんでいる様子。
だからこちらも安心して見て楽しむことができます。

しかし、元の話は、たぶん、そうではなかった。
年をとり、体力は衰え、しかし人生経験は豊か。
思い込みは頑固で、あつかましく、したたか。
そういう中高年4人組が、共謀して行動を起こし、
まんまと成功する話。
それに「どこが音楽隊だよ」と突っ込みの入るタイトル。

うーん。
この話の鍵をにぎるのは、ロバのような気がする。
ロバの鳴き声が、分かれ目ではないかと。
しかし、
その鳴き声を、文字でどう書き表せばいいのか、
という肝心の問題が、いまだ解決されておらず・・。

 

(追記)
この続きはこちらです →リュートの謎 

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緑の箱の謎

2011-09-21 10:30:02 | 

車が信号待ちで止まったとき、
Mが、ふと歩道を見て、
「あれ何だろうね」と。

歩道の縁石ぎりぎりのところに
金属製の箱が立っている。
ごみ箱でもポストでもない、シンプルなひらたい直方体。
高さは1メートルくらいか・・
薄いグリーンで、文字もなく、目立たない。

それがなぜ気になったかというと、
箱の車道側に、あきらかに車止めと思われる
非常に頑丈そうな柵が設置されていたからで。
前方を見ると、道の両側に同じ箱が点々と並んでいる。
こんなの、前からあったっけ?

頑丈な車止めは、全部についているわけではないが、
車が突っ込んで来て壊れたら困るものが入っている
・・らしいと想像はつく。
駅に近いこの区間は、近年、電柱が撤去され、
各種ケーブルが歩道の地下を通るようになった。
そうすると、箱は配電盤か何かをおさめるものだろうか。

これまでまったく気づかなかったのが不思議。
世の中のあらゆる商品が「いかにして目立つか」を競っているが、
一方では「いかにして目立たないか」に関する研究も
着実に進んでいるらしい。

何だかわからないものが道ばたにあっても、
いかにも公共物のように見え、目立たなければ、
人はすぐ見慣れてしまい、何の疑問も抱かない。
こういうの、1つだけでは駄目だ。
等間隔で、たくさんあったほうが疑われない。

もしかしたら、宇宙人の侵略計画かも。
なぁんて思うのは、昔のSF小説を読んだ人だけ。
緑の箱。
謎です。


この「謎です」というのは、
わたしの口癖だそうだ。
Mに言われた。
他に「だいじょうぶかなあ」と
「あたしは知らない」もよく言うらしい。
えー、そう??

念のためいっておきますが、
「あたしは知らない」というのは、冷淡なのではなくてですね、
聞かれたことについて、知らないから、知らないと言ってるだけ。
必ずどこかに誰か知ってる人がいるはず。

(ちなみに、Mの口癖は・・
というのを書いたら、本人から「それは事実に反する」と
抗議がありましたので、撤回します) 

カテゴリーに「謎」を追加してみました。
まとめて読むと、われながら、ヘンなことばっかり考えてますね・・。

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クーポンの謎

2011-09-18 14:30:11 | 

とあるクーポンの貼り付け台紙を眺めていたら、
真ん中の文字に目がとまった。

「クーポンのコピーでのご応募は無効とさせていただきます」

コピーで応募・・
する人がいるのか!という驚きと、
その手があったか!という驚きが、半分ずつ。


S市の商店街で、お買い物をするとくれるシールが、
あるときからポイントカードに切り替わった。
S市に数年遅れて、隣のM町でも
ポイントカードが導入された・・のを記憶しているが、
ふと気づいたら、いつのまにか元のシールに戻っていた。

地元で買い物をする人の多くがお年寄りなので、
ポイントカードが何であるか理解されない。
たまった気がしないし、使い方もわからない。
ということだろうかと思ったら、理由は他にもあったようで。

店員さんいわく、
「シール貼るの好きな人がいてねェ・・」

M町のシールは、一度の買い物でもらう枚数が多い。
店の人はいちいち数えて渡さねばならないし、もらったほうは
500枚あつめて、きちんと台紙に貼らないと使えない。
しかも自分で裏に糊をつけて貼るので、面倒なのだ。
それがよかった、という。
シール貼りがおばあちゃんの大事な日課だったのに!
という抗議の声が、予想外に多かったらしい。

文明が進歩し、どんどん便利になるのは良い。
カード化し、デジタル化し、簡単になり、力がいらなくなり、
時間も手間もかからなく なっていく。それは良いけれど、
「手間がいらない」=「ヒトに優しい」とは限らない。

Three essentials for happiness;
something to do,
someone to love,
something to hope for.

「すること」がなくなり、「こうだったらなあ」という望みもすべて
満たされてしまったら、ヒトは幸福の3分の2を奪われたことになる。



で、本日の「謎」は何かといいますと、

冒頭のクーポンはコーヒーについているもので、
うちは消費量が少ないから、何か景品をもらおうと思ったら
3年分くらいためないと駄目だろう。
だけど、その会社には全国から大量に送られてくるに違いない。
それ、1枚1枚数えたり、コピーじゃないか確かめたりしている人って、
ほんとうにいるんだろうか?

と、思っただけ。

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