大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年05月09日 | 植物

<1958> 大和の花 (213) ヤマツツジ (山躑躅)                                 ツツジ科 ツツジ属

 ここからは私がこれまでに出会った大和(奈良県)に自生するツツジ科ツツジ属の花を見てみたいと思う。ツツジ科は樹木の中で大きな科として知られ、亜熱帯から寒帯に広く分布し、その数は約125属3500種に及び、日本にはその中の約22属108種が見られ、ツツジ属のみで言えば、北半球の温帯を中心に約850種、日本には約52種が分布していると言われる。

  このような分布状況にある世界乃至は日本のツツジであるが、こうした状況下、大和(奈良県)はツツジ類の豊富な土地柄で、各種のツツジやツツジの仲間が見られ、ツツジの宝庫とも言えるところがうかがえる。これは、概して水はけのよい痩せ地を好むツツジ類に適合する自然環境に負うところが大きく、広大な山地にそのような条件の整ったところが多いからと考えられる。

  また、ツツジは古くから知られ、『万葉集』には9首に見え、すべてが花に関わって詠まれ、当時から注目されていた万葉植物として知られる。では、大和(奈良県)におけるツツジ属の自生種について順に紹介していきたいと思う。まずは、ヤマツツジ(山躑躅)。 

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 ヤマツツジ(山躑躅)は常緑性のツツジ亜属に属し、標高50メートルにも満たない丘陵地から標高1500メートルに及ぶ深山まで幅広く分布する半常緑低木で、高さは大きいもので3メートルほどになる。林内から林縁、崖地から草地まで、ある程度の日当たりがあればどこにでも生える適応力を有し、北海道南部から本州、四国、九州に分布する日本の固有種として知られ、大和(奈良県)では最もポピュラーなツツジで、普通に見られる。

  葉は春に出て秋に落葉する春葉と夏から秋に出て多くは越冬する秋葉とがあり、半常緑性の実態を見せる。春葉は楕円形もしくは卵状楕円形で、長さは約3センチ。先は尖り、基部はくさび形で、両面に褐色の伏毛がある。秋葉は倒披針形もしくはさじ形で、長さは約2センチである。

  花期は4月半ばから6月ごろ、春葉の開出と同時期である。花は直径4、5センチほどの漏斗状花で、5裂する花冠は朱色から朱赤色の鮮やかさを有し、上部の裂片には濃い斑点が見られる。花は枝先に2個から3個つき、花の盛りには全体を被うほどの眺めを呈し、よく目につく。花筒の内面は有毛で、雄しべは5個、花糸の下半分に粒状突起がある。花柱は無毛で、子房には長毛が密生する。実は蒴果で秋に裂ける。

 なお、ツツジと言えば、大阪奈良府県境の大和葛城山(959メートル)のツツジがよく知られるところで、毎年5月中ごろ花の見ごろを迎える。その群落の圧巻は一目百万本と言われるほどで、ヤマツツジが大半を占め、植栽を加えた一面朱赤色の花群は見応えがある。ほかにも、山添村の神野山や宇陀市の鳥見山のツツジがよく知られ、ヤマツツジを中心にその彩を見せる。 写真は自生のヤマツツジ(上北山村の大普賢岳の登山道)。左端の写真は葛城山のツツジ群(大半はヤマツツジである)。   山躑躅思ひの丈を燃やしゐるごとくにありて花を咲かせり

<1959> 大和の花 (214) モチツツジ (黐躑躅)                                              ツツジ科 ツツジ属

         

  ヤマツツジと同じくツツジ亜属の半常緑低木で、高さは2メートルほどになり、多くの枝を伸ばす。葉は春葉と秋葉からなり、半常緑の実態が見られる。春葉は楕円形から卵形で、秋には紅葉する。秋葉は倒披針形から長楕円形で、春葉より小さく、越冬する。

  花期は4月半ばから6月ごろで、晩春、初夏のころが花盛りである。花は5裂する淡紅紫色の漏斗状花で、上部の裂片に濃い斑点があり、枝先に2、3個ずつつき、個体によって花の多少が見られる。萼は深く5裂し、裂片は披針形で長く先が尖る。実は蒴果で、秋に裂開する。

  全体的に毛や腺毛が多く、殊に花柄と萼には密生し、花のつけ根の部分に触れるとべたつく。この粘りを鳥黐(とりもち)に擬え、この名がある。本州の静岡県から岡山県と四国東部に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)ではほぼ全域に見られ、山足や林縁でよく見かける。また、崖地の岩壁に生えるものもあり、イワツツジ(岩躑躅)の別名でも知られる。同じツツジ亜属の仲間とはよく交配がなされ、ヒラドツツジ(平戸躑躅)など主要な園芸品種の基になっている。 写真はモチツツジ。 紋白と三毛がゐるなり午後の庭

<1960> 大和の花 (215) ミヤコツツジ (都躑躅)                                        ツツジ科 ツツジ属

       

  ミヤコツツジ(都躑躅)はヤマツツジとモチツツジの自然交配による雑種とされるツツジで、ミヤコツツジの周辺には必ずヤマツツジとモチツツジが見られると言われ、その分布は両ツツジの分布が重なる地域とされる。ヤマツツジは北海道南部から九州とほぼ全国的に見られ、モチツツジは本州の静岡県から岡山までと四国東部に分布することからミヤコツツジの現われはモチツツジの分布域に重なることになり、両親が日本の固有種であるから当然本種も日本の固有種ということになる。

  ミヤコツツジにはヤマツツジとモチツツジの性質が現われ、花を見ると、5裂する漏斗状花が両者の中間色である紅紫色に現われ、鮮やかで美しい。大和(奈良県)はヤマツツジもモチツツジも各地に見られ、極めて多いツツジであり、両者は花期が4月半ばから6月とほぼ同じで、自然交配のチャンスに恵まれているということになる。現在はそれほどでもないが、今後、ミヤコツツジは増えてゆくと考えられる。 写真は左からミヤコツツジ、ミヤコツツジの花のアップ、ヤマツツジ、モチツツジ。晴れやかに競ふはよけれ躑躅咲く

<1961> 大和の花 (216) サツキ (皐月)                                    ツツジ科 ツツジ属

               

  ツツジ亜属の半常緑低木で、主に川岸や渓谷の岩場に自生する日本特産のツツジで知られる。本州の関東地方以西の太平洋側と九州に分布し、屋久島が南限で、襲速紀要素系植物の分布域に見える。高さは大きい個体で1メートルほどになるが、増水したとき濁流に襲われる頻度の高い場所では、岩間に根を下ろし丈を低くして生えているものが多い。葉は春葉と秋葉があり、春葉は落葉し、秋葉は越冬する。

  花期は5月から7月ごろとツツジの中では花の咲く時期が遅く、陰暦5月に花を見ることからサツキツツジ(皐月躑躅)と呼ばれ、ツツジが略されてサツキ(皐月)になったと言われる。何故、雨の多い増水する梅雨の時期に花を咲かせるのか不思議であるが、この時期になると川沿いの岩場では艶やかな赤紫色の漏斗状花がそこここに見られる。

  「岩つつじ」として『万葉集』の2首に見えるツツジは、イワツツジ(岩躑躅)の別名を持つモチツツジとする説が有力なようであるが、2首とも水辺に生えるところがうかがえる点、草壁皇子の薨去に際して詠まれた舎人の悲歌に登場する「岩つつじ」については宮の庭園の水辺に見られる移植によるツツジであると思える点、皇子の死が陰暦4月13日で、歌が作られたのがその死の直後というより、喪に服しているとき、即ち、サツキが花盛りのころ詠まれたと考えられる点、これらを総合してみると、『万葉集』に登場する「岩つつじ」はサツキと見た方がよいのではないか。この舎人による1首は巻2の185番に見える次の歌である。

     水伝ふ磯の浦回(うらみ)の岩つつじ茂(も)く咲く道をまた見なむかも                                         草壁皇子の舎人

  その意は「宮の庭園の水が沿って流れる岩の曲がった水際の角に生える岩つつじが盛んに咲くこの道を再び見ることが出来るだろうか」、主が亡くなったので、「出来なくなってしまった」となる。大和(奈良県)におけるサツキの分布は、概ね吉野川以南の紀伊半島の一帯で、天川村の川迫川、上北山村、下北山村、十津川村の北山川の岩場でよく見かける。この辺りではカワツツジ(川躑躅)、カワサツキ(川皐月)と呼ばれ、下北山村では村の花として大切にされているが、吉野川の川筋でも見られるところをして言えば、万葉当時、皇統ゆかりの吉野離宮辺りの吉野川の岩場にはサツキが生えて見え、宮の庭園にその辺りのサツキを移植することは可能だったと考えられる。

  昨今のサツキはほかのツツジとの交配によって新しい品種が生み出され、園芸品種を大いに広め、観賞用に貢献している。サツキ自身も低木の利によって庭木として喜ばれ、よく庭園の縁取りなどに植えられている。 写真は左から紅いサツキの花が点々と見える川岸の岩場(北山川)、岩場に咲くサツキ(川迫川)、花のアップ。  ゆく時と来る時まさに大いなる時の流れに花は咲きゐる

<1962>大和の花(217)ウンゼンツツジ (雲仙躑躅)と シロバナウンゼンツツジ (白花雲仙躑躅)   ツツジ科 ツツジ属

          

  ウンゼンツツジ(雲仙躑躅)は山地の岩場や林縁などに生えるツツジ亜属の半常緑低木で、高さは大きいもので1メートルほどになる。葉は春葉と秋葉があり、倒披針形から倒卵形で、質はやや薄く、長さは1センチほどと小さく、枝先に集まって互生する。秋葉は春葉よりなお小さく、越冬する。花期は4月から5月ごろで、枝先に直径1.5センチほどの漏斗状の花を1個ずつつける。花は淡紅紫色で5裂し、上部の裂片に濃い斑点が入る。花の色はモチツツジに似るが、花がモチツツジより小さく、1個ずつつくので見分けがつく。

  本州の伊豆半島と紀伊半島南部、四国南東部、九州の大隅半島にとびとびに分布し、襲速紀要素系の分布域に自生する。大和(奈良県)では南端部十津川村のごく限られた場所に稀産しているのが見られる。花が白いものはシロバナウンゼンツツジ(白花雲仙躑躅)で、不思議にもウンゼンツツジと分布域を異にし、シロバナウンゼンツツジの方は、近畿西部、中国地方、四国北部に分布が確認されている。

  ウンゼンツツジの名は長崎県の雲仙岳(1500メートル)に因むが、雲仙岳の周辺に自生は見られないという。大和(奈良県)におけるシロバナウンゼンツツジは北西端の生駒市郊外の山域に見られるのみで、ウンゼンツツジとシロバナウンゼンツツジは全く無縁のような南北両極に分布していることになる。ともに日本の固有種で、シロバナウンゼンツツジは絶滅の懸念により大和(奈良県)では希少種に、また、自生の東限に当たるため注目種にもあげられている。

  なお、『万葉集』の3首に見える「白つつじ」は、歌に詠み込まれている場所や当時のツツジの事情、あるいは白い花を咲かせるツツジの状況等を踏まえるに、このかわいらしい白花のシロバナウンゼンツツジを置いてほかにはないと思えて来る。 写真はウンゼンツツジ(左2枚)とシロバナウンゼンツツジ(右2枚)。 不思議とは思ひ及ばぬ言ひなれば生そのものも即ち不思議

<1963> 大和の花 (218) コメツツジ (米躑躅)                                         ツツジ科 ツツジ属

               

  山地から亜高山帯に生えるツツジ亜属の半常緑または落葉低木で、高さは大きい個体で1メートルほどになる。葉は長さが3センチほどの楕円形乃至は倒卵形で、両面の縁に淡褐色の毛が生え、互生する。花期は6月から8月ごろで、大和(奈良県)では7月が花どきで真夏の花の印象がある。花冠は白い筒状漏斗形で、5中裂する1センチに満たない小さい花で、濃紅色の葯が印象的な雄しべ5個は花冠から突き出る。コメツツジの名はこの白い小さな花を米粒に見立てたことによる。花はほかのツツジに比べ目立たないが、ハチの仲間がよく来ている。

  北海道から九州まで全国的に分布し、国外でも朝鮮半島や千島列島の南部に自生する。大和(奈良県)では大台ヶ原、大峰山脈、伯母子山地など紀伊山地高所の明るい岩場に自生している。根は岩場に守られているが、シカの出没があり、食害が懸念され、産地、個体数とも少ないことから絶滅危惧種にあげられている。  写真は風雪の厳しい釈迦ヶ岳(1800メートル)の尾根筋で、岩に守られながら生えて花を咲かせるコメツツジと花のアップ。  風景は我が眼前に移りゆく時を生きゆく身のゆゑにあり

 

 

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年05月08日 | 写詩・写歌・写俳

<1957> 余聞・余話  「 竹 の 秋 」

        竹の秋 竹林多き大和かな

 時の経つのは早いもので、ゴールデンウイークも終わった。この間正月を迎えたような気がするが、既に晩春から初夏の候である。サクラは葉桜になり、草木の緑は深まりを増しつつある。そんな風景の中、竹林は黄葉するがごとく黄みを帯び、よく目につく。この竹林をして俳句の季語では晩春を示す竹の秋(竹秋)という。そして、タケは落葉し、季語でいう竹落葉の初夏の時期を迎える。これは麦が稔る初夏を麦の秋(麦秋)というのと同根の言葉である。

 タケは春にタケノコを育てるため、養分を費やし、衰えを見せる。この現象の一端が葉の色づきに現われ、その直後、夏を迎えて落葉を見る。そして、落葉した後、秋になると、新しく開出した葉を青々と繁らせ、冬に向かって根を張り、タケノコをつくる準備に入る。言わば、竹にとって秋は瑞々しいときで、この竹をもって仲秋のこの時期を季語では竹の春(竹春)という。これは一年の巡りにおいて竹が普通の樹木とまさに真逆な生活を送っていることを物語るものである。

           

 タケは花が咲くと、全体が枯死してしまう一稔性の植物で、葉が落ちたから枯れてしまうというわけではなく、新しい葉と入れ替わる。言わば、更新をして生き延び、五十年以上生存するので、竹の秋(竹秋)は竹の寿命には関わりなく毎年訪れる。生物にはいろんなタイプの生き方があってタケはタケの生存様式に従って生を展開していることになる。

  それにしても、奈良盆地というのは周囲を山に囲まれている関係で、棚田と同じく、周囲の山足に竹林が多く見られる土地柄であるのが見て取れる。これは山崩れなどに対する防災の役目を負っているものであると知れるが、竹林があるからはタケノコの生産も行なわれるわけで、一石二鳥がうかがえる。この生産に与かって我が家などは毎年タケノコのシーズンになるといただきもののタケノコを御相伴に与かるというありがたいことになっている。

  今、奈良盆地では周囲の山々を見ると、コジイ(小椎・ツブラジイ)のクリーム色に盛り上がった花の樹冠とともに、黄みを帯びた竹林がよく目につく。 <竹の秋の風景による教訓> 生は多様に出来ている。これが自然であり、この自然の多様性を認めない独善には自然の全体の中で確執が起き、不和が生じて来る。 写真は竹の秋の光景。黄みを帯びた竹林。