<428> 2012・秋祭り (6) 榛原の秋祭り
晴れやかに 祭りも文化 文化の日
文化の日の三日は晴天に恵まれ、大和でも各地で文化にかかわる催しものがあり、人出も多く見られたようであるが、宇陀市の榛原では墨坂神社の秋祭りが行なわれ、見物に出かけてみた。この日が本宮で、祭神のお渡りや太鼓台の宮入りなどがあって、終日大勢の人出でにぎわった。
墨坂神社は、崇神天皇九年(三八〇年)の春三月、天皇の夢に神人が現われ「赤盾八枚、赤矛八竿をもって墨坂神を祠れ、また、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大坂神を祠れ」とお告げがあったので、そのようにしたところ、蔓延して苦しめられていた疫病がたちまちのうちに収束し、平穏になったという。この由来によって出来た神社で、『日本書紀』の崇神天皇の記事に出て来る。
祭神は墨坂大神で、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六神をもってなると言われる。元は墨坂(現在地の北西一キロほどの西峠付近)に位置していたが、宝徳二年(一四五〇年)現在の榛原萩原に遷されたという。祭りはその西峠のお旅所までの往復のお渡りによるもので、近在の宮本、東町、福地、上之町地区の太鼓台四基が繰り出して迎えるという趣向である。
この日は午前中に四基の太鼓台が近鉄榛原駅前のロータリーに集結して練った後、各町内を巡り、午後には西峠のお旅所を鳳輦の一行が出発し、神社に向った。行列は一時間半ほどかけて神社に到着し、神前での儀式が執り行われ、太鼓台が次々に宮入りし、境内で練り始めると祭りは最高潮に達した。その後、祭りは餅まきをもって終了した。
思うに、今日は文化の日であるが、昔から引き継がれて来たこのような祭りも文化の一端であろう。その文化も時代と人の移り変わりによって変化する。この祭りでも太鼓台の担ぎ手が不足気味で募集している。これは若い人の減少によるもので、少子高齢化の時代の趨勢が影響している。
大和では伝統の祭りが中断を余儀なくされているケースも見られるが、言わば、このような現象は文化的現象であり、この文化的現象は暮らしの根幹に直接関わるものではないけれど、暮らしの根幹から影響されている現象と受けとめられるわけで、蔑には出来ない現象ということが出来る。
とにかく、このような祭りは持続が肝心である。今日は文化の日で、祭りを文化に照らして考えてみた。 写真は上段左が近鉄榛原駅前で練り合う太鼓台、右は神社に着いた鳳輦の一行。写真中段は左が宮入りする太鼓台、右は神社の境内で練る太鼓台。下段は餅まきに集まる人たち。