大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月25日 | 祭り

<570> 縁日に思う

                                                          似ているようで違う   どこか違う 

                                              みんな違う   いのちの存在 

                                              しかし  この世は

                                              この違う   一つ一つの存在が 

                                              みんなでつくる   一つの世界だ

                              

  縁日の人出の中にいると、何かホッしていられる。何故だろうか。それは集まって来る人々がそれぞれに上下隔てなく、自由な気分で迎えられる雰囲気にあるからではなかろうか。媚を売るようなこともなく、気兼ねをするようなこともない、とにかく、みんな思い思いにその場を楽しんでいる、そんな感じがいいからであろう。この土、日には法隆寺の会式があったが、これから四月に向かうと各社寺で縁日が見られるので出かけてみたいと思っている。写真はイメージ。正月三が日の人出(大神神社の参道で)。


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2013年02月25日 | 祭り

<542> 菅原神社のおんだ祭り (御田植祭)

        春が来る 大和のおんだ 祭りかな

  二十五日、奈良市菅原町の菅原神社で、一年の開運と無病息災を願う祈年祭と五穀豊穣、子孫繁栄の予祝の祭りであるおんだ祭りの御田植祭が行なわれ、出かけてみた。昨年は雨模様の天候だったが、今年は好天に恵まれ、折りしも梅がほころび始め、多くの人出でにぎわった。では、写真と俳句で祭りを振り返ってみよう。

                  

                                梅に来て 目白もおんだの祭りかな                         日和よし 梅よし 祭りの 人出かな

                      

                      春が来る 牛の出番に 拍手湧く                             牛駈ける 翁も駈ける 春はそこ

                       

                                春はそこ 翁は福の 種を蒔く                                春はそこ 笑ふ門には 福が来る


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2013年02月03日 | 祭り

<520> 節 分

       節分や 鬼出で来れば ざわめけり

 三日は節分。明日は立春で、昔は春の始まる日だった。で、春は一年の初めの季節で、冬の終わる節分には昔から来る年の多幸を願う追儺の「福は内鬼は外」の豆撒きが行なわれて来た。この日は、この節分祭で神社やお寺では忙しい日であるが、各家庭でも豆撒きが行なわれ、恵方巻きの巻き寿司やイワシなどを食べる風習があり、今も残っている。

 神社やお寺の多い大和では各地で節分の行事が行なわれる。今日は午前中に奈良市の手向山八幡宮の御田植祭(おんだ祭り)とともに行なわれた豆撒きに出かけ、午後からは東大寺二月堂の豆撒きを見た。今年は日曜日と天気のよいのが重なって人出があって、二月堂の豆撒きは超満員に膨れ上がった。

 また、夜には斑鳩の里の法隆寺西円堂で行なわれた追儺式の鬼追いの火祭りを見に出かけた。黒鬼、赤鬼、青鬼の親子三匹の鬼が松明を持って登場し、堂の周りを暴れ回った。最後は毘沙門天が現われ、鬼を追い払って火祭りは終わった。

                                     

 今年は日曜日と天気のよい暖かな日和によって各社寺とも例年にない人出となり、二月堂の豆撒きも西円堂の鬼追いも超満員の盛況だった。写真は左の二枚が手向山八幡宮の御田植祭。中の二枚が二月堂の豆撒き。右の二枚が西円堂の鬼追いの火祭り。


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2013年01月09日 | 祭り

<495> 諸鍬神社のおんだ祭り(御田植祭)

      冬日射す 庭に御田の 祭りかな

 午後からは風が強くなったが、日差しが明るい一日だった九日、葛城市弁之庄の諸鍬神社で五穀豊穣と子孫繁栄の祈願と予祝のおんだ祭り(御田植祭)があった。今年は御田植祭で昨年見られなかったところを主に見てみたいという気持ちがあり、今日は諸鍬神社に出かけた次第である。

 この神社は応神天皇ら三神を祭神とする神社で、元は尾張国諸桑村にあったが、秀吉の時代に勢力を得た桑山一族にともない巡り巡ってこの地に遷されたと言われる。ほかにも素戔鳴命などが祀られている。大和平野の西に当たる田園地帯の中に位置する。

  午後二時半から拝殿で神事があった後、庭前でおんだ祭りのお田植えの所作が披露され、牛の登場を見た。まず、作男が畦を作り、牛が鋤や馬鍬を曳いて田を耕し、最後に松葉の苗を植えた。牛が途中から見物衆の中に暴れ出るというのがこのおんだ祭りの趣向で、みんなを喜ばせた。牛がよく暴れる年は豊作になるというのはほかの御田植祭でも言われる。最後は三色餅の御供撒きが行なわれ、にぎやかなうちに終了した。写真は左から畦作り、牛で田を耕す、見物衆の中に出て愛嬌を振りまく牛、松葉を苗に見立てて田植えの所作、右端は餅撒き。

                              


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2012年11月03日 | 祭り

<428> 2012・秋祭り (6)  榛原の秋祭り

        晴れやかに 祭りも文化 文化の日

 文化の日の三日は晴天に恵まれ、大和でも各地で文化にかかわる催しものがあり、人出も多く見られたようであるが、宇陀市の榛原では墨坂神社の秋祭りが行なわれ、見物に出かけてみた。この日が本宮で、祭神のお渡りや太鼓台の宮入りなどがあって、終日大勢の人出でにぎわった。

                  

 墨坂神社は、崇神天皇九年(三八〇年)の春三月、天皇の夢に神人が現われ「赤盾八枚、赤矛八竿をもって墨坂神を祠れ、また、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大坂神を祠れ」とお告げがあったので、そのようにしたところ、蔓延して苦しめられていた疫病がたちまちのうちに収束し、平穏になったという。この由来によって出来た神社で、『日本書紀』の崇神天皇の記事に出て来る。 

 祭神は墨坂大神で、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六神をもってなると言われる。元は墨坂(現在地の北西一キロほどの西峠付近)に位置していたが、宝徳二年(一四五〇年)現在の榛原萩原に遷されたという。祭りはその西峠のお旅所までの往復のお渡りによるもので、近在の宮本、東町、福地、上之町地区の太鼓台四基が繰り出して迎えるという趣向である。

                  

 この日は午前中に四基の太鼓台が近鉄榛原駅前のロータリーに集結して練った後、各町内を巡り、午後には西峠のお旅所を鳳輦の一行が出発し、神社に向った。行列は一時間半ほどかけて神社に到着し、神前での儀式が執り行われ、太鼓台が次々に宮入りし、境内で練り始めると祭りは最高潮に達した。その後、祭りは餅まきをもって終了した。

 思うに、今日は文化の日であるが、昔から引き継がれて来たこのような祭りも文化の一端であろう。その文化も時代と人の移り変わりによって変化する。この祭りでも太鼓台の担ぎ手が不足気味で募集している。これは若い人の減少によるもので、少子高齢化の時代の趨勢が影響している。

                 

 大和では伝統の祭りが中断を余儀なくされているケースも見られるが、言わば、このような現象は文化的現象であり、この文化的現象は暮らしの根幹に直接関わるものではないけれど、暮らしの根幹から影響されている現象と受けとめられるわけで、蔑には出来ない現象ということが出来る。

  とにかく、このような祭りは持続が肝心である。今日は文化の日で、祭りを文化に照らして考えてみた。 写真は上段左が近鉄榛原駅前で練り合う太鼓台、右は神社に着いた鳳輦の一行。写真中段は左が宮入りする太鼓台、右は神社の境内で練る太鼓台。下段は餅まきに集まる人たち。