「蜀」は、中国の四川省あたりの古名です。三国時代には魏、呉とならんで天下を三分しました。峻険な山々に囲まれた地で、霧や雲が湧いて空を覆います。
李白は「蜀道難し」という詩に険しい蜀の山岳を賦しました。蜀は中原から見ると僻地という印象があります。しかし、この地に眼をつけ、第三極の地と考えた諸葛孔明の戦略・政治
観は天才的でした。まさに「臥龍」というにふさわしいと思います。
「蜀犬日に吠ゆ」という言葉があります。蜀の犬は太陽が珍しいので、太陽が顔を出すと
怪しんで吠えることを指します。また、見識の狭い人が、賢人の秀れた言行を疑ったり批判することにも使います。
杜甫は、高適の援助で成都(四川省の省都)に浣花草堂(かんかそうどう)を構えて、約4年間、家族と平穏な日々を送ったこともありました。
また、「隴(ろう)を得て蜀を望む」という言葉があります。「隴(甘粛省)を手中にした後漢の光武帝が、次は蜀が欲しい」と言った故事によります。人間の欲望には際限がないことの譬えです。蜀は西域への入り口に位置し、四川料理、麻婆豆腐などの独自の文化があり、パンダの故郷でもあります。
李白は「蜀道難し」という詩に険しい蜀の山岳を賦しました。蜀は中原から見ると僻地という印象があります。しかし、この地に眼をつけ、第三極の地と考えた諸葛孔明の戦略・政治
観は天才的でした。まさに「臥龍」というにふさわしいと思います。
「蜀犬日に吠ゆ」という言葉があります。蜀の犬は太陽が珍しいので、太陽が顔を出すと
怪しんで吠えることを指します。また、見識の狭い人が、賢人の秀れた言行を疑ったり批判することにも使います。
杜甫は、高適の援助で成都(四川省の省都)に浣花草堂(かんかそうどう)を構えて、約4年間、家族と平穏な日々を送ったこともありました。
また、「隴(ろう)を得て蜀を望む」という言葉があります。「隴(甘粛省)を手中にした後漢の光武帝が、次は蜀が欲しい」と言った故事によります。人間の欲望には際限がないことの譬えです。蜀は西域への入り口に位置し、四川料理、麻婆豆腐などの独自の文化があり、パンダの故郷でもあります。