yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

無常観と諦観

2011-11-11 06:00:55 | 文学
栄枯盛衰についての無常観と宗教的諦観が、日本の古典文学の底流にあると言われています。
例えば「平家物語」の冒頭の名文に、無常観が端的に書かれています。

祇園精舎の鐘の声 所行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらはす 
おごれる人も久しからず 只春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ。

また、鴨長明の「方丈記」の冒頭も無常を説いています。

ゆく河のながれはたえずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむすびて、ひさしくとどまる事なし。世の中にある、人と栖(すみか)と又かくのごとし。たましきのみやこのうちに棟(むね)をならべ、いらかをあらそへるたかきいやしき人のすまひは世々をへてつきせぬ物なれども、是をまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞやけてことしは作り、或は大家ほろびて小家となる。すむ人も是に同じ。ところもかはらず、人もおほかれど、いにしへ見し人は二三十人が中にわづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕べに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

能楽、謡曲においても無常観と諦観が流れています。

人間五十年下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり、
ひと度生をうけ滅せぬもののあるべきや

「敦盛」「鵺(ぬえ)」「頼政」、みなそうです。

能は本来、日本人の情緒的な特性を表現したものと言われます。つまり、能楽の神髄は日本人
特有の諦観でありやさしさだそうです。
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