yoshのブログ

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梁甫の吟

2020-05-31 05:38:00 | 文学
諸葛孔明が、雌伏していた時代によく吟じていたと言われる詩句です。

歩出齊城門
遥望蕩陰里
里中有三墳
累累正相似
問是誰家塚
田彊古冶氏
力能排南山
文能絶地紀
一朝被讒言
二桃殺三士
誰能爲此謀
國相齊晏子
「訳」
斉ノ城門ヲ歩ミ出デ
遥カニ望ム蕩陰ノ里
里中ニ三墳有リ
累累正ニ相似タリ
問フ誰ガ家ノ墓ゾ
田開彊ト古冶子ト公孫接ノ墓ナリ
ソノ力ハ南山ヲ抜ク
ソノ文才ハ地紀ヲ断ツ
一朝讒言ヲ受ケ
二桃三士ヲ殺ス 
誰カ能ク此ノ謀ヲ為シタル                     
齊ノ國相晏子ナリ
「鑑賞」
「梁甫の吟」は、諸葛亮孔明自身の作ではないのですが、
まだ劉備と出会う前、孔明は荊州の襄陽に近い隆中の山中で庵を結び、 晴耕雨読の暮しをしていました。その頃に吟じていたとされる詩です。「梁父の吟」ともいわれます。斉の宰相、晏子による「二桃もて三士を殺す」という故事が元になっています(『晏子春秋』)。
斉の国に、田開彊(でんかいきょう)、古冶子(こやし)、公孫接(こうそんせつ)という武力にすぐれた三人がいました。
宰相の晏嬰(あんえい、晏子)は、この三人は将来国の災いになると感じ、君主の景公に三人を自滅させる策を提案します。晏子は三人を集め「お前たちの中で我こそ功績があると思う者が受けとれ」と言って、二個の桃を与えます。
そこで田開彊、公孫接の二人がバッと飛び出して桃を取りますが、よく話してみると一番功績があったのは古冶子でした。田開彊、公孫接の二人は、真っ先に手を伸ばした卑しさを恥じて自殺します。そして残った古冶子も自分のせいで二人を死なせてしまったと自殺します。晏子は一切自分の手を汚さず、まんまと将来の憂いを取り除いたわけです。
ここから「策略で他人を自滅させる」ことを「二桃もて三士を殺す」「二桃三士」と言います。
「梁甫(梁父)」 現 山東省泰山の麓にある小山。
「斉」は(BC1046-BC386)春秋時代~戦国時代初頭に
山東省に存在した国。                            「蕩陰」 とういん。地名。 【三墳】 三つの墓。
「累累」うずたかく盛り上がったさま。                    「地紀」 大地を保つ綱。
「國相」 国家宰相。
『三国志』「蜀書」には「諸葛亮好んで梁甫吟を為す」とあります。
土井晩翠『天地有情』の「星落秋風五丈原」の中に、次の歌詞があります。
隴畝(りょうほ)に民と交れば
王佐の才に富める身も
たゞ一曲の梁甫吟
 「土井晩翠詩集」 角川文庫


              












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