渋沢栄一は、「第一国立銀行」「抄紙会社」「王子製紙」「東京海上保険」「日本郵船」「東京電灯」「日本瓦斯」「帝国ホテル」「札幌麦酒」「日本鉄道会社」「東京商法会議所」「東京株式取引所」など、470社の設立に中心的な役割を果しました。「日本資本主義の父」といわれる所以です。この実業人として活動の中で、大きなトピックとなったのが、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎との屋形船会合事件です。1878年、岩崎弥太郎から渋沢栄一は向島の料亭に招待されました。そこで弥太郎が切り出してきたのは、一言で言えば強者連合の誘いでした。「君と僕が堅く手を握り合って事業を経営すれば、日本の実業界を思う通りに動かすことが出来る。これから二人で大いにやろうではないか。」この岩崎の話を
良く聞いて見ると、結局、彼と渋沢で大きな富を独占しようという結論になる。渋沢の考え方とは正反対でした。渋沢は自分一人が金もうけをする気は毛頭なく、いろいろな事業をおこして大勢の人が利益を受けると同時に、国全体を富ましてゆきたいのが念願でした。渋沢は合本法(株式組織)の道義的運営によって、富は分散させるべきものだ、独占すべきものではないと主張しました。いきおい二人の議論ははげしく対立しました。「だめだ。君のいう合本法は船頭多くして船山にのぼるの類だ。」「いや、独占事業は欲に目のくらんだ利己主義だ。」渋沢は腹を立てて、その席にいた馴染みの芸者といっしょに姿を消しました。
もし、渋沢が欲得に目がくらみ、岩崎弥太郎と結託する選択をしていたなら、後の日本の資本主義は、おそらく今とは形の違うものになっていた可能性が高い。渋沢の揺るがぬ信念があったからこそ、現代のわれわれはその果実の恩恵に浴し、世界有数の経済大国の地位を享受している面があるわけです。
渋沢栄一 「論語と算盤」ちくま新書
良く聞いて見ると、結局、彼と渋沢で大きな富を独占しようという結論になる。渋沢の考え方とは正反対でした。渋沢は自分一人が金もうけをする気は毛頭なく、いろいろな事業をおこして大勢の人が利益を受けると同時に、国全体を富ましてゆきたいのが念願でした。渋沢は合本法(株式組織)の道義的運営によって、富は分散させるべきものだ、独占すべきものではないと主張しました。いきおい二人の議論ははげしく対立しました。「だめだ。君のいう合本法は船頭多くして船山にのぼるの類だ。」「いや、独占事業は欲に目のくらんだ利己主義だ。」渋沢は腹を立てて、その席にいた馴染みの芸者といっしょに姿を消しました。
もし、渋沢が欲得に目がくらみ、岩崎弥太郎と結託する選択をしていたなら、後の日本の資本主義は、おそらく今とは形の違うものになっていた可能性が高い。渋沢の揺るがぬ信念があったからこそ、現代のわれわれはその果実の恩恵に浴し、世界有数の経済大国の地位を享受している面があるわけです。
渋沢栄一 「論語と算盤」ちくま新書