yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

新涼 書を読む  菊池三渓

2013-10-10 05:26:33 | 文学
菊池三渓(1819~1891)幕末から明治初期の儒者。紀伊藩に仕え、江戸赤坂邸の明倫館教授となり、後に十四代将軍、徳川家茂の侍講となる。詩文に巧みで晩年は京都に住む。ここでは、七言古詩を紹介します。

 新涼読書

秋動梧桐葉落初
新涼早已到郊墟
半簾斜月清於水
絡緯聲中夜読書

新涼書ヲ読ム

秋ハ動ク梧桐葉落ツルノ初(はじめ)
新涼早ク已ニ郊墟ニ到ル
半簾ノ斜月水ヨリモ清ク
絡緯(らくい)聲中夜書ヲ読ム

「訳」

秋の気配はすでに青桐の葉の落ち始める時に感じられ、新涼の気は早くも郊外の野に忍び寄っている。中窓から斜めに簾の半分ほどを照らし出す月の光は、水よりも清らかに澄んでい
る。聞こえるものはただ「くつわむし」の声。それを聞きながら書を読むことは最高の楽しみ
である。

次に菊池三渓の他の漢詩の中で歴史を題材にした詩を紹介します。

   備後三郎題詩図

 警拆無声燎影残
 桜花樹底夜初闌 
虎狼不解何詞意
独有君王帯笑看 

備後三郎題詩ヲ題スルノ図

警拆(けいたく)声無ク燎影(りょうえい)残(つ)ク
 桜花樹底夜初メテ闌(たけなわ)ナリ 
虎狼(ころう)ハ解セズ何ノ詞意カヲ
独リ君王ノ笑ヲ帯ビテ看ル有り

 「訳」
「備後三郎」とは児島高徳のこと。隠岐の島に流される後醍醐天皇を追い、その途上の行在所
の庭に忍び入り、桜の幹を削り、「天 勾践(こうせん)を空しうすること莫かれ、時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず」の詩句を記し、胸中にあふれる忠勤の念を上聞に達したことはひろく人の知るところである。北条高時方の警固の兵士の夜廻りの拍子木の音もすでになく、かがり火の火勢も落ち、咲きにおう桜の花のもとはさすがに夜の色が濃くなりまさってゆく。この桜の幹を削って児島高徳がしたためた詩句は、ただ強いばかりの兵士には解すべくもなく、これを翌朝、後醍醐天皇が御覧ぜられ、その意をお悟りになってただひとり、にっこりなされたということである。

上記の話は、中国・春秋時代末期、呉越の戦(BC496~BC473)における越王勾践と忠臣范蠡の故事が元になっています。後醍醐天皇(1288~1339)は、第96代の天皇で鎌倉時代末期から南北朝時代の天皇です。児島高徳の話は1332年のことです。これらは太平洋戦争前の日本人は誰もが聞かされていたということです。

吟剣詩舞振興会 「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする