山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート <第10回>

2016-05-25 04:04:06 | くるま旅くらしの話

【今日(5/25)の予定】 

  道の駅:もりた →(R101・K31・R7)→ 道の駅:碇ヶ関 →(R7・R282)→ 道の駅:鹿角 →(R282・R341他)→ 乳頭温泉郷 →(R341・R46・R105)→ 道の駅:中仙(泊) 

 

【昨日(5/24)のレポート】  天気:晴れ後曇り

<行程>

道の駅:いなかだて →(R102・R7)→ 道の駅:弘前 →(R7・R339 )→ 道の駅:鶴田 →(R339他)→ 五所川原市歴史民俗資料館・旧平山家住宅見学 →(R339)→ 金木町・太宰治記念館(斜陽館)→(R339・K・R101)→ 道の駅:もりた(泊)

<レポート>

 田舎館の道の駅では、今日は早朝から駐車場のライン引き作業を行うとの予告があるのを昨日気づいたのだが、せいぜい8時くらいからの開始だと思っていのだが、何と5時過ぎには作業が開始されたのだった。騒音は我慢できるとしてもライン引きに使う塗料のペンキの臭いが漂って来て、こうなると相棒はここにとどまるのは無理ということになり、直ぐに逃げ出すことにした。一番近くにある道の駅:弘前に行くことにした。弘前の道の駅はここからは15分ほどの距離にある。直ぐに到着してやれやれと安堵する。早朝からとんだ騒動だった。一段落してゆっくり昼食を済ます。

 今日は特段の予定も無く、津軽エリアを気の向くままに動き回ることにしている。先ずは、以前行ったことにある弘前市内にある長勝寺の禅林街を訪ねることにした。以前は桜を見に来たついでに訪ねたのだが、独特の寺町の印象が強く残っており、今回はそこをもう一度じっくり歩いて見たいと思った。8時半過ぎに道の駅を出発して、長勝寺の左手奥の駐車場に着いたのは、9時を少し過ぎた頃だった。車を置いて、直ぐに禅林街をゆっくり歩いて散策する。ここは長勝寺構えとも呼ばれ、弘前城とつながる台地にあり、長勝寺は第2の城とも呼ばれる場所だった。長勝寺を最奥に杉の植えられた参道の両側に32ものお寺が並ぶ景観は、壮観というしかない。どのお寺も現代につながっているのか、立派な造りである。むしろ一番老惨が近づいているのは筆頭の長勝寺のようにも思えた。しかしさすがにその山門は貫禄充分だった。

   

長勝寺禅林の参道。正面奥が長勝寺の山門。両脇には32ものお寺が連なっている。駐車している車が寺町の風情を壊しているけど、今の世では致し方もない。

   

長勝寺山門の偉容。32のお寺を睥睨するかのようにそびえている山門は、貫録十分だ。

初代か2代目だったかの津軽の殿様が、近郊のお寺を全部ここに集めてこの形を造ったとか。曹洞宗ということだが、一つの宗教のお寺がこれほど集まっているのは、ここだけだという。殿様の権力というのは如何に大きなものだったのか、凄いなと思った。禅林の入り口のところに黒門というのがあるのだが、クレーン車のような車が門を直撃して壊してしまい、今はその修理中ということで、前回の雄姿は見ることが出来なかった。長勝寺の右手奥の禅林広場からは弘前のシンボルともいえるお岩木山が未だ頂上近くに幾筋かの雪の跡を残して、朧な空に鎮座していた。この山はやはり寒い時期でないと感動を味わうのは難しいのかなと思った。

   

長勝寺の脇にある禅林広場からのお岩木山の山容。おぼろな空の中では、何かしら一人春の温かさを味わっているような感じがする。

 禅林の醍醐味を味わった後は、相棒の希望で五所川原市にある歴史民俗資料館と旧平山家住宅をたずねることにした。1時間ほどで到着する。近くの駐車場に車を置き、先ずは歴史民俗資料館のドアを押そうとしたのだが、何と鍵が掛けられており、休館状態だった。仕方がないので、隣接する旧平山家住宅の方に回ることにした。管理事務所の方に声をかけると、ここは無料で参観OKとのこと。資料館のことを訪ねたら、市の都合でずっと休館となっているとのこと。財政事情なのか、折角立派な建物があるのに残念だなと思った。そのあと、旧平山家住宅の内外をじっくりと参観する。今まで見たことも無いほどのスケールの大きな民家だった。母屋の中心部分と庭の先にある長屋門が国の重文に指定されているとか。重文とは家屋全体なのかと思っていたが、どうやらこの家は全体ではなく、現在に至るまでの歴史を踏まえての価値ある部分だけが指定されているようだった。大正時代につくられた部分を含めると、最盛期の時代には豪壮な建物だったことが想像できる。目白御殿にも匹敵する大きな屋敷だったに違いない。ただ、萱葺屋根には何種類かの苔や草が生えて伸びており、これからこのような建物を保存して行くのは難しいのだろうなと思った。建物の案内を音声で解説する装置があり、これが標準語と津軽語の両方で作られており、津軽語の解説は三味線の音楽入りで、とても共感を覚えるものだった。標準語の味気なさを改めて感じた。とても学ぶことが多い参観だった。

   

間口が30m以上もあり、正面からではカメラに収まらない大きさの母屋である。この母屋の左には大正時代に建てられたというもう一棟が連なっている。

   

重文指定の長屋門。左側の白壁の中は門番の滞在する部屋となっており、出入りする者を厳しく見張っていたとか。

 その後は車に戻り、昼食休憩とする。1時間ほど休んで、せっかくここまで来たのだから、近くの金木にある太宰治の生家の斜陽館を訪ねることにしようと向かう。20分ほどで到着する。外から往時を偲ばせる立派な建物を見ている内に、特別に中に入らなくてもこれを見ただけでいいやという気持ちになり、入館を取り止める。以前にも訪ねており、何度も訪ねるほどの太宰ファンでもない。どちらかといえば、心中などして命を自ら断った太宰という人にはアンチの気持が大きい。妻子もあるのに無責任な話だと思っている。ま、このことについてはいろいろな見方があるから、自分の見方が必ずしも正しいとは思わないけど、とにかく自分的には啄木や賢治などと比べると、ずいぶん身勝手な人だったと、その生き方には共感はできないのである。但し作品の世界となるとこれは別の話である。今、それをうんぬんすることは止めにする。

    

斜陽館の前にある交流館らしき建物の中にある食堂のメニューの中に、もじゅくらーめんというのがあった。以前東北の方が「もじょく」というのを聞いて、何のことなのかと戸惑ったことがあったが、「もじょく」が「もじゅく」であり、この地方では「もずく」のことをそう呼ぶのかと納得した。こぼれ話である。

 今日の泊りはつがる市の道の駅:森田にしている。当初の予定からは益々大きく外れた変更となっている。未だそこへ行くには時間が余っているので、久しぶりに更に北上して十三湖の近くの高原にある道の駅:十三湖高原まで行って見ることにした。十三湖といえばシジミが有名である。もし手に入れば今夜はシジミ汁でも作って味わいたいとも思った。しかし行って見ると、ここは風の通り道となっているのか、強風が吹いていて寒く、シジミはあったものの砂抜きはしていないという。生き物なので砂を抜いてしまうと、保たないのだという。砂を抜くのは旅先では面倒なので、これは諦め、炊き込みご飯用のシジミを買っただけにした。これなら今夜シジミの味を楽しむことができる。これを手に入れて、すぐに道の駅:森田の方へ向かうことにした。

 元の木造町や車力村の広大な田園地帯を走っていると、津軽平野の豊かさを感じてしまう。雪の降り積もる冬の世界では、閉ざされた貧しさを覚える世界なのかも知れないけど、植えたばかりの稲の苗が風にそよぐ広がりを見ていると、とても貧しさなどは見当たらない。今の時代となったからなのか、津軽平野はリンゴばかりではなく、米どころとしても日本有数の生産地なのだと思った。旧森田村を含めて今は合併してつがる市となっているけど、市という都会の持つイメージはどこにも感ぜられない景観である。

間もなく田園地帯を走る県道が終わり、R101に出る。そのまま道の駅に行く前に、鰺ヶ沢町の方に向かう。ここに泊る以上は、何としても隣の鰺ヶ沢町に行き、焼きイカを手に入れなければならない。それが今日の最大の楽しみなのである。鰺ヶ沢の焼きイカは我々の中では洩らしてはならない東北の旅の重要味覚ポイントなのだ。道脇のいつもの店に行き、早速それを手に入れ、いそいそした気分で道の駅へ。相棒は、もう途中の車の中で焼きイカを頬張っていた。

 道の駅:森田は、もう15年以上も前から何度も訪れている場所で、今回もまた土産にリンゴジュースなどを手に入れることにしている。ここの葉とらずリンゴという完熟リンゴのジュースが気にいっており、今回もそれを目当てにしている。それらの買い入れは相棒の仕事。こちとらは写真の取り込みをした後、ブログ記事の整理などをして、その後は、いよいよ焼きイカを肴に充実の一夜を迎えることとなった。シジミの炊き込みご飯もグーだった。明日は天気が崩れて雨になるという。ほどほどに降って貰いたいなと思いながら眠りに就く。

コメント
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