山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート <第7回>

2016-05-22 05:13:01 | くるま旅くらしの話

【今日(5/22)の予定】 

  道の駅:久慈 →(R45)→ 八戸魚市場 →(R45・R4)→ 道の駅:十和田 →(R4)→ 道の駅:七戸(泊)

 

【昨日(5/21)のレポート】  天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:遠野風の丘 →(R340・R106)→ 道の駅:やまびこ館 →(R106・R45)→ 道の駅:宮古 →(R45他)→ 浄土ケ浜 →(R45・K)→ 久慈市新山根温泉:べっぴんの湯 →(K他)→ 道の駅:久慈(泊)

<レポート>

 二晩泊ってお世話になった道の駅:遠野風の丘に別れを告げ、今日は更に北に向かう予定。当初の計画では早池峰山の北を走るR106を経由して盛岡方面に向かい、R4を辿って一戸町の御所遺跡を見てから近くの道の駅に泊ることにしていたのだが、急に気が変わって、山の中の道を通って反対の宮古市側に出て、R45を海岸線に沿って北上し、久慈市にある道の駅に泊ることにした。特に理由も無いのだが、一つにはやはり東日本大震災の三陸エリアのその後をもう一度見ておきたいということがある。

 9時少し前に道の駅を出発して、市街地にあるスタンドで給油を済ませ、宮古市方面に向かって出発する。R340は山間を走る岩泉町の方に向かう道なのだが、途中でR106と出合ってそれを海側に行けば宮古市に至ることとなる。しばらくは遠野市郊外の山間の田園地帯を走る。水を張った田んぼが鏡のように輝き、そこには近くの低い山々が新緑の春の装いで写っている。昨日のデンデラ野のある山口集落は重文景に指定されているけど、そのさらに奥の方ののどかな田園風景も又それに劣らぬ遠野の昔の農村の姿を思い浮かべさせる景観だった。次第にそのような景色が少なくなって、やがて車は鮮緑の山道の中に入って行った。しばらくは中央線のある良い道だったが、次第に道幅が狭くなって、やがて離合が心配なほどの道となった。新緑のシャワーは嬉しいのだけど、運転の方は気を使う。この道は初めて通る道でもあり、先がどうなっているのかがよく解らない。相当に曲がりくねっている道を上り下って、途中トンネル工事の現場を通りながら、早く完成するのを願ったりした。間もなく人家が見え出しR106に合流する。ここで、直ぐに宮古に行くのではなく、反対側の少し先に道の駅:やまびこ館というのがあり、ここには未だ行ったことが無いので、ちょっと寄って行くことにする。15分ほど走ると、少し大きな平地がありそこに道の駅が造られていた。

 道の駅では、何やらイベントというか儀式のようなものが行われていた。椅子が並べられ、紅白の幕らしきものが巡らされていた。相棒は早速素っ飛んで行った。行って見ると駅の構内に新しく建物が建築されそのオープニングセレモニーらしい。見ると「宮古市薬師塗漆工芸館」とあった。薬師塗漆器というのがあるらしい。初めて聞く名である。中にはいて見ることは出来ないのでこれは次の機会に持ち越すことにした。町の名士の方々の話を聞いていても何も分からないので、その後は産直館の方へ行き、何か目ぼしいものはないかと覗き回った。中に美味そうな豆腐を発見。少し高かったけど、ここは水がきれいだし250円の価値は十分あるに違いないと手に入れる。

   

道の駅:やまびこ館の構内に新しく造られた宮古市薬師塗漆工芸館。この日は丁度その開館の日で、記念の式典が開催されていた。

買い物をして外に出ると、先ほどの儀式の会場が俄かに賑やかとなっており、笛や太鼓の音が鳴り出していた。何だろう?と行って見ると、何とこの工芸館の開設を祝って神楽が奉納されるらしい。幕に早池峰山と書かれているので、これはもしかしたら早池峰神楽の一つではないかと思い、大急ぎでカメラを取り出し、相棒に写すのを頼んで、車に行き相棒のカメラなどを取に行く。その後結構長い間神楽の奉納は続いた。早池峰神楽のことは道の駅の案内パンフで知っていたけど、それを見る機会は限られており、無理だろうと思っていたのだが、まさかこのような所でいきなり見せて頂けるとは、望外の幸運だった。しばらく、動画茂とることにして、その風景をモノにした。神楽のことは高千穂の夜神楽を現場で体験して以来、興味関心を持つようになっている。往時の人々がどのような気持ちで、どのような舞いを神様に見て頂こうとしたのか、その人々の生きざまのようなものが、素朴な踊りを通して伝わってくるように思えるのである。ここで演じられている早池峰の神楽は、ひょうきんな振る舞いが多くて、恐らくこれは何かの喜びを表わす舞いに違いないと思った。何しろ予備知識も、演じられている舞いの演目も何も知らないのである。あてずっぽうでも、それほど的外れではなかろうと勝手に思ったりした。

   

早池峰神楽の舞の模様。後ろの幕には大正2年とあるから、もう百年以上もこの幕は大事にされて、伝統の舞とともに受け継がれてきたのであろう。

 思わぬ幸運に嬉しくなりながら道の駅を出発して、次は宮古市の道の駅に向かう。1時間ほど走って到着。ここには2年前にも寄っているのだが、状況はその時と変わらなかった。丁度昼近い時刻になっており、災害復興に係わる工事関係にダンプカーがたくさん駐車していた。昼食休憩ということなのであろう。ご苦労様です。何か直ぐに食べられるものはないかと売店の中を探したけど、寿司などは見当たらず、この道の駅は被災からの復興で新しくなったのは良かったのだけど、以前のような魚市場風の匂いや香りが消え去っており、何だか妙に都会風になって気取っている感じがして残念な気がした。

 昼食は近くの浄土ヶ浜の方に行って摂ることにして向かう。ここに行くのは震災以来初めてである。行って見ると、どうも以前とは様子が違っていて、浜の傍まで行くことはできず、新しく上の方に立派な駐車場が造られていた。先ずは簡単な食事を済ませたのだが、その後歩くと浄土浜までは15分ほどかかるとのこと。かなりの坂道なので、相棒は消極的である。シャトルバスが発着しているというのだけど、30分に一本で折り返しているというので、結構時間がかかってしまいそうである。ということで今回は観に行くのは止めることにした。相棒は、この浜には何やら霊気のようなものを感じるらしいのだが、自分には到底判らないことである。

 ということで、その後はR45をひたすら北上するだけとなった。途中にある道の駅:田老、田野畑、野田などを覗きながら、久慈市に入る。道の駅に行く前に温泉に行くことにして、少し離れた山の中にある新山根温泉:べっぴんの湯という所に向かう。ここは温泉博士に載っている無料入浴が叶う湯なので、そのご厚意に甘えさせて頂くことにした。渓流に沿って15kmほど行くとその温泉宿があった。とてもいい感じで受付をして頂いて、嬉しかった。お湯もサウナも露天もすべすべしていて、女性には喜ばれるのだろうなと思った。我が相棒は、果たしてべっぴんばあさんになれたのかなと思った。相当に難しいテーマだろうなとも思った。いい湯に入れて頂き満足しながら来た道を戻り、道の駅:久慈に着いたのは17時少し前だった。この道の駅にお世話になるのは2度目である。構内の売店には魅力的なものが数多く並べられている。中でもやはり琥珀が一番なのだと思う。だけど、超高価なので自分のようなジジイにはもはや無用のものとなってしまっている。換わりに少し濁っているけど琥珀色に近いイカの煮付けを買って、夕食の采とすることにした。泊りは、今回は上の方にある広くて平らな第2駐車場の方にさせて貰った。急も早めの夕食を済ませ、長い夜を迎える。さて、明日はどうするか。

コメント
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