山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート <第13回>

2016-05-28 02:25:58 | くるま旅くらしの話

【今日(5/28)の予定】 

  道の駅:鳥海 →(R7・鳥海スカイライン他)→ 中島台レクリエーションセンター → 中島台レクリエーションの森探訪(あがりこ大王に見参) →(K他)→ 道の駅:象潟(泊)

 

【昨日(5/27)のレポート】  天気:雨後曇り一時晴れ

<行程>

道の駅:さんない →(R107他)→ 横手城跡探訪 →(R107他)→ 道の駅:東由利 →(R107・R7)→ 道の駅:にしめ →(R7)→ 道の駅:象潟 →(R7)→ 道の駅:鳥海(泊)

<レポート>

 夕方から降り始めた雨は、夜の間止むことなく降り続いて、時に強くなり弱くなったりして天井を叩き続けていた。これだけ降れば今日はその勢いは弱くなり、明日のあがりこ大王に逢う時には良い天気になるに違いないと思った。予想通り、朝になって雨勢は弱くなり、出発する8時半ごろには止んで、雲が割れ始めた。今日は移動日である。風さえなければSUN号にはそれほど走行には支障はない。

 今日のゴールは、今はにかほ市となった旧象潟町にある道の駅に行って泊るだけの行程である。急げば昼前には到着してしまう距離だ。幸い雨も止んで降り出す心配もないようなので、ちょっと横手城跡に寄って見ることにした。昨日相棒がここの道の駅で、桜の花からの蜂蜜を手に入れたと興奮していたのだが、その蜂蜜は横手城跡の桜から取ったものだとのこと。そう言えば、横手市はいつも素通り通過してしまっていて、城があることも、どのような方が城主で治めていたのかも知らないままなのである。それを知るいい機会だなと思った。

横手城跡は街の北側に位置する山の手にあり、今はそこは公園となっていた。近年になってから造られたのであろう、コンクリート製の城郭が一棟建てられていて、そこが横手公園展望台となっていた。100円也を払って、展示物や解説資料等を見ながら4階まで上ると、そこからは横手市の殆どを俯瞰することが出来た。横手城は元々は地方豪族の小野寺氏が築城して治めていたものが、時代を経て江戸になってからは秋田の久保田城主の佐竹氏の支城となり、城代家老の戸村氏がここを治めていたとのこと。又この地に係わりの深い人物として、政治家の石橋湛山はこの地の生まれ、作家の石川達三もここ出身、そして石坂洋次郎は若かりし頃この地で教員をしながら、かの「若い人」を書いて作家としての出発点に立ったとのこと。皆錚々たる人物であり、凄いなと思った。いい勉強になった。

   

横手城跡に建てられている城を模(かたど)った展望台。内部は4階建てとなっており、各フロアには展示品などが並べられている。

   

4階展望室からの横手市街地の眺望。中央の川は横手川。大きな眺めだった。

 その後は移動開始。R107に入って、ひたすら日本海側にある旧本庄市を目指す。今は合併して由利本庄市となっており、管内には道の駅が5カ所もあるという広さには驚きである。途中の道の駅:東由利に寄り、一息入れる。ここには春の旅で何度かお世話になっているのだが、いつも夕方に来て温泉に入り、朝には出掛けてしまうので、駅舎の中を殆ど見ていない。今日は久しぶりに昼中の時間帯だったので、中に入って見たら、まるで20年前の田舎のスーパーの感じで、この地の人は恵まれていないなと思った。品物の品質も価格もとても納得できそうもないものが殆どだった。我々は買わないだけだからいいものの、地元の人たちはそうもゆくまいから、特に老人の方たちには気の毒だなと思った。

 その後は車に戻り、再び本庄方面へ。間もなく市街地を通りR7に出る手前で適正価格の給油所があったので、燃料を補給する。角館や横手は油価が高く経由1Lが100円を超えている。鹿角は山の中でも80円台だった。どうしてエリアによってこれほど大きな価格差が出るのか理解しがたい。カルテルでも結んでいるのだろうか。全国を回っていると、それを感じることが多いのだが、その地方の人は疑問も持たないのだろうかと不思議である。給油のあとは日本海側の道を少し走って道の駅:にしめ(=西目)にて小休止し、隣接する食品スーパーで少なくなって来ている飲料水を買い入れる。

 出発して30分ほど走れば今日のゴールの象潟の道の駅である。象潟に近づくにつれて、以前来た時よりも道路がきれいになっているのに気がつき、何だか変な気持になった。すぐ傍をいつの間にか高速道らしきものが走っており、少し行くとICらしきものがあり、案内板に日本海東北道路とあった。この辺りを通るのはいつの間にか5年以上も過ぎているようで、その間に道路の整備が進んでいるのだった。象潟の道の駅が近づくにつれて道路も昔のレベルになり、何だかホッとした。12時半ごろ到着。象潟の道の駅もすっかり変わっていた。以前は駅舎本体の脇に、魚屋や八百屋などがあり、長靴をはいた地元の人が元気よく声を上げていたのだが、今はその場所はきれいに整備され、新品の横丁となっていた。店を覗くと、きれいに調理された魚を販売する店を初め八百屋さんもその中に収まって、何だか以前の荒けづりの魅力がどこかへ吹っ飛んでしまっているような気がした。都会風となって喜ぶ人も多いのだろうけど、自分たちには逆の反応しかない。少しがっかりした。道路の反対側にある料理店に入り、昼食に海鮮丼を食す。

 今からここに留まって夜を迎えるにはあまりにも時間があり過ぎるので、もう一つ先の道の駅:鳥海に行って泊ることに変更する。道の駅:鳥海には山菜やここよりも野性的な焼き魚などを販売する店があり、今日はそれを味わってみたいと思った。途中に有耶無耶の関跡があるはずなのだが、案内板が見つからず通り過して、秋田県から山形県に入り、遊佐町の道の駅:鳥海に到着。この道の駅は「森のエリア」という愛称があり、駐車場の上の方の森の中に散策路などがつくられており、歩きの愛好者にはありがたい場所である。以前泊った時に歩いてことがあるのだけど、自分以外には誰もいなかったし、に中ここを訪れる人は、そのような散策路があることなど全く無関心のようである。折角の優れた施設を無駄にしているように思え、PRのための何かが不足している感じがしている。

 駅舎の売店の中に入ると焼き魚のいい匂いがしてきた。ここの店は以前と同じように活気があり健在だったので安堵した。脇の野菜売り場を覗いたら、もう殆どが売り切れ状態で、僅かに根曲がり竹のタケノコが残っていたのでそれを一袋買い入れた。鹿角の店では大型の同じタケノコが一袋900円もして売られていたのでとても買う気にはなれなかったが、ここではそれよりも小型で了も少ないけど、20本ほど入ったものが200円なのである。山菜はやはりここの店だなと思った。鳥海山麓の上方はまだ雪が残り、タケノコも採取出来るのであろう。熊は大丈夫なのかなと、採る人たちのことを思った。相棒がやって来て、焼き魚の中の銀カレイというのを買い入れる。銀カレイとはどんなカレイなのか良く解らないのだが、皮の色が黒くはなく、しっかり脂がのっていて美味いのである。今夜の酒の肴には最高である。

 車に戻り、駐車の場所を海側の方にある吹浦駐車場に移動する。駅舎のある場所は車の出入りが多くて夜になるまで落ち着かないので、泊る時はいつも海側にあるこの駐車場を利用させて貰っている。トイレもあり、水を汲むこともOKだ。未だ14時を過ぎたばかりで日は高い。しばらくの間パソコンに向かい作業に取り組む。一段落したのは16時頃か。もうそろそろいいだろうと、超早い夕餉に取り掛かる。先ずは先ほど買ったタケノコを焼いて食べることにした。皮つきのまま焼き網に乗せて炙って、10分ほどしたら出来上がり。皮をむいてアツアツの中身にちょっぴりマヨネーズをつけてアグアグと食べるのである。当然ビールは不可欠となる。相棒も一緒になってしばらく今年の遅い春の味を味わう。自分の方は、ついでに銀カレイの方にも手が行き、うめ~とヤギの鳴き声となる。18時前にはすっかりいい気分となり、こんな時は何よりも寝床の眠りがご馳走の続きとなる。そのまま、相棒のことも忘れて、恐らく大いびきだったのではないか。

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