山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

'11北海道くるま旅( 第71日)

2011-08-22 05:17:08 | その他
《今日の予定》
皆楽公園キャンプ場→(岩見沢経由)厚別区Tさん宅→道の駅:マオイの丘公園(泊)


《昨日のレポート》
おんねゆ温泉の道の駅は、かなりの旅車でいっぱいだったけど、夜間は静かで、皆さんのマナーのレベルの高さに安堵した。9時を過ぎると、殆どの旅車が発って行った。我々はまだコース未定である。
道の駅には東洋一といわれるカラクリ時計の塔があって、毎正時になると、妖精たちが壁の中から出て来て、メルヘンチックなメロディーを奏でるのである。もう何度も見慣れた風景だけど、やっぱり見とれてしまう。10時の演奏を聞き終えて、旭川方面に向かって出発する。当初は丸瀬布経由で行こうと考えていたが、このままR39を行くことにした。石北峠越えは久しぶりだ。以前この道を反対方向から来た時に、相棒が坂を下る途中で熊を見たという話がある。あわよくば今日も見られるかと、相棒は初めからカメラを構えていた。しかし、熊を見ることは出来ず、「熊横断注意」という警告板の写真を撮り損ねたことを残念がっていた。1000mを超える峠越えはキツかったけど、層雲峡に向けての下り坂は楽だった。いつも通過している層雲峡だが、今回は銀河の滝、流星の滝を見物して行くことにした。
スケールの大きな柱状節理の絶壁から細く流れ落ちる二つの滝は、それぞれに趣があって、眺めていて飽きない。写真に撮るには景色が大き過ぎて、カメラは無力である。ここの反対側にある大雪山旭岳近くの天人峽の羽衣の滝もそうだった。じっくり眺めるしかない。
滝を眺めていると、キャンピングカーに関心のあるらしい若いカップルが寄って来て、車について話し掛けて来た。あれこれと聞きたいらしい。こんな時は丁寧に説明することにしているが、それでは不十分なので、手っ取り早く中を見て貰うことにしている。丁度一冊ガイド書の余りがあったので、プレゼントすることにした。ン十年か後にこの人たちがくるま旅を楽しんでくれるようになればいいなと思った。
滝の見物に時間がかかり、ここで軽く昼食をとることにした。しばらく休憩した後、近くにある層雲閣グランドホテルに立ち寄り湯に。1時間ほど温泉を楽しんだあとは、旭川市街に向かって出発する。今日は出来れば岩見沢に隣接する北村のキャンプ場まで行き、明日の札幌厚別区在住の相棒の知人Tさん訪問に備えたいと思った。これらの予定は走りながら決まったことである。
旭川市街に入り、いつものラーメン村のあるショッピングモールで買い物をする。ラーメンは食べない。買い物を終えた後は、一路R12を岩見沢方面へ走る。
旭川市は札幌市に次ぐ北海道第2の都市であり、今日は日曜日とあってか、道路はかなり混んでいた。少しストレスが掛かった。今までの道があまりにも快適過ぎた反動なのかも知れない。市街地を抜け、深川市、滝川市を通過して、日本一長い直線道路を走っていると、隣席の相棒が欠伸を乱発し出した。その内にギブアップとなる。17時を過ぎているけど北村まではまだかなりある。とにかく最寄りの道の駅に泊まることにして、奈井江の道の駅に走り込む。相棒には直ぐに寝床に横になって貰う。まだ日没迄には時間があり、外は暑さがそのままだった。疲れの原因の一つが昼食のカロリー摂取不足にあるので、ご飯を炊こうと思ったのだが、この道の駅には手洗い以外は水は皆無である。無理すれば炊けるのだが、もう少し相棒の様子を見ることにした。ここは泊まるにはあまり適していないようだ。幹線道路に面し、車の往来も多い。思案をしていると、相棒が起き出してきて、少し気分が回復したから別の場所に行こうという。ま、しかし北村までは無理な様子だった。
とにかく再出発して美唄市の方へ向かう。その途中で先日寄った浦臼町の道の駅:つるぬまに水があったのを思い起こし、急遽そこへ行くことにした。奈井江から浦臼町は近い。石狩川の橋を渡ってR275に出て、さてこのT字路を右に行くかそれとも左かで迷った。地図を見れば判ることだけど、そんな余裕はない。えいヤァと左へ行くことにした。これが大正解の正反対だった。しかし戻るのは止め、少し我慢して貰って走り、月形町の皆楽公園キャンプ場まで行くことにした。18時半近い到着となった。やれやれである。
相棒には直ぐに寝て貰って、早速夕食の準備に取り掛かる。と言っても、ご飯を炊くだけで、あとは野菜を洗う程度の作業しかない。テレビを設定して夜の大河ドラマに備える。これは相棒のためであり、自分はあまりドラマには関心は無い。相棒が起きられるかどうかが問題である。
結果的にこれは大丈夫だった。食欲は今一だったようだが、テレビの方はしっかりと観終えたようだった。だったというのは、自分はその時は爆睡の中に居たからである。
今日は反省大である。静かな山の中から出発して、滝の見物などの観光の後、日中に温泉に入り、そのあとは大都会の喧騒の中で買い物をし、休む間もなく走り続けたのは、相棒には酷だったに違い無い。200kmを超えるような走行は、一般道では要注意だなと思った。明日からは汚名挽回とゆかなければならない。
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'11北海道くるま旅( 第70日)

2011-08-21 05:53:53 | その他
《今日の予定》
道の駅:温根湯温泉→(旭川)→?


《昨日のレポート》
旅も今日で70日目を迎え、いよいよ終盤に入った。今日から帰途への移動開始である。別海には20日と2週間の計34日の滞在となった。この間地元のMさんには絶大なるお世話になり感謝でいっぱいである。又旅の多くの知人との再会を果たし、旧交を深めることができたのも嬉しいことだった。更には町の歴史を学ぶことから、より一層この地や釧根地方の来し方への興味・関心が深まり、親近感を覚えたのだった。来年はより多くを学びたいと思った。様々な思いを巡らしながら、10時半過ぎキャンプ場に別れを告げる。
先ずは町中のコインランドリーに行き、溜まっていた洗濯物をきれいにして、それからが本当の出発となる。洗濯中も何処へ向かうか迷いの中にあった。とにかく旭川に向かうのだが、釧路市経由かそれとも北見市経由が良いのかの判断である。結局距離が短い方を選び北見市の方に向かうことにして出発。
先ずは弟子屈町の道の駅:摩周温泉を目指す。1時間ほどで到着。久しぶりに立ち寄った道の駅は、リニューアルが済んで、見違えるような魅力的な姿に変わっていた。摩周の知名度に恥じないなと思った。
摩周温泉の道の駅を出た後は、美幌峠を目指す。この頃は何時も川湯温泉の方ばかり通っているので、こちらは久しぶりのコースである。屈斜路湖脇の道を通っても湖は見えないけど、峠に上るに連れて、湖を俯瞰する大きな景観が眼下に広がって見えた。曇り空なのでどうかなと思っていたが、峠には霧もなく久しぶりに雄大な眺めを楽しむことができた。峠にある道の駅に車を留め、展望所まで歩き写真などを撮る。景色も良いけど、足元の野草たちにも魅力を感じた。
長い坂を下り、美幌の町を通り抜けて、北見市に向かう。今日は旧留辺蘂町の道の駅:温根湯温泉に泊まることに決める。そこへ行く前に北見市内で食材を補給し、給油をする。給油が始まると財布と旅の疲れが増す。これが旅の現実であり、このコストを上回る出会いや感動を得るのはなかなか難しい。でもそれを得た時は、生きていることを実感できるのだ。それが旅の本質なのだと思っている。
北見市街を通り抜けて30分足らずで道の駅に到着。かなりの旅車が先着していたのに驚いた。別海町のふれあいキャンプ場の最盛期よりもはるかに多い台数である。これが日本という国のくるま旅のインフラの現状なのだと改めて思った。我が身もその中にあり、まさにその現実を味わっているのだけど、車社会を容認し、先頭に立って世界中に車を供給している国ならば、もう少しくるま旅の文化の醸成につながるようなインフラを整備して欲しいものだと思う。ま、そうは言っても今は未曽有の国難の最中にあり、それどころではないのは承知している。
久しぶりの長距離運転に疲れて、早めの夕食を済ませ、早速の就寝となった。
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'11北海道くるま旅( 第69日)

2011-08-20 05:46:45 | その他
《今日の予定》
別海町ふれあいキャンプ場→(弟子屈町経由)→鶴居キャンプ場(泊)
※変更するかも?

《昨日のレポート》
今日は明日からの移動開始のための準備の一日で終わる。従って特に書くこともなし。
何しろ3週間もの滞在となり、設営したテントの中にはいつの間にか雑多な備品や消耗品が増えてしまっている。昨日までは雨ばかりの天気が続いており、今日も朝から降り出しそうな空が構えている。テントを撤収しなければならないので、それが良く乾く迄鍋・釜などの調理用具やテーブル、食器類などの洗浄などを行う。この大半は相棒の仕事。自分が洗うレベルでは、相棒の満足を得るのは困難なため、この仕事は相棒自らが進んで取りかかっていた。
10時半過ぎ、隣りにいた大阪からのHさんが次の目的地に向けて出発されて行き、場内には車は2~3台しか残っていない。一挙に寂しくなった。見送った頃から空が明るくなりだし、テントを畳むのも大丈夫の状態となった。正午過ぎまで掛かってようやく片付けが終わる。やれやれである。
天気は次第に回復し始めたが、テレビを観ていると、全国各地ではかなり雨降りの所がある様で、甲子園の高校野球も一時中断していた。又東北地方では緊急警報の地震があり、津波警報が出たりして、穏やかならぬ気分となった。別海町のこの地は、ここ数日は夏を無くして、完全と言ってよいほどに秋となっている。しかし、明日からは酷暑に見舞われるかも知れず、寒暖の落差には要注意である。
15時過ぎから何もすることがなくなり、残るのは午睡のみ。相棒が温泉に行っている間、惰眠を貪る。目覚めたのは17時頃か。一時寂しくなったキャンプ場が、急に賑やかになっていた。何故かしら自転車の一団がやって来て、やれやれと思ったら、更に引き続いて2~3グループの自転車がやって来た。管理人さんの話では、急に3グループほどの予約が飛び込んだとのこと。学生のグループで、女子も混ざっていた。小さなテントの花が一気に20個以上も咲いて、キャンプ場は活力を取り戻した様だった。若者たちのこのような活動には大いなるエールを送りたい。
今年最後のここでの夜は、少しうるさくなるのかなと思ったけど、若者たちは意外と静かだった。日中の疲れが爆睡に直結したのかも知れない。久しぶりに名探偵コナンを観て、最後の夜の眠りに就く。
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'11北海道くるま旅( 第68日)

2011-08-19 05:00:54 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
夜半から雨が降り出して、朝から雨音が天井音楽を奏でていた。涼しいのはありがたいけど、雨降りの憂鬱は短時間で充分である。にも拘わらず、日中はダラダラと降ったり止んだりの一日だった。
何もする事がない。(厳密にはそんなことはあり得ないけど)従って書くこともない。
しかし、この書き方は最早やバレてしまっている。さて、何を書こうかということになる。
そうそう、実は滞在の予約は今日で切れるのだった。あと2日延長することにした。どうも動きたくないのである。でも、26日迄には室蘭に行く予定をしている。勝手にそう決めているのだけど、それを止めるわけにはゆかない。やっぱり、会いたい人には会いたいのである。だけどここを出るまでにあと2日となると、心は揺れるのだ。これは人間である以上しかたがない。残りの時間を数えるのはあまり好きではないけど、その様な時もある。
今日も歩いて町中に買い物に往復する。戻ってからは一杯やって17時近く迄午睡。どうしてこんなに眠れるのだろうと思うほど良く眠れるのが不思議である。
目覚めた後は、おさんどんに励む。トウキビを茹で、ご飯の釜を洗い、その他あれこれと家事の仕事は多い。この間相棒は隣のTさんの車の中で、存分に吾を忘れて談笑に興じていた樣だった。談笑のトーンからは、半分位はその亭主の呆れ返るような失敗談などを披瀝していたに違いない。ま、慣れていることではあるけど。
夜と一緒に再び雨がしょぼつき出した。何とも鬱陶しい一日だった。ま、こんな日もあるわいな。
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'11北海道くるま旅( 第67日)

2011-08-18 05:47:35 | その他
《今日の予定》
終日別海町キャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
随分と降った雨も降り飽きたのか、明け方には鎮まり、朝には雲が割れて青空が覗く天気となった。途端に暑さが大急ぎで駈け戻って来て、やっぱり夏だってのだというのを思い知らされた一日となった。この様な繰り返しの中で、本物の秋が確実に近づいている。それはキャンプ場内にあるたくさんの樹木の中の一本のイタヤカエデの葉がが赤く染まり出したことや道端の山萩の花が満開となっていることで確認できるのだった。
二度目の別海町ふれあいキャンプ場来訪から早くも20日が過ぎようとしており、先の滞在と合わせると34日となり、知らない人には良くもまァその様な所が気に入っているのかと、不思議がられるかも知れない。別海町のこのキャンプ場が一日千円の電源付き料金だからというだけではなく、何よりもこの地は他と比べて涼しいということ、愛しき野草たちがたくさんあること、温かい人情に触れる幸せに恵まれていること、その外にも幾つかの魅力を感じており、それらを味わっていれば、時間が経つのを忘れるのは当たり前のことなのだ。
別海町には人が生きるために必要な豊かさがある。それは経済的な面だけではなく、大自然の中での時間の流れの穏やかさであり、広大な緑の空間の広がりが持つストレス解放の力の大きさによるものかも知れない。
しかし、この緑の大地も一朝一夕に出来上がったものではなく、まさに血を吐くような、先祖の皆さんの不屈の開拓への取り組み努力の上に出来上がったものなのだ。今年は図書館通いの中で釧根原野開拓の歴史に触れて、その厳しさを思ったのだった。というのも自分の両親も戦後の開拓地に入植してその苦労を味わっており、そこで育った自分には、北海道のこの地でので開拓の暮らしが、どれほど過酷なものであるかを想像できるからである。様々なことに思いを巡らしていれば、時が過ぎるのはあっという間だ。
前にも書いたけど、別海町の図書館の構内に加賀家文書(もんじょ)館というのがある。これは江戸時代後半にアイヌの人たちとの交易で、代々通辞(=通訳)を勤めた秋田県出身の加賀家の人が、往時の交易での出来事を書き留め残したもので、北海道図書館に埋もれ残っていたものを、別海町が掘り起こし光を当てたものである。復刻版や現代語訳の書籍・資料なども作られており、この町の歴史に向ける文化力の並々ならぬものを感じたのだった。どこの町でも町史といったものが作られているが、別海町の百年史は二千頁になんなんとする大冊で、町の歴史のみでなく、先史時代からを微細に亘って調べて書かれていた。明治以降の百年史も詳細に記されており、この町を知る上で大いに参考になった。来年も引き続き学びたいと思っている。
町の中に「TPP参加反対」のアピール文字が掲げられていたが、この様な愚策によって、先祖が心血を注いでつくりあげたこの大地を茫々たる原野に戻してはならないと思う。自分もTPP加盟には断固反対である。一つの産業を潰すことによって他の産業を生かすなどという方策は、国政においては許される発想ではない。企業経営というような経済的効率を求める世界では一局集中の施策は生き残る為には必要だが、国政(国の経営)と企業経営とはその根本において異なっている。国政は国民万人のものでなければならない。国が生き残っても、国民に多くの犠牲者が出るような施策は政治ではない。TPPは愚策である。
何もそんなに興奮しなくても良いと思うのだが、11万頭を超える牛君たちが草を喰むこの北の大地が、横着な政治の愚策によって困惑の中に投げ込まれるのを思うと興奮は次々と怒りとなって湧き出るのである。このTPPの問題は別海町だけのものではなく、北海道酪農界全体の問題であり、日本国農産業界全体の問題なのだ。国政の在り樣を注意深くウォッチする必要がある。
今日は久しぶりに中標津町へ買い物に出かけて車で往復する。ここでの滞在予定もあと2~3日となった。心はまだ別海町にある。そんなことを思いながら、今日は別海町について感じていることの一端を述べてみた。
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'11北海道くるま旅( 第66日)

2011-08-17 04:05:55 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
今日は終日の雨降りだった。外気は20度に至らず、車内の気温も24度に止まった。昨日の暑さとは無縁の涼しさである。雨降りでは何もすることが無く、従って大して記することも無い。

チョッコし書くとすれば、次のことくらいか。
雨の中を傘をさし、リュックを背負って町中迄買い物に往復した。歩きながら周りを見ても、この様なことをしている人物は皆無である。最低でも自転車を使うのが普通であり、雨の中を傘など邪魔くさいものを手に持って、長距離を歩くような風狂な者など今時いる訳がない。車社会なのである。100m先のタバコ屋さんにだって車で行く人もいる時代なのだ。それ故ほんの少しは優越感を感じたりするけど、この様なバカなことをしている己(おのれ)をちょっぴり哀れにも思ったりする。約6kmの鍛錬時間だった。
その後は車の中で甲子園の高校野球のTV観戦をし続ける。それで1日が終わる。
明日も同じ様な雨降りの天気だという。さて、どんな暮らしぶりとなるやら。
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'11北海道くるま旅( 第65日)

2011-08-16 04:06:54 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
本日は然したる特記事項も無し。

昨夜(14日)はかなりの雨降りなれど夜明け前3時頃には止む。然るに今夜は日中の曖昧な天気が深夜に定まり、朝まで本降りの雨が降り続いたり。天の気は不穏にして不可解なり。

日中我が家(=旅車)の水道が止まる。MさんにSOSを発し、無理を押して来訪を乞い、手を尽くして診て頂くも動かず。モーターの寿命が尽きたるものにやあらんと判断。やむなし。買い入れし時よりこの9年、一度も手当てすること無し。一時異常音を発するもそのまま放置して今日に至る。
機械物には手を触れずは、我が愚かなる信条にして改まることなし。その故を問われれば、機械・装置に対する正しい知識、経験、技能なく、あるのは失敗経験のみにして、例えば分解したるものの原状に復したることなし。相棒の蔑視微笑にこれ以上耐えるには、事に当たらずが一番なり。
これにより、帰宅後の委託修理完了迄は、ポリタンクによる水洗いとなる。これが旅の原点かと思えば諦めるに如かず。負け惜しみなることは重々承知のことなり。

斯くて今日は終わりぬ。旅車の老化(劣化)に我が身を重ね合わせて明日を想うは、嗤(わら)い半分の哀しき現実なり。喝!!
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'11北海道くるま旅( 第64日)

2011-08-15 04:55:00 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
12日から14日の3日間は、このキャンプ場の特異日と言っても良いのかも知れない。大勢のキヤンパーが入れ替わり立ち替わりやって来て、かなり広いキャンプ場には、テントの花が満開となる。例年この時期は我々は邪魔にならない様にと、此処を出てお盆が終わってから又戻ることにしていたのだが、今年はそれを止め居座り続けることにした。動くのが面倒になったというのがその理由であり、その真因は老化が進んだことにあるのかも知れない。
ということで、今年はこのキャンプ場の特異日の様子を目にすることができた。1万㎡以上はあるキャンプ場の殆どが満杯となる(とは言っても、身動きがとれないほど混み合っているわけではなく、あくまでも北海道サイズの話である)盛況である。いわゆるキャンピングカーと呼ばれる車が10台ほど、ワンボックスをはじめ乗用車は40台を超え、更にバイクや自転車の台数もかなりのものだ。何時ものキャンプ場の景色とは明らかに違っている。それでも都会の様な喧騒感はない。夜も花火を上げて大騒ぎするように人は皆無である。我々のような焚き火を囲んで談笑するグループも少なく、お互いが迷惑を掛けないようにという気配りが十二分にあるのが分かる。嬉しくもありがたいキャンプ場だと思った。
さて、今日は隣りのYさんご夫妻も札幌からのFさんも此処を出られるということで、チェックアウトの11時まで名残を惜しんでの話が弾んだ。旅の中での別れと再会は、知り合い同士の関係を確認できる不思議な時間の様に思っているが、Yさんご夫妻もFさんもその関係は一層深まったように思う。お互いに再会を約し、旅の安全を祈っての別れだった。
その後はもう一気に別れの反動みたいなのがやって来て、気分を切り替えるのが大へんだった。気持ちの切り替えに有効なものといえば、アルコール飲料に決まっている。というわけで、ハイボールで一杯やって間もなく午睡に突入する。何と昼飯も忘れて16時迄もの長い惰眠だった。これで元のグータラに完全復帰した様だ。Fさんのトドメも効かなかったようで申しわけなし。
夜になって雨が降り出し、テレビを観ている相棒が注意報や警報が出たなどと騒いでいたが、此処は出水の心配も崖崩れの不安もなく、恐れといえば熊君が迷い出るくらいのことなので、無視して又また寝床の中で惰眠を貪り続けたのだった。
今回旅も2ヶ月を超え、そろそろ残りの時間を考えなければならない時期が近づいている。その様なことを思いながら眠りと現(うつつ)の間を行ったり来たりして、今日も終わりとなる。
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'11北海道くるま旅( 第63日)

2011-08-14 05:44:31 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
この3日間珍しくも霧のない朝が続いた。そよ風が吹いて、もはや秋になったような爽やかな朝だった。日中も晴天が続き暑くなったのだが、木陰に入ると素肌には寒さを覚えるほどの、昨日とは違った、北海道の晩夏を思わせる気候となった。全国のニュースや天気予報では相変わらず猛烈な暑さに対する注意・警告の内容が続いているけど、別海町の空気の中には疑いもなく秋の気配が漂っている。
今日は忙しいような、そうでもなかったような、何かしら特別な日だったように思う。午前中はFさんやYさんとの懇談や片付けものなどをしている内に、あっという間に過ぎ、午後からは夕食迄はちんたらと過ごす。この間にFさんを訪ねて、中標津在住のMさんがやって来られた。聞けば昨日の夜以降700km以上を走って、此処までやって来たとのこと。若いとは言え、そのパワーに再び驚く。そのMさんに夕刻、Fさんと一緒に中標津町の祭りにご案内頂く。
今日はお盆の入りで、各地で盆踊りなどのイベントが開かれているのだと思うが、中標津町でもたくさんの提灯を吊り下げた下で祭りのイベントが開催されており、それを見物させて下さるとの配慮だった。
夜祭りの見物は久しぶりのことだった。祭り大好き人間の相棒には、嬉しい出来事だったに違いない。会場の広場には高さ30m余りの巨大な足場の塔が組み上げられ、その頂上部から四方八方に、明かりを灯した提灯の長いロープの筋が何本も吊り下がっていた。その数は数千個、否もっと多かったのではないか。その灯りの周りには様々な夜店が立ち並び、塔の前には舞台が設えられ、さらにその舞台の前の芝生の広場では、様々な集団の踊りなどが演じられていた。もう大へんな人出で、浴衣姿など夏祭りらしい雰囲気を盛り上げる人たちで溢れていた。予想を遥かに超える規模の大きな夏祭りだった。会場に着いた時には、子供たちのバトントワラーによる演技が芝生の舞台で繰り広げられていた。日頃の練習の成果が見事に発揮された、観ていて気持ちよい演技だった。町の近郊各地から日頃練習を重ねた様々の歌舞演技のグループが自信の成果を披露する場なのだった。若者・子供から大人まで、それぞれの世代を超えた楽しみは、会場全体に漲って膨らみ、町の活力の大きさを思わ
せた。盆踊りのような古来のスタイルではない、新しい形の祭りのあり方がそこにあった様に感じた。
Mさんの話によれば、この道東エリアの中では中標津町だけが人口が増えているとのこと。郊外には巨大なショッピングモールが幾つものつくられて、その集客力は、近隣の町は勿論、遠く網走市や根室市辺りまで影響を及ぼしているとのことだった。祭りの会場を出た後、車で中標津町の中心街や郊外のショッピングモールなどをご案内頂いたのだが、そのことが実感できる町の印象だった。中でも新しくできた東武という店舗は、驚くほどの広さだった。我々も2度ばかり買い物に来ているけど、未だその全体像が掴めず、隅々まで見て回るにはあまりにも広すぎるのを実感している。中標津町の人口は約2万4千人というから、それだけでは経営が成り立つとは思えず、恐らくその何倍もの近隣からの人たちがこの店にやって来るに違いない。車社会の中でこの町は近隣に一歩先んじて商圏を確立し始めた様に思った。祭りといい、街中の案内といい、この地方の在り様を理解する上で大へん参考になり勉強になった。隣り町の別海町とは明らかに違った、新しい町の発展のあり方をそこに垣
間見た感じがした。次の大合併政策が何時展開されるのか知らないけれど、その時には中標津町がその核となった新しい巨大面積の市が誕生するに違いない。
昼間の疲れなど微塵も感じさせないMさんに送って頂いてキャンプに戻ったのは21時近くだった。空には今夜も満月が輝き、月齢の知らない自分には、この地では満月が3~4夜続くような気がした。その後は、明日このキャンプ場を離れるというYさんご夫妻、Fさんと、3夜連続となる薪ストーブを囲みながら、名残の語らいを続けたのだった。やがてキャンプ場には夜霧が忍び寄り、変化の大きかった今日一日の興奮を静かに包んでいった。
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'11北海道くるま旅( 第62日)

2011-08-13 05:57:34 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
「朋(とも)あり、遠方より来る、また楽しさからずや」(論語)
札幌市在住のFさんが、明日の予定を繰り上げ、今日この別海迄訪ねて来られることを知ったのは、午前中の買い物の途中に受けたMさんからの電話でだった。ところが、ご本人からは一向に連絡がなく、恐らく車の運転中で連絡する余裕が無いのだろうと、こちらからは急かせる様なことはしないで待つことにした。
やがて午後となり、午睡に現を抜かしている間も、惰眠にトドメを刺すような連絡はなかったのだった。意外と紳士なのであった。ようやくメールが届いたのは、16時半を少し過ぎた頃だった。何と道に迷って今糠平だという。これから足寄から阿寒を経由して弟子屈に出て別海に向かうとのこと。まだかなりの距離が残っている。とりあえず管理人さんに遅くなる旨の話をしておくことにした。
札幌から別海迄はどれほどの距離なのか定かではないが、400kmを超えるのは確実だ。コースによってはもっとあるかも知れない。道路が良く、空いているとは言え、幾つかの峠を越えなければならず、これが江戸時代の東海道レベルであったとしても、100里以上はあることになり大へんな旅となる。などと見当違いの妄想を巡らしながらも、到着までの安全を願った。
今日も日中は酷暑が襲い、太陽が雲に隠れている間は良いのだが、それが外れると灼熱の光線が照射されて、嫌というほど夏を思い知らされる天気だった。お盆を迎える時期であり、キャンプ場はかなりの混み具合だった。50台に近い車と30台ほどのバイクの人たちで賑わっていた。顔見知りの方も何人かおられて、再会を喜びあった。昨日薪ストーブでお世話になったYさんは、実は何年か前今日来られるFさんとの接点があり、Fさんの名刺をお持ちなのである。そんなこともあって、今日はストーブを囲んでの談話のための薪作りを、暑さをものともせずにされて下さっていた。有り難くも嬉しいことである。
やがて日が落ちて暗くなり出すと、暑さは一気に消え去り、極上の夜が近づいてくる時間となった。満月が空に輝き、最高の焚き火の環境が用意されたのだった。
ちょうどその頃、Fさんから電話があり、なんと直ぐ近くまで来ているという。21時くらいになるのではと、諦めて待つつもりだったのが、何とも嬉しい誤算だった。19時過ぎFさん到着。ご苦労さまでした。
一休みさせる時も与えずに、まあそれから少しの間は、Fさんにとってはあれよあれよとのままならぬ時間だったに違いない。ようやく一息ついたのは、Yさんの薪ストーブを囲んでからだったと思う。いやァお疲れさまでした。
それからの時間は数多い旅の中でも極上のものだった。薪ストーブを囲んで8人が交わす歓談は、G8を凌ぐほどのものだった。因みにメンバーの在住する県や都市の名を挙げれば、Fさんは札幌市、Yさんご夫妻は姫路市、Aさんご夫妻は東京練馬区、今日新しく加わったKさんは川崎市、そして自分たちは茨城県守谷市である。東日本が多いのは偶然に過ぎない。
入り乱れる会話の中に、何時しか皆の心は和み、百年の知己のような間となった。旅の醍醐味が皆をそうさせるのである。皆さんはくるま旅やアウトドアの超ベテランであり、話題も超豊かである。この楽しさは、会社勤めの仕事後の飲み屋での談話とは異質であり、町内会の懇親会などとも違っている。もっとレベルの高い楽しさなのである。
昨日に引き続きの至福の時間だった。金色に輝く満月と星の煌めく空の下で、楽しい語らいもいつの間にか忍び寄った寒さのために、やがてお開きとなった。Yさんの薪ストーブに感謝。Yさんに感謝。そしてメンバーの皆さんに感謝。
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