山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

'11北海道くるま旅( 第51日)

2011-08-03 05:25:21 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
別海町の朝は、今日も霧の世界から始まった。どうやら道東エリアの多くは、気象が太平洋やオホーツクの海と深く関わっているようだ。特に別海町は平地が殆どなので、海の影響を多く受けているのだと思う。勿論気温も下がって毎朝20℃以下なのが、これがこの地の普通の夏なのだと思う。今日も普通の一日が始まった。
今日は町の図書館に出向き、別海町についての勉強を始めたいと思っている。半月以上も滞在するのだから、もう少し町の歴史などを知りたいと思ったのである。先日Mさんから加賀家文書というのがあると聞いており、それがどんなものなのかも知りたい。もう何年も来続けている別海町だけど、一度だけ役場を訪ねて町の要覧を頂いて、上っ面の知識しか持っていない。もう少し増やしたいと思ったのだった。
10時過ぎ図書館のドアを開ける。別海町では、同じ敷地内に図書館と郷土資料館と加賀家文書の資料館が作られている。(正式な名称はまだ入館していないため確認できておらず失礼)今日は先ず図書館を訪ねることにした。自分は本大好き人間で、高校生の頃は学校内図書館の国内外の文学書は殆ど読み尽くすほどだった。社会人となってからは図書館に行く機会が少なくなり、本は読みたいものを買うようになった。買った本は読み終えても捨てるに忍びず、守谷市の現居に落ち着くまでずっと処分せずに持ち続けたので、引っ越し時の荷造りと運搬は大へんだった。途中で実家に一部を預けたりしたが、最後の引っ越しの際の本を詰めたダンボール箱は50近くあったと思う。図書館に行く習慣を忘れなかったら、こんなことにはならなかったに違いない。
その様なことで、守谷市に住み着いてからも図書館には自分の著書を寄贈に行っただけだった。勉強しようと出向くのは学生時代以来初めてであり、少し緊張を覚えながらの訪問だった。図書の閲覧システムがどうなのか分からず戸惑うかと心配したが、書庫から自在に取り出してテーブルで読むというシンプルさなので安堵した。
前置きが長くなったけど、真っ先に向かった書棚は別海町の歴史情報の陳列されている場所だった。何よりも加賀家文書がどんなものなのかを知りたかった。直ぐにそれが見つかって、早速読んで見ると、加賀家というのは越前の百万石の関係ではなく、秋田県出身の江戸時代にアイヌの人たちとの通辞(=通訳)を勤めた加賀伝蔵という方が書き残した往時の蝦夷地の自然状況や交易の様子などの風俗を記録したもので、埋もれていたその記録を別海町が掘り起こし、文書として光を当てたものだった。俄然興味が膨らんだ。菅江真澄の遊覧記を5年かかって未だに読み終えないでいるのだが、又一つ難題か増えそうだなと思った。学者ではないので、読み終えないままあの世に逝くことになっても悔いは少ないと思う。原典ではなく解説付の印刷本だったが江戸時代の文書(もんじょ)の表現なので、難解な箇所がべらぼうに多い。特にアイヌ語に関わる地名などはお手上げ状態だった。もう一度書棚を見たら、現代語訳の5分冊化されたものがあったので、楽をしてアウト
ラインを知ろうと考え、それを借りることにした。貸し出しは一度に5冊まで、期間は2週間とのこと。ありがたいことである。手続きをして借りることができた。文書の方はあとで読むことにして、町の歴史を知ろうと「別海町百年史」というのを読むことにした。かなりの厚さの記録本であり、とても全部を丁寧に読むことはできないので、知りたい要点だけをメモすることにした。最初に自然概観から取り組むことにした。かなり丁寧に書かれており面白い。あっという間に正午となってしまった。
昼食をと、先日Mさんからお薦めのあったお店にオムレツなどを食べに行くことにした。直ぐ近くなので食べ終えたら再度図書館に戻るつもりだったのだが、いやあそのボリュームと味にに圧倒されて満腹になり、相棒共々学びよりは眠りの方が欲しくなってしまい、基地に戻ることを選んでしまった。俗にいう、腹の皮が突っ張れば目の皮がたるむという、あれである。
基地に戻り一眠りして目覚めかけた頃に電話があり、出てみると先日お邪魔させて戴いたMさんのお母さんからだった。今夜別海町に関わるテレビ番組があり、それを見ながら夕食をご一緒しませんかという、嬉しいご案内のお話だった。少し戸惑った。せっかくのお話を無にするのは申し訳ないし、その一方で再度訪問させて頂きお話をしたいとは思っていたものの、そのためにも、事前に別海町のことを勉強しておこうと思っていたのがまだ取りかかったばかりなのである。勿論、図々しくお邪魔させて頂くことにした。地元の方と、しかも息子さんご一家を介してそのご両親とおつき合いをさせて頂けるなんて、こんなに嬉しく有り難いことはない。出会いは旅の宝物だと思っているけど、今年はその大きな大きな宝物に巡り会えた気がする。わざわざ車で送迎頂き恐縮した。Mさんのご両親との歓談は、同世代の者同士として、格別の楽しさだった。料理もお酒も心に沁みるものだった。快男子Mさんの秘密も幾つか解明が進んだと思う。嬉しさや楽しさの中身は他人(ひと)に
吹聴するものではない。自分だけがその喜びを独り占めするものだと思っている。ありがとうございました。素晴らしい一日だった。
コメント
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