山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

'11北海道くるま旅( 第63日)

2011-08-14 05:44:31 | その他
《今日の予定》
終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在


《昨日のレポート》
この3日間珍しくも霧のない朝が続いた。そよ風が吹いて、もはや秋になったような爽やかな朝だった。日中も晴天が続き暑くなったのだが、木陰に入ると素肌には寒さを覚えるほどの、昨日とは違った、北海道の晩夏を思わせる気候となった。全国のニュースや天気予報では相変わらず猛烈な暑さに対する注意・警告の内容が続いているけど、別海町の空気の中には疑いもなく秋の気配が漂っている。
今日は忙しいような、そうでもなかったような、何かしら特別な日だったように思う。午前中はFさんやYさんとの懇談や片付けものなどをしている内に、あっという間に過ぎ、午後からは夕食迄はちんたらと過ごす。この間にFさんを訪ねて、中標津在住のMさんがやって来られた。聞けば昨日の夜以降700km以上を走って、此処までやって来たとのこと。若いとは言え、そのパワーに再び驚く。そのMさんに夕刻、Fさんと一緒に中標津町の祭りにご案内頂く。
今日はお盆の入りで、各地で盆踊りなどのイベントが開かれているのだと思うが、中標津町でもたくさんの提灯を吊り下げた下で祭りのイベントが開催されており、それを見物させて下さるとの配慮だった。
夜祭りの見物は久しぶりのことだった。祭り大好き人間の相棒には、嬉しい出来事だったに違いない。会場の広場には高さ30m余りの巨大な足場の塔が組み上げられ、その頂上部から四方八方に、明かりを灯した提灯の長いロープの筋が何本も吊り下がっていた。その数は数千個、否もっと多かったのではないか。その灯りの周りには様々な夜店が立ち並び、塔の前には舞台が設えられ、さらにその舞台の前の芝生の広場では、様々な集団の踊りなどが演じられていた。もう大へんな人出で、浴衣姿など夏祭りらしい雰囲気を盛り上げる人たちで溢れていた。予想を遥かに超える規模の大きな夏祭りだった。会場に着いた時には、子供たちのバトントワラーによる演技が芝生の舞台で繰り広げられていた。日頃の練習の成果が見事に発揮された、観ていて気持ちよい演技だった。町の近郊各地から日頃練習を重ねた様々の歌舞演技のグループが自信の成果を披露する場なのだった。若者・子供から大人まで、それぞれの世代を超えた楽しみは、会場全体に漲って膨らみ、町の活力の大きさを思わ
せた。盆踊りのような古来のスタイルではない、新しい形の祭りのあり方がそこにあった様に感じた。
Mさんの話によれば、この道東エリアの中では中標津町だけが人口が増えているとのこと。郊外には巨大なショッピングモールが幾つものつくられて、その集客力は、近隣の町は勿論、遠く網走市や根室市辺りまで影響を及ぼしているとのことだった。祭りの会場を出た後、車で中標津町の中心街や郊外のショッピングモールなどをご案内頂いたのだが、そのことが実感できる町の印象だった。中でも新しくできた東武という店舗は、驚くほどの広さだった。我々も2度ばかり買い物に来ているけど、未だその全体像が掴めず、隅々まで見て回るにはあまりにも広すぎるのを実感している。中標津町の人口は約2万4千人というから、それだけでは経営が成り立つとは思えず、恐らくその何倍もの近隣からの人たちがこの店にやって来るに違いない。車社会の中でこの町は近隣に一歩先んじて商圏を確立し始めた様に思った。祭りといい、街中の案内といい、この地方の在り様を理解する上で大へん参考になり勉強になった。隣り町の別海町とは明らかに違った、新しい町の発展のあり方をそこに垣
間見た感じがした。次の大合併政策が何時展開されるのか知らないけれど、その時には中標津町がその核となった新しい巨大面積の市が誕生するに違いない。
昼間の疲れなど微塵も感じさせないMさんに送って頂いてキャンプに戻ったのは21時近くだった。空には今夜も満月が輝き、月齢の知らない自分には、この地では満月が3~4夜続くような気がした。その後は、明日このキャンプ場を離れるというYさんご夫妻、Fさんと、3夜連続となる薪ストーブを囲みながら、名残の語らいを続けたのだった。やがてキャンプ場には夜霧が忍び寄り、変化の大きかった今日一日の興奮を静かに包んでいった。
コメント
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