山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

最恐怖の気象経験

2007-04-26 02:40:24 | くるま旅くらしの話

怖いものに「地震・雷・火事・親父」とありますが、最近では、明らかに親父は失格となっていると思います。地震と火事は益々その怖さを増しており、世界中でその悲惨な出来事の発生は、引き切りもありません。

旅をしていると、様々な怖い出来事に出会うことがありますが、十数年のくるま旅の経験の中で、最も恐ろしかった出来事について今日は紹介したいと思います。それは雷の話です。

能登への旅は数回になりますが、その大概は珠洲市にある銘酒「宗玄」を買い求めるためということが多いのです。宗玄酒造は、能登の名所の一つである見附島(軍艦島ともいう)の近くにあって、私のお気に入りの酒の一つである「宗玄(上撰)」などを造っています。何が気に入っているかといえば、この酒をどんなに(というほど飲んだことはありませんが)飲んでも、決して悪酔いや、二日酔いなどになったことがないからなのです。

今現在は、どんなに調子に乗っても1升というわけにはゆきませんが、その昔はあっという間にそれくらいを平らげることがありました。飲み過ぎれば、体調を崩すのは当たり前で、我が身に合わない酒(その銘柄を言うのは控えますが)をうっかり飲んだりしますと、僅かにコップ2、3杯でも頭重がやって来ることがあるのです。大量生産で作られる酒の多くは、あちこちの造り酒家から酒を集めて、ブレンドして売っているものがあるので、そのような酒は概して自分の体調に合わないことが多いのです。

或るきっかけでこの酒を知り、金沢に仕事で来た時、随分飲んだ後で、この酒を見つけて4合瓶1本を寝る前に飲んだのですが、翌朝は真に清々しく快調でした。こうなりますと、俄然嬉しくなってこだわりだすのが自分の悪い癖で、どうしてもその造酒屋さんに行きたくなり、さっそく旅のついでに宗玄酒造を訪ねたのでした。11月頃、お正月用にと一升瓶を20本ほど求めたのでしたが、知人に配ったりして、正月の頃には在庫は殆ど無くなってしまっていました。勿論毎日うめえ、うめえと山羊が上等な紙を食べるのと同じように飲んでいたのですから、糖尿病が悪化するのは当然でした。あれ、一体何の話でしたっけ? 酒のことについては、本筋から離れた話でありました。これは又失礼!

さてさてその後も機会があれば能登を訪れ、必ずこの酒を求めて立ち寄ることにしていたのですが、3年ほど前だったか、もの凄い恐怖の一夜を過ごしたことがありました。その時は、富山県の新湊側から能登に入って、いつものように七尾の和倉温泉の総湯という公共浴場に入り、旅の垢を落として、これで命が10年は延びたかなあ、などというのんびりした気分で風呂から出て、その夜の宿に予定していた隣の中島町(現在は合併して七尾市となっている)にある、「中島ロマン峠」という名の道の駅に向ったのでした。

17時を過ぎており、辺りは少し暗くなりかけていましたが、生憎ポツリポツリと雨が降り出しました。珠洲市に向って走る国道249号線に入る頃は、海側を見ると邪悪な雲が真っ黒に海上に湧き出でて、何だか攻撃的にこちらに向ってやってくるような感じでした。能登に来ると、天気の悪い時は、いつも海上に黒い雲が湧いていて、それを邪悪な雲と呼んでいたのですが、思ったほど悪さをされたことは無く、ちょっとした驟雨に見舞われるくらいで終わることが多かったのです。でも今日のこの雲は、それでは済まないような雰囲気でした。というのも、時々ピカッと音なしの雷光が海上を走るのです。何とも薄気味悪い状況でした。

一時も早く道の駅に着いて、避難の体制をとろうと考え、車を走らせました。30分足らずで道の駅「中島ロマン峠」に着いたのですが、とてもロマンなどを思い浮かべることなど無理な状況です。夕闇の迫る空は、既に深夜のように真っ暗となっており、雨脚は未ださほど酷くはなっていませんでしたが、次第に降り方に異常性というか、凶暴性を帯びてきた感じとなって来ました。とにかく夕食の準備をして、早くそれを済ませ、寝床に入ってひたすら時の過ぎるのを待つことにしました。

一度は引いたような雨脚でしたが、ウトウトし出すと、突然雷光が閃き、ドカン!と雷鳴が鳴り響きました。さあ、その後は大ごとでした。雷だけではなく、もの凄い豪雨がやってきました。猛烈な雨で、バケツをひっくり返したなどという降り方ではありません。降水量ならば、1時間辺り150ミリくらいはあったのではないかと思います。その轟音は、滝の裏の騒音などのレベルを遙かに超えて、車の薄い鉄板を鳴り響かせます。閃光の後の雷鳴のタイミングが一層早まり、寸時を待たずに光と音とが争うように鳴り響くのです。ズーン!!という落雷の音が大地を揺るがせ、その旅に車もズーンと揺れ動くのです。生きた心地もなしというのは、まさにこのような状態をいうのだなと思いました。やがて雨は雹(ひよう)のようなものに変わったらしく、天井の音は異常に拡大され、重さを増して来ました。この調子でやられたら、天井はボコボコになってしまうのではないかと心配しましたが、外に出ることなどとても出来るものではなく、只ただ、この降りかかっている災難が遠ざかるのを待つだけでした。

いヤア、もしこれが銃砲の戦いだとしたら、我々の車はいわゆる十字砲火、すなわちクロスファイアーに見舞われた絶対絶命の状況にあったと思います。何しろこちらは無抵抗なのですから、この天の悪意には只ただ恐怖心を持って耐えるしかありませんでした。3時間近くもこの雷鳴と豪雨の攻撃は続いたかと思います。ようやく下火になったときは、心底ホッとしたのでした。

それにしても雷の集中攻撃というものは恐ろしいものだと思いました。近くに何発も落ちた時は、もしこの車に落ちたら終わりだなと、逃げ出そうにも逃げ出せず、覚悟をせざるを得ないと思ったほどです。ドーム型の建物やアースのある所には雷は落ちても大丈夫なのだというのは知っていても、直ぐ近くに何発も雷が落ちて大地を揺るがし、それと一緒に車も振動する状況では、そのような知識は無力の感じでした。さすがの私も、このときはベッドを抜け出し下のソファに坐って、静観せざるを得ませんでした。相棒といえば、恐怖を通り越して開き直った顔となっていました。人間、極限状態で覚悟が決まると、生死のことはどうでもいいと思うようになるのかもしれません。

今までの旅の中で、この時が最高の恐怖経験でした。閃光と雷鳴の狂騒は、冬の富山湾では、「鰤(ぶり)起し」として漁師さんたち関係者には歓迎されているようですが、自分としては鰤君たちの網に逃げ込む心理が解るような気がします。強烈な雷鳴は、海底にまで届くほどのものなのではないかと思います。如何に海の中とはいえ、鰤君たちも恐怖に駆られてジッとしては居られなくなり、動き回って網の中に取り込まれて、まんまと人間どもの術中に落ちてしまうのでしょう。鰤君の刺身などには滅多にお目にかかれませんが、せいぜいそのカマなどを賞味する時は、あの中島ロマン峠の道の駅の一夜を思い起こしながら、供養のつもりでうめえを連発するのであります。

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