山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

アケビの芽の話

2007-04-28 05:23:49 | 宵宵妄話

 

旅の料理というわけにはゆきませんが、今、春の旬の味の一つ、アケビの蔓芽のことについて話したいと思います。これから東北の春を訪ねての旅に出発しますが、多分、旅先の随所で山菜と一緒にこのアケビの蔓芽にお目にかかれるのではないかと期待しています。

私は糖尿君に取り付かれて以来、次第に自然食というか、植物本位の食べ物に関心を示すようになりました。いうなればヴェジタリアン(=Vegetarian)、即ち菜食主義者となりつつあるということでしょうか。しかし、必ずしもそればかりにこだわるのではなく、魚も、時には肉も食べるという雑食主義の実態からはなかなか抜けきれなくて、未だに中性脂肪などの数値は高いレベルを誇っていたりしています。でも少しずつ動物性たんぱく質の摂取が減りつつあることは間違いありません。

というわけで、市から借りた菜園では、旅に出ないときは結構面倒見よろしく、冬の間などは、ほうれん草を始め青物野菜は殆ど自給といった状態でした。相棒から言わせれば、殆ど身体全体がほうれん草や小松菜などで出来上がるほどに、牛や馬のようにワリワリと野菜を食べまくって、過ごしてきているという状況なのです。

しかし、実のところを申せば、最早野菜を食べるのに美味いや不味いといった感覚は無く、ただひたすらにこれを食べ続ければやがて体質を変えることができて、命を永らえるのに役立つという信念を通すだけなのです。いわば仙人が霞を喰うのと同じような心境かも知れません。美味いものは食うけど、不味いものは食べられないなどという甘えは、私の場合は無縁の価値観です。でも、そうは言うものの、本当のところは美味いものも時には食べてみたいとは思うわけです。何といっても俗人でありますから。

で、何が美味いかといえば、この頃は自然食が本命ではないかと思うようになりました。工夫して作り上げた料理も素晴らしいとは思いますが、殆ど無加工でそのまま素材の旬を味わうようなスタイルの食べ方が一番のような気がしています。これは歳をとって来て、身体が自然とそのようなものを求めるからなのかもしれません。或いは、年金暮らしに馴染んできて、豪華で高価なものなど所詮口に入れるのは不可能という現実に対する痩せ我慢の意地のなせる思いなのかもしれません。

ま、その様なことはどうでもいいのですが、今年は手近な春の味として「アケビの蔓芽」に存分にこだわり、毎日うんざりするほどの春の味を味わっています。今日の本題は、旅の話から少しズレて、そのアケビの蔓芽の話です。

アケビの新芽が珍味であり美味だという話は、随分前から聞いてはいたのですが、アケビの実の方は秋になると気づくのですが、春先の新芽の方は、うっかり忘れていることが多く、又家の近くには無いものとばかり思っていました。実際アケビの花を見ても、新芽がどれで、どこを食べるのかが分らず、正直言って去年の春までは食べたことは無かったのでした。

それが、昨年の春の佐渡・飛越方面への旅の際、新潟県の栃尾(今は長岡市)に行った時、道の駅でおばあさんがアケビの芽の小さな束を売っているのを見つけ、なるほどこれがアケビの芽なのか!としっかりその食べ物を確認できたのでした。2束ほど買い求め、さっそく茹でて醤油などで食べてみましたが、歯ごたえがあり、やや苦味があって、味の方も大人の味そのものでした。酒の肴には願っても無いものだなと思いました。アケビの新芽というのは、花の横辺りから出てくるはずの芽のようなものかと思っていましたが、おばあさんが売っているのを見ると、それはごく普通の蔓の新芽であることが分りました。なあんだ、これならばそこいら辺に幾らでもあるんじゃないか、とその時思いました。早速その翌日、栃尾の道の駅付近を早朝散歩した時に探してみたのですが、あるある、山に近い道端の藪の中に細い蔓の新芽がたくさんあるのを直ぐに見つけました。早速それを摘んだのでしたが、たちまち昨日買ったくらいのボリュームとなったのでした。

その後家に戻った時は、関東の春は終わっており、アケビのことはすっかり忘れていたのですが、今年になって毎朝の散歩時に、アケビの蔓の新芽がおいでおいでをしているのに、ふと気づきました。アケビというと、結構高い樹の上の方まで這い上がって実をつけるので、この辺りにはなかなか見つからないのではないかと思っていたのですが、気がついてから良く見ながら歩きますと、随所に点在していて、それらが一様においでおいでをしているのです。蔓で繁茂している植物は、春先になると、伸ばした蔓を何処に絡み付けるのかを探すように、蔓の新芽の先が風に揺れているのに気がつきます。似た様なのも多いですが、アケビの芽は3枚の葉をつけた透明感を思わせる茎の色ですので、他のものとの判別はそれほど難しくありません。

何しろ不断から守谷の至る所を歩き回っていますので、どこの道の何処に何があるのかなどは大概承知しています。あの道脇の土手には白花タンポポがある、あそこの土手には草ボケが紅い花をつけている、あそこの竹やぶの少し日当たりのある所には白花スミレが咲いている、今年は1月末にはもうオオイヌノフグリが花を咲かせているとか、等々歩きの途中に確認している野草や樹木達の情報は、尽きることがありません。今年はそれに一つアケビ情報が加わって、楽しみが大きく膨れ上がりました。

それにしても気がつけば、幾らでもアケビの芽はあるのです。秋になって実がなるほどのレベルでないものなら、アケビは至る所に進出して、拡大戦略を展開しています。植物というのは、我々が気づかない所で、かなり巧妙な生き残り戦略を展開しているようです。アケビ君からいえば、おいでおいでしてくれている、などと勘違いして、その大切な芽を摘んでしまうのですから、私はまさに天敵といわれる存在かも知れません。しかし、私がどんなに頑張っても、彼らの執念のパワーに勝てるはずも無く、恐らく来年は層倍の芽を出してくれるのではないかと思っています。

アケビの芽は、食べ方自体は簡単で、基本は沸騰した湯に塩を一掴み入れ、1~2分さっと茹でて水に晒してこれで完成です。それを何で、どのように食べるかは、食べる人の工夫次第です。そのまま醤油だけでもいいし、酢醤油でもよし、酢味噌でもよし、胡麻和え、白和えでもよし、マヨネーズやドレッシングなどで食べてもいけると思います。チョッピリ苦味があり、何よりもこれがこの食べ物の旬の生命(いのち)です。

ついでに言えば苦味は大人の味であり、これを美味いと感じられるようになったら、本物の大人になったと自負してもいいのではないかと私は思っています。アケビには人間の味覚の大人度を試す力がこもっている様な気がするのです。身近にある春の旬の味覚を今年ほど味わったことはありませんでした。これから出かける東北の各地でも、たくさんのアケビ君たちがおいでおいでをして待っていてくれる様な気がします。(人間の勝手というのは無限でありますなあ)

[明日からしばらくブログ投稿は携帯からとするつもりです。ま、休みだと思って頂ければ無難です。 馬骨]

 

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