山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

アバウト春旅:第3日(その1)

2007-04-15 04:09:14 | くるま旅くらしの話

日ばかり、携帯で記事を書いて見ましたが、とんでもない時間がかかり、たった千二、三百字を書く間に携帯の電源がアウトになりかけるのです。それに思ったことの半分もかけないので投稿をやめました。その分、今日からは旅の残りの様子を気ままに書かせて頂くことにしました。残りはたった2日ですが、少し長くなると思います。我々のアバウトな旅の様子を知って頂ければ幸いです。

 昨夜は道の駅:白浜野島崎にご厄介になったが、我々の他に車はなく、静かな一夜を過ごした。珍しく10時間を超すほどの眠りを貪った。夜中に予定していた携帯でのブログ投稿も取り止めて、朝を迎えた。旅先の方が家にいるときよりも睡眠時間は多いのが常である。

 朝食の後、房総白浜のメイン観光地の一つである野島崎灯台へ。道の駅からは1kmほどでごく近い。野島崎灯台は、房総の最南端に位置して造られており、灯台を巡る遊歩道が整備されていた。灯台の直ぐそばに厳島神社があり、先ずはそこに参拝してから遊歩道を歩くことにした。

 厳島神社といえば安芸の国の一の宮が有名だが、ここに同じ名前の神社が祭られているのは、何か謂れがあるのであろう。でもその説明板などは何もなく、よく分らない。境内には武田石翁という幕末の石工の名人の若い時の作品という七福神が並べられていたが、弁財天だけが特別扱いで屋根付だった。女性尊重ということなのだろうか。又その傍にどのような謂れがあって造られたのかは知らないが、巨大な男性のシンボルが祭られていた。さすがにこちらの方は覆いがかけられており、知らずに覗いた人はびっくりするに違いない。勿論自分もびっくりした口である。何もここまでしなくてもいいのではないかと思ったが、悪趣味も信仰の一つなのかも知れない。○○の七不思議などというもっともらしい能書きがあったが、紹介するのはやめよう。

 参拝の後、写真を撮りながら遊歩道を一周する。少し風が強いが、寒くはない。足元には何種類かの野草たちが、春の喜びを歌う様に咲き乱れていた。浜大根や浜エンドウの群落が目立った。もうハマヒルガオも花を咲かせていた。直ぐ近くの岩場にはかなりの波が白く砕けていたが、この野草たちには、今日は平穏な一日となるのであろうか。相棒は、房総半島最南端の岩の上に設けられたベンチに坐って、太平洋を撮り続けていた。どんな写真となるのやら。岬というのは、何故か知らぬ郷愁のようなものを覚えさせる所である。時に哀しみであったり、時に希望であったり、人は岬に来るとロマンチストになることが多いようだ。この頃は何も感じない人の方が多いのかも知れないけど。

 1時間ほどのんびりしたあと、出発。特に目的もなし。とりあえず今日も道の駅などに立ち寄りながら海岸線を北上しようと考えている。房総を訪ねるのは5年ぶりくらいになるのだろうか。意外と近場に来ることは少ないのである。その5年ぶりの房総は、何だか少し寂れたような感じがしている。地方が活力を持ち続けるというのは大変なことなのかも知れない。廃墟となっている建物などを見る度に、それにかかわった人たちの見た夢の甘さとその後の労苦を思ったりしながら運転を続けた。

 白浜から千倉、和田にかけて海岸線を走る道はフラワーラインと呼ばれているが、最盛期は過ぎても未だ幾つかの場所では花摘みが可能だった。これらの町は、今は合併して房総市となってしまった。房総市などといわれてもピンと来ないことおびただしい。結局はそのエリアの個性が失われてゆくことにつながるような気がする。

 千倉にある道の駅:潮風王国というのに立ち寄ろうとしたが、なんとこの道の駅は3箇所に分散してつくられていて、どれが本体なのか判りにくい。結局第1駐車場がある所へ行ってみたが、建物も一番大きいのでここが本拠地のようだった。中に入ってみると大きな生簀があって鮮魚や貝類それに干物などを売る何軒かの店が並んでいた。今回は魚を調理する用具を持参していないので、買う気持ちは少ないのだが、この種の店を覗くのにはかなりの興味がある。一回り唾を呑込みながら見て廻った。その内に、何か変だな?と、ふと気づいた。

 4、5軒入っている店にはそれぞれ店員さんがいて立っているのだが、誰も一言も声を発しないのだ。ただ黙ってお客さんの動きを見ているような、見ていないような雰囲気なのである。普通の魚屋さんでは、或いはこのような小市場では呼び込みの人をはじめ、大声を挙げて元気良く立ち回る人が多いように思うけど、ここの店にはそれが全くないのである。これは何なのだろうと思った。皆魚と一緒に疲れ果ててしまっているのだろうか。それとも特別に控え目な人たちの集団なのであろうか。とにかく珍しい雰囲気だった。何だかこちらまで変な気分になり、早々に退去することにした。

 フラワーラインを再び走って、次は丸山町にある道の駅:ローズマリー公園へ。ここはもともと小さなテーマパークのような施設があり、それが道の駅となったところらしい。5年前に来た時にはオープン間もなくの大盛況で、駐車場所を探すのに困るほどだった。今日は平日ということなのか、パラパラの人出である。その名の通り、ローズマリーというハーブの植え込みを中心にヨーロッパ風の庭園、花壇が設けられ、風車などもあり、シェイクスピアの記念館などという洋風の建物が、幾つか配置されている。佐世保のハウステンボスや志摩のスペイン村の小型版といったところか。この種の発想には、自分としてはついて行けないところがある。日本人には直ぐに飽きられてしまうような気がしてならない。5年経って、建物も心なしか傷んできた感がする。それは貫禄がついたというよりもうら寂れてきたように見える。庭園の花は確かに美しいし、日本に居ながらにしてシェイクスピアのあれこれを知ることが出来るのはありがたいのだろうけど、リピーターにはなれないような気がする。(あまりこのようなコメントをしてはいけないのかも知れない)

 朝から結構歩き回って、万歩計はもう1万歩を超えており、腹も減ってきた。次の鴨川の道の駅には、地魚などが売りの店があると案内書に書いてあるので、少し早や目の昼食にしようと思いながら20分ほど走って到着。外食をするのは久しぶりのこと。しかし、行って見ると案内書とは大違いの、これ又寂れた食堂のようなレストランだった。魚は刺身定食だけがサンプルにあったが、後はカレーライスなどという正に想定外のメニューと様相の店だった。ここも開店当初は新鮮な地元の魚などの料理で賑わっていたのかも知れない。しかし何年か経った今ではこのような状態となってしまっている。がっかりすると同時に何故か怒りのようなものがこみ上げてきた。(本当は哀しむべきなのに)このような裏切りの店が結構多いのだ。

 引き続き海岸線を走りながら次第にこのまま海岸線を北上してもつまらないなと思うようになってきた。同時にわざわざ喜連川まで行くかどうかの迷いがあったのだが、喜連川は切り離して考えようと思うようになった。走っているうちに、益々決心は固まり、喜連川に行くのはやめ、明日香取神宮と鹿島神宮を訪ねた後帰宅することにした。もともと中途半端は覚悟で出発したのだったが、ストレスを解消するどころか、毎日ブツクサばかりの旅では、どうしようもない。自分自身に呆れている。相棒も同感のようだ。

コメント
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