山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

アフターサービスとは何か(その3)

2007-04-06 00:06:25 | くるま旅くらしの話

◆お客様は神様ではない

かつて歌手三波春夫が舞台の上で両手を広げて「お客様は神様です」という挨拶口上を述べたというのが評判になったことがありました。舞台の上でワンウエイ(一方通行)的に芸を披露する歌い手にとっては、聴衆やレコードの購買者は神様に見えたかもしれません。しかし、アフターサービスというような人間臭い、マンツーマン(人対人)の対応を余儀なくされる世界では、お客様を神様と同一視したらとんでもないことになります。

お客様は神様のような絶対的な存在ではなく、まさに世俗まみれの人間なのです。その人間を人間として認識することこそがサービスの第一歩なのです。先に、相手の心を読むと述べたのは、まさにこのことを指しているのであり、間違ってもお客様は神様などと考えてはならないと思います。

では、どのように対処すれば良いのでしょうか。人間は複雑多岐です。わがままな人も居れば、内気でシャイな人もいます。ニコニコ顔で厳しい要求をする人もいます。千変万化の存在です。心を読むといっても限界があり、全て100%お客様の要求を引き受けることは難しいことでしょう。

そこで大切なのが、どう対応するかについてのしっかりした判断基準を持つということではないかと思います。その判断基準をどのような考え方で用意すれば良いのか。どう使い分ければいいのか、これは結構難しいテーマだと思います。

私はこの判断基準について、次のように考えてみたいと思っています。ご参考までに紹介します。

ビジネスの世界において何らかの意思決定をするに当っての判断基準は、次の二つが基本となるように思います。

A.「損か得か」の物指し

B.「善いか悪いか」の物指し

は、利益指向の発想で、ビジネスの世界は先ずはこの判断基準がベースとなっていると思います。但し、ビジネスの世界は、必ず相手があり、その相手との関係において損得のせめぎ合いがあるわけです。早い話、お客様との関係においては、当方はできるだけ高く売りたいし、お客様の方は可能な限り安く買いたいわけです。この関係において大切なのは、双方が得をしたと納得することです。損得は価格だけで決まるのではなく、商品そのものの持つ価値との関係も重要な要素です。価格が高くてもそれ以上の価値をお客様が認め納得されれば、得をしたと感ずることでしょう。通常の取引は、概ねこのように双方がチョッピリ得をしたという関係で成り立っていると思われます。このような取引の範囲であれば、損得の物指しは正しく機能しているわけですから、これを使っても何の支障もないと考えます。

ところが、そうでない即ちどちらか一方が大いに得をし、その反対側がメチャ損をするというようなケースがあります。例えば、安くしたように見せかけて、販売側が品質の粗悪な製品を知らんふりして相手に渡すような場合とか、その反対にお客様に脅し同様にごり押しされて大赤字の取引を強要されたような場合などを思い浮かべれば充分だと思います。このような場合に、成り行きに任せてそのまま取引を行なってしまっていいのでしょうか? もし「お客様は神様です」という発想であれば、神の意思には逆らえないと、このようなケースを容認してもやむなしと考えるべきなのでしょうか?

私の考えでは、このような時こそがBの出番だと思うのです。善悪の判断というのは、世の中の良心、即ち法律のルールよりも更に高度な社会形成の基盤となる考え方に基づくと考えます。かなり曖昧ですが、基本的にはおのれの良心に恥じない、社会正義上認められる考え方を言うのだと思います。そして、善悪の判断は、基本的に経営の最高責任者もしくはそれに準ずる人の責任・権限においてなされるべきと考えます。もし第一線でそのような判断を迫られる事態が起きた時には、その当事者は決して自分で判断するのではなく、決定権をもった上位者に指示を仰ぐ必要があります。これを曖昧にしておくと、組織運営は混乱することになります。

善悪の判断というのは、顧客第一や顧客優先を考える事業者にとって、かなり厳しい決心を要することかもしれません。あまりにもわがままなお客様に対して、これを諌めるというようなアプローチとなるわけですから、場合によってはお客様を失うことにつながるかも知れないからです。しかし、お客様のおっしゃることが社会正義や良心に反するのが明らかなのなら、これは断固筋を通すということが大切でしょう。もし中途半端にそれを受け入れるようなことをすれば、その企業はそのお客様に甘く見られるだけでなく、その他の顧客からも軽視されるきっかけをつくることになるからです。

願わくばビジネスの中に善悪の物指しを持ち込まなくても済むような商売であって欲しいと思いますが、世の中の現実は、損得に拘りすぎて、社会正義の範疇から脱落し、世情の批判を浴びて没落もしくは消え去って行く企業が後を絶ちません。企業である以上利益を確保するのは当然ですが、損得の物指しは常に正しく使ってゆきたいものです。そして正念場の決断を求められる際には、天に恥じない善悪の物指しの使い方をしたいものです。善悪の物指しは、決して企業を貶(おとし)めることはありません。

アフターサービスの話が少し道を外れてしまったようです。この一連の堅い話の結論は、「初めにアフターサービスありき」です。お客様を獲得する原点は、製品の品質・機能等の優秀性だと思いますが、販売後の経営活動はアフターサービスのあり方によって決まると考えます。アフターサービスは、新しい顧客の創造に大きく影響します。一度車を買って頂いたお客様は、アフターサービスの直接の対象者であると同時に、お買い上げ頂いたその瞬間から、次の新しい顧客ともなるのです。そしてその顧客を贔屓客のレベルに引き上げるための努力の成果が、事業発展の基盤となるのだと思います。

一ユーザーとして、この業界の益々の発展を願わずにはおれません。

コメント
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