山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

アバウト春旅:第4日(その2)

2007-04-18 01:33:01 | くるま旅くらしの話

香取神宮に来るのは初めてなのか、二度目なのか良くわからない。確か小学生か中学生の時に遠足で来た様な気がするが良く覚えていない。ま、初めて来るのと同じ様だ。鳥居から本殿までは意外と近くて、新緑を味わいながら歩いていると直ぐに到着。参道の正面が階段となっていてその向こう側に楼門と本殿がある。階段の下辺りにたくさんの車が押し合うように駐車しているのを見て何だろうと驚いた。下の駐車場は結構空きがあったのに、何でこんなところに車がやたらに停めてあるのか疑問に思うと共に、少しでも目的地に近く停めようとする、現代人の根性というか効率意識のあり様に少し怒りを覚えた。神様のイヤシロ地の中では腹を立ててはならないとは承知していても、神様を敬うふりをして楽ばかりしたがる人間行動への反発を抑えるのが難しい。

楼門に行って見ると何と、本殿の庭の前にテントが張られ、たくさんの床几が並べられて、大勢の正装の人たちが腰掛けていた。警察の関係者の人もいるようだ。丁度今は春の交通安全週間中らしいから、その関係者の安全祈願なのかなと思ったりした。それにしては少し大げさな感じがする。しばらく経つと、神主さんたちが雅楽を奏でながら動き出した。テープレコーダーなどではなく本物の本格的な奏楽である。なにやら厳かな儀式が始まるようである。こりゃあ、良い所へ来たのか、それともその反対なのか何だか良くわからないので、一旦外へ出て行事の案内板を見たら、今日は10時から例祭が行なわれるとのことだった。そうか、今日はその例祭だったのか、と納得した。それで大勢の氏子・社中(香取神宮の場合そのような呼び方をするのかどうかはわからないけど)の人々が集っているのかと思った。見物客の先頭で写真を撮っている相棒から後で聞いた話では、宮内庁からも人が来られていたということだから、かなりの格式の高い式典なのだろう。何でも年に一度の例祭だったとか。道理で黒塗りの車やマイクロバスなど県外からもたくさん人が集まっていたわけである。

式典ばかり見ていてもしょうがないので、しばらく境内の中を散策することにした。本殿の周りには杉の大木が多い。スダジイやイヌマキ、シラカシなども散見されるが、杉の存在が圧倒的の感がする。野草に興味があるので、下草などを覗いてみたが、ヤブランやシャガなどの他にはネコノメ草やシダ類などが多く、特に目立って印象に残るようなものは見られなかった。

しばらくして楼門の所に戻ると、階段の下から小学生らしい鼓笛隊の子ども達が登ってきた。親達がその周りを取り巻きながら写真などを撮りまくっている。今日の例祭のアトラクションなのだろう。見てから車に戻ろうかなどと思っていたら、相棒が出てきた。本殿では巫女さんによる舞等が奉納されて、一段落したので出てきたとのこと。この後、鹿島の方へ行くこともあり、何だか腹の具合が少しおかしい様なので、次に進むことにして参道を鳥居の方に向かう。

途中奥宮と要石というものの案内があったので、行ってみることにした。脇道を少し登って奥へ行くと要石というのがあった。何だか知らないけど、ごく小さな何処にでもあるような丸い石が埋められて置かれていた。奥宮は更に脇道を進むようなので、行くのは止めて車に戻ることにした。

後で、要石のことを調べたら、これはその昔地震を起こす鯰を封じ込め、押さえに使った石なのだそうだ。その大きさ、深さは幾十尺とあり、かの黄門様がその昔ここに参拝された時、掘ってみよと言われて掘ったのだが、その根元を見ることはできなかったとか。してみると、かなりの大きさなのであろう。このようなシンボル的なものは、なるべく科学的に確認するようなことはしない方が良い様に思うのだが、黄門様も科学的好奇心の大きな人だったようである。なお、要石は、鹿島神宮にもあって、香取神宮の方が凸形であるのに対して、こちらの方は凹形であるとのこと。陰陽の思想が影響しているのかも知れないなと思ったりした。

1時間半ほどの香取神宮参拝だったが、いろいろ勉強になっていい経験だった。何といっても大きな森に囲まれた新緑の空気を胸いっぱいに味わえたのが一番だった。香取から鹿島までは20km足らずで、30分もあれば行ける距離にある。R51は、良く整備されていて、走りやすい道だ。潮来には何回か来ているので、利根川を渡った茨城県のエリアは、多少は知っているつもり。

潮来近くになって益々腹の具合がおかしくなってきた。これはイカンと丁度潮来には道の駅があるので、一先ずそこに立ち寄ることにした。直ぐに到着。直ぐにトイレに駆け込む。イヤハヤ。直ぐにスッキリしてトイレから戻る。忙しい。自分の腹の調子は大体コントロールできるつもりでいるが、時々不用意な食べ方をして、トイレ直行ということになることがある。今朝はヨーグルト(旅にも専用のカスピ海ヨーグルトを必ず持参している)と先日三芳村の道の駅で買ったハッサクの食べ合わせが悪かったに違いない。

潮来の道の駅は、かの有名な水郷のあやめ公園などからはかなり離れた、田んぼの中を走る新しい道路脇につくられている。何時も混んでいて、以前来た時は車が停められなかった。今日も平日の割には混んでいるが、駐車場を拡張したのか、駐車の方は大丈夫だった。いい天気だ。道の駅からは南東に鹿行工業地帯の工場群が吐き出す煙が見える。あそこへは未だ行ったことはないが、茨城県では有数の工業地帯で、鹿嶋市や神栖市の発展はこの企業群に拠るところが大きい。道の駅の物産館に入ってみたが、野菜類等はもう他の所で十二分に見てきているので、すっかり目が肥えており、殆ど興味関心が持てるようなものは見当たらなかった。相棒は建物の中にある簡易食堂が、田舎の母さんの味とかいう、地元のお母さんたち独自の味付けの何品かのおかずを、自由に選んでご飯と一緒に食べるシステムを採用しているのが気に入り、その気になって食べることにしたようだった。自分といえば、未だ腹の様子に心配があるので、食べるのは敬遠。相棒が食事をしている間は、車に戻って横になって時間を過ごす。

思わぬ昼食休憩となって、一段落の後、最後の訪問先の鹿島神宮へ向け出発。15分ほどで到着。鹿島神宮には何度か参拝したことがある。何といっても茨城県は自分の出身地であり地元なのだから、日本でも著名な鹿島神宮へ行ったことがないなんて許されるわけがない。しかし今日は香取神宮とペアで参拝してみようということなので、何か新しい発見があるかもしれない。

鹿島神宮の方は駐車場が有料だ。参道の入口付近には民家が密集していて、ゆとりのある駐車場をつくるスペースがないのかもしれない。おばあちゃん達が盛んに手招きして、こちらの駐車場に入れと騒ぐので、やりにくい。いつも停める所は決まっているのに。

鹿島神宮も大きな樹叢に囲まれている。こちらも杉が目立つが、杉以外の檜やスダジイなどの大木も多い。香取りも鹿島もほぼ同じエリアにあるのだから、植生も同じようなものなのだろう。香取神宮と同じように、この大きな森に囲まれた空間にいると、何ともいえない安堵感に包まれるのである。ほんの少し参道を歩いて、大きな楼門をくぐると直ぐ右手に本殿がある。鹿島神宮の本殿は、正面ではなく右側横手に据えられている。これは何か理由があるのかも知れないが分からない。鹿島神宮の方は、例祭などはなく至って静かだったので、心置きなく拍手を打って参拝することができた。

その後は、広い境内の中を散策する。本殿の近くに鹿園があって神のお使いとしての鹿が何匹か飼われており、暑くなった陽気の中でのんびりと口を動かしていた。そこにある説明板を読んで驚いたのだが、何とあの奈良の鹿はここから連れて行ったのだという。奈良の春日大社は、鹿島神宮の祭神の分霊を祭ったもので、その昔創建に当って神のお使いとして鹿島神宮を出発した鹿が、各地に足跡を残しながら奈良まで到達したのだという。春日大社の方が古いのかなと思っていたけど、これはとんでもない認識違いだった。真にもって神様に笑われてしまう。なお、今ここにいる鹿たちは奈良の流れを汲むものということなので、いずれにしても奈良の鹿と鹿島神宮の鹿とは古来より親戚関係にあることは間違いないようだ。

鹿園を覗いた後は、更に奥にある奥宮、要石、御手洗の池などを見ながら散策を続けた。要石は香取と同じようにほんの少し頭を出していたが、こちらの方は確かに天辺が凹んでいた。一体どれほどの大きさの石が埋め込まれているのだろう。黄門様は七日七晩掘らせて諦めたというけど、黄門様ならずとも掘って確かめて見たいという衝動は誰にもあるのかも知れない。しかし、自分は心に思うだけで充分である。

御手洗の池というのも見てみたが、これは地下水の湧き出ている所で、その昔はここで身を清めて参拝したらしい。相当の量の水がコンコンと湧き出でているようで、これだけの樹叢に囲まれた土地なのだから、彼らの生命の一部が水を生み出してここに溢れさせているのかも知れないなと思った。旅先で湧水や名水にめぐり合うと、いつもこの上ない幸せ感を覚えるのであるが、鹿島神宮の中にこのようなものがあったのは初めて知った。今度は、水を汲む準備をして来ることにしようと思った。

時間ほど神宮内の散策を満喫し、帰路につくことにした。鹿島神宮と香取神宮とを比べてもあまり意味がないなと思った。それぞれ祭られている神様は異なっていても、日本という国づくりにおける役割にはさほどの違いはないようである。要石の謂(いわ)れなどを思うと、二つの神宮はつながっているようにも思えてきたのである。わが国においては古来よりこの二つの神宮が果たしてきた役割は大きなものがあったのであろう。僅かに半日ほどの時間だったけど、今回の旅では一番意義のある時間だったと思う。

[今回の旅の報告はこれで終わりです。僅かに4日間の旅でしたが、最後は良い締めくくりが出来たと思っています。これからしばらく家にくすぶり、今月の終わり頃東北の春を訪ねての旅くらしに出発予定です。明日は休みます]

コメント
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