山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の前の動と静

2007-04-19 01:49:27 | 宵宵妄話

短い房総の旅から戻って、早くも5日が過ぎようとしています。この間何をしたのやら、さっぱりわからぬまま時間はどんどん過ぎて行くような気がします。イヤハヤ恐ろしいくらいのスピードです。ということはそれと同じスピードで人生の終わりが近づいているということでもありますから、時々生き方の見直しをしなくてはなどと思うのですが、思うだけで実際はなかなか行動には移されないものです。いずれにしてもこのような調子でこの先も過ごしてゆくに違いありません。

 昨日久しぶりにホームページ(山本馬骨のくるま旅くらしの泉 ~ ブログの左側のブックマークの欄をクリックして頂くと見ることができます)にエッセーを一つ追加しました。2週間ぶりに画面を編集したのですが、驚いたことに、その扱い要領をかなり忘れており、もう少しで取り扱い要領の本や資料を復習する必要に迫られました。意地でも思い出そうと資料等には手を触れませんでしたが、頭も身体も使わないとどんどん退化してゆくものだな、とその恐ろしさを改めて実感しました。

 エッセーを書くつもりでホームページを作っているのですが、そのエッセーがなかなか書けなくて、我ながら情けないと思う毎日です。メリハリのある表現のためには、修練が必要だと思うのですが、日記やブログの記事を書いている程度では、さっぱり進歩しないのかなと思ったりしています。要は書く態度というか、取り組み姿勢のあり方にあるのだと思うのですが、なかなか壁を破ることが出来ません。他人様から見れば、どうでもいいような、困った話です。

 房総の旅から戻ったら、何だか急に冬に逆戻りしたような天気が続いて、せっかく芽を出し始めた菜園のジャガイモが、又少し伸びるのを停めてしまいそうです。そろそろラディッシュでも播こうかと思っていたのですが、この寒さでは少し先送りした方が良いようです。畑作業は結構疲れますが、作物たちの生長と稔りのプロセスをしっかり見つめることができて、嬉しいものです。旅に出掛けてしまうとしばらくそれがお預けとなるので、気になるのですが、でもやっぱり旅の方を優先させてしまうのです。旅ができなくなったら、身体が動く限り、自分は畑や庭の土いじりをするのだろうなと思っています。百姓というのがどんなものか良く解らなかったのですが、この頃になって、百姓に勤(いそ)しんだ亡母の苦労と楽しみが解るような記がします。

 昨年、裏庭に小さな野草園を作ったのですが、今年は野草たちがかなり元気に目覚めてくれて、毎日嬉しい時間を過ごしています。雪割草(ミスミ草かも?)に始まって、ショウジョウバカマ、カタクリ、ニリン草、春蘭、シラネアオイ、と続き、今はエンレイソウや雲間草それにイカリ草が満開です。イカリ草は7、8年前、東北の旅で採ってきて、ずーっと鉢植えで大事にしてきたトキワイカリ草が元気だし、この他にこれも東北で何年か前に買い求めた普通のイカリ草と去年佐渡で地元の方に採ってもらった純白のイカリ草と3種類があり、いずれも今年は今までになく元気で花を咲かせてくれています。ブログの写真では迫力がなく、本当の姿を伝えることができないので、写真の掲載はやめることにしました。この他、未だ芽生えてくれないと何なのか判らない野草たちもあって、これらの小さな生命の動きを見つめることが本当に楽しみです。そして、今年は旅先でどのような野草たちが待っていてくれるのかを、これまた楽しみにしています。

 今のところ、まずまずこのような調子で旅に出発する日が来るのを待っています。相棒のフォークダンスのイベントが終わった後の出発なので、早くても29日となりますが、多分東北の多くの桜の名所は、終わりかけたか終わったかのどちらかだと思います。今年は本当に変な陽気が続いていますなあ。ま、桜のほうは諦めて山菜に切り替え、温泉などを楽しみながら頭の中と心の中を洗濯してくるつもりです。

[せっかちで慌て者なものですから、日付を間違えて投稿してしまいました。休むと公言したはずなのに。万事この調子です。馬骨]

コメント
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