山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の料理2:肉なし肉じゃが

2007-02-19 07:19:09 | くるま旅くらしの話

これ又、料理ともいえない料理なのですが、特に旅の間に、同じ場所に滞在する時につくることが多いメニューの一つに、このへんてこりんな名前のものがあります。今回はこれを紹介します。

旅の間の食事は、手間ひまをかけずにそのまま生で食べたり、炒めたり茹でたりして食べることが多くなりますが、その中で、どうしても煮物類が少なくなる傾向があります。

肉じゃがは、或る嗜好統計データによると、大人の男性が食べたいと欲する料理の中で5本の指に入るメニューだそうですが、私も昔から大好きです。何といってもジャガイモ人間ですから、これが入っているものなら、否の応のは無いのです。肉じゃがの命は、ジャガイモよりも肉の方にあるのだと思いますが、糖尿病で菜食主義を採らざるを得ない私としては、本物の肉じゃがを食べることは控え目にしなければなりません。

それで考え付いたのが、肉を使わない、ジャガイモとニンジンと玉ねぎだけの煮物でした。こんにゃくなどは気が向いたら入れますが、基本はこの3つの食材を用います。本物の肉ジャガのレベルには遠く及ばないのは当然ですが、それでもある種の肉じゃがの感覚は味わえるように思っています。

つくり方は極めて簡単で、使用する鍋の大きさに合わせ、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎを大体等分に用意し、ジャガイモとニンジンは皮を剥いた後、少し大きめに切り、玉ねぎも4つくらいに切り割って、あとは水を8分目ほど入れてそのまま煮るだけです。ジャガイモが柔らかくなったら、茹でるのに使ったお湯を半分くらい捨て、鍋を火にかけて、あまだれ(又はめんつゆor醤油+砂糖)を適当にかけ回し、全体に浸み渡ったらそれで完成です。ここで「あまだれ」というのは、秋田県角館の安藤醸造元がつくっているもので、煮物の万能調味料です。これが無い時はめんつゆでもいいし、それもない時は醤油に砂糖を入れて甘辛を適当に調整したものを使います。

全く料理とも言えないような食べ物ですが、田舎育ちの私には、素朴な味が気に入っています。同じ旅仲間の方たちに食べて頂くこともありますが、存外に評判がいいのは、お世辞だけではないような気がしています。このような煮物は、身体にも良いに違いなく、これを食べると、何だか心和むような気がするのです。(2.16.2007記)

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出会いのメモリー(旅のエッセー):妹背牛の一夜(その2)

2007-02-18 00:07:14 | 宵宵妄話

いわゆる内地の地名は、その由来を知らなくても、文字を見ただけで日本の地名であるという安心感というか自然さがあるのだが、北海道の地名は文字を見ただけではイメージの湧かないものが圧倒的に多い。例えば、札幌にしても、札と幌という感じからイメージするのは、せいぜいアメリカの西部開拓の幌馬車やそれに絡む札束などの情景ぐらいで、そのような歴史は日本には全く無いのだから、札と幌では何のことなのかさっぱりわからない。

留辺蘂、秩父別、常呂、音威子府、訓子府、美馬牛、暑寒別、稚内、阿寒、屈斜路、羅臼などなど、読み方も地名の持つイメージもさっぱりわからない地名がたくさんある。因みに、初めの5つの地名をルベシベ、チップベツ、トコロ、オトイネップ、クンネップと一発で読める人は、北海道をかなり知っている人であろう。留辺蘂などは、最初に行った時は蘂という字がわからなくて、辞書を持参しなかったことを反省したりした。しかし、考えてみれば辞書を持っていって、「蘂」という字が花の「おしべ」と「めしべ」であるとか、総(ふさ)の付け際の飾りであるとか言う意味がわかったとしても、「留辺」が何なのかは不可解であり、留辺蘂町の地名の由来をイメージさせる力は全く無いのだ。だから、辞書を持って来なかったことをさほど反省することもなかったのである。

そうなのだ。思いつけば当たり前のことなのだが、北海道の地名の殆どは、アイヌ語を日本語のしかも漢字を使って表記したに過ぎないのである。音字表記なのに意字を用いて表記している所にめちゃくちゃの違和感があるのである。そのようなことに気づいたのは、去年辺りからなのだから、我ながら呆れたものである。

美馬牛は富良野近くの美瑛町にある地名だが、初めて行った時には、さぞかし立派な馬や牛の育つ牧場がある所なのかななどと思ったりした。それは必ずしも誤りではないような気もするけど、アイヌの人たちから見れば、大笑いということになってしまうだろう。アイヌのことばでは、ビバウシは、カラス貝の多く居る川という意味で、場所としては美瑛川の支流の一つを指しているのだそうである。牛や馬ではなく、カラス貝なのである。

どうしてこのようなことになっているだろうか?いろいろ考えてみたのだが、これはやはり日本人がアイヌという先住民を侵略して無理やりに名づけた名残りというか証左なのではないか。侵略ということばには、決していい感じを持つことは出来ないが、今となっては、北海道は日本国の完全なる一部であり、アイヌの人たちには申し訳ないけど、もはや忘れて頂くしかないのだと思う。

それにしても、地名というのは原()住民の人たちの生活の中から生まれてきたものであり、侵略者の力を持ってしても100%その歴史を払拭するような名づけ方は困難だったということではないか。だからどうせ名づけるのなら、意字表記の文字を使わないで平仮名や片仮名を使えばよかったのにと思う。そうすれば最初からアイヌのことが理解し易くなるに違いない。しかし、侵略者のプライドがそれを許さず、意字などお構いなしに適当に既存の文字を当て嵌めていったのであろう。明治時代の混乱の中で、特別の基準もなしになされたのではないか。本当のことは知らないけど。勝手にそのように思っている。

何度も北海道にやって来て、見知らぬ土地を訪ねるにつれて、次第にアイヌという先住民のことが知りたくなった。地名辞典を買い、アイヌ語辞典を買い込んで、(まださっぱり読んでいないのだが)僅かながらに、その昔の彼らの生活ぶりを垣間見ることができるようになった気がする。平和を愛する民であったことは間違いない。それゆえに侵略を受け、忘れられてゆく運命を辿ったのであろうか。

世界の歴史は、如何なる国においても、常に強弱が最大の物差しとなっており、慈善や博愛などという思想は、価値は無上のものであったとしても、国家や民族が生き残るための力としては微弱である。残念だけど歴史がそれを証明しているように思う。

あれこれと意外な方向へ思いは巡って、アイヌ民族の興亡のことまでに発展してしまった。自分がその侵略者の子孫なのか、侵略された側の子孫なのか、本当のことはよく分らない。所詮は馬の骨に過ぎないというのが、自分自身の人間としての位置付けなので、そのようなことはどうでもいいのである。しかし生きている間は、侵略者にはなりたくないし、その側に立つこともあってはならないと思っている。

どうやら雨も音を立てることを止めたようである。次第に眠りが大きくなって迫って来た。この瞬間が一番いい。人間は、毎日この世とあの世とを往復しているというのが持論だが、今がまさに今日のあの世への旅立ちのときである。おやすみなさい。(了)(7.15.2003記)

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出会いのメモリー(旅のエッセー):妹背牛の一夜(その1)

2007-02-17 01:43:44 | 宵宵妄話

「妹背牛」とは何のことかご存知だろうか ? 牛の品種名ではなく、牛にちなんだイベントでもない。その前にこれを何と読むのか?もし、何の予備知識もないのに一発で読めた人がいたとしたら、あなたはまともな日本人ではないのでは? 私はそう思う。

しかし、北海道に棲む、そしてこの町に棲む人たちにとっては、私の発言は裁判所に持ち込まれるほどの問題となるかもしれない。そう、「妹背牛」とは地名であり、れっきとした北海道は空知支庁、雨竜郡に属する町の名なのである。「モセウシ」と読む。

妹背牛町は、旭川の南西部30㎞ほどにある、深川市や滝川市などに隣接する、北海道としては面積の小さな(4番目に小さいそうだ)、人口約4千人ほどの町である。地図を見ると、石狩川と雨竜川が、町半分の境界線となっていて、残りはこの二つの川が生み出したのであろう広い沃野に隣接する市や町との直線的な仕切りとなっているようだ。この辺りは山の全く無い豊かな穀倉地帯で、隣接する深川市では、深川米というブランド米の宣伝に力を入れているが、この妹背牛町の米も引けを取らない品質に違いない。米だけではなく、野菜や花卉類などの栽培も盛んなようである。

この街に迷い込んだのは、全くの偶然であった。午後も遅くなった雨の中を、旭川を出て深川の道の駅に立ち寄り小休止した後、さて今日はどこに泊まろうかと思案(これはくるま旅くらしの毎日の出来事でもあるのだが)をしたとき、近くに妹背牛という所があり、そこに自噴の温泉があるというのをガイドブックで知り、そこへ行ってみることにしたのである。宿泊の可否は、行ってみて決めるというのが毎度のやり方なのだ。

薄暗くなった道を、地図を頼りにようやくその温泉施設を探し当てた。明るい内ならば直ぐにわかるのだろうが、暗くなると視野が狭くなって見落としが多くなる。ましてや雨降りとなると、自慢の勘も働きが極端に鈍くなる。その温泉施設には、ペペルという妙な名がつけられていた。どうやら町役場に隣接しているらしく、広大な駐車場があり、かなり多くの車が駐車していた。100台以上はあったと思う。この温泉施設が多くの人に愛されているというのがわかる。雨の中をわざわざ出かけて来ているというのがその証であろう。

我々も早速利用させて貰おうと一人500円也を払って入る。旅くらしの中で、何よりの楽しみの一つが温泉に入ることである。北海道にはたくさんの温泉があって、しかも料金が安く、500円を超えるような所はあまり無い。我々は年金くるま旅を目指しているので、500円を超えるような温泉には特別の理由が無い限り入らないことにしている。このペペルは、ぎりぎりの料金だけど、自噴の温泉だというし、きっと満足できるに違いない。

そう思いながら入り口のドアを開けて中に入った。湯気の中に大勢の人がいた。子供が多いのは、家族連れで町の湯を楽しみに来ているからなのであろう。湯に浸る。いい湯だ。満足、まんぞく。約1時間湯気と喧騒の中に身を置いて、充分に温泉を味わって車に戻る。

車に戻って、さてどうしようか。ここは宿泊OKなのかどうかわからないけど、広大な駐車場だし、特に断らなくとも大丈夫だろうと勝手に判断して、一晩ここにお世話になることに決めた。何時ものようにビールで一杯やって、ヤレヤレと少し落ち着いて、さて音楽でも聴きながらゆっくりするかと考えていると、俄かにくるまの天井が騒がしくなってきた。雨は温泉に入る前から降り続いていたが、音を立てるほどではなかった。それがいきなりもの凄い降りとなったのである。

雨の降り様を表わすのに、「沛然」という言葉があるが、この猛烈な降り具合は、沛然のイメージをぶち壊して突き抜けるほどの強烈さである。滝の裏側に入ったような感じだ。実際そのような所に入ったことはないが、水の塊が落ちているのだから、その騒音はもの凄いに違いない。降水量で言えば、1時間あたり100ミリくらい、音の大きさで言えば100デシベルを超えるほどになるのではないか。とにかく最近では、いや今までの経験にない雨の降り様だった。もう、うるさくてどうにもならない。

キャンピングカーの天井は、薄い鉄板に何か知らないけど樹脂をコーティングしてある程度の代物だから、その直ぐ下にいる我々は、もろにその音響効果を味わわなければならない。このような状態にあると、人間の思考は停止し、不安を越えてがやがては諦めへ、そして開き直りへと向かうようだ。話すことばも無く、ひたすらにその轟音に耐えるのみであった。

かれこれ1時間近くもその猛烈な雨降りが続いたであろうか。ようやく普通の降りに戻り始めた頃は、22時を過ぎていた。やれやれと気を取り直して、外を見てみると、営業時間の終わった駐車場には、この施設の営業車以外は1台の車も居らず、我々だけになっていた。天気予報の情報が無いので、この後どうなるのかよく判らないけど、どうやらこの雨は明日まで降り続くようである。ともかく2階の寝床(=バンクベッド)にもぐりこむことにした。

さて、うまく眠れるだろうか?一気に消音のような状態ならば眠リ易いのだが、天井を叩く断続的な音響は安眠にはつながりそうも無い。しばらくはあれこれと考えごとをすることになる。旅に出ると、このようなことには慣れているので、イライラせずに、むしろそれを楽しむようにしている。頭に思い浮かぶのは、妹背牛と言うこの変ちょこりんな地名のこと、そしてそれにつながる北海道の漢字表記地名の異常さのことであった。

もともと鈍感な方で、例えば札幌という大都会の地名など当たり前に考え、何の疑問も抱かないで来ていたのだが、6、7年程前から北海道を旅するようになり、いろいろな所を訪ねるようになってから、どうもしっくりこない呼び名が多く、気になり出していた。(明日へ続く)

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出合いについて(1)

2007-02-16 09:03:34 | くるま旅くらしの話

私のくるま旅くらしにおける最大の目的は、「出会い」にあります。多くの場合、出会いといえば人と人との出会いをイメージすることが多いように思いますが、私が考える出会いは、その対象が人間だけではなく、動物、植物、風景、出来事、天候(気象状況)等など、私の五感を揺さぶる全てのものを意味しています。

くるま旅くらしではなく、毎日の家における暮らしの中にも様々な出会いがありますが、旅くらしでは、毎日の環境が大きく変わり、刺激的になります。つまり、今までの家での暮らしとは全く異なった世界の中に身を置くことになりますから、相当に鈍感を自認している人でも、感性の働きのレベルは自然と上がるのではないかと思うのです。

出会いというものをシビアーに考えて見ますと、我々は生まれた時からこの世を去るまで、絶えず出会いの毎日を送っているといえます。しかし、同じ日は二度と無いのを知っていながら、感覚的には昨日も今日もそして明日も同じだと思い込むようになってしまうのです。これはまさに感覚即ち感性の働きの為せる業であり、知らず知らずに毎日の変化を感じ取るための感性がその働きを失い、活き活きと生きることのパワーを低下させているのではないか、と私は考えます。

人が旅に憧れ、束の間であっても旅に出かけようとするのは、失った感性や弱まった生きる力を回復させたいという根源的な欲求の働きによるのではないかと思うのです。旅を、快楽を求めた遊びと考える人もいるかもしれませんが、私はその種の旅を旅とは考えません。人びとが本当に願っている旅というのは、失われ弱まった感性を回復させてくれる素晴らしい出会いであり、それがもたらす感動であり、癒しなのではないかと考えます。

特に定年という長い間の拘束労働から解放された世代の人びとにとっては、この思いは相当強いものがあり、新しい人生の再スタートのあり方を、何らかの旅を通して見出してゆきたいと考えられるのではないかと思うのです。私自身もそうだったし、私の知り合いの多くの人たちもまた、何らかの旅を経験しています。そして旅を通して新たな生きる力を獲得しているように思うのです。

私の場合は、これからの人生の多くの時間を、旅の中に身を置いてみようなどと大それたことを考えているものですから、「くるま旅くらし」などという妙な旅のこだわりに取り付かれてしまいました。しかし、形はどうであれ、旅の中には、人が求める新たな出会いと感動そして癒しがたっぷりと用意されているに違いありません。

出会いを思うとき、何が一番大切かといえば、それは前述のように「感性」だと思います。感性というのは「気づき」ということでもあります。どのように素晴らしい出会いの環境や場面に直面していても、それを素晴らしいと感じ取れなければ、出会いの感動はもたらされません。感性が働かなくなってしまった人は、感動を得ることができず、従って本物の喜怒哀楽から遠ざかり、人間の抜け殻のようになってしまうのでないかと私は考えます。これは恐ろしいことで、はっきり言えば人間ではなくなってしまうことでしょう。今の世の中には、この種の似非(えせ)人間ともいうべきインベーダーのような輩(やから)が、増えてきているように思えてなりません。

大自然の中で、或いは見慣れない異郷の中で、我と我が身の存在を思うとき、新しい出会いがどれほど大切かということに気づかされるのです。旅には、劣化した我が感性を自然と修復させてくれる、大きな力が秘められています。還暦を過ぎても米寿に至っても、瞳をキラキラさせながら、目に映る総てのものとの出会いに胸を弾ませることの出来る感性を持ち続けたいものです。(2.15.2007記)

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SUN号が「つくばナンバー」になりました

2007-02-15 07:02:02 | 宵宵妄話

 昨年秋から全国に「ご当地ナンバー」といわれる自動車の登録制が導入され、茨城県では土浦の陸運局管内で、新たに「つくばナンバーが」設けられることになりました。どういう訳か茨城県が全国最後の開設で、昨日の13日がその運用開始日となりました。 

SUN号は東京在住の時に手に入れたものですから、茨城県は守谷に越して来てからも、多摩ナンバーのまま使っていたのですが、今回この制度の導入を機に、多分ここが終の棲家となるであろうことも考え、移転登録をすることにしました。一昨日までは、土浦ナンバーならいつでも変更できたのですが、新しい「つくば」の方が清新な気がして、今日を待っていたわけです。 

今朝の新聞には、昨日は混雑が激しく、手続きが終わるまでが大変だったという内容の記事が載っていましたので、とにかく早く行って待ち時間を少なくしようと考え、6時半には家を出発しました。7時15分頃陸運局に着き、待ち列に並びましたが、前から4番目でした。その後の受付等以降の手続きも前倒しで行なって頂き、お役所の対応としては珍しく()、且つ有り難い対応だなと感謝した次第です。なんと9時少し過ぎには手続きは完了しました。 

 ところで、我がSUN号は以前も意味をこめた番号選択をしているのですが、今回も事前に登録番号の申請をして、「88-55」というナンバーをゲットしました。これは私たちのこれからのくるま旅くらしの目標数値を掲げたものなのです。「88」は、88歳即ち米寿を意味します。尊敬する旅の先達には、現在88歳を迎えておられる方が居り、また今年ご主人が86歳を迎えられるご夫妻もいらっしゃいます。私どもは、当初は控えめにして80歳を目指そうとしたのですが、もう既にそれをクリアーされている先輩もいらっしゃるので、少し欲張って思い切って88歳を選びました。又、「55」はそれ行けGO!GO!にあやかったものです。 

この数値目標を達成するためには、あと20年と少しの時間があります。この実現・達成のためには、並々ならぬ生き方の知恵と努力が求められると思いますが、大先達の生き様に学びながら、SUN号と一緒にこれから先の旅くらしを楽しんで行きたいと考えています。(2.14.2007記)

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ゴミ処理の責任は?

2007-02-14 06:21:47 | くるま旅くらしの話

くるま旅くらしの中での最大の問題の一つにゴミ処理があります。車を使わない旅であれば、ゴミ処理などは旅館やホテルなどの関係先に任せれば済むことですから、問題の対象外ですが、車での旅くらしとなりますと、どんなに生活ゴミを出さないように努めてもゼロにはなりません。必ずどこかで処理する必要に迫られます。 

全ての生き物は、自分を動かすためのエネルギー源をインプットし、使い果たした残骸をアウトプットして生きています。人間が生きて行くためのインプットの質量は、複雑多岐に亘り、食料だけに限定されず様々なものを付帯して使っています。それらを使い終えた後の遺物がゴミとなるわけですが、これの処理が真に厄介なテーマとなっていることは周知の事実です。 

くるま旅くらしでは、毎日生活環境が変わることが多いので、ゴミ処理の問題は大変悩ましいものとなります。というのも、世の中の大勢は、インプットの世界は「善」、アウトプットの世界は「悪」というような観念が横行し、ジュースを買って貰うのは良いことだが、飲んだ後の缶を捨てるのは悪いことだというので、缶ジュースの回収ボックスすらも置いていない某道の駅などもあるほどです。このときには、さすがに怒りを覚えずにはおられませんでした。 

ゴミ処理の責任問題を当座の視点で見れば、それを処理する人の心がけにあるのは明白です。どんな理由があれ、車の中からゴミを放り投げたり、違反の場所に放置したりすることは許されるものではありません。旅くらしの中では、このようなお粗末な違反行為の惨状を随所に見ることがあり、本当に怒りを覚えます。厳罰を科すべきです。(このような社会ルール違反を厳しく取締れない法制には疑問を感じます。美しい国づくりには、掛け声だけではなく、マナーやエチケットのレベルを引上げるためにも、社会全体で多面に亘る断固たる取り組みが必要なのではないでしょうか) 

ところで、ゴミ処理の責任問題は、最終処理に関わる個人だけの問題なのでしょうか?個々人のマナーがあまりにもお粗末過ぎることに不信を募らせ、外部からの来訪者に対しては、ゴミ箱を撤去している行政が次第に増えています。処理に困って、外来者はスーパーやコンビニのゴミ箱に捨てることを考えます。しかし、一時に大量のゴミが箱に入れられれば、スーパーやコンビニ側では、勢いそれを止めて貰うための手段を講じざるを得なくなります。その結果、これらのゴミ箱の使用を制限したり、或いは最後の手段として撤去という事態に至ることになります。この悪循環は、ゴミの投棄問題の解決につながるとは思えません。 

前述のように、生き物としての人間は、ゴミを出さないで生きることは出来ないのですから、捨てる場所が無ければ、このくらいはいいだろうと人目につかぬ所で置き捨てや投棄をするようになります。どんなに大きなゴミ箱を車に括りつけて旅をしている人でも、1か月分のゴミの保管は不可能です。 

良心を持つ者にとっては、ゴミを捨てる場所がどこにも無いという厳しい環境が、次第に整備されて来ているような気がしてなりません。世の中を構成するシステムに関わる多くのポジションで、性悪説が横行し、ゴミ処理の問題は、国を挙げて抜き差しならぬドロ沼に身を沈めようとしているように思えます。 

リタイア後の人生を、薬漬けの暮らしや認知症の世界などに向うことなく、健康で心豊かに過ごしたいと願って、くるま旅くらしを楽しもうと考える者にとって、生活の基盤であるゴミ処理が困難になるような世の中は、真に嘆かわしく残念です。 

多くの人びとの発想の転換が必要ではないかと思うのです。当座の狭い視野だけで物事を判断するようなことは、止めるべきです。特に大所高所からの判断を求められる行政に関わる人たちには、利益となるプラスの部分だけを見るのではなく、マイナスの部分も視野に入れて、トータル的に全ての人々の幸せにつながる発想を持った施策の取り組みをお願いしたいのです。 

くるま旅くらしの者に対しては、買物は是非とも地元で、だけど使い終えたゴミはどこか他所へ行って処理をして欲しい、というような歪んだ地元優先策はとって欲しくないのです。コストの問題が大きいのならば、有料にし、例えば地元で使っているゴミ袋を買って使う者には、ゴミ処理を許可するというような施策を採って欲しいものです。ゴミ箱を撤去するというような発想は、公共の施策を預かる立場では、真にお粗末限りなし、とも言うべきでしょう。くるま旅くらしなどをしている外来者よりも、地元の人たちが休日に行楽地に訪れて落とすゴミの量の方が、存外多いのではないかと思うこともあります。いずれにしても、人間不信の発想では、この種の問題は解決しないことは明らかです。 

ゴミ処理の責任がどこにあるかは、大変難しい問題であり、今のところ納得のゆく答はないのだと思いますが、旅くらしの中では、今の世の中について、この問題を通して、様々なものが見えてくるような気がします。今回は、中途半端な行政に対するお願いのようなことを記しましたが、いずれ機会を改めてこの問題を旅人の目から取り上げてみたいと考えています。

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私がナビを使わない理由(わけ)

2007-02-13 11:50:59 | くるま旅くらしの話

今頃ナビ無しで旅をしている人など、使い方が苦手な人を除けば殆どいないのではないかと思います。私は、使い方が苦手ということもありますが、装置の指示に従って車を運転するなんて、もっての外という高いプライド()を持っているものですから、ナビ無し主義を通しています。 

確かに未知の場所を訪ねる時には、不安は付きもので、うまく見つかるかな、探している家にたどり着けるかなという心配があると思います。そのような時、ナビを装着しておれば大安心というものでしょう。単に目的地へのガイドだけではなく、関連情報もゲットできる便利さは、忙しい現代に生きる私たちには、ありがたい装置であるに違いありません。 

それにも拘らず私がナビを不要と考えるのは、不便さを楽しみたいと考えるからです。目的地に着くまでの迷いを楽しみたいと考えるからです。この地上であれば、どんなに複雑な場所であっても、住所や名前・名称さえ知っていれば、到着できない所はないという、妙な信念があります。いざとなったら、車をどこかに置いても歩いてゆけば必ず目的地を探し当てることが出来ると確信しています。 

一発で目的地にたどり着いた方が良いという発想は、効率主義に基づくものであり、それは現役や特別急ぎの目的を持つ人たちのためのものでしょう。限られた時間の中で目的を達するためには、無駄な時間を排除しなければならないのは、当然のことだからです。車を使う人にとって、今の世ではナビは不可欠のツールとなっているのかもしれません。 

しかし、くるま旅くらしの可能な世代は、多くは定年後であり、時間だけはふんだんに保有している状況にあると思います。少なくとも私の場合は、有り余る時間を持て余すほどです。だから、スローライフで良いし、ゆっくリズムでいいのです。急ぐよりも遅い方が面白いのです。地図を調べる楽しみ、道に迷う楽しみ、そしてようやく目的地にたどり着いた喜び。それらのプロセスの一つひとつを味わおうとするならば、ナビなどそれほど必要とは思いません 

道に迷うのは、最初は悔しくて苛立ち、大変ストレスの溜まる出来事でした。しかし、良く考えてみると、迷うことによって、思いもかけぬ発見をすることも多かったのです。例えば、地方の神社仏閣を探していて、迷った結果目的のものよりもずっと素晴らしい建物に出くわしたこともありましたし、迷って、その街をぐるぐる隈なく走る結果となり、おかげさまで大体の街の様子がすっかり頭に入ってしまった(これは実は釧路の街なのですが)様なこともありました。 

それに気づいたとき、うん、迷うのも結構面白いし役立つぞ、と思ったのです。それ以来迷うのを楽しみにするようになりました。勿論、最初から目的地もなく迷うわけではありません。行き先を決めたら、事前に地図で一応の調べはするのです。この地図を調べるのも結構楽しいものです。単に道筋だけではなく、地図上に記されたいろいろの情報を確認することができるからです。しかし、そのようにして事前に調べていても、地図と現地とでは大違いで、立派だった道がいきなり細道に変わったり、在る筈の信号の表示場所名が無かったりなどして、騙されて迷うわけなのですが、一旦、この迷う楽しみを知ってしまうと、ワクワク心が湧いて来るほどなのです。 

恐らくナビを着けていて迷った時には、裏切られたショックと、さてどうするかという戸惑いで、パニック状態が訪れるようなことがあるのではないでしょうか。ナビを信頼する人は、地図などは不要と考えて、殆ど見なくなり、持参もしなくなるのではないかと思います。それが、いきなり地図が必要となりますと、気持ちが落ち着くまでに時間がかかるのは必定です。

しかし、ナビ無し主義では、最初から迷うのを覚悟し、むしろそれを楽しんじゃおうと思っていますから、いつも平常心で走れるのです。 無理にお勧めしようとは思いませんが、あなたも道に迷う楽しみを体験されてみては如何でしょうか?

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幕張メッセに行ってきました

2007-02-12 05:25:50 | 宵宵妄話

10日から12日までの3日間、幕張メッセで日本RV協会主催の「キャンピング&RVショー『Dream Outdoor 2007』」が開催されていますが、その初日に見学に行ってきました。偶々家内が幕張出身なので、メッセでの開催は実家に立ち寄ることも出来て好都合でした。 

幕張といえば、その昔は海水浴と潮干狩りの名所でした。40年前は、春の潮干狩りのシーズンともなれば、JR幕張駅から500mほど先の海岸まで、アサリ貝を採りに行く人達と採り終えた人々が、蟻の行列のようにつながる毎日でした。その遙か沖に現在のメッセ会場が建っています。想像もできない景観です。私には、幕張新都心の景観は、蜃気楼のように思えてなりません。

 さて、そのメッセに今年も胸を弾ませながら会場の入口をくぐりました。開場間もない時刻でしたが、もうかなりの人出となっていました。2階の入り口近くからは開場全体が俯瞰できますが、そこには200台近いピカピカのキャンピングカーとRV車が輝いていました。人びとの車に寄せる夢には永遠のものがあるような気がします。そして、旅車には、それ以上の豊かな夢が詰まっているように思います。その旅車をつくる人たちの夢とそれを使いたいと願う人たちの夢とが、この会場全体を膨らます熱気となって一種独特の雰囲気を醸し出しています。

 私は今のところ旅車を買い替えるつもりも予定もなく、今日は来場の皆さんと一緒に旅車に寄せる夢を味わいたいと考えてやってきた次第です。どの旅車もそれぞれのつくり手の思いがたっぷり入っていて、魅力的です。本当に目移りがします。数年前とは、技術的にも格段の進歩があり、旅車は急速な進化を遂げているように思いました。これらの新しい旅車を手に入れられる人は果報者だなあ、と思いました。本当はここで、自分が心に留めた幾つかの車についてコメントを書ければいいのでしょうが、残念ながら私には機械も電気も工作の知識も技量も全くといっていいほど無く、コメントは不可能なのです。全ての車に感心し、敬意を表するばかりです。コメントの方は、専門家にお任せするしかありません。

 旅車の選定は、スタイル、価格、装備等によって各自が決められることだと思いますが、私が大切に思うのは、自分が決めた車には惚れて惚れ抜くべし、ということです。これは人生の伴侶と同じであり、むしろ車は生身の伴侶以上に正直者であり、楽しい旅くらしを目指す上では、車との信頼関係を大切にしてゆくことが不可欠の要件と考えます。

 一目惚れして買ったのだけど、大して使っていなのに不満ばかりが続出していては、楽しい旅などできるはずもありません。車の方に原因がある場合もあるとは思いますが、私が伺う話の大半は、車ではなくご本人の考え方に疑問を持つことが多いようです。そのような愚痴ばかり並べている人は、恐らく人生の伴侶に対しても愚痴の多い人なのだろうなどと考えてしまいます。

 惚れ抜くというのは、一見ビューティフルのちゃらちゃらした表面的な愛情行為ではなく、心の芯で絶対的な信頼を持つということだと思います。車は、自分の心がけ次第で、長持ちも使いやすさも決まるものであり、何の面倒も見ず、手荒く使うばかりでは思いに応えてくれるはずもありません。

 これら一台一台の車が、新しい買い手に引き取られた時、そのオーナー一人ひとりの出会いの夢が、車の寿命が尽きるまで、消えることなく持ち続けられることを願わずにはいられない気持ちでした。広い会場内を3,4回巡り歩いて、大勢の方たちと一緒に楽しい夢を共有した時間でした。何人かの知人にもお会い出来た嬉しいひと時でもありました。 

会場を後にしたのは、正午を少し過ぎた頃でしたが、入場者は続々と続いており、旅車に寄せる人々の思いの大きさを改めて感じさせられました。メッセのイベント用の広大な駐車場は、今まで見たことも無いほどのキャンピングカーやRV車などで埋まっており、真に壮観でした。昨年はこのショーに15万人が来場したとのことですが、今年はそれを上回るに違いありません。ピカピカの車たちのことを思い浮かべながら、我が家の車庫に鎮座しているSUN号のことを思い起こし、大丈夫お前さんを手放すことなど無いから、安心しろと心の中でつぶやいた次第です。 

ところで、これらショーのことやキャンピングカーの情報に関しては、「キャンピングカー・スーパーガイド・オンラインCamping car Super Guide Online )」をご覧頂くことをお薦めいたします。この中で、編集長のブログ「町田のひとりごと」(http://campingcar.blog.hobidas.com/)にも触れて頂ければ、旅車のことは一層理解が進むと思います。

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くるま旅くらしの料理:ジャガイモの味噌炒め

2007-02-10 00:14:54 | くるま旅くらしの話

どういうわけか、私はジャガイモが大好きで、これを主食にしても一向に飽きが来ない人間です。ジャガイモは米と同じように一年中どこへ行っても調達可能な食材の一つで、イモ類の中では、甘くもなくヌメリもなく、一番素直な食材ではないかと私は思っています。今日はそのジャガイモ料理(?)の一つを紹介させて頂きます。 

ところで、くるま旅くらしでは、食は最も重要なくらしの構成要素の一つです。医食同源という古くからの中国の言葉がありますが、健康の根源の一つが、「何を、どのように食べるか」ということに係っているのは明白だと思います。いい加減な食事をし続けていて、具合が悪くなったら薬に頼るという生き方は、現代人が最も陥りやすい愚行の一つだと思います。 

何を、どう食べるかという行為そのものが医療行為であり、健康づくりの源なのだという考え方が、医食同源という言葉の意味だと思いますが、これは真にもって、一点の疑いもない真理だと思います。 

くるま旅くらしの中では、なんと言っても健康であることが絶対要件ですから、どのような食事をするかということは極めて大切なことです。

私の場合は、外食は殆どせず、特別の条件でもない限りは、面倒がらずに在宅時と同じように、自前の食事をするように心がけています。特に野菜類を欠かさないようにすることが体調の維持に大きく関わるようです。

又、調理は必ずしも家内の仕事ではなく、私自身の仕事として受け止めていますので、あまり苦にならずに作っています。

さて今日は得意料理(と勝手に思っているだけですが)の一つである「ジャガイモの味噌炒め」ですが、これは極めて簡単素朴な料理で、料理などというのはおこがましいものかも知れません。田舎育ちなので、味噌を使った素朴な料理が時々食べたくなると、これを作ります。 

簡単にレシピを紹介しますと、材料はジャガイモ3~4個、味噌大匙3杯ほど、砂糖大匙2杯ほど、油類(サラダ、ごま、オリーブなど何でもOK)、調味料として胡椒少々。作り方は、①先ず小丼などの器に味噌と砂糖を入れ、ほんの少しお湯などを入れて堅めに溶いておく。②ジャガイモの皮をむいた後、厚めにスライスして、堅めに茹で、そのまま笊に取り水分(お湯)を切っておく。③フライパン(出来れば底の深いものが良い)に油を少し入れて(敷く程度)熱し、②の茹でたジャガイモを入れ、少々の胡椒を振りながら炒める。④炒め終えたら、①の味噌をかけ回し、よく混ぜる。混ぜ終えたら、それで完成です。味噌と砂糖の混ぜ合わせ方は、自分の好みに合わせれば良いし、使う油も好きなものを選べば良いと思います。注意したいのは、ジャガイモを茹で過ぎないことです。茹で過ぎると形が崩れてしまい、締りのない料理となってしまいますので。 

ジャガイモはおかずとしては、カレーやシチューなどに使われることが多く、少し時間がかかりますが、この味噌炒めは煮込まなくてもいいので、手軽に作れますし、酒の肴としても結構いけるのです。(尤も、これは私が特別のジャガイモ好き人間だからなのかも知れません)因みに家内はジャガイモがあまり好きでないようなので、独り占めに出来て、私は満足です。 

夫婦二人のくるま旅くらしの中では、食事に関しては、女性の役割と決めるのは、気の毒な発想だと思います。というのも、自分で作れば食事の意味がより身近に理解できるからです。栄養やカロリーに関してどのような高邁な知識や意見を持っていても、自分自身では何も調理できないような人を私は尊敬しません。人間は、知識で生きているのではなく、生身の現実で生きているのであり、その基本は食べるものを自分自身で作れることにあると考えるからです。調理を自分でするということは他人のためだけではなく、何よりも自分自身のためだと思うからです。世の中の男類が女類よりも長生き出来ないのは、食事を自分で作れ(ら)ないことに起因するのではないか、などと考えています。特に相棒に先立たれた男類が余命を短くするというのは、そのことの証明であるような気がします。 

ま、それはともかく、くるま旅くらしでは時間はたっぷりあるのですから、世の中の男類の皆様はせめて2、3種類の得意料理くらいは保持したいものです。(これはいい過ぎたかな?)

 

ブログ開始からここまで、少し走り過ぎた様な感じがします。2、3日休むことにします。今日は幕張メッセで開催される、日本RV協会主宰の「キャンピング&RVショー『Dream Outdoor 2007』」の見学に行ってきます。馬骨

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旅のエッセー;磐梯山紅葉小紀行

2007-02-09 01:31:07 | 宵宵妄話

 

 

国道49号線に入って、長い坂を下ると、会津平野の展望が一挙に開けてくる。今日は午後になっても殆ど雲のない快晴が続いていて、磐梯山の雄姿が眼前に広がっていた。麓の樹々たちは、もう9割は紅葉を開始していて、赤ともいえぬ、黄色ともいえぬ、その何ともいえない色合いは、あくまでも澄んだ青空の下で、厳しい表情の磐梯山でさえも、それを緩めざるを得ないように、陽光を呼吸していた。

山の麓をしばらく走って、ゴールドラインの有料道路に入る。ここからはかなりの急坂となる。幾重にも曲がる道を登ってゆくと、左右の身近な木々の紅葉は一層鮮やかさを増し、思わず、オーッという声が出てしまうほどだ。間もなく山湖台という展望所に到着。ここでしばし休憩。観光客も多く、車も混んでいた。

山湖台からの景観は素晴らしいの一語だ。その名のとおり、湖と山の眺望が広がっている。眼下遙か彼方に猪苗代湖の光り輝くのが見える。今日は下界の方は少し空気が暖かく膨らみ過ぎて、湖はやや霞んで見える。それでも鏡の輝きは失われておらず、このような山の中に大きな湖があるのを改めて不思議に思った。目を左手に移すと、松や杉の緑を圧倒して、ブナや楓などの赤や黄色の広がる森の彼方に、限りなく澄み渡るブルーの空を背景に、磐梯山がどっしりとその威容を聳えさせている。遠くからの景色と違って、ここまで登ってくると、その迫力はいや増すという感じだ。ことばもなく、その大きな景色に見入るだけだった。

鮮やかな赤に染まった一本の楓の紅葉も好きだが、山や林全体が赤や黄や緑で染め上げられた紅葉がもっと好きだ。そこには何ともいえない温かさがあるからである。樹々たちの、今年一年の生命(いのち)が熄(や)む前の、束の間の輝きが紅葉なのだと思う。山全体の紅葉は、そこに在る全ての樹々たちの、残された生命の集合体であり、それらが溶け合った姿なのだと思う。だから、そこには燃えるエネルギーの温かさがあるのだ。

しかし、その温かさは春先の山笑う季節のそれとは大分(だいぶん)に違っている。春先のような、湧き上がり、こみ上げてくるエネルギーによるものではなく、熄(やす)みに向う前の最後の燃焼が発する温かさなのではないかと思うのだ。

樹々の生命の燃焼が熄(や)むと、その後は枯れる。枯れるとは、再び生命が甦るためのリセット現象のことであり、それは生命の営みの振り出しに戻るということであろう。この無限にも似た拡大循環が終わった時、樹々たちの生命が尽きるということになる。自分はそのように考えている。

人は何故紅葉に惹かれるのだろうか。自分はそれほどにその魅力の虜にはなっていないけど、思えば我が人生も紅葉の季節に近づいているのかも知れない。いや、もしかしたら今こそが紅葉の真っ盛りの中に在るのかも知れない。それ故に、この頃は紅葉が少々気になり出し始めたのかもしれない。若い頃の紅葉の味わい方とは、少しずつそれが変わってきているように思う。傍にいる我が相棒も、やはり人生の紅葉期の中に居るのだろうか?

くるま旅くらしに名を借りて、天から預かった命が熄(や)む前のひと時の感動を、二人共有している時間が今なのかも知れない。その時間が長く続くことを願わずにはいられない。しかし、人生には樹々たちよりも遙かに短い有限の時間しか用意されていないから、今を存分に味わい、楽しむことこそが、一番大切なのかもしれない。相棒のどちらか一方の生命が熄(や)む時が来たならば、恐らく残された方は急速に枯れ始めるだろう。少なくとも自分はそうなるに違いないと思っている。我が相棒には、とにかく健康で長生きして欲しいと願っている。 

眼前に広がる大きな景色に見入りながら、あれこれと思いを巡らした。そのようなことを考えながら、一方では、あの森や林の中に入って行ったら、どのような獲物があるのだろうか。アケビやサルナシなどの実はもう終わってしまったのか、きのこはどうなのだろうか、などといつもの欲張りな好奇心も働かせている。人間とは不思議なものだ。ま、このような好奇心が働いている間は、人間を熄(や)めることは無いだろう。 

1時間ほど存分に眺望を堪能して、桧原湖を目指す。途中の峠は地図によれば1,194mとあるから、かなりの高さである。この辺りからの眺めも素晴らしい。坂を下りし少し行くと、林の中に駐車場があったので、ちょっと立ち寄った。もうここは裏磐梯で、ここからの磐梯山は、先ほどとは全く違った恐ろしい山容を呈している。明治の中頃に大爆発を起こして、頂上付近がぶっ飛んだその痕が、そのままに残っているようだ。つい100年ちょっと前の出来事なのである。往時の人びとの驚愕の様がよく分かるような気がする。桧原湖も小野川湖も秋元湖も五色沼も、その他100を超える湖沼も全てこの大事件の産物なのだから、大自然の力というのは、本当に強大で凄まじい。あらためてその怖さを思った。

裏磐梯に入ると、紅葉は一層進んでいて、道路わきには葉を失ったナナカマドが、随所に真っ赤な実を輝かせていた。桧原湖を右手に見ながら、国道459号線を左に曲がって、坂を下り登って行くと道の駅:裏磐梯があった。ここでしばらく休憩し、地元の工芸品や農産物などを見て、幾つかをゲットした。かなり暗くなってきたので、今日は、喜多方の道の駅に行って、温泉に入ってゆっくりすることにした。

薄暗くなった坂道をしばらく走ると、北塩原村を通り抜けて喜多方に入った。楽しみのラーメンは明日にすることにして、郊外にある道の駅:喜多の郷に到着。平日のこともあって、あまり混んでいなくて良かった。ここには蔵の湯という、泉質の良い温泉があり、気に入っている。昨夜(旅の知人宅で歓談に一夜を過ごした)は、話が弾み過ぎて、お風呂に入ることなどすっかり忘れてしまっていた。1時間ほどかけて、久しぶりの温泉をじっくり味わう。 

風呂から戻って、ビールで乾杯。昨日の酒も美味かったが、風呂上りのこの一杯は、これまた格別の旨さがある。我が相棒は、自分以上にこの一杯を楽しみにしているようだ。これはありがたいことである。酒を一滴も飲めないような相棒だったら、もっと静かで暗い人生をおくることになったかもしれない。酒を飲むと暗くなる性格の人も間々居るようだが、我が相棒はまともだったのでよかった。くるま旅くらしをするようになってから、この風呂上りの、或いは寝る前の一杯が以前よりは確実に相棒との距離を近づけたように思う。糖尿病の自分としては、アルコールは禁物ということは承知しているが、そのために生命が熄(や)むことになっても、相棒と一緒に生きていることの証を強めるためにも、この一杯をやめることは出来ない。 

今夜も外はかなり冷え込みそうである。寝る前にドアを開けて空を見上げると、たくさんの星たちが煌めいていた。 久しぶりに見た磐梯山の紅葉は素晴らしかった。自分たちの人生の紅葉期を、なるべく長く、少なくとも相棒が八十路を迎えるまでは保ちたいなと思いながら、あっという間に白河夜船に入る。  

翌朝は爽快な気分で早起きする。相棒は惰眠を貪りつつあるらしい。一人車を出て、駐車場の直ぐ上にある小さな溜池の土手に上がってみると、たくさんの鴨たちが飛来していた。3種類くらいだろうか、泳いでいる奴よりも水際の土手で休んでいる方が多い。春に来た時は、池の周りに植えられた桜が見事に花を咲かせていて、鴨たちはいなかったのだが、こうやって旅の水鳥を見ていると、自分たちの旅くらしの思いとイメージが重なって、何となく愛おしさを感ずる。旅くらしには、楽しさも多いが、それ以外の感情を抱くことも多い。この鴨たちも旅くらしの中で、様々な出来事に出会いながら、紅葉期を迎えてゆくのだろうか。池の周りを歩きながら、あれこれと昨日以来の感慨に思いを巡らせた。しばらく付近を散策して車に戻ると、相棒も目を覚まして着替えをしていた。 今回の旅は、今日で終わりである。もう少しここで時間を過ごし、ラーメンの店が開くのを待って喜多方の味を堪能してから帰途につくことにする。その後は、安全運転でひたすら家路を目指すだけである。(2005年秋記)

追記:この一文は、昨年11月4日にNHKで放映された「つながるTV@ヒューマン『紅葉スペシャル』」の取材を受けた中で、その一部が紹介されました。 

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