山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

出会いについて(2)

2007-02-20 00:10:23 | くるま旅くらしの話

出会いについては、いろいろ考えることがあります。ほんとは考えなくてもいいから、素直に出会いを楽しめばいいのでしょうが、なにしろ生来の理屈屋で頑固者なものですから、自分で自分を止めようとしてもムダなのです。ならば、他人(ひと)様に、なんだかんだ喋らなくてもいいんじゃないかと思うのですが、言いふらすのが好きな性分がどこかにあって、これ又止めるのが難しいのです。

というわけで、今日は出会いの理屈の2回目です。出会いとは何か。これについては拙著「くるま旅くらし心得帖(新風舎刊)」の中でも触れていますが、簡単に言えば、文字通り「出て」「会う」ことが出会いです。どこでもいい、外へ出かけていって、誰かに或いは何かに会うことが出会いという意味になりますが、そのような当たり前の説明では、馬鹿にするな!とお叱りを受けることになってしまうでしょう。

出会いがもたらす感動、それが鎮まったときの癒しの情感などについて深く思い巡らしてみますと、私は本物の出会いというのは、「自分という人間の殻から抜け出し、自分の殻から抜け出した相手と会う」ことではないかと思うのです。それが本当の出会いの要件ではないかと思うのです。

人間は誰でも、自分を守るための殻(から)或いはバリアーを持って生きています。心の安全を保つためのバリアー(心理学的にはデフェンス・メカニズム)が無ければ、人は自分以外の人たちとの係わり合いの世界(=社会=世間)の中で生きて行くことは出来ないと思います。時に善人になり、時に悪人になり、時に嘘をつき、時に大声を上げ、時に寡黙となり、時に超正直者となって懺悔・告白に涙を流す、というように人間の様々な生き様は、全ての個人の中で繰り返される普通の心のデフェンス・メカニズム(=防衛機構)が働くことによるものであり、生きて行くための心の自然の働きだということが出来ます。つまり、人間は誰でも心の中に悪魔と天使を飼っており、対峙する状況に応じてそれを使い分けているのです。

子供の頃、自分は二重人格者ではないか?と悩んだことがありましたが、大人になってから、人間の心のデフェンス・メカニズムという理解を得た時、ようやくその疑問と不安から解放されたのを覚えています。人間は、二重人格者などではなく、多重人格者であり、状況に合わせて千変万化の心の使い分けをしているのだということです。その使い分けの強弱は様々ですが、生きて行くためには、使い分けて行かざるを得ないのです。

さてさて、ここまで超難しげな話となりました。一先ず人間は誰でも自分を守るための殻を持って生きているということを説明したつもりです。心に殻が無いのは無垢の新生児の時くらいのものでしょう。この心のデフェンス・メカニズムは、年を経るごとに次第に堅固なものとなり、我々のような世代ともなれば、最早原爆をぶち込まれてもビクともしないほどのバリアーとなっているに違いありません。そして、人はそのバリアーの中で目を光らせ、安全、安心の品定めをしながら、バリアーを出たり入ったりして行動しているというのが実態だと思います。斯く言う私も、その例に漏れる者ではありません。

さて、本論に戻って、人と人との出会いは、このように自分自身のバリアーを持った者同士が会うことになるわけですが、私が考える本物の出会いというのは、バリアーを外した者同士の交流を意味します。お互い警戒心を抱きながらではなく、用心の殻を脱ぎ捨てて絶対的な信頼関係の中で、心と心が触れ合うことが出来る状況が本物の出会いだと思うのです。

実態としては、出会った瞬間からそのような絶対的信頼を持てるものではなく、そこにたどり着くまでには多少の時間が必要なことは当然です。コミュニケーションを交わす度に、相互の理解度、信頼度が高まってゆき、やがては自分自身の殻などすっかり忘れて話合いや交流が出来る関係を言うのだと思います。これは決して表面的なものではなく、心の深いところでお互い相手を尊敬しあえる、絶対的な信頼関係が基盤となっているものだと思うのです。

この出会いの最も代表的なのが、本来夫婦関係なのだと思いますが、さて、これは少し揺れますね。(笑)

ところで、出会いは全て本物でなければならないかといえば、決してそのようなことはありません。なぜなら出会いには本物はあっても、偽物など無いからです。最初はどのような場合でも、知らない者同士が無防備で交流できるものではありません。どこかに警戒心があるのは当然です。そこから始まって交流を深めてゆく間に次第に自分のバリアーを外し、相手もバリアーを外してくれて、本物に近づいてゆくものだと思うのです。一目惚れのような出会いも無いわけではないと思いますが、まれでありましょう。

時間をかけながら本物の出会いをつくってゆくことが、くるま旅くらしの最大の楽しみです。出会いというのは、旅が終わればそれと一緒に消え去ってしまうものではなく、生涯の宝物として、残された人生を心豊かに過ごす支えとなってくれるに違いないと確信しています。(2.16.2007記)

コメント (1)
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