山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅のエッセー;磐梯山紅葉小紀行

2007-02-09 01:31:07 | 宵宵妄話

 

 

国道49号線に入って、長い坂を下ると、会津平野の展望が一挙に開けてくる。今日は午後になっても殆ど雲のない快晴が続いていて、磐梯山の雄姿が眼前に広がっていた。麓の樹々たちは、もう9割は紅葉を開始していて、赤ともいえぬ、黄色ともいえぬ、その何ともいえない色合いは、あくまでも澄んだ青空の下で、厳しい表情の磐梯山でさえも、それを緩めざるを得ないように、陽光を呼吸していた。

山の麓をしばらく走って、ゴールドラインの有料道路に入る。ここからはかなりの急坂となる。幾重にも曲がる道を登ってゆくと、左右の身近な木々の紅葉は一層鮮やかさを増し、思わず、オーッという声が出てしまうほどだ。間もなく山湖台という展望所に到着。ここでしばし休憩。観光客も多く、車も混んでいた。

山湖台からの景観は素晴らしいの一語だ。その名のとおり、湖と山の眺望が広がっている。眼下遙か彼方に猪苗代湖の光り輝くのが見える。今日は下界の方は少し空気が暖かく膨らみ過ぎて、湖はやや霞んで見える。それでも鏡の輝きは失われておらず、このような山の中に大きな湖があるのを改めて不思議に思った。目を左手に移すと、松や杉の緑を圧倒して、ブナや楓などの赤や黄色の広がる森の彼方に、限りなく澄み渡るブルーの空を背景に、磐梯山がどっしりとその威容を聳えさせている。遠くからの景色と違って、ここまで登ってくると、その迫力はいや増すという感じだ。ことばもなく、その大きな景色に見入るだけだった。

鮮やかな赤に染まった一本の楓の紅葉も好きだが、山や林全体が赤や黄や緑で染め上げられた紅葉がもっと好きだ。そこには何ともいえない温かさがあるからである。樹々たちの、今年一年の生命(いのち)が熄(や)む前の、束の間の輝きが紅葉なのだと思う。山全体の紅葉は、そこに在る全ての樹々たちの、残された生命の集合体であり、それらが溶け合った姿なのだと思う。だから、そこには燃えるエネルギーの温かさがあるのだ。

しかし、その温かさは春先の山笑う季節のそれとは大分(だいぶん)に違っている。春先のような、湧き上がり、こみ上げてくるエネルギーによるものではなく、熄(やす)みに向う前の最後の燃焼が発する温かさなのではないかと思うのだ。

樹々の生命の燃焼が熄(や)むと、その後は枯れる。枯れるとは、再び生命が甦るためのリセット現象のことであり、それは生命の営みの振り出しに戻るということであろう。この無限にも似た拡大循環が終わった時、樹々たちの生命が尽きるということになる。自分はそのように考えている。

人は何故紅葉に惹かれるのだろうか。自分はそれほどにその魅力の虜にはなっていないけど、思えば我が人生も紅葉の季節に近づいているのかも知れない。いや、もしかしたら今こそが紅葉の真っ盛りの中に在るのかも知れない。それ故に、この頃は紅葉が少々気になり出し始めたのかもしれない。若い頃の紅葉の味わい方とは、少しずつそれが変わってきているように思う。傍にいる我が相棒も、やはり人生の紅葉期の中に居るのだろうか?

くるま旅くらしに名を借りて、天から預かった命が熄(や)む前のひと時の感動を、二人共有している時間が今なのかも知れない。その時間が長く続くことを願わずにはいられない。しかし、人生には樹々たちよりも遙かに短い有限の時間しか用意されていないから、今を存分に味わい、楽しむことこそが、一番大切なのかもしれない。相棒のどちらか一方の生命が熄(や)む時が来たならば、恐らく残された方は急速に枯れ始めるだろう。少なくとも自分はそうなるに違いないと思っている。我が相棒には、とにかく健康で長生きして欲しいと願っている。 

眼前に広がる大きな景色に見入りながら、あれこれと思いを巡らした。そのようなことを考えながら、一方では、あの森や林の中に入って行ったら、どのような獲物があるのだろうか。アケビやサルナシなどの実はもう終わってしまったのか、きのこはどうなのだろうか、などといつもの欲張りな好奇心も働かせている。人間とは不思議なものだ。ま、このような好奇心が働いている間は、人間を熄(や)めることは無いだろう。 

1時間ほど存分に眺望を堪能して、桧原湖を目指す。途中の峠は地図によれば1,194mとあるから、かなりの高さである。この辺りからの眺めも素晴らしい。坂を下りし少し行くと、林の中に駐車場があったので、ちょっと立ち寄った。もうここは裏磐梯で、ここからの磐梯山は、先ほどとは全く違った恐ろしい山容を呈している。明治の中頃に大爆発を起こして、頂上付近がぶっ飛んだその痕が、そのままに残っているようだ。つい100年ちょっと前の出来事なのである。往時の人びとの驚愕の様がよく分かるような気がする。桧原湖も小野川湖も秋元湖も五色沼も、その他100を超える湖沼も全てこの大事件の産物なのだから、大自然の力というのは、本当に強大で凄まじい。あらためてその怖さを思った。

裏磐梯に入ると、紅葉は一層進んでいて、道路わきには葉を失ったナナカマドが、随所に真っ赤な実を輝かせていた。桧原湖を右手に見ながら、国道459号線を左に曲がって、坂を下り登って行くと道の駅:裏磐梯があった。ここでしばらく休憩し、地元の工芸品や農産物などを見て、幾つかをゲットした。かなり暗くなってきたので、今日は、喜多方の道の駅に行って、温泉に入ってゆっくりすることにした。

薄暗くなった坂道をしばらく走ると、北塩原村を通り抜けて喜多方に入った。楽しみのラーメンは明日にすることにして、郊外にある道の駅:喜多の郷に到着。平日のこともあって、あまり混んでいなくて良かった。ここには蔵の湯という、泉質の良い温泉があり、気に入っている。昨夜(旅の知人宅で歓談に一夜を過ごした)は、話が弾み過ぎて、お風呂に入ることなどすっかり忘れてしまっていた。1時間ほどかけて、久しぶりの温泉をじっくり味わう。 

風呂から戻って、ビールで乾杯。昨日の酒も美味かったが、風呂上りのこの一杯は、これまた格別の旨さがある。我が相棒は、自分以上にこの一杯を楽しみにしているようだ。これはありがたいことである。酒を一滴も飲めないような相棒だったら、もっと静かで暗い人生をおくることになったかもしれない。酒を飲むと暗くなる性格の人も間々居るようだが、我が相棒はまともだったのでよかった。くるま旅くらしをするようになってから、この風呂上りの、或いは寝る前の一杯が以前よりは確実に相棒との距離を近づけたように思う。糖尿病の自分としては、アルコールは禁物ということは承知しているが、そのために生命が熄(や)むことになっても、相棒と一緒に生きていることの証を強めるためにも、この一杯をやめることは出来ない。 

今夜も外はかなり冷え込みそうである。寝る前にドアを開けて空を見上げると、たくさんの星たちが煌めいていた。 久しぶりに見た磐梯山の紅葉は素晴らしかった。自分たちの人生の紅葉期を、なるべく長く、少なくとも相棒が八十路を迎えるまでは保ちたいなと思いながら、あっという間に白河夜船に入る。  

翌朝は爽快な気分で早起きする。相棒は惰眠を貪りつつあるらしい。一人車を出て、駐車場の直ぐ上にある小さな溜池の土手に上がってみると、たくさんの鴨たちが飛来していた。3種類くらいだろうか、泳いでいる奴よりも水際の土手で休んでいる方が多い。春に来た時は、池の周りに植えられた桜が見事に花を咲かせていて、鴨たちはいなかったのだが、こうやって旅の水鳥を見ていると、自分たちの旅くらしの思いとイメージが重なって、何となく愛おしさを感ずる。旅くらしには、楽しさも多いが、それ以外の感情を抱くことも多い。この鴨たちも旅くらしの中で、様々な出来事に出会いながら、紅葉期を迎えてゆくのだろうか。池の周りを歩きながら、あれこれと昨日以来の感慨に思いを巡らせた。しばらく付近を散策して車に戻ると、相棒も目を覚まして着替えをしていた。 今回の旅は、今日で終わりである。もう少しここで時間を過ごし、ラーメンの店が開くのを待って喜多方の味を堪能してから帰途につくことにする。その後は、安全運転でひたすら家路を目指すだけである。(2005年秋記)

追記:この一文は、昨年11月4日にNHKで放映された「つながるTV@ヒューマン『紅葉スペシャル』」の取材を受けた中で、その一部が紹介されました。 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 給油所あれこれ(1):価格... | トップ | くるま旅くらしの料理:ジャ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
情感ゆれながら、、、。 (京らんざん)
2007-02-09 19:56:37
馬骨さんの思いの全てがここに凝縮されていますね~。読みながら自らの「人生の紅葉期」を考えています。
残念ながらNHK「つながるTV@ヒューマン{紅葉スペシャル}」観ていません。観たかったな~!

返信する
お互い、いい紅葉期を! (馬骨)
2007-02-09 22:56:19
老後などとは決して言わず、せめて紅葉期と呼びたいものです。お互い、いい紅葉期を長く続けたいものです。
返信する

コメントを投稿

宵宵妄話」カテゴリの最新記事