山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

出会いのメモリー(旅のエッセー):喜連川の猿山

2007-02-07 00:29:13 | 宵宵妄話

 ‥‥今日は何匹目の猿になるのかな?と思いながら入口の引き戸を開けて脱衣所に入る。狭い脱衣所には、あまり多くはないけど、脱いだ衣服の数は結構あって、湯気が上がっている池の向こうの猿山には、20人以上のお猿さんが湯に入ったり、岩山に登ったりしている。のんびりとした露天風呂の風景である。自分もたちまち素っ裸のお猿さんになって、湯に浸かる。未だ太陽が空に残っている。

栃木県北部の、中央やや東よりの所に喜連川という小さな城下町がある。現在はさくら市となった。茨城県だと、緯度はほぼ大子町辺りか。喜連川は足利家の正統を継ぐ、喜連川氏が治めた城下町である。石高は1万5千石と少なかったが、十万石格を与えられていたのは、徳川幕府といえども、やはり足利一族に対する畏敬の念があったからなのかも知れない。歴代の城主の名前などを見ると、例えば最後の城主が「氏綱」であったように歴代「○氏」という名を用いている人物が多いのは、その証しなのかも知れない。

喜連川の町には、城跡の中央高台にスカイタワーと呼ばれる塔が建っている。どうしてこのようなものを造ったのか知らないが、観音像よりはいいかもしれない。目立つことには役立っているが、城下町の雰囲気は壊されているような気がする。喜連川辺りの地形は、幾筋もの丘が連なっており、それらの小高い丘に登ると、北方右手には那須連山がどっしりと構え、左方には日光男体(二荒)山の大きな山容が望見できる。茨城県からは見ることができない景色である。

この喜連川に温泉が見つかったのは、それほど古い話ではなく、昭和50年代初めの頃とか。今では数箇所の温泉宿や入浴施設がある。この温泉に魅せられて、かなり前から時々訪ねるようになった。大抵は町営の露天風呂というのに入りに行く。ここは掛け流し(受付のオバちゃんは「ここは垂れ流しだよ!」と胸を張って言うのだが)の露天風呂しかない入浴施設で、余計な設備は一切ない素朴な風呂なので、それがすっかり気に入っている。料金も300円也とリーズナブルである。

何年か前、バネ指という妙な病気というか、左親指の故障というのか、それになったことがある。親指の第2関節がバネ状に勝手に動き、携帯電話を左手では扱えなくなるような症状である。これは子供に多い病気らしい。とすれば少し若返りの傾向にあるのか、などと妙に嬉しくなったりして、病気をからかう気分もあったりした。医者の話では、手術をすれば簡単に治るというのだが、それがどうしても嫌で、薬など貰っていろいろやってみたのだが、どうしても具合がよくならなかったのだった。

それで、温泉にでも浸かって指を揉んだりしたら少しは良くなるかもしれないと、何箇所かの温泉を訪ねてトライしてみた中で、この喜連川の湯が大当たりだったのだ。4、5回通う内にバネ指はすっかり治ってしまった。本当はお湯の所為ではなく、放っておいても時期が来たので治ったのかもしれないのだが、とにかくこの温泉に入ると調子がよくなり、すっかり治ってしまったので、それ以来時間を見つけては此処の露天風呂にやって来るようになった。

露天風呂の中には、恰(あたか)も猿山のような岩組をした浴槽があり、そこではお爺さんと思しき世代の人たちが、湯の中だけでなく岩山の上にも寝そべったりして、思い思いの湯浴みを楽しんでいる。観光案内などで、温泉に入っている猿たちの写真をよく見かけるが、此処へ来るとあれを思い出すのだ。皆お猿さんになって、湯浴みを楽しんでいるのである。殆どがジジイ猿で、子供や若者が入ってくるのを見かけるのは珍しい。

今日の一仕事を終えた若い爺さま、人生の大仕事を終えた年寄りの爺さまなど様々だが、皆リラックスして穏やかな表情なのがいい。中には倶利伽羅紋々の爺さまが混ざることもあるが、これとて今は強面(こわもて)が抜け去って、いい顔になっている。そのような人たちを観察しながら、こちらも一匹の爺さま猿になって湯に浸っているのである。

本物の猿と違うのは、これら爺さま猿たちはやたらとおしゃべりだということ。95%以上は地元の人たちなので、みな知り合いらしい。他愛もないここでの世間話が、人びとをストレスから解き放つ大きな役割を担っているのであろう。それを聞いている自分も思わず微笑んで相槌を打ったりしている。それにしても、これら爺さま猿たちの話題は、恐ろしいスピードで縦横無尽に展開されている。4、5人のグループでの、ある話を紹介してみよう。

「この間よう、30年ぶりで中学校の同窓会やったんだけど、イヤー、誰だったけがわがんねんで、困ったどー。特に女の人は変わっちゃったんで、ながなが思い出せながったなあ。」

「そうだっぺねえ。女の人は子ども生んだりすっからなァ」

「幹事やってっから、名前はわがんだけど、実物ど一致しねえんだ。エイコちゃんとヨシエちゃんとマサコちゃんと、三人一緒に来たんだけど、エイコちゃんはすっかり変わっていて、わがんながったなあ」

「そうげえ、ところで先生は誰が出たの?」

「うん、ヤマダ先生が出たんだわ。あと、ヨシダ先生は死んじゃったっぺよ。」

「ヤマダ先生って、飲兵衛だよなァ。前に俺らたちの同窓会の時に、2次会が終わった後、もう一軒行ごうってしつこかったもんなァ」

「うん、そん時は体調が悪くてあまり飲めねえって言ってだけど、調子悪くてあれだげ飲んでんだから、すげーよなァ。今度も、はァ、ずいぶん飲んでだなァ。あれじゃあ、身体こわすんじゃねえげ。先生があんなに飲兵衛だなんて知らながったなァ」

「そういえば日本人の寿命も、これがらは減って来るんじゃねえが? なんか、TVの健康番組で、そんなごど言ってだど。」

「うん、俺も見だ。昔は肉なんが喰いたくても喰えながったものなァ。今みたいに肉だの油っ気の多い奴を喰っていだら、身体はおがしくなっちゃうべよ。若いのは、ほんと、長生きでぎねんでねえかなァ。」

このあと、話は延々と続き、鉄道自殺は迷惑だ、ライオンにきれいに喰われるような死に方がいいとか、それが発展して松島トモ子がアフリカでライオンに襲われた話、若い女性の方が美味いんじゃないかというライオン側の嗜好に立った話から、酒漬けのお前の肉も結構いけるんじゃないか、いや俺のは焼酎漬けだからライオンは喰ってくれないんじゃないか、などなど果てしもない広がりを見せて話題は展開されてゆく。

これは下手な寄席の話を聴いているよりも遙かに面白い。天然のお笑い話のように思える。この辺りの栃木弁は、茨城県北部の大子や常陸大宮辺りの話し言葉とイントネーションも殆ど変わらないから、数十年前の昔に戻った感じで、なんだか嬉しくなってしまう。

この他、話題は国際政治の問題や経済情勢の分析、断定に至るまで、相当の自信というのか誤信というのか、老人の頑固さを彷彿(ほうふつ)させるトーンの話が、あちらこちらで湯気と一緒に立ち昇っているのである。露天風呂なので、長く入っていてもあまりのぼせることは少なく、岩の上に坐れば何時間でも過ごすことが出来るようで、「俺は、はァ、もう3時間ぐらいになっかなァ。そろそろ出っかなァ」などといっている人が結構いる。しかし、自分はせいぜい1時間が限界だ。1時間、この猿山の風情を楽しめば、何だか元気づけられて、娑婆(しゃば)に戻れるような感じになるのである。我が家からのロケーション的には、旅という気分には少し遠いのだが、喜連川の猿山は、いまはとても大切な憩いの場所である。

風呂から出ると、那珂川の支流の荒川と内川が合流する箇所に造られた道の駅「きつれがわ」に行き、そこに旅くるまを停め、ビールで乾杯したあと、一夜を過ごす。翌日はこの地特産の温泉ナス(温泉を利用した暖房で冬季栽培のナス。このナスは刺身で食べてもいける高級品なのだ)と温泉パン(ドイツ菓子風の重量感のあるパン)を買って帰路につくのである。

 

 

コメント (2)
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