山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:第17日

2010-12-15 01:44:36 | くるま旅くらしの話

 

17日<11月8日(月)>

 

行 】 道の駅:宇陀路大宇陀 → (R370・166・K37) → 談山神社(奈良県桜井市) → (K37・R166・370) → 道の駅:宇陀路大宇陀 → (R166) → 道の駅:飯高駅(三重県松坂市・飯高町) (泊)  <89km>

 

 昨夜は少し雨がぱらついたようだったが、大したことはなかったようで、朝方には天気は回復していた。今日が関西エリアの最後の日となる予定である。明日からは本格的な帰途に入ることになるけど、ちょっと寄り道をして、伊勢神宮に参拝した後、志摩の方へ行って温泉に入ることにしたいと考えている。その後名古屋をパスして飛騨の高山から信州へ向かうつもりでいる。

 今日は、関西エリアの最後として談山(たんざん)神社を訪ねることにしたいと思っている。談山神社は昨日の大神神社と同じ桜井市にあるけど、そのロケーションはかなり離れている山の中だ。ここは平安時代に権勢をふるった藤原氏の祖である藤原鎌足を祀った神社である。紅葉の名所であり、先日のTVで紅葉がかなり進んでいるようなことを伝えていたので、それも楽しみである。5年ほど前に訪問して以来である。

 朝食の後片付けなどをして、出発の準備を終えたのは9時近くなっていた。ここの道の駅でも地元の野菜などが販売されている。黒豆の枝豆も何度か買っているので、もしかしたらと思ったのだが、やっぱり並んではいなかった。もう11月も半ば近くに迫っているのだから、やはり無理というものであろう。それにしても昨日は本当にラッキーだったと改めて思った。

 9時に出発する。桜井市の市街地近くまで戻ってから、明日香方面への道に入り、次第に狭くなる坂道を登り続けて走ること十数キロで談山神社の駐車場に到着する。途中離合が厳しい箇所が幾つかあり、観光バスなどが来たら困るななどと思ったが、その心配は無用だった。それほど紅葉も進んでいないようで、駐車場には数台の車が留まっていただけだった。

 談山神社に祀られている藤原一族の祖の鎌足という人については、その名を知らない人は少ないのではないかと思うけど、今の世は受験のための暗記ばかりの学習だから、もしかしたら試験が済めばさっぱりと消え去ってしまって、誰、その人?というようなことになっているのかもしれない。奈良時代の一つ前の飛鳥時代、つまり聖徳太子の活躍された時代であるけど、その後中央集権の体制は蘇我一族にないがしろにされる(皇室の一部から見た時)こととなり、これを打ち破ったのが、中大兄皇子(=その後の天智天皇)でありこの変革を大化の改新と呼んでいるわけである。この大化の改新の立役者となったのが、中大兄皇子であり、その補佐役(=相談役?)として活躍したのが中臣鎌足(後に天皇より藤原の姓を賜う)という人だった。その蘇我一族の横暴を排除すべく主役の二人が密談を凝らして計画を練ったのが、多武峰(とうのみね)と呼ばれるこの談山神社のある場所であったという。そのことを記念して鎌足の長男の定慧和尚が鎌足亡き後、他の場所に葬られていた遺骨の一部を移して、ここに寺を建立して改葬したとのこと。更にその後神殿が建てられ、神像を安置したとのことである。つまり、この地が実質的な大化の改新の発祥の地であるともいえるということなのであろう。そのようなことが、神社の由緒書きの中に書かれていた。

 藤原一族はその後隆盛を極め、平安時代には道長などという人は、「この世をば我が世とも思う望月の欠けたることもなきと思えば」などと思い上がった歌を詠んでいることは、歴史の記録の示すところである。以前来た時に全国の藤原一族の姓一覧のようなものがあり、それを覗いてみたら、山本という姓もその中に入っていたので驚いた。しかし現在の姓は、明治になって国民の全てが苗字を戸籍に登録する必要から生まれたものであり、何と名づけるか困っていい加減な坊さんなどに頼んで作ったものもかなりあるらしいので、山本などといっても単に山の下に住んでいたから山本とした等々、由緒などとは関係のない苗字は掃いて捨てるほどあるに違いない。馬の骨としては、我が祖先が藤原一族だったなどとは夢にも思わない。笑っちゃいますよ、という印象だったのを覚えている。

 さて、駐車場を出て、細い坂道を下って参道に入り、少し歩くと神社の社殿につながる階段の入口となる。ここに受付があり、金500円也を納めることとなる。どこへ行っても拝観料とか入山料とかを納めなければならないので、名所旧跡の探訪は真に窮屈で面白くない。維持保全のための必要悪だと諦めて入るけど、どうもお寺さんなどがやたらに賽銭箱などを置いて、銭を欲しがるのは衆生の功徳には違反するような気がして気に入らない。いつも同じ様なことを考えるのは、老人の末期症状なのかも。

 かなり急な石段を登ってゆくと重文の拝殿と神廟拝所の二つの建物が、山の中腹を拓いて建てられている。その他にも大小幾つもの建物があるけど、それらを正確に覚えるのは自分には不可能だ。なんといってもこれらの建物の中で一際目立つのは十三重塔である。678年に創られ、1532年に改修されたというその建物は、木造十三重塔としては現存する世界唯一のものだと説明板に書かれていた。この十三重塔というのは、定慧和尚が亡き父の供養のために創建した塔婆とのことである。普通の塔婆は小さな板切れで作られているけど、それに比べると、この塔婆は塔婆とはとても思えないなと思った。

 

   

談山神社境内の十三重塔の景観。世界唯一の木造の十三重塔とのことで、創建は678年、現存の物は1532年に再建されたとか。十三の屋根が何を意味しているのか解らないけど、何とも重厚な佇まいは、始まった紅葉の木立の中で、圧巻の存在だ。

 

談山神社は山もみじの紅葉が有名なのだが、まだ紅葉は始まったばかりで、ほんの数本がようやく頬を染めているという感じだった。最盛期になるまでにはあと2週間くらいは掛かるのではないかと思った。あれこれ素直でない思いなども駆け巡るのだけれども、神社全体をうっそうと包んでいる森の樹木たちの作り出す静寂の空気は、なんともいえない落ち着いた味がする。ここはまさにイヤシロ地だなと思った。

 参拝が終わり、車に戻る。途中から邦子どのが見えなくなったと思ったら、駐車場近くに新しくオープンしたらしい何やらの店に寄って、捉まったというよりも店の人を捉まえたらしい。何をしているのだろうと、諦めて車の中で地図などを眺めていたら、何やら手に持って戻ってきた。何を買ったのだろうと思ったら、買ったのは手作りのエンピツのようなもの1本だけで、大きな包みはクレソンを貰ってきたのだという。話をしているうちにお店の人がクレソンを取り出してプレゼントしてくれたとのこと。クレソンとは洋芹(せり)のことである。肉料理などに添えるあれである。どういうわけなのか知らないけど、このクレソンは美味しかった。何やら損をしないお人である。(その分、相手には損をさせているということになるのだけど)

 久しぶりの談山神社訪問は、もみじの方は紅葉には至らずガッカリしたけど、いい空気をたっぷり吸って、心にも身体にも薬になるいい時間だった。一先ず今朝の大宇陀の道の駅に戻ることにする。20分ほど走って、道の駅の手前に森野薬草園の売店があり、そこで名物の葛を買う。大宇陀は古い町並みが残っており、その昔薬草園も設けられていた。その森野薬草園では、現在は葛の製造販売などが行なわれている。ここの葛はジャガイモなどのデンプンではなく、天然の葛粉である。我が家では、薬をいただくようなつもりで、その葛を使わせて貰っている。今回は少し値が高くなっていたとのこと。このような産業は継続するのが難しい世の中になってきているということであろうか。

 道の駅に着いて、昼食にする。久しぶりに奈良名物の柿の葉寿司を食べる。今日で奈良エリアともおさらばだ。というよりも昨日来て、今日去るのだから、掠めて通るに等しい感じだ。今日はこれからR166を通って三重県の飯高町(現在は合併して松阪市)の道の駅に行き、そこの温泉に入ってゆっくり休むつもりでいる。以前はR369からR368を通ってR166を少し戻り、飯高の道の駅へ行ったのだったが、途中御杖村までは良かったのだが、美杉村に入ると離合も難しいほどの山間谷合の細道となり、これでも国道なのかと恐れ入ったのを覚えているので、今日はR166を行くことにしている。国道番号も、300桁以上となった場合の山間部を通る道は要注意である。地図には赤い太い線が描かれていてもその実際は安易なものではないからである。特に関西エリアでは要注意のように思う。

 ということで、12時15分大宇陀を出発。旧菟田野町を通り、次第に山の中に入って東吉野村に入り、三重県との県境の高見山の下を潜る高見トンネルを通過すると、もうそこからは三重県松阪市飯高町となる。しばらくの間長い下り坂が続き、やがて櫛田川に沿った渓谷が展開してくる。この渓谷を香肌峡という。トンネルを抜けたあたりから紅葉が目立つようになって来たのだが、ここで不思議な体験をしたのだった。

 高見トンネルを潜る手前辺りの坂道を登るころから感じ出したのだが、周辺の草木が全く動いていないのである。普通だと少しでも風があれば、道端の草木は揺れ動くし、この季節だと風がなくても落葉樹からは落ち葉の一つ二つは山道ならば落ちてきても不思議ではない。ところがそのような動きが全くないのである。まるでそのままの状態で時間が止まっているような感じだった。その中を自分の車だけが音を立てて走っているのだ。前後に車など全く走っていない。まるで突然見知らぬ世界に突入した感覚に捉われたのだった。これはほんの一瞬のことかなと思いながら、トンネルを潜り坂道を下っていったのだが、ずっと同じ様な状態が続いて、やがて何軒かの家のある集落に来たのだったが、そこまで来ても周辺の全く動かない景色は変わらないのである。家には誰もおらず、犬猫も鶏も姿も全く見えず、音と動きの無い世界がそこに止まっている感じだった。真っ白なすすきの穂や竹藪でさえもピクリともしないのである。重力で落ちてくる枯葉の一つくらいはあってもいいはずなのに、何一つ動いているものはない。どうなっちゃっているんだろうと、少し不気味になってきた。動物は見当たらず、植物さえも一切の動きを停止している世界は、何かを暗示しているかのようだった。以前、「沈黙の春(Silent Spring)」(レイチェル・カーソン著)という本を読んだことがある。この本は人間の環境破壊の行為の終局的な様相を描いて、その恐ろしい危険に警告を鳴らしている内容なのだが、タイトルの「沈黙の春」というのは、植物だけが生い茂る中で、春なのに小鳥も蛙も昆虫さえもすべての動物が絶滅して何の音もしないという情景を表わすイメージなのである。ふと、それに似た思いを描いたのだった。

 20分ほど走って、ようやく民家の中に人を発見し、その脇に犬がいるのを見てホッとしたのだった。人間がたくさん集まって動き回っているのにはうんざりすることがあるけど、このまるで時間が止まってしまったような音も動きもない世界を垣間見ると、やはり背筋が寒くなり出すのは、自分も人間の端くれなのであろう。邦子どのはこの不思議をどう捉えたのだろうか。とにかく不気味で不思議な時間だった。

 道の駅:飯高駅に着いたのは、13時30分だった。思ったよりも早く着いたのだけど、明日は伊勢神宮に参拝する予定なので、先を急ぐこともない。ここでゆっくり過すことにする。ここに来るのは二度目である。いい温泉があり、駐車場も広く、すぐ近くに公園もあって、水を汲むことも出来る。ただ、周辺は山に囲まれており、SUN号のTV装置では、電波の受信は殆ど不可能だ。これは最初から諦めている。少し休憩した後、とにかく温泉に入ることにする。

 いいたかの湯は、ありがたいことに65歳以上は200円安くなって400円での入浴がOKだった。老人が医療費を無駄遣いしないように、安い料金で温泉に入り、その分元気になって貰おうという発想は優れていると思う。全国を回っていると、時々このような温泉施設に出会うことがある。甘えるつもりはないけど、年金暮らしの者にとっては、ありがたい措置である。風呂の方もいろいろ工夫が凝らされていて、何種類かのお湯を楽しむことができるようになっていた。いつもだとそのようなものがあっても利用しない、首だけ出して坐って全身を蒸す木製の蒸し風呂にも入った。晒し首になるのもいいかという感じだった。生きていればこその話である。1時間半ほど温泉を楽しむ。いい時間だった。

 温泉のあとは、車を公園近くに移動させて、水の補給を行ったりして、いろいろ車の面倒を見たりした。バッテリーが不調のため、パソコンの使用をやめ、その代わりに早めに一杯やることにした。16時を過ぎると、一気に日が暮れだして、周辺は暗くなり出した。公園の方で泊まる車は自分たちだけのようだ。今日は少し夜が長くなるけど、休めるときには休めるだけ休んでおくことが旅には不可欠である。

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