山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

西海道&西国の旅の記録から(その33)

2024-08-01 10:30:11 | くるま旅くらしの話

◇九度山から高野山奥の院に参詣する

 山の辺の道を歩くのを断念して天理にある道の駅に戻ったその日は、翌日高野山に参詣する予定だったので、その夜は高野山の麓にある九度山の道の駅に泊ることにして向かいました。高野山は奈良県ではなく和歌山県に属しています。その麓の九度山町も和歌山県です。この町は、かの大阪の陣で豊臣方の武将として名を挙げた真田幸村が、父真幸と一緒に臥薪嘗胆の思いで過ごした場所です。残念ながら思いを遂げることはできませんでしたが、彼の存在はその後もこの地を有名にしました。私は、高野山に行くまでにはこの地がこれほど高野山に近いとは知りませんでした。この町に道の駅がオープンしたのは、比較的新しいのです。高野山に参詣するときは、それ以来この道の駅に前泊することにしています。和歌山県はミカンの一大産地でありますが、同時に柿も奈良県と並んで多く生産しています。九度山は柿の郷を称していますが、秋にここを訪ねると、それはそれは見事な巨大な柿が販売されていて、見るだけで圧倒されてしまいとても食べる気にはなれないほどなのです。

 今回もお世話になることにして訪ねたのは夕刻近くでした。奈良からは無料の高速道がつくられており、間もなく完成して有料になるという感じの場所でした。柿の季節ではないのですが、いろいろ地元で作られている野菜類などが並べられていて、なかなか魅力的な駅の売店でした。今の季節はあまり訪れる人も少なくて、静かな一夜を過ごすことが出来ました。

 翌日高野山に登ったのですが、ここから高野山に行く道は、この頃の大雨の被害を蒙ったらしく、至る所に補修なのか工事の箇所があって、離合のための信号待ちを何度もしなければなりませんでした。深い谷を流れる崖に沿った道は、油断が出来ず緊張の連続でした。

 高野山には何度も来ています。20年ほど前、家内の母が存命な時に、櫻池院という支院の宿坊に泊って以来ご縁が出来て、今でもそこ出身の僧侶の方にいろいろとお世話になっています。なので、奈良などに来た時は必ずお参りすることにしているのです。今回は奥の院にだけ参詣することにしての来訪でした。高野山はスケールの大きいお寺です。宗派を超えて広く様々な人がここに眠っています。奥の院までの参道を歩いていると、歴史上名のある人物の墓が幾つも並んでいます。弘法大師が未だ生きていて祈りを捧げていると言われる奥の院まで行くまでには、大樹の森の空気に身も心も浄化されて清新な気持ちとなるのです。1時間以上かけてゆっくりと参道を往復しました。道に迷うのが得意な家内は、帰り道はとんでもない方に行ってしまったらしく、かなり遅れて戻ってきました。

 参詣が終ったあとは、山を降りて、今日は大宇陀の道の駅にもう一度泊る予定なのですが、未だ昼前でかなり時間があるので、御所市にある一言神社にも久しぶりに参詣することにしようと思いつきました。そこへ行く前に五條あたりで柿の葉寿司を買って、参拝の後食べることにしました。一言主神社というのは、ここの神様にお願いすると、一言だけ願いを叶えてくれるとか、或いは一言だけしか願えないとか、良く分かりませんが、なんでもそのようなちょっと変わった名の神社なのです。どうしてここに参拝するのかというと、今住んでいる守谷市の隣の常総市にもこの神社があって、葛城山の麓にある本社からそこの神様が関東の人らが天災等で被害を受けて困っているので助けに来られたのだと神社の由来書に記されているのです。常総の一言主神社は、人気があって、建物も本社よりも立派なのです。今でも参拝に来る人が多くて、私の孫たちもお宮参りや七五三などでお世話になっているのです。その本社なのですから、敬意を表してお参りしないわけにはゆかないなどと考えて、もう何回かここを訪れているのです。御所市というのは私にとって、とても歴史上関心のある場所で、古事記の大和の国の成り立ち神話には出てこないけど、ここには往時の豪族の何人かが住んでいて、彼らが西の方からやって来た大和を名乗る人たちと合わさってこの国の源を築いて来たのではないかと思っているからです。学者ではないので、それを証明するものなど何もありませんが、楽しく想像することはできるのです。一言神社も何かそのようなことに係わっているのかも知れません。一言主神社は相変わらずの雰囲気で静かに鎮座していました。参拝の後、駐車場で奈良の名物柿の葉寿司を堪能しました。

 この日はそのあと大宇陀にある温泉に家内だけが入り、道の駅に戻って一夜を過ごしたのでした。

 

*幾度も高野の山を訪れて妻と二人で生(せい)を確かむ

 *生も死も超えて眠れる魂は高野の山を今日も鎮(しず)める

 

 *九度山の里に隠(こも)れし侍の臥薪嘗胆の願いは虚し

 

 *柿の葉の寿司を食らえば古都奈良の味が身体に沁み渡りゆく

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