◇日本アルプスの下を潜って信州の安曇野へ出る
今日は飛騨を出発して信州の安曇野に向かう日です。いよいよ旅も終盤のその終りが近づいてきました。飛騨から信州安曇野に出るのは、今でも難所と言える道です。国道158号は、安房峠のトンネルを潜って上高地の入口に出て、その後も幾つものトンネルを潜って、やがて野麦街道となって信州の安曇野へ出ます。途中ダム湖の脇に道の駅:風穴の里がありますが、ここでいつも一息入れるのですが、風穴というのを見たことはありません。そのような場所をあまり好きではないのです。閉所高所恐怖症なので、洞窟や坑道などは苦手なのです。
安曇野に出ると、サラダ街道の実りを披歴してくれている道の駅:今井めぐみの里やほりがねの里に寄ることにしています。そこへ行けば新鮮な野菜を安価で手に入れることが出来るからです。今回は時期的に少し早いのか、それほど多くの野菜類は見られなかったのですが、それでも何種類かを手に入れました。いつもだと、この地の道の駅に泊ってゆくのですが、今日は時間に余裕があったので、予てから訪ねようと思っていた、千曲市の長野県歴史館と将軍塚古墳を見ることにして向かいました。少し遠いので長野道を利用することにしました。私は現在日本の歴史を訪ねようと考えており、ここ2年ほどは縄文時代について関心を向けて来ているのですが、幾つかの遺跡を訪ねて縄文人のくらしがどのようなものだったのか、ほんの少し理解できた程度でまだまだこれからなのですが、つい野次馬根性が働いて次なる弥生や古墳時代の遺跡についても名のある場所は覗いてみたいと考えているのです。千曲の将軍塚古墳もその一つなのでした。
長野道の千曲ICを降りると、歴史館と古墳の入口の建物は直ぐに判りました。先ずは古墳の方へ行こうと歩いて行ったのですが、今日も日が高くて猛暑なのです。しばらく歩いてゆくと、案内板があって、あと1km以上もあるというのです。しかも平地かと思っていた古墳はかなりの山の上の方なのでした。これじゃあ無理すると熱中症になりかねないと考え、古墳の方に行くのは断念して歴史館に行くことにしました。
家内とは別行動でしたが、あとで聞くと古墳の方へはマイクロバスが運行されていて、家内はそれに乗って見て来たということでした。旅先での二人の行動は別々のことが多くて、今回も古墳に余り関心があるとは思えない家内がちゃんと見て来て、自分の方はアウトになってしまったのです。でも長野県立歴史館には長野県各地の歴史や遺跡の出土品などが時代別に整理されて紹介されていて、大いに勉強になりました。念願の縄文のビーナスのレプリカも見ることが出来て、古墳の方は後廻しでもいいやと思った次第です。
この日はこの後は軽井沢近くから一つ山を越えて上州に入り八ン場ダム近くの東吾妻町の道の駅:あがつま峡に泊ったのでした。
*この国の背骨の下を潜り抜け安曇野に出て振り返る峰々(やま)
*高き峰(やま)連なる中を行く道は野麦街道どこまで続く
*縄文のビーナス土偶美しき万年経ても人間(ひと)は不変(かわらず)
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