山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

漫画と現世が同居する場所

2017-12-12 05:58:11 | 旅のエッセー

 晩秋の旅で鳥取県や島根県など中国地方の日本海側を訪ねた。11月半ばのこの季節は、風が強く吹いて季節の冬への移行を顕わにしている感がある。今回も強風は鳥取砂丘に嵐を到来させ、砂粒を全ての来訪者に吹き撒いていた。一夜泊った北栄町の道の駅では、終夜旅車を揺るがし続けていた。この地方の冬の厳しさを思わせる体験だった。

 鳥取県は二人の偉大な漫画家を輩出している。一人は亡き水木しげる氏。もう一人は青山剛昌氏である。それぞれの代表作といえば、水木氏は「ゲゲゲの鬼太郎」青山氏は「名探偵コナン」である。これらのマンガを知らない人で、もしその人が日本人ならば、それは変人か仙人のような類の人物に違いない。大衆の中に居ることに安心感を覚える人ならば、誰でも本や動画でお目にかかっている筈である。

 自分的には水木しげる先生の漫画作品に昔から共感するものが大だった。妖怪に対する親近感を覚えるようになったのは水木先生のおかげだと思っている。墓場を怨霊などが屯(たむろ)する恐怖の場所と思いこんでいる人は多いと思うが、自分はもう、そう思わなくなっている。歳を取り過ぎて自分自身が妖怪化しているからなのかもしれないけど、水木先生の妖怪に対する考え方に共感を深めるようになって以来、意識は急速に変化したのである。そして、妖怪というのは実在すると信じている。水木先生は手塚治に比肩する偉大な漫画家だと思っている。

ところで青山剛昌という方を知らなかった。真に失礼千万で申し訳ない。作者よりも先に、その作品の主人公に強く魅せられたのがコナン君である。現代のセンスが随所にちりばめられた作品である。科学的、論理的そして空想的推理の面白さを味わわせてくれる、コナン君が活躍する世界を想うのは楽しい。

青山先生がその作者であることを知ったのは、大栄町(現在は北栄町)にある道の駅を初めて訪れた十数年前のことである。構内の端の方に小さなコナン君の銅像が建っているのに気がついて、どうして此処にこれがあるのか不思議に思ったのがそのきっかけだった。そのコナン君の生みの親である青山先生がこの地出身の方だったのである。それ以降、コナン君のTVを見る度に北栄町への親近感はいや増し続けている。

 さてさて、今回の旅では、このお二人の作品の世界が単なる空想に止まらず実在しているのを実感したのだった。

先ずはコナン君の世界である。今回初めて道の駅の裏に「青山剛昌ふるさと館」というのがあるのに気がついた。10年も前に開館していたのに知らなかった。その日は時間的に無理だったので中には入れなかったが、その代りに早朝散歩で、道の駅から1kmほど離れた所にあるJR由良駅まで歩いて往復したことで、この町がコナン君への思い入れが半端でないことを知って驚き、又感動したのである。

道の駅からJR山陰本線の由良駅に向かって歩き出すと、直ぐに目に入るのが「コナン駅」という道案内のオフィシャル看板である。由良駅の別名なのであった。バス停のベンチの脇に屈み込んでいる男がいて、その傍に行ってみるとそこにコナン君が居るのである。又、その通りを300mほど歩くと運河のような川に橋が掛っており、その欄干の袂にもコナン君がいて、その橋の名がコナン大橋となっていた。橋を渡り道路を右折して少し行って左折すると、その道がコナン駅に向かう通りとなるのだが、その通りの両側にはコナン君の所縁(ゆかり)の何人もの友達たちが、あのマンガの一場面の中に居るようにいろいろなポーズで佇んでいるのである。そして駅前には等身大を超えるコナン君が、駅からの乗降客を迎えるように立っている。最早この世界はマンガと一緒になった現実世界となっているのであった。このような像だけではなく、コナンの家パン工房などというのもあって、この辺一帯は恰もコナン君の世界をそっくり受け入れて暮らしている感じがするのである。

 

バス停には眠りこける毛利探偵がいて、その脇にいつものスタイルで話すコナン君がいた。

コナン大橋とコナン君の像。

コナン君の友達の女の子の一人。名前は覚えていないのでゴメン。

コナン君の友達の太った男の子。名前は覚えていないのでこれもゴメン。

このようなマンガの世界が現実の中に息づいているのを見るのは、実は北栄町の此処だけではない。もう一人の偉大な漫画家水木しげる先生の出身地の境港市の場合も同様である。境港市の場合は、街の中心地に水木しげるロードというのがあり、そこへ行くと先生の作品に登場する主人公の鬼太郎や目玉おやじ、ねずみ男や猫娘は勿論、様々な妖怪たちの大小の銅像が通りの至る所に解説付きで並んでいるし、米子空港は米子鬼太郎空港となっている。

境港市水木しげるロードの中のアーケード街。この奥に記念館がある。

ねずみ男の銅像。鬼太郎に次ぐ人気者のようだ。

おなじみのこなき爺の像。リアル感大である。

これもおなじみの砂かけ婆の像。

通りの中には妖怪神社もある。いやはやもうここは妖怪たちとの共同体である。

なんと、通りの中には妖怪が歩いているのだ。これは砂かけ婆のようだ。

今回の旅では境港を訪ねることはできなかったのだが、思わぬ所で水木先生の作品所縁の銅像などにお目にかかれて、驚き感動した。それは隣の島根県出雲市郊外にある一畑薬師というお寺に参詣した時だった。境内の中に目玉おやじの小さな像があり、そこに「おやじは寝るもの」とあったのを見て、何だか嬉しくなった。又本堂近くには「のんのんばあとオレ」という二人の人物の像があり、のんのんばあというのが実在の景山ふさという方であるのを知った。この方は水木先生の実家に勤められたお手伝いさんで、しげる少年に妖怪について語るなどして絶大な影響を及ぼされた方だったとのこと。のんのんというのは、この地方では神仏を拝む人のことをそう呼んでいたとのこと。景山さんのご主人がその拝み手で、熱心な一畑薬師の信者だったことから、のんのんばあという呼ばれていたのだとも書かれていた。水木しげる先生の世界は、境港市だけではなく、広くこの日本海側の風土の中で育まれ、それは生涯消えることなく、先生の作品の中にとどまって居るのだなと思った。のんのんばあとオレという像を見ていると、何だかその傍には大勢の妖怪たちが取り巻いて、二人を嬉しそうに見上げているのを感じたのだった。

一畑薬師の境内にある目玉おやじの像。ここでは涅槃おやじとなっている。

昔はマンガをバカにするといった風潮があったのだけど、今はそのようなものは拭い去られて、作品の中の登場者たちが現実世界の中に共生しているのを何だか微笑ましく思ったのである。現代はTVやネットなどの情報の技術革新がもたらすバーチャル世界が、様々な問題を起こしているように感じているのだけど、このようなマンガ世界との共生は悪につながる心配とは無縁のように思えて、ほっとするのである。

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