7月の中頃、久しぶりに信州の霧ケ峰と美ケ原の高原を訪れたのだが、それから2カ月経って、もう一度どうしても訪ねたいという思いが募り、再訪することとなった。このような思いつきは最近では珍しい。その最大の理由は、前回のニッコウキスゲにつながって、数十年前に初秋の高原で見たマツムシソウの群落のあの薄紫の世界を思い出し、それをどうしても見たいと思ったからだった。この歳になると、今できることをやっておかないと、悔いを残すことになりかねないという心配が絶えずついて回り、この頃は我がままをためらわないようにと心がけている。人間、まさに生きている内が、動ける内が華なのだ。己の身をすら自由に扱えなくなってしまったら、もはやお手上げなのである。ということで、出発を決めたのは前日だった。飛ぶようにして(途中の道は相変わらず迷って遠回りなどをしてしまったが)訪れた高原は、日射しは強いものの、野の花たちは秋の顔触れが揃っていた。もう終りに近づいているものもあり、高原の秋の訪れは早いのだというのを実感したのだった。
以下に今回出会った主な野草たちの花を紹介したい。この他にも幾つもの野草たちに逢っているけど、それらのついては別の機会にしたい。なお、写真が必ずしも鮮明でないのは、カメラの腕にもよるけど、カメラの性能にもよるところ大で、本当は相棒の撮ったものの方が遥かに鮮明なのだけど、高画質なので、サイズダウンが面倒なため、このレベルでお許し頂きたい。
<ノコンギク>
野菊と呼ばれるものには何種類かがあるけど、それらの中での代表といえば、このノコンギク(=野紺菊)ではないかと思っている。野山の道端に群れ咲いていたり、埃まみれになって車道の脇に忘れられたように咲いているかと思えば、丈の低い雑草が茂る藪の中に、一本だけ気高く紫の花を咲かせて佇んでいたりする。この花を見ていると、遠い昔となった子供の頃に歌った唱歌を思い出す。「遠い山から吹いてくる 小寒い風に揺れながら、気高く清く匂う花 きれいな野菊 うすむらさきよ、~」野の花には、野の花にだけしかない美しさがあるように思う。
霧ケ峰高原には、数多くのノコンギクの群落がみられた。これは池のくるみに向かう途中の道端に見つけて、車を停めて撮ったものである。
<マルバハギ>
萩は秋を代表する花の一つで、秋の七草の中にも入っている。普通は萩といえば、山萩のことで、このマルバハギは、名の通り葉が丸い形をしている。花も山萩と比べて、数が少なく、少し花が大きいようだ。この写真は、八島湿原の散策路の入口付近にあったものを撮ったものである。
この湿原では、山萩も見られたが、マルバハギと共に個体数は少なかった。萩にも何種類かあるけど、八島湿原ではこの他にナンテンハギも見かけられた。ナンテンハギは葉が楠天の葉に似ているので、そう呼ばれており、花の姿形は山萩やマルバハギと同じ形をしている。この湿原では、概して背丈などは低くて、厳しい環境の中にいるというのを証明しているように思われた。マルバハギはその中にあって逞しさを感じさせる存在だった。
<ゴマナ>
ゴマナというのは、あの食用の胡麻と同じ字を用いて、胡麻菜と書く。しかし胡麻とは姿形も花も全く似てはいない。それなのになぜゴマナと呼ばれるのか、よく判らない。恐らく胡麻の実見たいにチマチマとした花を塊にして咲いているので、そう呼ばれたのかもしれない。八島湿原の周辺にはどこにでも無造作に咲いている存在だ。よく見るとノコンギクと同じような形の花が密集しており、菊の仲間であることが解る。かなり大型の野草で、1mを超えている。花の色が地味なので数が多い割には気を引かされる存在ではない。
この花からイメージするのは、何故か、江戸時代の百姓の人たちの姿である。派手さはないけど、芯の強さは誰にも負けないという自負があったと、自分は思っている。江戸時代を支えたのは、武士ではなく、百姓だった。商人は百姓たちの上澄みを霞み取って儲けを積み上げたのである。ゴマナは、その百姓の精神を主張している感じがしたのだった。
<ハンゴンソウ>
ハンゴンソウは、反魂草と書く。反魂とは、亡くなった人の魂を呼び返すこと、すなわち蘇生させるという意味だから、この野草には人々のそのような思いが込められているのかもしれない。何故この花がそうなのかは解らない。八島湿原周辺には至る所にこの花が咲いていた。北海道では、道端や草原にこれとよく似たキオンという野草や、ハンカイソウと呼ばれる大型の野草が目立つけど、八島湿原にはそれらは見られず、黄色い花を咲かせる大型の植物といえば、ハンゴンソウばかりだった。
このような花は、群れをなして咲いていると、却って目立たなくなってしまう。それは人間どもでも同じことのようだ。「赤信号皆で渡れば怖くない」の類かもしれない。しかし実際は、野草たちにそのような心があるはずもなく、目立つ・目立たないは、人間どもの心の世界だけのような気がする。
<ヤマハッカ>
湿原の散策路の脇に、この箇所にだけ花が咲き残っているのを見つけた。薄荷(ハッカ)に似ている花と姿形であり山にあるのでこの名がつけられたのであろう。ハッカといえば、北海道北見市郊外にあるハッカ御殿を思い出す。かつてハッカの栽培で一大の富をなした人物が建てた屋敷と聞いたが、近くで何種類かのハッカが栽培されていた。それを見ているので、このヤマハッカの存在が直ぐに判った。しかし良く似ていてもハッカではないので、葉を噛んでみてもハッカの香りはない。自然界には良く似た植物があるもので、造物主である神様は、やはり気まぐれを以ってこのように似たものを何種類か造ったのであろうか。不思議というしかない。
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