山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第11回)

2013-12-12 23:03:58 | 筑波山登山の記

<第11回 登山日 2013年12月11日(水)>

 先週に引き続いての登山となった。昨日(12/10)は全国的な荒天となり、今日は晴れとの予報なので、登れば眺望が開けているのではないかとの期待もあった。前回とほぼ同じ時間帯の登山となったが、今回は我が身にとても不思議なことがあった。何かといえば、汗を殆ど掻かなかったのである。いつもは登りの途中で、上に着ていたウインドブレーカーを脱ぎ、大汗をかいて御幸ヶ原に着き、そこで着替えを済ませるか或いはもう一息だと頑張って、頂上まで行って着替えをするのだけど、その時はもう下着の汗が、絞り流れるほどにびっしょりなのに、今回はほんの少し汗が滲んだ程度だった。いつもと比べて特に寒かったわけでもない。むしろ暖かい方だったのになのである。何故なのだか解らないけど、登山を続けている内にはこのような時もあるのかなと思った。

      

今日の筑波山(男体山)頂上の景観。中央が男体山御本殿。右の白い建物は、元測候所。現在は使われていない。

さて、今回も前回の哲学の道の続きの話をしたい。今回のそれは杖の話である。登山に杖は必需品のように思う。特に自分の様な老人世代にとっては、筑波山に登るためには杖は欠かせない用具である。登りも下りも岩石が多くて足元が不確実な登山道には、尻もちや転倒を防ぐための触角的な役割を果たす杖が不可欠のように思える。杖を使わないで登る人も見かけるけど、安全のためにも、杖は上手く使った方が良いように思う。自分は一本しか使わないのだけど、この頃は両手に杖を持って登る人が多くなってきているようだ。一本でも二本でも、それをどう使うかはその人の考え次第であろう。

登山の杖と老人の杖というのを思う時、思い出すのは、ギリシャ神話のスフィンクスの謎かけである。ギリシャ神話の中で、女面獅身の化け物が、そこを通る人たちに「朝は四足で、昼は二本足で、そして夕べには三本足で歩くものは何か?」という謎を掛けて問い、それが解けない者を殺してしまうということを続けていたが、ある時「それは人間だ」と答えられて、海に身を投じて死んだという話があった。その夕べの三本足というのが老人のすがる杖ということになるわけだが、今頃は四本足となっている者も多いから、謎の掛け方にも工夫が必要ということになるのかもしれない。時代の変遷と共に、杖の種類も使い方もかなり変わって来ているのかもしれない。

自分の杖といえば、今登山に使っているのは、十年以上前に買ったピッケルに代わる伸縮の出来る登山用の杖なのだが、この頃は何かもっと使い易くて良いのは無いのかなといつも考えている。実用的な杖のことを思う時いつも考えるのは、二人の人物のことである。

その一は修験道の開祖と言われる役の行者、役の小角のことである。大和の葛城山の麓に生まれて、その近くの山で修業し、やがては日本国全土を駆け巡ったという様々な伝説を生んだ人物である。御所市の茅原という所に吉祥草寺というのがあり、そこがこの人の生まれた場所と言われている。そこを訪ねたことがあるが、葛城山を見上げる位置にあり、この人ならずとも山に入って歩き回りたいという衝動に駆られるような場所だった。葛城山は筑波山よりも100mほど高くて、959mもある。もう一つの近くにある金剛山は1,112mもあり、飛鳥時代の昔の頃、役の小角という人は、これらの山塊の中を歩き、走り回って修業を続けたのだと思う。役の小角だけではなく、鴨氏や葛城氏、巨勢氏などが住んでいたこの辺一帯は、大和民族の発祥の地と言ってもいいように思う。御所市というのは実に魅力的な場所である。

杖の話だった。我が国における初代の仙人のような存在となったこの人物は、恐らく修業の間には自然木の杖を活用していたのではないか、というのが自分の考えであり、それがどのような杖だったのかと興味津々なのだ。修験道のことを調べて見ると、十二・十六道具というものがあり、その中に杖は二つあって、その一は錫杖であり、これは金属製のようである。もう一つは金剛杖であり、これは木製だが長さが決まっておらず、その人の使い勝手に応じて作って使われるものとの説明があった。夫々にいろいろと宗教上の意味が籠め含められているようだけど、自分的には金剛杖というのが、役の小角の時代から、そもそもの修業時に使われた杖だったのではないかと思う。勿論、実物のそれを見つけることなど出来ない話だけど、どんなものだったか、想像するだけでも楽しい。

で、より具体的にどのような杖が良いのかを思う時に、ふっと眼に浮かぶのが、円満造翁が使っていたという、杖のことである。円満造翁などといっても何のことか、どんな人のことなのか分るまいと思う。でも秋田地方のドンパン節のことなら知っておられる方が多いと思う。円満造翁の本名は高橋市蔵といい、秋田県中央部近くにある、新しく合併で生まれた大仙市の、元中仙町出身の大工さんで、ドンパン節はこの方の作られた即興の甚句なのである。この方は造形の天才であり、本業の建築以外にも彫刻にも優れた作品を残し、又音楽の才にも恵まれておられたようだ。大仙市にある「なかせん」という道の駅には、米米プラザという米やそれを原料とする製品を展示する建物があるけど、その前方に塔のようなものがあり、そのてっぺんに、米俵にちょこんと乗った小さな人物がいる。そのモデルがドンパン節の作者の円満造翁なのである。合併前の中仙町の役場近くには、円満造翁の銅像のようなものが建てられていて、それを見た時、手に持っておられた杖の見事さに魅入られてしまったのだった。ご自身で何処か山の中に入って採って来られたようで、何の樹木なのか蔓(つる)なのか判らないけど、杖の上部が丁度いい塩梅にくるりと曲がっていて、実に使い易い感じの形をしているのだった。いつの頃にそれを使い出されたのかは知らないけど、自分も歳をとって杖が必要になった時は、何処かの山の中に分け入って、このような杖を見つけたいものだとその時思ったのである。

今改めて役の小角と円満造翁と、この二人のことを思うと、時代は違ってもこの二人には大いなる共通性があるように思えてならない。お二人ともこの世の自然界を悠々と遊ぶ自然児であり、同じような杖を持った仙人なのではないか。そう思えてならないのである。

さて、斯く言う自分なのだが、もはや杖を手にするには、既にもう何の不足も不満もない世代となってしまっている。今のところ杖は登山専用という感じだけど、もう直ぐ普段の暮らしの中でもそれが必要になるのかもしれない。自分の父親は杖を持つのに抵抗があったらしくて、何度勧めても使おうとはしなかったけど、自分はスフィンクスの言う通り、老いては三本足というスタイルを受け入れることにしたいと思っている。そして、その時は円満造翁のような自然木のものを自分で作って使うようにしたいと考えている。実際今でも何本かその材料を集めているのだけど、まだ加工には取り掛かってはいない。

ところで、大分脱線が進んでしまった。もともと、哲学の道の話の続きだった。元に戻ることにしよう。登山を人生に喩えるとすると、杖というのはどのようなものになるのであろうか。自分的には自助棒とでもいうべきもののように思える。自助棒というのは、自分自身の力で、自分を支え助ける棒というものである。その棒は、他人の力ではなく、あくまでも自分自身の力で使いこなさなければならない。人は誰でもその人生において、幾つかの自助棒を持たなければならなない生きもののようだ。登山の場合は物理的な自助棒だけど、人生の道程の中では、心の支えとなるものも自助棒と言えるように思う。生きがいを生み出しているようなものは全て杖と同じ役割を果たしているということになるのではないか。

自分の場合の人生の自助棒というのは、一体何なんだろうと考えてみた。つまずき、転びそうになった時、助けてくれたものといえば、やはりそれは自分を信じ頼ってくれている人たちの存在だったということになる。親をはじめ、家内、子供たちそして身内の兄弟や親しき友人たちということになるように思う。これらの人たちに助けられながら、どうにかここまでやって来れたのだ。

しかし、ここで強調したいのは、自助棒というのはあくまでも自分自身の力によって使うものなのであり、棒自体に助けて貰うものではないということ。心の自助棒という場合は、自分を信じ頼ってくれる人の存在そのものが重要なのだ。しかし、自分を本当に助けるのは、あくまでも自分自身なのである。誰かに依存していては、自分を助けることにはならないのだ。つまり、自助棒を使うのは自分自身であって、誰かにそれを使って助けてもらうことではない。他人の力に頼ったのでは、杖は使えないのである。

登山ではそれを思い知らされる。仮に同行者があって、自分が滑って倒れそうになった場合に、その人の杖で自分が助かるということは無いのだ。あくまでも自分の杖で自分の身を守るというのが、自助棒という存在なのだ。筑波山頂への哲学の道を歩きながら、そのようなことを思った。今回はここまで。

      

筑波山御幸ヶ原から見た北西方の眺望。中央の筋の入っている山が日光男体山。その左の白い冠雪の山は日光白根山か。

 

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