一昨日TVのニュースを何気なく見ていたら、つくば市の東部を流れる花室(はなむろ)川という小さな川の河床で、旧石器時代のものと思われる化石が出土したということを報道していた。普段ならそのようなことには気づかないのだが、花室川という名称が耳に入って、思わず画面を見つめたのだった。花室川は川というよりも生活排水のための用水路といった方が正確ではないかと思うほど、汚れた水が、広がる田んぼの中ほどを通って流れているのである。名前はなかなか風流さを思わせる美しさがあるのだが、今の時代の人間は、その名前だけ残して中身は全く違った水に取り換えてしまっている。それはもしかしたら30年ほど前につくば市が誕生してからの歴史なのかも知れない。元々は名前のとおりに美しい小川だったに違いない。
何故花室川に反応したのかといえば、私は多いときは週に1回はその河畔の農道を歩きに行っていたからである。家内が趣味のフォークダンスの練習で、つくば市街の中にある会場へ行く日は、私は運転手と散歩の日と決めている。練習が終るまでの3時間ほどの間、自由に道を選択して近郊を歩き回るのである。その間2万歩くらいの歩きだから、ざっと15km以上は歩いていると思う。なるべく変化に富んだ道を歩こうと考え、花室川の河畔の道もその中に取り入れているのである。
地図を見ても、その水源というか源流がどこなのか良くわからない。ただ下流の方は20kmほど先で霞ヶ浦に注ぐようである。あんなに汚れた水が入ってゆくのだから、霞ヶ浦という湖の汚染は推して知るべしである。筑波山あたりが源流なのかなと思ったのだが、はっきりしない。ただこの河畔の道を歩くと、晴れた日には筑波山が間近に見えて、それなりに満足する景観なのである。筑波山は大して高くもない山なのだが、関東平野の中ではその存在が突出しているので、時には東の富士、西の筑波などと並べて評されたりしている。勿論山の大きさも迫力も美しさも富士山とは比べるのは無理というものであろう。
さてその花室川に旧石器時代の化石が出土したという。学者の方の見立てでは、どうやらその時代の人たちが捕獲した動物の解体をする場所ではなかったかということらしい。トナカイ、ナウマン象、バイソンなどの骨が出土しているという。その方の話によれば、関東平野のこの辺一帯は、広大な草原が広がっていたという。そこにこのような動物が住んでいて、我々の祖先がそれらを仕留めて食糧にするために捌(さば)いていたというのである。旧石器時代というのは、どのような時代だったのか良くわからないけど、生活のための道具の中心に石を使っていたというから、相当に厳しい暮らしの時代だったに違いない。それにしてもナウマン象まで食っていたというから凄まじい。どんな味がしたのだろうか。1万年から13万年前以上の昔の時代だというから、人間はまだまだ農耕などとは無縁な、大自然の中の生き物の一種としての存在だったのであろうか。
10万年も前の日本国がどのような形をしていたのか、関東平野が関東平野だったのかどうか見当もつかないけど、その頃大草原だったというこの地で、ご先祖様が狩を行なっていたというのは凄まじい。ナウマン象といえば、先日の北海道の旅で忠類(幕別町)の道の駅の傍にその記念館があり、その庭先で模造の吠え声が断続的に響き渡っていたけど、あんな奴がこの関東平野を歩き回っていたとは驚きである。その時代の食べ残した骨が化石化しているなんて、何だか俄かには信じがたい気がする。
花室川は、河川敷も河原もなく、川幅10mばかりの落ち込んだ水路の状態であり、深さは2~3mくらいであろうか。その底の方を、平時は汚れた水がちょろちょろと流れているだけだが、増水すると濁流が川底や土手の下を抉(えぐ)って、そこが小さな崖のようになっている箇所が多い。自転車などをはじめ、無数のゴミ類が引っかかっているのを見て苦々しく思わずにはいられないのだが、その川底近くの崖のような場所の地層の中から、それらの化石が発見されたということである。あんな所まで下りて行くには相当勇気がいるように思う。良くもまあ見つけたものだと思うし、見つかったものだと思う。勿論偶然だと思うけど、運命論的には必然だったのかもしれない。想いは複雑に駆け巡るばかりである。
ところで化石とは、本当のところ何なのか?その昔の生物の姿や残痕が腐らずに石化したものをいうのだとは思うけど、土というのはそのまま何万年という時間が経つと自然と石になるものなのだろうか。どうも良く解らない。土はいつまで経ってもそのまま土なのではないかと思うのだが、化石というのは皆石(=石化)になってしまっているようだ。科学的にはそんないい加減な説明ではなく、ちゃんとした定義があって、それに従って化石を化石として扱っているのであろう。
ま、真面目な話はそれくらいにして、もっと身近な所に化石など幾らでもあるという話をすることにしたい。
世の中には、生きた化石というものがいる。動物ではシーラカンスという魚や甲殻類のカブトガニ、ゴキブリもそうだった。植物ではメタセコイア(=あけぼの杉)などが有名だけど、いやいや、まだまだ生きた化石は無数といって良いほど存在している。早い話が斯く言う私だってかなり化石になりかけている。人類の中の相当数が生きたまま化石化している時代なのである。
思うに産業革命以降の人類の歴史は、その発展を喜べないほど異常である。その異常さはここ100年足らずで更に加速化した。人類の有史以来200万年くらいしか経っていないのに、世界の4大文明というのが生まれてくるまでその99%以上の時間を要していると聞く。その文明が生まれてから1万年も経っていない。エジプトや中国の歴史が古いといわれても数千年も経ってはいない。それなのにこのたった100年足らずの間に、まだ世界の人びとの暮らしに大きな落差はあるとはいえ、人間は地球での存在を欲しいままにしている。もはやその負の遺産が地球環境を破壊に至らしめようとしているほどなのだ。
そして日本といえば、戦後50年ほどの時間の中で、世代間の暮らしの感覚や価値観のギャップを「化石」などという言葉を使って表わすほど、狂った世の中を現出させてしまっている。いわゆる高齢者と呼ばれる世代の人間の多くは、その人生体験において幼少時から少・青年期、壮年期そして老年期に至るまでの間に、暮らしの環境があまりにも急激に変化したため、現在という時代に適応する力を失ってしまっている者が多い。高度情報化社会の出現などは、これから高齢者の暮らしを益々時代から取り残して行くに違いない。つまり、高齢者の化石化は益々スピードアップするのである。
化石というのは、過去の世界に止まって過去を証明しながら生きてゆくものであろう。化石は決して死んではいないように思う。何故ならナウマン象の骨はその時代を証明し、時代を語り続けているからである。数万年を経て、化石としてその力を発揮しているのなら何の抵抗もなく受け止められるのだが、生きた化石というのは如何なものであろうか。シーラカンスやカブトガニのようなごく限られた数ならともかく、たった100年足らずの時間の中で、同じ人類でありながら、親子でありながら、化石と呼ぶような関わりがどんどん増えてゆくなんて、異常というほかない。奇異というべきかもしれない。人類の歴史の中で、現代はその奇異の時代に向っているような気がしてならない。
100歳近い高齢者の中でも、今の時代に適応して立派に生きている方も勿論いらっしゃるけど、それは稀有の存在であろう。これから20年足らずの間に、生活環境は温室効果ガスの削減でより棲み易くなるかといえば、恐らくその答えは限りなくノーであろう。仮に削減が出来たとしても、高齢者の生活環境は益々適応するのが難しくなるに違いない。TVもラジオも新聞もパソコンも携帯電話も、その育ち暮らしてきた以前とは全く扱いの異なるツールとなった時に、それを自在に操ることが出来る高齢者が普通にいるとは思えない。生活に密着したこれらのコミュニケーションツールが、機能的に合体したものが身近で当たり前の装備となった時、それを自在に操れるのは若い現役世代だけであろう。高齢者の殆どは、昔の感覚でその映像や音声や文字を受身的に眺めるしかないのではないか。そのような時代の動きに流され続けたなら、高齢者の化石化は加速化するだけである。
このようなことを書けばきりが無いけど、石器時代の化石の発見から、ついつい我が身を含めた現代の化石化のことを想ったのであった。いやはや。