山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

主夫業雑感

2009-10-11 05:33:32 | 宵宵妄話

このところ月の半分近く家内が家を留守にしているので、その間は主夫業なるものを請け負って(?)やっている。そのようなことが始まってから、もう1年以上が過ぎてしまった。最近は、というより初めからそうだったのだが、主夫業なるものが益々板についてきて、苦になるどころか結構楽しんでいる。なるべくなら家内にはもう少し長い時間戻らないでいて欲しいなどと思うこともある。というのも、家に戻ってくると、家内は目も口もうるさくて、留守の間の欠点を探し、指摘し続け、こちらが腹を立てて怒ると、そんなことは無視して、ぶつぶつと一人言風に当方の仕事の足りなさを批判し続けるのである。(自分としてはそのように感じている)この性格は何とかならないものかと思うのだが、時既に遅きに失する、である。概ね指摘事項は正しいのだから、余計に腹が立つのだ。

「鬼の居ぬ間」という言葉があるが、まさにその期間は自由で充実していて楽しい。平日の家事の中心は、同居(といっても2世帯住居で基本的には倅は自立している)の倅の夕食を準備することであり、その他はせいぜい自分一人分の衣食関係をこなすだけなのだ。休日は倅を含めた概ね2食分(昼と夕)のメニューを考え、調理をしなければならないが、この程度のことで悩むことは無い。伸び伸びと好きなようにことを運べるのが楽しい。

男の料理といえば、予算など度外視して、高価な食材をふんだんに使い、出来上がったものを旨い、美味いだろう!と自画自賛しながら食べさせ、食べるというのが凡その定番だと思うけど、今の私の場合は、そのようなことがしたくても出来る環境には無い。ちゃんと予算が決められていて、前渡金を受け取り、その範囲内でのメニューをこなさなければならない。結果についても領収証を添付して報告しなければならない。これは窮屈のように思ったのだが、いざやってみると工夫心を煽(あお)られて結構面白い。如何に安く旨いものを作るかというテーマは、単に経済性や効率性だけの問題ではなく、頭の刺激になって老化防止に役立つように思う。

一般に女性の方が長生きするのは、このような男には気づかない頭の使い方をし続けているからなのかもしれない。食事というのは、人間が生きている間はずっと必要なものであり、それを如何に安く、美味しく、且つ健康にフィットする形で作り続けるというのは、相当に創造的であり脳を刺激し続けるのではないかと思う。女房殿や嫁などの苦労など気にもせずに、ごろ寝をして安楽を貪っている男の老人が、まともに長生きなどできるはずもない。老いさらばえたなら、真っ直ぐに認知症の世界に誘われるのは必定であろう。少しオーバーだけど、この頃は時々そのようなことを思ったりしている。

この外の主夫の仕事といえば、掃除と洗濯、ゴミ出しなどがあるが、ゴミ出しは主婦が居ても毎度の仕事なので、主夫になっても変わらない。我が家からゴミの集積場所までは結構遠くて200m近くある。この距離を重いゴミ袋を運ぶのはきついのだが、糖尿の自分にとっては良い運動になるので、最初から買って出て精勤している。歩くのは全く苦にならずこれまた楽しい。旅をしている間もこの習慣が取り付いてしまったのか、多くの場合ゴミ出し担当は自分となってしまっている。

掃除は好きではない。かといってゴミ屋敷の主のような考え方は持ち合わせてはいなのだが、部屋の中をあまりに綺麗にするのは好きではない。綺麗になっている状態というのはあくまでも一過性のものであって、それは何だか不自然ではないかという、妙に理屈っぽい考えが自分にはある。だからゴミ一つ無い無菌室のような部屋は落ち着かず、気持ち良くないのである。

特に自分の仕事場兼生活空間としている書斎は、自ら進んで掃除をするのは年に数回くらいだろうか。パソコンやステレオなどの機械物は埃を嫌うので、これは時々埃を払うようにしているが、その他のものは本もメモ類も殆ど必要なとき以外は動かさず、雑然としている。綺麗に整理整頓して掃除などしてしまうと、今まであれこれ思いついて貯めて置いた、ものを書くための材料が、何処かへ飛んでいってしまうからである。最近では家内の不法侵入が少なくなったので安心している。そのようなことなので、家の他の箇所もあまり熱心に掃除機などをかけたりはしない。留守を預かる半月の間に、あの騒音を振り撒く機械を扱うのは多くても2度くらいか。

洗濯もあまり好きになれない。洗い物を放り込んで石鹸を入れ、スイッチを入れればそれで済むような仕事だが、その後が面倒である。くちゃくちゃシワだらけにになった洗濯物を取り出し、一々引っ張って延ばし、ハンガーなどに掛ける作業は面倒くさい。家内は無類の洗濯好きで、もう少し着続けようとしているシャツなどをその辺にうっかり置いておくと、あっという間に持ち去って洗ってしまう。恐らく洗濯物のシワを延ばす作業や干した後の収納までのプロセスの中に洗濯を好きにする何かがあるのだと思うが、自分には今のところ見つからない。3日に1回くらいのペースで、一応はこなしている。

洗い物といえば、もう一つ食事の後の食器類がある。これは好き嫌いに無関係で、食事が済んだ後は直ちに洗うようにしている。ところが家内の場合は限界近くまで溜め込んで一挙に洗うというやり方で、自分とは正反対だ。食洗機を使うにはそのような洗い方になるのかもしれない。しかし、シンクの中に汚れた食器を溜め込むのは、自分としては嫌いである。家内が居るときは諦めて黙っているけど、居なくなった後は直ちに洗うようにしているので、シンクに邪魔物は無い。洗い方についてもつべこべ言われることが無いので、安心して洗っている。恐らく家内の目から見たら、殆どがやり直しのレベルなのかもしれない。バイ菌は徹底的にやっつけるという考え方は自分には無く、適当に共生すればいいんじゃないかと思っている。家内にはそのようないい加減な考えはないようだ。しかし、どんなに綺麗に洗ってみたところで、バイ菌類を100%除去するなんて不可能である。それに悪質なものばかりではないだろうから、ほどほどに洗うだけで中毒などにはならないと自分は思っている。ま、考え方の違いは仕方ないので、鬼の居ない間はマイペースである。

実に他愛も無い暮らしぶりである。これらの主夫の仕事が一段落しているときは、畑に行くか、歩きに出かけてついでに買い物をしてくるくらいのもので、残りの日中の時間は大方昼寝である。この頃は昼寝の方が夜寝よりも充実している。夜や朝は自分にとって貴重な時間であり、眠っているのが勿体ない。そのためには午睡が不可欠なのである。

旅に出かけない間は、ざっとこのような暮らしぶりである。もし旅に出ることもなく、毎日このような暮らしぶりを続けているとしたら、これは大変だなと思うことがある。食事の献立や調理に力を入れるだけでは、自分としては脳の刺激には不足していると思う。やっぱり旅に出なければと思う。旅に出たい。
コメント (4)
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